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八十九話 亡霊の都 1

◇◇◇ 赫燕(かくえん) ◇◇◇


 鼻につくのは、木材が燃える臭い。至る所から上がる黒煙が目に沁みる。玄済(げんさい)国の旧王都・盛楽(せいらく)。かつては数多(あまた)の民で賑わい、豪奢(ごうしゃ)な宮殿が存在していたであろうこの都は、今や見る影もない。


 住民は恐怖に駆られて逃げ散り、価値あるものは全て持ち逃げられたのか、あるいは灰燼(かいじん)に帰したのか、残されたのは廃墟と化した瓦礫(がれき)の山々。風が吹き荒れるたびに、かつての繁栄を嘲笑(あざわら)うかのように土埃が舞い上がった。


 赫燕(かくえん)軍は、何の抵抗もなく、この旧王都を蹂躙(じゅうりん)した。略奪する価値すら見出せないこの城に、彼らは惰性で、そしてある種の苛立ちをもって火を放っていく。燃え盛る炎は、突き抜けるような青空を赤黒く染め上げる。



 風に髪が(なび)き、燃え盛る炎の熱が肌に伝わる。赫燕は、燃え上がる都を馬上から眺めていた。その瞳には、勝利の歓喜も、破壊への陶酔(とうすい)も宿らない。目の前で繰り広げられる光景を、一枚の絵画でも見るかのように、ぼんやりと見つめているだけ。


「お頭、今日はここに(とど)まりますかー?」


 血の匂いが漂う城内を巡回し終えた(じん)が、赫燕のもとへと戻り、問いかけた。彼は、血が滴る双刀を振り払って、鞘に収めている。


「ああ」


 赫燕は簡潔にそう答え、その視線を隣に控える子睿(しえい)へと向ける。子睿は(うやうや)しく頭を下げると、自身の馬を一歩前へと進め、いつものように貼り付けたような笑顔を周囲に向ける。


「皆さん、水と食べ物にはご注意を。何が盛られているかわかったものではありません。食料は後方から大量に送られています」


「はいよー!」


 金色の髪を揺らし、(せつ)が無邪気に笑って元気よく手を挙げた。その横では、迅が牙門(がもん)に顔を向け、悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「牙門、だってよ!」


 迅は、まるで子供のように口の端を吊り上げて、牙門を指差した。その仕草に、牙門はむっとした表情を隠さない。


「なんでお前は、いつも俺だけに言うんだよ! 俺だって城内の食いもんには手をつけてねえだろうが」


「お前は食い意地が張ってるからなー」


「ああん!? お前のとこのが——」


「牙門、うるさい。耳壊れる」


「刹、てめえ!」


 牙門は刹に向かって馬の前足を上げた。刹の馬は、その威嚇をものともせずに、ひらりとかわす。刹は、まるで遊びを楽しむかのように牙門の周りを駆け巡り、牙門は苛立ちを募らせて追いかける。


 その様子を見て、迅が腹を抱えて笑っている。いつもの光景だ。兵士たちは、この三人のやり取りにはすっかり慣れきっていた。彼らにとって、これは日々の息抜きのようなもの。最初は緊張していた新兵たちでさえも、今では笑い声をあげながら彼らのやりとりを眺めている。


 赫燕の隣に立つ朱飛は、小さくため息をついた。その視線は、まだじゃれ合っている三人組に向けられている。


「本当に、緊張感がない」


 朱飛の呟きに、赫燕は肩をすくめる。


「いいだろ、こいつらはこのまんまの阿呆(あほう)で」


 朱飛の唇の端が、ほんのわずかに緩む。しかし、その笑みはすぐに消え、彼の視線は北東の山脈へと向けられる。


「……もう少し、ですね」


 朱飛の言葉が、まるで合図かのように、その場にいた側近たちの間に一気に静寂をもたらした。彼らの顔が鋭くなり、無言のまま、同じように北東へ視線を向ける。


「……ああ」


 赫燕も同じように、ゆっくりと顔をそちらに向けた。


 幾重(いくえ)にも連なる雄大な峰々(みねみね)、雲の切れ間からは、雪が(いただき)を白く染めている姿が薄い煙ごしに映る。


 さらに視線を上へと辿れば、どこまでも続く青い空が広がり、そこに一羽の鷹が悠然と舞っていた。翼を大きく広げ、風を捉えるその姿は、まるでこの世界のすべてを見下ろすかのようだ。


「お頭」


 子睿の声が、耳に届く。


「この戦、どう描いているかお聞きしても?」


 赫燕は、鷹から視線を外し、子睿の鋭い眼差しを受け止めて、ニヤリと笑う。


「我らの軍がここまで派手に、そして静かに進むのは何か意図があるかと」


「そうだな……『正を(もっ)て合し、奇を(もっ)て勝つ』だ」


「……なるほど。兵は詭道(きどう)なり、ですか。して、その結末は?」


「聞きたいか、子睿」


「ふむ……そうですね、興味は尽きません。が、教えていただかなくても結構です。この謎解きもまた、愉快なことかと」


 静かに頷く子睿。赫燕は、ふっと笑みを浮かべる。


()りたいものを、()り行く。だが——死ぬかもしんねえぞ」


 赫燕の声が、いつもより一層強く、悠然にその場に落ちる。しかし、子睿も、その場にいる側近の誰一人として、眉一つ動かさない。


「どうあっても、お頭についていくだけです。どうせ我々の目的は、一つでしょう」


「そうだぜ、お頭ァ」


「今更、ついてくんなとかナシっすよー」


「お頭がそんなこと言うはずないじゃん! 俺たちのこと大好きですもんね!」


 赫燕は、皆を見回し、そして再び喉を鳴らした


「お前たちは、本当に阿呆ばかりだな」


「嬉しいなら、嬉しいって言ってくれても、いいんですよ」


 勝ち誇ったような顔を向ける朱飛を睨めば、動じることなく肩をすくめ、赫燕の視線から逃れるように、ふらりとその場を離れていった。


 赫燕は、眼下に広がる焦土(しょうど)と化した大地を、容赦なく踏み荒らしながら進む。緑豊かになるはずだった世界は、今や炎と煙に覆われ、生命の痕跡さえも消え去ろうとしている。その荒れ果てた光景を前に、赫燕の胸に、これまで抱いたことのない奇妙な感情が芽生え始めていた。

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