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山内麻依⑩

「山内さん、今日もありがとうございました」

 今日は事情があり、二号店社員の大宮さんにこちらの店舗へ来てもらっていた。週二回か三回は二号店に足を運び、社員教育を進めている。

 大宮さんは今年で三十三になるので、約十歳は年齢が上だ。しかし、年下の私の話に真剣に耳を傾けてくれるので、私も抵抗なく話せる。いつも黒縁の眼鏡をかけて、肩にかかるくらいに伸びている長い黒髪を一本に束ねている。地味に見えるが笑顔の作り方がうまく、接客はグループ内でもダントツに良い。ファーストフード店で店長まで経験しているので、私自身も聞いていて勉強になることが多々あった。

「いえ、こんな暑い中にわざわざ足を運んでもらって、すみません」

「そんな、聞きたいことがあるのは私の方ですから。山内さんが優しい方で、本当に良かったです。正直、社員は前職の経験から躊躇いがあったのですが、山内さんが色々熱心に教えてくださるので続けていけそうです」

 既婚者だが、子供はいないと聞いていた。前職の退職理由など、深い事情は何も聞いていないが、もっと関係が深くなるまでは聞かなくてもいい気がする。

「そう言ってもらえると嬉しいです。あっ、ごめんなさい。ちょっと行ってきます」

 しばらく顔を見せなかったので、店舗から動けずにいた。急いで引き出しから、封筒を取り出した。大宮さんには事情を伝えているので、黙って頷いてくれた。

 売場に出る前に、大きく深呼吸をする。いつも来る常連だから、許してくれるだろう。そんな甘い気持ちは持っていない。謝罪しても、到底許してもらえない案件。今まで積み上げていた信頼が消える可能性も十分ある。

 それでも、私がこの方法をとると決めたのだ。

 ゆっくりとコピー機の前に向かった。

「こんにちは」

「ああ、山内さん。こんにちは」

 こちらに気が付き、頭を下げた。元々はこの近くの運送会社で社長をしていて、買い物に来てくれているうちにお話をする関係になった常連さんの一人。私が副店長になった時も、とても喜んでくれた。

「今日もコピーですか」

「そうだよ。今は悠悠自適だからね」

 二年前に会社を息子に継承してからは、趣味の本をコピーしによく来店されていた。拡大コピーのやり方が分からないときは、従業員に質問をしている。北村が封筒を拾ったのも、そのタイミングだった。

「あの、少しよろしいでしょうか」

 私の表情が変わったのを見て、少し構えている。

「どうしましたか」

「こちら、お忘れになっておりませんか」

 封筒を差し出した。防犯カメラの映像は残っていないが、北村にお客様に間違いがないのかは確認済みだ。

「そうだね。どこかに落としたと思っていたけど、ここにあったのか」

 やはり、間違いはないようだ。そのままお渡しをして終わる方法もあるが、時期が経ちすぎている中での返却。このままお客様が気付かなかったからと隠し通すという選択肢もある中で、あえて私は返却を選んだ。

 北村に本気で向き合うには、まずは私が後ろめたい気持ちになっていてはいけない。

 彼女に教える立場の人間として、どうあるべきかを考えた結果だ。

「お渡しが遅くなり、大変申し訳ございませんでした」

「最近出てきたのかね」

 細い目が更に細くなる。いつも優しい方で頭の回転が速く、おそらく何らかの理由があってこの時期になったのに気が付いている。

「はい」

 目をそらさずに、私は答えた。しばらく間が空いた。

「わかりました。わざわざありがとう」

「大変申し訳ございませんでした」

 もっと言葉はあるはずなのに、実際になると的確に出てこない。ただ、頭を下げた。

「山内さんが謝るのだから、今回は深く聞きません。じゃあ、また来ます」

 いつもの表情に戻ると、それだけを告げて帰っていった。全身から汗が噴き出している。もしかしたら、震えているのかもしれない。それくらい緊張していた。帰っていく背中をしばらく見つめて、事務所へ戻った。

「ごめんなさい」

「解決しましたか」

「一応、また来るとは言っていただけましたが、信頼は失ったと思います」

 発言を楽観的にはとらえられない。数年間築いた信頼を一瞬で崩すほどのことをしたのだから当然だ。喪失感もあるが、この役職である以上、自分だけ綺麗なままでいようなんて思っていられない。

「いやな仕事ですよね」

「大宮さんも経験はありますよね。嫌なところを見せて、申し訳ございません」

「いえ、山内さんはまっすぐだから、信頼できます。お客様にも伝わるといいですが」

 その後は話が続かずに、お互い黙ってしまった。無理もない。先輩にあたる人間の謝罪に対して、流暢な話題なんて出てこない。

「嫌な雰囲気にしてごめんなさい。次回からは、二号店で再開しますので。そういえば、北村はどうですか」

 話題を変えたようには見えても、同じ話だった。

「やはり、こちらでリーダーをしていただけに非常に助かっています。夕方の接客は課題だったのですが、彼女が来て雰囲気が変わりました」

 遠慮をして話しているようには見えない。

「安心していました。落ち込んだままであれば、迷惑が掛かりますから」

「従業員間のコミュニケーションにも問題はありません。仕切ったりすることもなく、みんなのやり方を聞きながら話しているので。それだけに、私も今回の件はもったいないなと思います」

 そう言ってから、ハッとしたように目を広げた。

「すみません。出過ぎた話をしました」

「そんな、二人の中での会話に遠慮はしないでください。その通りですので」

 離れてしまった喪失感もあるが、まだグループ店で活躍するのであれば接点はいつでも生まれる。そこまで悲観的には捉えていない。

「しばらくは注意も必要になると思いますので、ご迷惑をおかけします。落ち着いたら私も一度顔を出そうかと考えていますので、彼女をよろしくお願い致します」

 私は頭を下げた。今すぐにでも話したいことはあるが、あまり私が顔を出しては、彼女が考える時間を妨げてしまう。反省をしながら、今後の道を決めていく。そのために、時間を置いてから話そうとは伝えていた。

 気持ちの奥にあった重いものが降りたので、今日は久しぶりに夕方に通常通りの帰宅が出来る。最近はお迎えもままならなかったので、気分を上げて義実家に車を走らせた。

「おかえりなさい」

 義実家では、義母が優しく私を迎えてくれた。

「最近、中々顔を出せなくて申し訳ございませんでした」

「いいのよ。お店でトラブルがあったのでしょう。浩紀からは聞いているから」

「なんとか解決はしました」

「そう」

 安心したように息を吐いた。部屋の奥からは、義父と遊ぶ颯の声が聞こえてくる。

「お義母さん」

 奥から颯を呼びに行こうとする義母を呼び止めた。

「どうしたの」

「まだまだ嫁としても母としても未熟者です。これからも、よろしくお願いします」

「言われなくても勝手に面倒見ます。一人で抱えずに、沢山甘えなさい」

 踵を返して、顔を見せずに返答をしてくれた。私は出会った人間に恵まれている。背中に向けて、深くお辞儀をした。

「ママ、おかえりなさい」

「颯、ただいま。おうちに帰ろうか」

 車の中では、保育園で歌った童謡を一緒に歌いながら帰宅した。

 そうだ。この生活を守っていくのだ。

 コンビニは、人の生活の中の小さな一ページの風景でしかない。でも、そんな小さな日々が、後になれば掛け替えのない日々となり、その人の人生を彩っていく。私の仕事は、そんなかけがえのない風景を守っていく仕事だ。

 ちょっと格好つけ過ぎかな。

「ママのコンビニだよ」

 車窓から見える店舗を、後部座席のチャイルドシートに座る颯が指を刺した。

「そうだね。今度、一緒に行こうか。パパに内緒で颯の大好きなアイス買ってあげる」

「ほんとー。やったー」

「パパには内緒だよ。二人だけの秘密ね」

 店舗を過ぎて、バックミラーに映る看板も段々と遠くなってくる。その看板に向けて、私は小さく口を動かした。

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