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六十五話 王と太后 2

「玉蓮、そなたを待ちわびていたぞ。先の戦では勝利することはできなかったが、まあ良い。そなたが玄済(げんさい)国に贈られてきたのは、あの戦のおかげだからな」


 王が近づいた瞬間、(ふところ)に隠した匕首(ひしゅ)が、まるで呼応するかのように、じり、と熱を帯びる。あの男から与えられた鋼。その切っ先が、今まさに、目の前の王の喉笛に向けられているかのような錯覚。


 その揺らめきを悟られぬように、玉蓮は静かに目を伏せる。そして、王が玉蓮に手を伸ばそうとしたその時。


「大王様」


 崔瑾が一歩前に出て、玉蓮の腕を優しく引き、自身の背に庇うようにして立つ。玉蓮の視界が、広い背にふいに覆われ、呼吸を一拍だけずらす。だが、玉蓮の瞳は、その向こうに向けられていた。男たちの表情、目線、行動の全てに。


 欲望、警戒、優位、恐れ——それらがどの駒に現れているか、冷静に見極めるように。


(なるほど。ここもまた獣の巣、か)


 だが、赫燕(かくえん)のあの血と熱の匂いのする巣とは違う。より冷たく、そしてより粘つくような闇が、この玄済(げんさい)国の王宮には渦巻いている。


 そして、その闇の中で一人。この崔瑾という男だけが、あまりにも場違いな光を放っている。その背に浮かぶ微かな光を、測るように——いや、計りかねるように——玉蓮は、そっと瞳を細めた。


「お前は、本気で私のものを横から奪う気か」


 王の声が、それまでの愉しげな響きを失い、地を這うような低さを帯びた。


「この姫はなりませぬ。大王様に危険が及ぶ者を後宮に入れることは、臣下として反対いたします」


「私の後宮に入れるために贈られたのだぞ」


「申し上げましたとおり、この姫は、白楊(はくよう)国の将でもあったのです。『その武は鬼神(きじん)の如し』。この姫の初陣(ういじん)で、我が国に入った報告です。剛将(ごうしょう)さえも、この者に首を取られたのです」


「ならば、すべてを()がして寄越せ。裸のままで、我が手の中に落ちてくるがいい。それでもきっと……そなたは極上に美しいのだろうな、玉蓮」


 王の瞳は、血が走るような光を宿している。その狂気に満ちた視線を浴びて、玉蓮は再び、懐に手を置く。その先にある鋼の冷たさこそが、今や彼女の腹の底に灯る、唯一の炎だった。


 冷たい、しかし確固たる意志を宿した瞳で見上げた玉蓮に、王は、恍惚(こうこつ)とした表情で、唇の端を醜く吊り上げる。


「まさに、霜輝(そうき)凜冽(りんれつ)。血に浮かぶ白菊のようだ」


 たまらぬとでも言いたげに、王は舌で自身の唇をゆっくりとなぞった。その姿は、理性など微塵(みじん)も感じさせない、欲望に溺れる獣そのもの。玉蓮は、冷徹な視線を崩すことなく前を見据える。

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