中西茜②
会議は準備をしていた内容で終わったが、私のみが残されてしまった。そのあたりは初めてではないので問題はないのだが、麻依ちゃんともう少し話をしたかった。
やはり、何か悩んでいるな。
詳しい内容まで知りたかったが、明らかに時間が足りなかった。ここまで仕事が出来るようになっていて、従業員との関係も問題がない。それなのに、彼女の中に大きなしこりのようなものがあるのだろう。
わからない分、早めに聞いておきたい。仕事は溜まっているが、うまく時間を調整しようと思う。麻依ちゃんは夕方までしかいられないが、私には時間の制限はない。
チクリと、心に小さな針が刺さった。迷惑をかけているのは分かっている。このままでいけないのも分かっているが、仕方ないではないか。言い聞かせて、罪悪感を静めた。
仕事を優先にしているとは思っていない。しかし、プライベートはおざなりにしている。この矛盾している感情については、あまり考えないようにしていた。
ないがしろにしていいなんて、私は思っていない。ごめんなさい。
謝るしかない状況を変えたいと悩みつつ、そのままにしてしまっている自分が情けなかった。今年で二十八歳になるのに、このまま仕事に没頭するだけの人生にも迷いは充分ある。
「残ってもらって、申し訳ないね」
涼森オーナーが、頭を下げた。複数店舗の経営をしているこの辺りでは有名な人ではあるが、腰が低く、決して偉そうにしない人だ。
「いえ、お力になれるのであればなんでもご相談ください」
私も合わせてお辞儀をした。初対面ではないと言っても緊張はする。
「座ってください」
いつもとは違う席に座り、涼森オーナー、直人さん、伊佐山さんが向かいに腰を下ろした。まるで就職活動時の最終面接のようだ。普段店舗で話す時よりも、伊佐山さんの表情が硬い気がする。身長が百八十センチ近くある大柄の強面だが、性格は大人しく話をじっくり聞いてくれる人だ。
「今後の経営なのだが、加藤君を正式に店長に昇格させたいと考えている」
その話なら、正直二号店の担当の辺見さんもいた方がいい気がする。彼女には、ここに残るようには言わなかった。
「それともう一つ、一店新しく店舗の立ち上げを提案されている。これは内密にしてほしいのだが」
詳しい場所を含めて、この辺りの話は私たちの階級ではまだわからない情報だ。特に、複数店舗の経営の話などには私たちは意見を言ってはいけないので、決まるまでは一切の話は来ないのが通例になっている。
「わかりました」
返事の仕方には細心の注意を払った。複数店舗経営の拡大は、この店舗は望んでいた。しかし、開店条件はいくつかあって、その条件を満たしているとは限らない。この時点での『おめでとうございます』は失言にもとられかねないのだ。この辺りの話は、先輩の松原さんから聞いていた話が役にたった。
「まだ先の話になるが、前向きに検討しようと考えている。それで、一つ聞きたいのだが、山内副店長の状況はどうかな」
呼ばれた理由は、これだったか。
彼女の勤務状況は伊佐山店長も分かっているはずだが、それと同時に近くにいる私の意見ももらいたいという話だ。確かに、様々な視点から見た方が間違いはなくなる。
「勤務状態という意味でしょうか」
「随分彼女は成長したと思います。そして、それは中西さんのおかげでもあるのも十分わかっています。現在、副店長は四人いますが、加藤君を店長にして一号店と二号店を見てもらい、新しいお店の立ち上げを山内さんにできないかと考えています」
ここまで明確な予定が出来ているのか。回答次第では、麻依ちゃんのキャリアに大きく影響を及ぼす。
「山内副店長は頑張っていただいており、私は簡単なお手伝いしかできていません。今のお店の改善は、確実に彼女の努力があっての話です。従業員のみんなもそれを感じているはずです」
こういった話に、嘘はいらない。彼女を感情で判断してしまい、力不足のまま大役を任せてしまえば苦労するのは目に見えている。
「一つ気になるとすれば、彼女の性格ですかね」
褒めた後に付け加えた。本当は言いたくないが、ここで黙っているのは許されない。伊佐山店長の顔が険しくなった。
「短気なところか」
「まあ、真面目さゆえのものだと思います。店舗への理想が高いので、うまくいかないときは思い悩んでしまうのが心配ではあります」
伊佐山店長の言葉を言い換えて話した。短気なのは、みんな気付いているのだ。
「そうなんだね」
顎にさすりながら、涼森オーナーは頷いた。
「昔から、うまくいかない理由を自分のせいにして追い込む癖があります。従業員に当たったりするわけではないが、態度には出るので心配はしていますよ」
伊佐山店長が付け加えた。直人さんも腕を組んでいる。彼女の普段を見ていれば、意外だったに違いない。
まっすぐな性格でかわいらしい彼女だが、芯は強く、曲がったことが嫌いな性格をしている。
店舗の開店は簡単なものではない。どんなに準備をしていても不足は生まれ、従業員のレベルも低く、ミスが多発する。彼女の性格では、ストレスで潰れる危険性は十分になるのだ。
麻依ちゃんなら、いずれは絶対にやるはずの仕事。しかし、それが今のタイミングなのかは判断が難しい場面だ。
「息子は何歳だっけ」
「まだ四歳です」
伊佐山店長も腕を組んだ。麻依ちゃんには時間の制約がある。オープニング店舗の仕事は定時に終わらないことも多く、この仕事はまだ難しい気がする。
「やはり、もう少し考えましょう」
しばらくの静寂が流れてから、涼森オーナーが言葉を発した。
「お時間を頂いて、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
丁寧なお礼を受けたせいで、戸惑って私まで挨拶してしまった。経験は積んだとはいえ、こういった話し合いは緊張する。背中に嫌な汗をかいてしまった。
「引き続き、山内を頼むよ」
片づけをしている私に伊佐山店長が話しかけた。
「承知いたしました。一緒に頑張っていきます」
笑顔を作って答えたが、引きつっていたかもしれない。一緒に頑張っているなんて、嘘をついてしまった。
話し合いは三十分ほどかかっていたようで、麻依ちゃんを追って店舗に立ち寄っている時間はない。車に戻るとパソコンを開いた。簡単に話し合った内容を自分で作成している店舗のノートにメモをする。
こうやって落ち着いた瞬間に、どっと先ほどの発言への反省が始まる。昔からそうだ。友達と楽しい時間を過ごしたはずなのに、一人で帰っているときにすべての発言が相手に悪い印象を与えていないかを考えてしまい、勝手に不安になっていた。別に相手の表情が大きく変化したことも、大きな失言から関係を崩壊させた経験もない。
この性格が嫌で、大学に入る頃は広い人間関係を作らないと決めた。サークルにも入ったが、最低限の参加にとどめて輪の中に入らないようにしていた。
それを変えたのが、今も尊敬する先輩の影響だった。
昔の出来事に頭が向かっていったので、首を振った。大事なのは、麻依ちゃんの今後だ。今日の話し合いが彼女のこれからをどうやって変えていくのか。おそらく、新店舗の副店長の話は限りなく低くなった。この判断が正しかったのかはわからない。ただし、嘘はついていない。彼女の性格と現状では、とてもではないが新店舗に携わるのは不可能だ。
時間が迫っているので、パソコンを閉じて次の店舗へ車を走らせた。麻依ちゃんの事だけを考えているわけにはいかない。担当店舗は他にもあり、各店が悩みを持っている。それを一つずつ解決するのが私の使命だ。
次の店舗に着くと、車をすぐに降りて小走りで店舗へ入った。余計な反省時間を過ごしたせいで、約束の時間ギリギリの到着になってしまった。
「おはようございます」
売場にいたパートの細井さんに挨拶をする。彼女は昨年、接客コンテストに出場してくれた方で、新浜さんの接客を褒めてくれた。大人しいが、その性格を変えようと昨年は挑戦してくれた。
「中西さん、おはようございます」
彼女の勤務が終わる前に、お店から少しお時間をもらって売場の打ち合わせをさせてもらっていた。この店舗はオーナーが高齢で、仕事が追い付いていない。私が何かを進めるのは不可能なため、みんなで仕事を分担をするための仕組み作りを手伝っている。
「先週の新商品、頑張りましたね」
あらかじめ持ってきていた資料を出すと、彼女に見せて説明した。販売数が高く、売場全体の売り上げが昨年の同時期に比べて伸びているデータを見せながら話した。細井さんは興味深そうに資料を眺めている。
「ここまで売れると、すごく嬉しいです」
「細井さんの売場のおかげです。素晴らしい売場で、私も参考になりました」
笑顔の細井さんを見て、達成感を味わう。
「中西さんのアドバイスのおかげです。今年もコンテスト、頑張りますよ」
「本当ですか。一緒に頑張りましょう」
昨年のみのはずだったが、今年も出てくれるのか。心拍数があがり、声を出して喜びたかったが抑えた。
「あの、今年も新浜さんは出ますか」
細井さんは、静かに訊ねた。普段はあまり質問をする人ではないので、興味が強い話に違いない。私の高まっている気持ちが少し冷めた。
「いえ、実は彼女は既に退職しています」
明るかった表情が曇った。もしかしたら、これで彼女は出ないかもしれない。嫌な予感がするが、この辺りはとめようがない。
「すみません。暗い感じで言っちゃいましたが、希望した会社で正社員になることが出来たので、前向きな退職です。彼女のおかげで店舗も明るくなって、今年も一人コンテストも出ようと考えている従業員さんがいますので」
細井さんの気持ちが分からないので、まずは気分を変える意味でフォローをした。実際、彼女の退職は店舗への不満ではなく、新たなステージへの挑戦だったので、悲観的になるのはおかしい。
「そうなのですね。去年の彼女の姿を見て、今年も頑張ろうと決めたので残念ですが。前向きな退職なら仕方ないですね」
「期待していたのに、すみません」
「中西さんのせいではないですよね。それに、今回新浜さんが出なくても私は出場させて頂くつもりなので、今度オーナーに言っておきます」
内心ほっとした。この話で彼女のモチベーションが下がるのが最悪な趣味レーションだった。嘘をついたり、その場を繕ったりするのが苦手で理想とは真逆の結果になってしまう経験は少なくない。
残りの仕事をこなして、店舗を出た。今日は店舗との約束はないので、デスクワークを社用車の中で進めることにした。家に帰ってもいいが、いつも疲れて寝てしまうので終わらせたいときはそのまま車の中で済ませるようにしていた。
麻依ちゃんの相談、もう少し深く聞きたいな。
昼の会話が蘇る。彼女の相談に対しての回答を間違えた。表情を見ればわかる。ただし、何を間違えたのかはいまだに理解できない。
彼女は一年前までは迷っていた。副店長の仕事が理解できずに、怠慢が目立って従業員の信頼も無くなっていた。しかし、新浜さんと出会って仕事への情熱をもう一度思い出したはず。それが、新店舗を任せたいと周りから期待されるまでになった根拠なのだ。
ただ、これは私も含めた周りの人間の勝手な意見なのだ。彼女が本当に望んでいるのは、もっと違う何かなのだろう。もう一度時間を見つけて、今度はじっくりと聞いてみる必要がある。
スマートフォンに通知が入る。しまった、もうこんな時間だ。急いで返信をした。
麻依ちゃん同様、私も実情に満足していない。うまくいっている実感はあり、毎日必死な中でも仕事を楽しめるようになっている。ただし、私生活の方はおざなりになっていて、本当は自分が決めたはずのものが一番面倒になっている。
ごめんなさい、今日も終わりはもう少し先になると思う。また、連絡するね。
何度も待たせている罪悪感で、絵文字も付けられない。
わかった。無理しないでね。
どんな気持ちで来た返信かもわからない。呆れているのか、失望しているのか。感情が文章ではつかめないので、チャットはあまり好きではない。
どっと疲れが溢れた。しかし、ここで切り上げるには中途半端すぎる。迷いを振り切り、パソコンの画面に集中した。
これでいい。
そうやって自信を持って言えるように、もう少し顧みないといけない。わかっていながら、仕事を理由に時間がないと逃げている自分に嫌気がさしていた。