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第3章:クラスの風景、友人の横顔 ①

緊急停車によって、ぼくたちの日常は一日だけ停止した。翌朝、いつも通りの電車に揺られながら、ぼくは昨日までの出来事を反芻していた。線路の上を歩いたこと、陽葵の手の震え、健太の不器用な優しさ。そして、あの高額アルバイトの文字。それらは、ぼくの心に、今までとは違う色の残像を残している。


隣には陽葵が立っている。三人での電車内は、いつも通りのツンとした陽葵と、スマホに夢中の健太がいるはずだったが、今日は少し違った。


健太はまだ来ていない。陽葵も珍しくイヤホンをしていない。代わりに、ぼくの顔を何度も見上げてくる。


「ねえ」


「どうした、陽葵?」


ぼくが問いかけると、彼女は少しだけ俯いた。


「昨日のこと……怖かった、よね」


ぼくの腕に、そっと陽葵の指が触れる。まだ昨日の出来事が心に残っているようだ。いつもは強気な陽葵が、弱さを見せるのは珍しい。


「うん。でも、陽葵も健太もいたから、平気だったよ」


ぼくの言葉に、陽葵は顔を上げ、ぼくの目をじっと見つめた。


「それって・・・」


二人きりの時のような甘さを帯びた声に、心臓が微かに跳ねる。電車が次の駅に滑り込む。健太はまだ現れない。


学校に到着し、昇降口で靴を履き替える。陽葵は、やはり健太がいないことを気にしている。


「健太、大丈夫かな?また寝坊とか?」


「さあ……でも、さすがに今日は遅刻しないと思う」


教室に入ると、クラスメイトたちがざわめいていた。やはり昨日の電車遅延の話で持ちきりのようだ。


「おい、春斗!お前も昨日、あの電車だったのか!?」


ぼくの席の近くで、何人かが声をかけてくる。


「うん、そうだよ」


「まじかよ!うちのクラス、五人も六人も巻き込まれたらしいぞ!朝のホームルーム、先生ぶちギレてたって!」


「いや、野崎先生はそんなこと言わないだろ。自宅待機って連絡来てたし」


ぼくがそう言うと、クラスメイトたちは「あ、そっか」と納得した。しかし、興奮の色はまだ残っている。


「陽葵ちゃん、大丈夫だった!?怖かったでしょ!?」


「もう、電車の中でずっと不安でさー。でも、春斗がいてくれたから、なんとか」


陽葵がちらりとぼくを見て答えると、女子たちが「えー、何それ!」「春斗くん、カッコいいじゃん!」と囃し立てる。少し居心地の悪さを感じ、視線を逸らす。


ガラガラ、と教室のドアが開いた。担任の野崎先生だ。


「はいはい、みんなー、朝のホームルーム始めるわよー」


明るい笑顔の奥には、昨日の遅延に巻き込まれた生徒たちへの心配が浮かんでいる。


「まず、昨日の電車遅延に巻き込まれた皆さん、本当に大変だったわね。無理せず自宅待機した人は後で職員室に顔を出してちょうだい。今日は大事を取って休んでも構わないと伝えたはずだけど、みんな来てくれて偉いわね」


クラスの遅刻組は気まずそうに頷く。やはり健太はまだいない。


「それから、もう一つ。文化祭の企画だけど、今日中にクラスとしての方向性を決めてほしいの。来週から本格的に準備に入るからね。何かアイデアのある人、いるかしら?」


手が上がり、カフェやお化け屋敷、演劇などの案が飛び交う。ぼくは黙ってノートに耳を傾けた。文化祭は、ぼくたちの日常に新たな変化をもたらすイベントになるだろう。


授業が進み、午前中、健太は現れなかった。陽葵は時折ぼくを心配そうに見つめ、ぼくは小さく頷いて応えた。


昼休み、購買部でパンを買い、教室に戻ろうとすると、廊下の窓から見慣れた後ろ姿が見えた。健太だ。担任の野崎先生と一緒に職員室から出てきたところだった。


「健太!」


声をかけると振り返る。少し疲れているようだが、表情はすっきりしている。野崎先生は笑顔で手を振った。


「春斗くん、陽葵ちゃん、健太くん、お疲れ様。健太くんから昨日のことに関しての事情は聞いたから、今日はもう大丈夫よ。心配かけちゃったわね」


ぼくが尋ねると、健太は肩をすくめた。


「おう、別に。昨日は色々あったけどな。……それより、お前ら、朝からおれがいなくて寂しかっただろ?」


ニヤリと笑い、いつもの悪戯っぽさが戻っている。


「別に寂しくなんか…」


陽葵が言いかけると、健太は遮った。


「はいはい、わーったよ。ツンデレ姫は素直じゃねぇな。でもよ、おれだってスマホ片手に連絡取ろうとしていたんだぜ。お前らのことも心配してんだからな」


陽葵の顔には、どこか嬉しそうな色が浮かぶ。健太の不器用な優しさが伝わったのだろう。


「で、結局クラス、文化祭何にするんだ?」


健太がわざと話題を変える。視線は陽葵に向けられていない。ぼくは二人のやり取りを見つめながら、パンの袋を握りしめた。


健太は、昨日の遅延の後、一度家に帰らず電車が動くのを待ち、電波が不安定な中、ぼくたちや学校に連絡を取ろうと必死になっていた。


(健太は、本当に優しいな)


ぼくは改めて思う。この「ちょっとしたハプニング」は、健太の知らなかった横顔を見せてくれた気がした。そして、陽葵の弱さも。


文化祭の準備が、これからの日常を動かす。その中で、三人の関係性も、新たな変化を迎えるだろう。ぼくの観察眼は、その兆しを見逃すまいとしていた。

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