表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/88

八話 白楊の華

◇◇◇


 自らの粗末な部屋に戻り、最低限の荷物をまとめる。そして、玉蓮は懐から一つの古い布の包みを取り出した。中には木製の守り鳥。あの日、姉の死の報せを聞いた時に、握り潰してしまったその片翼には、痛々しいひびが入ったまま。それを指でそっとなぞる。


「姉上、行ってまいります」


 その声は、冷たい部屋の空気に吸い込まれていった。彼女はその鳥を再び布に包み、懐の最も深い場所へとしまい込んだ。



 馬車が白楊(はくよう)国・王都、雛許(すうきょ)の城門の前に着くと、そこにはまるで祭りのように人だかりができていた。


 どこから聞きつけたのか、民たちが黒山の人だかりを作っている。その様子を見た玉蓮は、小さく、そして深くため息をつく。民たちのひそやかな囁き声が、馬車の壁を通り抜けて、はっきりと耳に届いてくる。


「おい、あれが噂の『白楊(はくよう)の華』か?」


「ああ。英雄すら焼き尽くす魔性の姫君だとか」


 酒と垢の混じったような粘着質な視線が、馬車の薄い壁越しに突き刺さってくる。桃の花の唇、雪の肌、濡れ羽色の髪——。誰が見たわけでもなかろうに、都の噂とは、いつも無責任で饒舌(じょうぜつ)だ。玉蓮は、それらの声を(はえ)の羽音でも聞くように聞き流し、背筋をスッと伸ばした。


「一度は拝みてえな!」


 次々と声が上がる。


「あんたたち、知らないのかい。あのお姫様がなんて(うた)われているのか。英雄も焼き尽くしちまうんだよ」


 一人の老女の声が響いた。周りのざわめきが一瞬、静まる。


「ああ、あれだろ——ええっと」


 その時、どこからともなく、詩歌(うた)が聞こえてきた。


◇◇◇◇


北天(ほくてん)白菊(はくきく) 月貌(げつぼう)()


霜輝(そうき)凜冽(りんれつ) (しょう)人心(じんしん)


焚尽(ふんじん)英雄(えいゆう) (こん)()(はく)


猶如(ゆうじょ)飛蛾(ひが) 競撲(きょうぼく)()


北の空に咲く白菊は、月のように美しい顔を持つ華である。

その霜のような冷たい輝きは、あまりに気高く、人々の心をもひれ伏せる。

英雄の魂さえも焼き尽くしてしまう、その、あまりにも危険な美しさ。

それでも人々は、まるで火に飛び込む夏の虫のように、競ってその身を滅ぼしにいくのだ。


◇◇◇◇


 何度耳にしたかわからない、この詩歌(うた)。いつの間にか、「白楊(はくよう)の華」よりも、この不吉な詩歌のほうが、人々の口に馴染んでいる。玉蓮は、その詩歌(うた)を聞きながら、まるで自分とは関係のない遠い国の物語のように、ゆっくりと瞳を閉じた。道行く人々のざわめきが大きくなり、熱気が伝わってくる。


「姫様、迂回いたしましょうか」


 御者(ぎょしゃ)の不安げな問いかけに、玉蓮は、ふ、と口の端だけで笑みを浮かべた。


「わたくしを見たいというのなら、見せましょう」


 玉蓮の言葉に、御者の背中がびくりと震えた。


「姫様! なりませぬ!」


 御者の制止をそのままに、玉蓮の白い指が、窓の垂れ布に掛かった。指先のざらりとした感触。一呼吸おいて、玉蓮はその布を迷いなく、優雅に跳ね上げた。一気に流れ込む午後の陽光。玉蓮は顔を背けることもなく、その肌を白日の下に晒した。



 ——刹那(せつな)


 音が消えた。


 あれ程やかましかった野次馬のざわめきが、罵声が、嘲笑(ちょうしょう)が。まるで鋭利な刃物で断ち切られたように、プツリと途絶える。聞こえるのは、風の音と、誰かが息を呑む音だけ。何百という瞳が、ただ一点、馬車の窓枠に切り取られた玉蓮の顔に釘付けになり、凍りついている。畏怖(いふ)驚愕(きょうがく)。そして、底なしの情欲。


 それらの粘りつくような視線を、玉蓮は長い睫毛の下から見下ろした。怯えもせず、媚びもせずに。


「進みなさい」


「……は、は!」


 静寂の中に落ちた声に、御者が弾かれたように我に返る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ