第16話「再度の謁見」
マリアンジェラはもう一度、薔薇の花を眺めた。
「ジュリア、私は……ううん、何でもないわ」
深い真紅の花弁は柔らかく開き、優美な曲線を描いて重なり合う。枝は細いものの芯があり、真っ直ぐに伸びている。葉の葉脈一本一本が瑞々しい艶を帯びていた。
マリアンジェラはしばし薔薇の美しさに見惚れていたが、顎に手を当てると落ち着いた声で言った。
「それで? 話の続きは?」
「続き、ですか?
話はもう終わりですが」
「そんなはずないわ。
敵を討てないという欠点はどうするの?
そこが最も重要なポイントでしょ?」
マリアンジェラの指摘を受け、ジュリアは唸る。
「あははは、気付いていましたか。さすがですね。
正直なところ、勢いに任せて押し切りたかったのですが……」
「それは無理よ、すぐに気付かれるわ。
きちんと対策を考えないと」
ジュリアのしどろもどろな返答に、マリアンジェラは苦笑する。
「大丈夫ですよ!
あと一年、訓練を積んで欠点を克服します!
その計画を立ててありますから」
ジュリアの声は明るく響く。堂々とした笑み。ジュリアの様子は先ほどまでと何も変わらないように見える。
気丈に振る舞ってはいるが、それは強がりであることをマリアンジェラは見破っていた。
無理もない。
あの日の王の剣幕は凄まじかった。敵を討てないことを執拗に詰られただろう。
怖いだろう。辛いだろう。本当は逃げたいだろう。
「その資料に訓練の計画も書いてあるんでしょ?
見せてもらえるかしら?」
マリアンジェラは書類を受け取り、丁寧にページをめくる。そして、隅々まで目を通す。
「素晴らしいわ、ジュリア。
よく考えられてると思うわよ」
マリアンジェラは彼女に近付き、そっと髪を撫でる。
「あなたがどれだけ世界の平和を願って努力してきたのか、どれほど祖国を愛しているのか、この資料を読んでいるうちに伝わってきた。
大丈夫、あなたの熱意は必ずお父様に伝わる。
きっと理解してくださるわ」
「そうですね。
きっとお母様の言う通りです。
お父様は理解してくださります」
自然と肩の力が抜け、陰りのない微笑みが浮かび始めた。
「よーし、今晩、徹底的に計画を練り込みます!」
「ふふふ、無理はしないでね」
マリアンジェラはジュリアにエールを送り、退室した。扉を閉めるとくすりと笑う。
「こういう時、フォローしてあげるのが母の務めね」
マリアンジェラはゆっくりと廊下を歩いていく。
***
翌日、謁見の間に続く廊下――。
ジュリアは扉の前で歩みを止め、静かに佇む。
深呼吸の後、扉を開いて一歩ずつ前に出る。
部屋の奥に目を向けると、王座に王が、すぐ隣にマリアンジェラが静かに座っていた。
ジュリアは背筋を伸ばし、王座にゆったりと座る王を見つめる。王は微笑みを浮かべ、口を開く。
「マリアンジェラの命を救ってくれたこと、感謝している。
ありがとう、ジュリア」
いつも通りの微笑みだった。
一昨日の言い争いを忘れ、一昨日の事件も覚えていないかのような――。
ジュリアは王の微笑みを不気味にすら感じていた。
「本当にありがとう、ジュリア」
マリアンジェラも礼を述べる。
「滅相もないことでございます」と謙遜し、ジュリアは頭を下げる。
そして、頭を上げ、ジュリアは強く念じる。
――お父様、あなたを必ず説得してみせます。
――私は世界のために戦わなくてはならないのです。
絶好のタイミングで話を切り出せるよう、王のわずかな表情の変化から感情を読み取ろうとする。
やがて胸の奥で心臓が音を立て始めていた。しかし、それでもジュリアは王を真っ直ぐに見つめ続ける。
王はジュリアを見据え、ふと視線を落とす。
いつもの穏やかな笑顔でもなく、一昨日の厳しい表情でもなかった。
目は遠くを見つめるように細められ、口元は薄く結ばれていている。ただの無表情のようにも見えるが、わずかに口角が上がっている。
ジュリアはそこに王の本心を見出した気がした。
すると、王が先に話を切り出す。
「ジュリア」
「はい、何でしょうか?」
「お前は軍人としての高い適性を持っている、そう認めざるを得ないようだな」
謁見の間に、王の低い声が響いた。
「……今なんと?」
ジュリアは無意識に問い返し、何度も瞬きをする。自分の聞き間違いを疑っていると、王は続きを述べる。
「マリアンジェラから全て聞いた。
一昨日の一件でのお前の働きには目を見張るものがあったと」
ジュリアは息を呑む。平静を装おうとするものの、唇が震える。
「まさか、それは、つまり――」
「然るべき訓練の後、お前を戦場に送り出すと約束しよう」
ジュリアは顔を綻ばせ、目を潤ませる。
「ありがとうございます! お父様!」
そして、満面の笑みで両手を胸の前で握りしめる。
王は微笑を浮かべ、黙ってうなずいた。
マリアンジェラもまた微笑んでいた。
「お母様、何とお礼を伝えたら良いか……」
「全てあなたの努力の成果よ。
私はあなたから聞いた話を先に伝えておいただけなんだから」
「お母様……!」
その一言を叫ぶと、ジュリアはマリアンジェラの元へ駆け寄った。
涙混じりの笑顔で、母の手を取る。マリアンジェラは頷き、娘の手をそっと包み込み、握り返す。
「喜んでいるところ、悪いのだが……」
王の声が耳に入り、ジュリアは姿勢を正す。そして、王の真っ直ぐな視線を真正面から受け止める。
「条件がある。
一つ、お前が敵を討てるとストーンが確信するまで訓練は続ける。
敵を討てる確証がなければ、戦場には送り出せない。
二つ、王女であることは戦場では隠し通せ。
誰にも悟られてはならない、決してだ。
王族としてではなく、ただのジュリアとして戦地に赴くのだ」
「かしこまりました。
必ずや欠点を克服してみせます。
そして、王族としてではなく、ローズローズ王国の国民の一人として戦地に赴き、国のお役に立ってみせます」
ジュリアは拳を固く握り締め、はっきりとした声で誓ったのだった。