第4話「何をしたって世界は変わらない。それでも……」
レジナルド・アカデミー初等科棟の校門。
黒塗りの送迎車がゆっくりと校門の近くに止まる。
運転手が車から降りて車の横に立ち、恭しく一礼する。彼の視線の先は、王女ジュリア=ローズローズ。
彼はローズローズ家の執事を務めている。
礼を述べて、ジュリアは車に乗り込む。
執事が丁寧にドアを閉めて運転席に乗り込むと、ジュリアは「今日は図書館に寄って」と声をかけた。
「かしこまりました。学校の宿題ですか?」
ジュリアは普段、学校からの帰りに寄り道はしない。宮殿と学校を往復する日々を繰り返している。そのため、宿題が出されたのだろうかと執事は考えた。
「いいえ、個人的に調べてみたいことがあるの」
「個人的な調べ物ですか、勉強熱心ですね。
……あ、そういうことか」
執事は何かに気付き、後部座席に顔を向ける。
「すみません、トーマスさんから姫様のイタズラには協力するなと言われてまして」
「もぉ〜、違うってば!」
車内にジュリアの声が響き渡った。
「世界を100人に縮めるとどうなるかな?ということです」
「2人は食べ物を……」
「20人は空爆や襲撃に……」
「これが世界です」
授業からしばらく経ってもトーマスが語った内容が頭から離れない。
そして、デイヴィッドの言葉が何故か思い出される。
「フォークリスタルという小国に行こうと考えています」
世界についてもっと知りたい。
世界について、もっともっと知らなくてはならない。
その想いがジュリアを突き動かしていた。
***
「今日も元気に熱血指導〜」
王室専属の教育係トーマス=パターソンはジュリアより一足早く王宮に戻り、学習室を掃除していた。
部屋のどこに目を向けても清潔で、整然としている。
トーマスが鼻歌交じりで掃除を続けていると
「トーマスさん!!」
突然、教室のドアが勢いよく開き、青年が顔を出す。
トーマスは「ひぃ」と小さな悲鳴をあげた。
そこに立っていたのはトーマスの部下だった。彼も教育係を務めている。
教育係の青年は肩で息をしながら、トーマスを見つめる。
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて」
青年は学習室へ足を踏み入れ、息を整える。一度、口を一文字に結び、口を開いた。
「大切な、お知らせが……」
***
ローズローズ国立図書館――。
王都の外れに位置するその図書館には数億冊が所蔵され、世界的に貴重な資料も収められている。
建築物としても高い評価を得ており、観光客も数多く訪れる。
ジュリアは最初、子供向けの易しい本を手に取ったが、求めている内容は記されていなかった。
そこで大人向けの本を借りることにした。
貸し出しカウンターに大人向けの雑誌や専門書が積み上げられ、タイトルには世界という言葉が並ぶ。
すると、カウンターの司書がジュリアに問いかけた。
「あの〜、本当にこちらでよろしいのですか?」
「はい、こちらの本を借りたいのですが……」
司書の言葉の意図を掴めず、ジュリアがきょとんとした顔をしていると、司書は慎重に言葉を選びながら忠告した。
「こちらは大人向けの本でして、大変難解です。
かなりのご負担になると思われます」
「そんなに、難しいのですね」
ジュリアは本を見下ろし、しばし考えを巡らす。そして、ほんの少し口元を緩めた。
「知らない言葉があれば調べます。
それでも分からなければ教育係に教えを請います。
どれだけ手間がかかっても読んでみたいです」
これらの本から何かをつかめる気がするのだとジュリアは訴えた。
司書は黙ったまま彼女を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。
「かしこまりました」
心配そうな様子を見せながらも、貸し出し手続きを始める。
しかし、「あ、そういうことか」と何かに気付き、手を止めた。
「申し訳ありません、トーマス=パターソン氏から姫様のイタズラには協力するなと言われてまして」
「もぉ〜、違うってば!」
貸し出しカウンター周辺にジュリアの声が響き渡った。
***
赤薔薇の王宮、学習室。
トーマスは椅子に座り、うなだれていた。いつもの笑顔は影を潜めている。
ふと時計に目をやり、授業の開始時刻はとうに過ぎていたことに気付く。
部下の訪問から数時間経過している。
「しまった、もうこんな時間か!
あれ? 姫様は?」
慌ててジュリアの部屋に向かい、扉をノックした。返事はなく、扉に鍵はかかっていない。
「またお戯れか?」
1ヶ月前の記憶が蘇り、細心の注意を払って入室する。
予想に反してジュリアはすぐに見つかった。読書に夢中になっている。
トーマスが声をかけると、彼女は驚きの表情で振り返った。そして、時計を確認する。
「ごめんなさい、トーマス」
読書に夢中になり、授業の開始時刻を過ぎてしまった。ノックにもトーマスの入室にも気付かなかった、とジュリアは伝えた。
彼女は図書館から宮殿に向かう道中も車の中で借りた本を読んでいた。
宮殿に到着すると、一目散に自室に向かい、部屋にこもった。分からない単語があれば事典を引き、悪戦苦闘しながら読み進めた。
そして、数時間、トーマスが呼びに来るまで本を読みふけっていた。
「一体何をそんなに熱心に……」
机に積まれた本のタイトルがトーマスの目に入る。
『世界が100人の街だったら』、『フォークリスタルの歴史』、『世界経済新聞 増刊号 泥沼のフォークリスタル戦線』などなど。
「今日の学校での授業、本当に素晴らしかったわ。
世界についてもっと知りたい、もっと知らないといけないって思ったの。
それでね、本を読んでみたんだけど……ねぇ、トーマス」
ジュリアは真っ直ぐにトーマスを見つめ、問いかける。
「今、デイヴィッドはどこで何をしているの?
あの時はフォークリスタルに行くって……。
フォークリスタルでは戦争が起きているんでしょ?」
「姫様、それは……」
トーマスは言葉を切り、深く息を吸い込む。
もう誤魔化すことはできないのだと悟り、重い口を開く。
そして、ジュリアの予想する通りだと告げた。
「デイヴィッドは、自分の目で戦争の現実を見るのだ、そう言って軍人に志願しました。
デイヴィッドには言いませんでしたが、私も若い頃、軍に属していました。
血は争えませんね」
予想だにしなかったトーマスの過去にジュリアは目を丸くする。
「トーマスって、軍人だったの……?」
「昔の話ですよ。
正確には軍人ではなく軍属でして、危険地帯には行きませんでした」
トーマスは少し目を逸らし、モノクルの位置を直す。そして、続きを語り出す。
「デイヴィッドが軍人になると言い出したのは、私が言い聞かせてきたことの影響が大きいと思います。
本を読んで理論を学ぶだけでは、机上の空論になりやすい。現地に赴き、自分の目と耳で情報を集めることが大切だ。そう教えてきましたから。
フォークリスタルに派兵されることが決まり、国のお役に立つのだ、世界のために戦うのだのだと意気込んでいました」
「立派ね。彼は今、どうしているの?」
トーマスは目を伏せ「先ほど連絡がありました」と小さな声で述べた。
「戦死した、と……。
最期まで立派に戦ったそうです」
ジュリアは目を見開いた。
口は半開きになり、目線が次第に下がっていく。
そして、彼女の脳裏に2年前の記憶が蘇る。
***
ジュリアはベッドの傍らで泣き叫んでいた。
ベッドに横たわる女性の肌は白く、血の気がない。左腕には点滴のチューブが付けられている。
その女性は優しく右手を伸ばし、ジュリアの頭を撫でた。
そして、彼女は――。
***
ジュリアはゆっくりと目を閉じ、静かにトーマスの言葉に耳を傾ける。
「遺体がこちらに搬送されましたら、葬儀を執り行わせていただきます」
ジュリアは静かに深く息をした後、目を開けた。
そして、心を込めて「ご冥福をお祈りいたします」とトーマスに伝えた。力を尽くし、その一言だけをなんとか絞り出した。
「これから葬儀の準備など色々とありまして、帰宅しないといけないのです。
申し訳ありませんが、今日の授業は中止させてください。
後日、振り替えをさせていただきますね」
そう言い残してトーマスは去った。
退室の直前、彼の目にはこぼれ落ちそうな程の涙が溜まっていた。
ジュリアは再び目を閉じた。微動だにしない。
しばらくして、また本を読み始める。
すると、窓から風が吹き込み、ページが捲れてゆく。彼女はそれ止めようとはしなかった。
やがて風が止み、目に入った言葉をそのまま呟く。
「戦場の亡霊」
デイヴィッドが幽霊になって会いに来たら何て言うんだろう。そんなことを考えていると、不意に彼の笑顔が脳裏をよぎる。
姫様、死んでしまってすみません。
世界の命運はあなたに託します。
ははは、なーんてね。
冗談ですよ、冗談。
軽口を叩く彼の姿が思い浮かぶ。
「無理だよ、デイヴィッド。
私が何をしたって世界は変わらない」
何をしても無駄。無駄だよ、無駄。同じ言葉が胸の奥で幾度も繰り返される。だけど……。
開かれたままのページには次のようにも記されていた。
戦争は続く、どこまでも。
ヒトは憎しみ合う存在だから――。
その通りだろう。ヒトは憎しみ合い、争い続ける。戦いは終わらない。でも……。
ジュリアは先日の授業でトーマスから渡された資料を取り出し、目を通す。
「世界のために生きる時、人生は変わり始める」
私が何をしたって世界は変わらない。それでも……。
ジュリアは自室の固定電話を使い、秘書に連絡を取った。
王と話をしたい、謁見を賜りたい、と――。
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