九話 伽羅の香 1
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城門を抜けると、世界の色彩が変わった。整然とした石畳の道は、やがて轍の刻まれた土の道となり、赫燕軍の屯所が近づくにつれ、空気は血と鉄の香りを帯びていく。
辿り着いた先、そこは、軍の駐屯地というより、野獣の群れが蠢く巣のようだった。
紫紺地に金の飛龍を描いた旗が、生暖かい風にバタバタと音を立ててはためいている。けたたましい酒盛りの声と乾いた賭博の札の音。もうもうと立ち上る土埃と男たちの汗、そして決して消えることのない微かな血の臭いとが混じり合う。あちこちで兵士たちが笑い声を上げながら武器の手入れに興じ、その顔に刻まれた深い傷跡と、獲物を探す狼のような瞳が、見る者に声なき威圧をかけてくる。
その荒々しい獣たちの群れの中に、玉蓮は一輪の花のように投げ出されていた。場違いなほどに清潔な薄紫の衣。彼女の姿を認めた瞬間、周囲の喧騒がふっ、と波が引くように静まり返る。
突き刺さる無数の視線。それは好奇心などという生易しいものではない。まるで粘つく舌で、衣の上から全身をねっとりと舐め回されるような、剥き出しの欲。ここで怯えれば、食われる。本能がそう告げている。
玉蓮が、肌が粟立つのを必死に抑え、背筋を真っ直ぐに伸ばして大地を踏みしめていると、すっと一人の男が隣に立った。音も、気配もなく。
「……姫さんか」
低く、響きのある声が鼓膜を震わせた。夜風の匂いを帯びた男は、その髪の半分を固く編み上げ、半分を風に遊ばせている。無表情な顔からは、一切の感情が読み取れない。だが、その瞳は夜の湖のように静かで深く、周囲の獣じみた男たちとは明らかに、異質だということだけはわかった。
そして、左の耳朶には、白楊国では見かけない意匠を施した古びた銀の耳飾りが一つ、鈍い光を放っていた。
「朱飛だ。お頭が待っている」
男はそれだけを告げると、迷うことなく踵を返す。
朱飛が歩みを進める道は、まるで巨大な岩を避けて流れる川のように、自然と開けていく。粗暴な男たちは、彼にだけは畏怖の目を向け、道を譲った。夕闇の中、彼女はただ、その広い背中だけを見つめて進んだ。




