第3章:クラスの風景、友人の横顔 ②
昼休みの喧騒が戻った教室で、ぼくたちは弁当を広げていた。健太の遅刻の理由を聞いた陽葵は、まだ少し納得がいかないような顔をしているが、その口元はどこか緩んでいる。
「ふーん。まあ、あんたがちゃんと連絡してたんなら、別にいいけど」
陽葵はそう言って、自分の卵焼きを健太の弁当箱に放り込んだ。健太は驚いた顔でそれを見つめ、それから嬉しそうに頬張る。
いつもの光景。しかし、そのやり取りの中に、昨日のハプニングがもたらした微かな変化を感じずにはいられなかった。陽葵のツンとした態度の中に、健太への労いのような感情が混じっている。健太もまた、陽葵の優しさを素直に受け止めているようだった。
午後のホームルームで、文化祭の企画が正式に決まった。多数決の結果、ぼくたちのクラスは「体験型脱出ゲーム」をやることになった。教室を巨大な謎解きの空間に変え、来場者に楽しんでもらうという企画だ。
「よっしゃあ!面白そうじゃねぇか!」
健太が興奮気味に声を上げる。クラスの男子たちも、ゲームという言葉に色めき立っていた。女子たちも、内装や小道具作りなど、クリエイティブな作業に興味津々だ。クラス全体が、一つの目標に向かって動き出す予感に満ちていた。
「じゃあ、実行委員と、各班のリーダーを決めましょうか」
野崎先生の言葉で、クラスはさらに活気づく。実行委員には、クラスの中心的な男女が立候補した。そして、各班のリーダー決め。装飾班、小道具班、広報班、そして謎解き問題を考えるシナリオ班だ。
「シナリオ班、誰かやりたい人いないー?」
実行委員の一人が声を上げるが、なかなか手は上がらない。一番大変で、地味な作業だと思われているのだろう。ぼくは、その言葉に、なぜか心が動いた。
(謎解き、か。面白そうだな)
物事の裏側を考えたり、隠された意図を読み解いたりするのは、嫌いじゃない。むしろ、ぼくの観察眼が活かせるかもしれない。おそるおそる手を挙げようとした、その時だった。
隣にいた陽葵が、ぼくの腕を掴んで高々と掲げた。
「だって、春斗、こういうの得意でしょ?いつも本ばっかり読んでるし、絶対面白い謎、考えられるって!」
ぼくは驚いて陽葵を見る。彼女はいたずらっぽく笑って、ぼくにウィンクした。
「……わかった。やるよ」
ぼくが小さな声でそう言うと、クラスから拍手が起こった。陽葵は満足げに微笑む。
「じゃあ、シナリオ班のリーダーは春斗くんに決定ね!他に、シナリオ班やりたい人いる?」
「おれもやるぜ!謎解きとか面白そうだしな!」
健太の立候補に、クラスは再びどよめいた。陽葵は少し驚いた顔で健太を見ている。
「あんたが?絶対途中で飽きるでしょ」
「うるせぇな!やるって言ったらやるんだよ!な、春斗?」
健太はぼくに同意を求めるように視線を向けた。ぼくは、健太が手を挙げてくれたことに少し嬉しくなる。
こうして、ぼくがリーダーを務めるシナリオ班が結成された。メンバーは、ぼくと健太、普段あまり話したことのない物静かな女子生徒の佐藤さん、読書好きの男子生徒の田中くんの四人。どこかクラスの「じゃない方」が集まった、不思議な班だった。
放課後、ぼくたちは図書室の片隅に集まり、最初のミーティングを開いた。
「えーっと、とりあえず、どんなストーリーにするか、だよね」
ぼくがそう切り出すと、健太が腕を組んで唸る。
「やっぱ、王道は『閉じ込められた部屋からの脱出』だろ!タイムリミットがあって、爆弾が爆発するとか!」
「それ、ちょっと物騒じゃないかな……」
佐藤さんが小さく呟いた。彼女はいつも教室の隅で静かに本を読んでいる、目立たない生徒だ。
「じゃあ、宝探しみたいなのはどう?伝説の秘宝を見つけ出す、みたいな」
田中くんが提案した。彼は読書好きで、特にファンタジー小説に詳しい。
様々なアイデアが飛び交う中で、ぼくは黙って三人の意見を聞いた。健太の情熱、佐藤さんの慎重さ、田中くんの空想力。それぞれが違う視点を持っている。
(面白いな、これ)
普段の三人での日常とは違う、新しい人間関係。新しい刺激。文化祭の準備は、ぼくの日常に確実に新しい風を吹き込もうとしていた。
その時、図書室のドアがそっと開いた。陽葵だった。彼女はぼくたちのテーブルに近づき、少し心配そうな顔でぼくを見る。
「春斗、大丈夫?ちゃんとリーダー、やれてる?」
「うん、まあ、なんとか」
ぼくがそう答えると、陽葵はほっとしたように微笑んだ。そして健太の方をちらりと見て言った。
「あんたも、ちゃんと春斗の手伝いなさいよ。足引っ張るんじゃないわよ」
「わーってるよ!おれはやる時はやる男なんだぜ!」
健太が胸を張る。陽葵は、ふん、と鼻を鳴らしてそれ以上は何も言わなかった。
(陽葵は、心配してくれてるんだな)
ぼくがシナリオ班のリーダーになったこと、健太が同じ班になったこと。彼女は、きっとぼくたちのことを気にかけてくれているのだろう。
この「ちょっとしたハプニング」から始まった文化祭の準備は、ぼくたちの日常を少しずつ、しかし確実に変えていこうとしていた。新しい友人、新しい役割、そして、新しい感情。ぼくの観察眼は、その変化の全てを見逃さないようにと、静かに輝いていた。




