最終章:雨上がりの日常と、その先へ
これで完結です、投稿しながら続き書ける人凄いです。
ぼくが陽葵を抱きしめると、彼女は驚いたように、しかし安堵したように、ぼくの胸に顔をうずめたまま、小さく嗚咽を漏らした。夕暮れの風が、ぼくたちの間を優しく吹き抜けていく。ぼくは、どんな言葉をかければ、この胸の高鳴りと、彼女への愛おしさを伝えられるのか、必死に探していた。
「陽葵……大丈夫だよ。全部、受け止めるから」
ぼくの声は、いつもより少し低く、震えていたかもしれない。彼女の温もりが、胸にじんわりと広がる。
陽葵がそっと顔を上げる。夕日に照らされたその瞳は、涙で濡れていたが、今まで見たどんな表情よりも美しかった。ぼくは、自分の感情があふれ出すのを感じた。
「ぼくも、陽葵のことが好きだよ」
その言葉は、自分でも驚くほど自然に口からこぼれ落ちた。普段は観察者として距離を置くことが多かったぼくだったが、今はもう、心の底から言葉を届けたいと思った。
陽葵は目を丸くし、それからふわりと花が咲くように微笑む。
「……うん。知ってた」
彼女はそう言って、少し悪戯っぽく笑った。その笑顔に、ぼくの心は完全に解けていく。
「ぼくにとって、陽葵は、当たり前に隣にいる存在だった。でも、空気や水みたいに、なくてはならないものだったんだって、今、気づいたよ。文化祭の準備で、陽葵がいない放課後は、どこか物足りなかった。陽葵が他の男子と話しているのを見ると、健太みたいに胸がざわついた。ぼくも、陽葵と同じだったんだ」
ぼくは言葉をひとつひとつ紡ぐ。陽葵は黙って、ぼくの胸の内を受け止めてくれていた。
「幼馴染じゃなくて、陽葵の、一番になりたい。ぼくが、陽葵の一番に、なってもいいかな?」
陽葵は涙と笑顔が入り混じった表情で、力強く頷いた。
「当たり前でしょ、春斗のばか」
その瞬間、ぼくたちの「いつも通り」は終わりを告げ、新しい日常が始まった。
文化祭当日。学校中がお祭り騒ぎのような熱気に包まれていた。校舎中に笑い声や歓声が響き、普段の教室とは違う非日常が、ぼくたちを包み込む。
ぼくたちのクラスの「体験型脱出ゲーム」は、朝から長蛇の列ができるほどの大盛況だった。列の長さにびっくりしながらも、胸の奥には誇らしさがあふれる。
「すごいな、春斗!お前らの作ったシナリオ、めちゃくちゃ評判いいぞ!」
他のクラスの友人が興奮気味に声をかけてくる。ぼくは、シナリオ班のメンバーとして、教室の隅で来場者の反応を静かに見守った。
謎が解けた瞬間の歓声、時間切れになって悔しがる声。全部が、ぼくたちの努力が報われた証のように感じられた。
健太は案内係として、大きな声で来場者を呼び込む。彼の顔には、充実感と誇らしさが満ち溢れていた。佐藤さんと田中くんも、小道具のメンテナンスをしながら、満足げに微笑む。その表情を見て、ぼくは心の奥から温かさを感じた。
そして、陽葵。
彼女は装飾班として作り上げた、美しい内装の前でクラスの女子たちと楽しそうに笑い合っていた。光が差すたびに髪が揺れ、まるで太陽のように教室全体を照らしている。ぼくは思わず目を細めた。
昼休み。ぼくは陽葵と一緒に、中庭のベンチでクレープを食べていた。二人きりの時間は、まだ少しだけ照れくさい。でも、その緊張感が心地よい。
「春斗、すごいね。みんな、春斗の作った謎、面白いって言ってるよ」
陽葵の目が輝いている。
「いや、陽葵の作った装飾が、世界観を完璧にしてくれたからだよ」
ぼくがそう返すと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ねえ、春斗」
「ん?」
「あのね、健太のことなんだけど」
唐突に名前が出て、ぼくは少し驚く。
「健太、私が春斗と付き合うことになったって知ったら、どう思うかな…」
陽葵の表情には、少しだけ心配の色が浮かぶ。
ぼくはクレープを一口食べて、ゆっくりと答えた。
「健太は優しいから、きっと祝福してくれるよ。でも、少しだけ、時間がかかるかもしれない」
「……そっか。そうだよね」
陽葵は少し俯く。
「健太には、ちゃんと私から話す。あいつには、ずっと悪いことしてたから。ちゃんと向き合わなきゃ」
その言葉に、ぼくは黙って頷く。陽葵は健太の不器用な優しさを、ちゃんと理解していたのだ。
その時、健太がやってきた。手には焼きそばが二つ。
「よう、お二人さん。いちゃついてるところ悪いな」
いつも通りのぶっきらぼうな口調だが、どこか吹っ切れたような穏やかな表情だ。
「これ、差し入れ。お前ら、昼飯まだだろ?」
健太は焼きそばを一つずつ手渡す。
「え、でも…」
陽葵が戸惑うと、健太はニヤリと笑った。
「いいんだよ。おめでとう、春斗、陽葵」
二人は顔を見合わせる。
「……なんで、知ってるの?」
陽葵が小声で尋ねると、健太は空を仰ぐ。
「お前らのことなんて、見てりゃわかるんだよ。幼馴染なめんな」
少しだけ寂しそうに、でも本当に嬉しそうに笑う健太。
「春斗、陽葵のこと、泣かせたら承知しねぇからな」
「……うん。わかってる」
ぼくが答えると、健太は満足げに頷き、広い背中を見せながら去っていった。
文化祭が終わり、日常が戻ってきた。しかし、それはもう以前の「いつも通り」ではなかった。
朝、家を出ると隣には恋人になった陽葵がいる。駅までの道は手を繋いで歩くようになり、電車の中では健太がからかい、陽葵が照れながら言い返す。
その何気ない日常の一つ一つが、ぼくにとって愛おしく、かけがえのない時間になっていた。
ぼくは相変わらず電車の窓の外を眺め、人々を観察している。でも、今はもう一人ではない。隣には陽葵、少し離れた場所には健太がいる。
雨上がりの空にかかる虹のように、ぼくたちの日常は鮮やかに色づき始めた。この線路が、どこまでも続く未来へと繋がっていることを、ぼくは信じていた。
この後はエピローグを追加します!




