第17話「旅立ちの日」
王から軍人になる許可を得た後、ジュリアは今まで以上に訓練に邁進した。寝ても覚めても訓練に明け暮れる日々が続く。
春が訪れて庭園に新しい芽が息吹いたかと思えば、すぐに夏が到来する。
秋が来て葉が色付き、肌を刺すような風が吹き始め、いつの間にか冬となる。
瞬く間に一年が経過した。
朝露に濡れた庭園を庭師が見回る。
ジュリアが植えた薔薇の木は十年の時を経てたくさんの実をつけた。薔薇の実は日差しを浴びて光り輝く。
「そろそろ食べ頃かな」
庭師はナイフを取り出し、一つの実をそっと手に取り、枝から切り離した。
実にナイフを当てると刃がすっと通る。断面の果肉は瑞々しく、甘い香りが漂う。
口に含むと、果汁が溢れ出す。そして、甘味が口一杯に広がり、酸味がそれを引き立てる。
「これは……」
庭師は思わず声を上げ、目を見開く。
「姫様もきっとお喜びになるぞ」
庭師は手に取った実を黙々と食べ続ける。
風に吹かれて枝が揺れ、葉がそよぐ。そして、薔薇の実も静かに揺れていた。
だが、ジュリアがその薔薇の実を口にすることはなかった。
その日、彼女は旅立ちの時を迎えていた。
コンコンとジュリアの部屋の扉がノックされる。部屋を訪れたのは兄、マイケル。
「ジュリア、いるか?」
旅立ちの前に一言声をかけようと、部屋を訪れたが返事はない。再度、軽くノックして扉を押し開く。
「おーい、ジュリア。入るぞ」
部屋は、静寂に包まれていた。
窓から差し込む柔らかな陽光が、整然と並ぶ家具を照らす。
クローゼットの扉は半開きになっていて、入っていたドレスの大半は片付けられている。
ベッドはきれいに整えられ、枕も布団もない。
吹き込む風がレースのカーテンを静かに揺らす。
マイケルは部屋に足を踏み入れ、辺りを見回す。どこにもジュリアの姿はない。
「……騙しやがって。別れの挨拶もなしか。
あいつらしいな……」
マイケルが苦笑していると
「わっ!」
背後で聞き慣れた少女の声が響く。
「うおっ!」
マイケルが咄嗟に振り向くと、クローゼットの中から顔を覗かせたジュリアが、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「お前、まだいたのか!」
「えへへ。
旅立つ前にお兄様の驚く顔を見納めしないとね」
ジュリアはくすくす笑いながら、クローゼットの奥から姿を現す。
彼女は一般兵と同じ軍服を着ていた。深緑の簡素な上着。特別な装飾はない。髪はゴムで束ねているだけだった。
「それにしても、そんなに寂しがってくれるとは思わなかった」
こんな時でも戯れを忘れない妹に呆れ果て、マイケルはため息をつく。
「せっかく別れの言葉を考えてきたのに。
完全に忘れちまったよ」
「どうせ微妙な言葉でしょ?
兄さん、スピーチ下手だし」
「なっ⁉︎」
予想外の言葉にマイケルは固まってしまう。思考も停止していた。
「この前の演説も酷かったよ。
将来、王様になるんだから、もっと練習しないとね」
「大きなお世話だ」とマイケルは頭を掻く。
「お父様がお呼びだ。
そろそろ行くぞ」
マイケルがぶっきらぼうに伝えると、ジュリアは小さく頷き、微笑んだ。そして、部屋から出ていく。
大きく一歩踏み出すと、廊下を大股で進む。
その後を数歩遅れてマイケルは付いていく。
ジュリアは謁見の間の前にたどり着き、勢いよく扉を押し開けた。
そこでは、王と王子ジョンが何やら難しそうな話をしていた。
「では、経済制裁はどうでしょうか?
同盟国と協力して石油や天然ガスの輸出、輸入を制限するのです」
ジョンの提案に対し、王は微笑しながら首を振る。
「面白い案ではある。
だが、かの国では石油や天然ガスが多く採れる。
経済制裁は、いずれ自分の首を絞めることになるだろう」
「うーん、難しいですね」
ジョンは腕を組んで考え込む。
王はジュリアの入室に気付くと、ジョンとの会話を中断し、彼女を王座の近くに呼び寄せる。
しばしジュリアを見つめた後、静かに口を開いた。
「ついに、旅立つのだな」
「はい。
あの、お母様は……?」
「マリアンジェラは昨日のうちに帰ってくる予定だったが、飛行機が遅れてしまってな。
見送りは難しいそうだ」
「そう、でしたか……」
王は立ち上がり、ジュリアに歩み寄る。手を彼女の肩に置き、笑みを浮かべる。
「ジュリアよ、戦場には深い深い闇が広がっている。
しかし、国を愛し、人々を愛する気持ちを決して忘れてはならない。
人は大切な何かを守る時、偉大なる力を発揮するのだから。
お前が灯し火となり、人々を正しい方向へと導くのだ」
王の言葉を受け、ジュリアは静かにうなずいた。そして、口元を緩めると、右手を挙げて親指を立てる。
突然のサムズアップ。
「オッケー、任せてよ!
パパ!!」
最後にウインクで締め括った。
王はゆっくりと二度まばたきをし、わずかに口を開けたまま固まる。
ジョンは目を見開き、王とジュリアを交互に見つめる。
「えへへ」
満面の笑みを浮かべるジュリアを見つめ、王は一年前の自分の言葉を思い出す。
「王女であることは隠し通せ。
誰にも悟られてはならない、決してだ。
王族としてではなく、ただのジュリアとして戦地に赴くのだ」
その言葉に忠実に、彼女が「ただのジュリア」として戦地に出ようとしていることを理解した。
「ああ、行っておいで、ジュリア」
エドワードもサムズアップし、歯を剥き出しにして、にかっと笑ったのだった。
ジュリアは王女としてではなく、「ただのジュリア」として旅立とうとする。その娘に対して、エドワードは国王としてではなく、「ジュリアの父」として言葉を贈る。
その光景がマイケルの瞳に映し出される。彼はわずかに微笑み、静かに二人を見つめていた。
「行ってくるね、ジョン。
後のことは任せたよ」
ジュリアは次に弟、ジョンとも別れの言葉を交わす。
「承知しました。
お姉様、どうかご無事で」
ジョンは笑顔で返答する。しかし、頬は強張り、口角は無理矢理持ち上げられている。
瞳には涙が浮かぶ。
すると、ジュリアの口元がふっと緩み、柔らかな笑みが浮かぶ。
「頭が良くてモテモテだからって調子に乗ったらダメだぞ」
「んなー⁉︎」
ジョンは言葉になっていない声を上げると顔を赤らめて否定した。
「調子乗ってません!
モテモテじゃないですから!」
「ははは、分かった、分かった。
悪かったよ」
ジュリアはつい吹き出してしまったが、すぐに自分の軽率さを反省し、ジョンをなだめたのだった。
「私は必ず戻ってくる。
だから、それまでしっかりお城を守ってね」
「はい、任せてください」
ジョンの頭を撫でると大きく手を振ってジュリアは退室してゆく。三人も手を振って見送った。
扉の前で振り向くと両手を振る。
「行ってきまーす!」
窓からから差し込む光が彼女を照らしていた。
そして、最後は静かに退室したのだった。
ジュリアの退室を見届けた後、王はジョンに声をかける。
「ふふふ、お前の予想通り、ジュリアは最後まで戯れを忘れなかった」
「いやいや、あれは完全に予想外です。
さすがはお姉様ですね」
ジョンは腕を組み、まだ赤みの残る顔で扉を見つめる。
王は続けてマイケルに問いかける。
「ジュリアは上手くやれると思うか?」
「あいつなら大丈夫ですよ」
短くも力強い言葉が謁見の間に響いた。
「どんな環境でも、あいつなら大丈夫です」
マイケルをしばし無言で見つめ、王はやがて深く頷いた。
「そうだな」
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