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序章 赫い烙印(あかい らくいん)

◇◇◇◇◇


龍涙(りゅうるい) 成双璧(せいそうへき)

合則(ごうそく) 国祚長(こくそちょう)

離則(りそく) 陰陽断(いんようだん)

焦土(しょうど) 慟哭旁(どうこくぼう)


龍の涙は、双璧と成り。

合すれば(すなわ)ち、国祚(こくそ)長久(ちょうきゅう)なり。

離るれば(すなわ)ち、陰陽(いんよう)は分かたれん。

陽は焦土(しょうど)を、陰は慟哭(どうこく)を司る。


◇◇◇◇◇



 風が運んでくるのは、もはや悲鳴ですらない。喉を潰された者たちの、湿った(あえ)ぎ。


 中原(ちゅうげん)の土は、吸い込みきれなかった鮮血で赤黒い泥濘(ぬかるみ)と化し、踏みつけるたびに粘りつく。昨日までの繁栄は、一晩あれば(むくろ)の山にすり替わる。そんな、(ことわり)などどこにもない修羅の時代。


 その男は、まさに「凶兆」そのものだった。


 鼻腔(びこう)を突くのは、獣の毛皮に染み付いた乾いた血の臭い。そして、それを傲慢(ごうまん)に塗り潰す、冷たく甘い伽羅(きゃら)の香り。


 ——赫燕(かくえん)


 大陸最強の騎馬隊を率い、その(ひづめ)の跡には雑草一本残さぬ焦土(しょうど)を築く男。人は彼を「麒麟児(きりんじ)」と呼び、崇めるよりも先に、天災に遭ったかのようにその名を恐れた。


 王さえも心酔するほどの、八尺五寸の恵まれた体躯に美しい顔。(つや)めいた肌が油灯の明かりを受けて妖しく(きら)めく。


 乱暴に(あご)を掴み上げられ、玉蓮(ぎょくれん)の視界が揺れる。指先の胼胝(たこ)が頬の肉へ食い込んだ。痛い、と感じるより先に、その眼の(くら)さに呼吸が止まった。数多(あまた)の命を奪い、光さえも吸い尽くしたような漆黒。


劉義(りゅうぎ)のところの、出来のいいお人形さんか」


 低い声が、直接鼓膜を削るような嘲笑(ちょうしょう)(はら)んで響いた。


「……お頭の、お役に立てるよう、尽力いたします」


 震えを奥歯で噛み殺し、射抜くような眼差しを真っ向から受け止める。男はふっと喉の奥で、獲物を品定めするような笑いを漏らした。そのまま、噛み付くような距離まで耳元に顔を寄せる。


「……覚えておけ」


 熱い呼気(こき)が、烙印(らくいん)のように肌に刻まれる。


「お前の首輪は、俺が持つ」


 圧倒的な気配に押し潰されそうになりながら、玉蓮はゆっくりと、闇を飲み込むようにまぶたを閉じた。


(ひる)むな。この男こそ、我が刃なのだから)


 力が手に入るのなら、全てを投げ出せる。姉の四肢(しし)を断ち、その皮を剥いだ玄済(げんさい)国のあの男に届くのなら。魂が泥に(まみ)れ、地獄の底へ堕ちることさえ救いだ。


 すべては、姉の死という現実が、玉蓮(ぎょくれん)の小さな世界を塵ひとつ残さずに焼き尽くした、あの日から始まった。

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