山内麻依⑨
パソコンに数値を打ち込みながら、今後の店舗の課題への対応を書き込む。この時間までには終わらないと見込んでいたので、気にせずにパソコンを閉じた。
「さあ、朝礼をしましょうか」
準備を終えて話していたパートさんを振り返った。
「副店長、なんかいいことありましたか。表情が明るいです」
宮田さんが遠慮気味に訊ねてきた。
「好きな男から、久しぶりにキスをされましたので」
「なによ、その言い方。どうせ颯君でしょう。本当に息子大好きだよね」
今川さんが面倒くさそうに手を横に振った。
「それはもちろん。私の働く原動力ですから」
昨日の夜の出来事を生々しく話すつもりはない。もちろん、颯がおでこにキスをしてくれたのは事実なのだ。家族からの愛を受けて、私は今日もここで働く。
「さて、今日のセールですが」
バインダーを開いて、申し送りを始めた。今日は菊川さんもいるので、朝には外出が出来る。帰った後に事務所に顔を出すとチャットを入れていたのだ。
「最後に、この後私は事務所に報告をしに行きます。何かあれば、電話してください」
「何かあったの。まさか、辞めるとか」
半分冗談、半分本気。目をしかめるように今川さんが訊ねた。菊川さんは発言をしないものの、私の表情をうかがっていた。
「私はここで副店長を続けるつもりです。そんな重い話ではないですが、伊佐山店長へ報告する事案があったので」
若干の静寂が流れる。最近の私の状態を見ていれば、そう思われても仕方ない。ここまで心配をさせたのは私なので、多少なりとも罪悪感は持っている。
「私、副店長には感謝しています。前の勤務先と違っていつも明るく接してくれて、不器用な私にも根気強く仕事を教えてくれて、だから力になりたいです」
宮田さんが私の手を握った。
「ありがとうございます。大丈夫ですって、辞めないですから。それに、最近は体調崩していて申し訳なかったです。心配も迷惑もかけましたよね」
手を握り返した。普段こんな話をしないので、胸が熱くなる。変わらない日々とつまらない気分で過ごしていたが、そういう日の積み重ねがこうやって信頼に変わっていくのだ。ここにきて、それを実感する経験が増えている。
「副店長、頼むよ。みんな、あなただから続けているのだから。もしやめるなら、後任は優しいイケメンでないと許さないからね。さあ、いきましょう」
私の肩を叩いて、今川さんは出ていった。宮田さんもその後に続く。最後に、菊川さんがドアの前で止まった。
「山内さん、本当に大丈夫ですか」
以前の話の件も面と向かって話せていなかった。あの後から体調を崩しているようにも見えたので、自分の責任と感じてしまったのかもしれない。
「夕方にトラブルがあって、その報告です。責任者として、対策を含めて話してきます。菊川さん、戻ったら少し話しませんか」
少し考え込んで、菊川さんは頷いた。
「わかりました。お待ちしています」
ユニフォームから紺色のジャケットに着替えると、靴もスニーカーからパンプスに履き替えた。机の引き出しから、そっと封筒を取り出す。ここまでの覚悟を示すべきなのかは迷った。でも、就業規則違反を犯しかけた人間を守るのだ。意思を見せるための準備はした方がいい。
バックに封筒をしまうと店舗を出た。車を走らせて、事務所へ向かった。
いつもの道を走っているが、心臓は普段以上に高まっている。よく考えれば、こういった報告は初体験。トラブル報告は伊佐山さんに電話で何度もしているが、従業員の報告で時間をもらってわざわざ話に行く機会はなかった。
駐車場に着くと、深呼吸をしてミラーで身だしなみを整えた。
この仕事を頑張ろうと決めたタイミングで、北村の件が発覚。もしかしたら、私の発言いかんでは役職を外されかねない。ただ、自分の大切な従業員を守れない人間のまま、副店長は続けたくない。
強い意志を持って事務所の前に来たのに、ノックする手が動かない。
落ち着け私。
「麻依、早いな。もう伊佐山さんもいるぞ」
後ろからいきなり話しかけられて、肩がびくっと震えた。加藤さんがコーヒーとエナジードリンクを抱えて立っていた。
「おはようございます」
「早く入れよ。ドリンク冷たいから」
促されるまま、事務所に足を進めた。もっとドラマのように格好よくノックをするつもりだったのに。加藤さんのおかげで入れたものの、若干恨んでしまう。
「おはようございます」
「おはよう。どうせ麻依が連絡するのなんて、いい話ではないだろう。さっさと話せよ」
目の前にカフェラテのペットボトルを加藤さんが置いてくれた。
「加藤さんにはお力をお借りしたのですが、北村の件で報告があります」
あらかじめ準備していたメモに時折目を通しながら、私は報告を進めた。アドリブでは大事な項目を話忘れてしまうと考えて、時系列でこれまでの話をまとめていた。
北村の現金の件は、加藤さんも初耳だったので驚いていた。伊佐山さんは表情を変えることなく、頷いていた。
「お金は返せるのか」
「顔を確認してもらって、常連のお客様で間違いありません。私も何度もご挨拶している関係なので、きちんと謝罪をしたうえでお返しいたします」
「わかった。お客様へ迷惑をかけたのだから、誠意を持って謝罪しなさい。それで、北村はどうする」
報告が終わったところで、伊佐山さんが訊ねた。一度加藤さんを見ると、加藤さんは目を閉じている。
「正直、やったことは悪質です。本来ならリーダーを外すとか以前に、勤務を継続させるべきではないと思います」
私が鞄から封筒を出した。
「でも、私は彼女を捨てることはできません。コンテストの参加は見送りますし、リーダーの仕事はしばらく外します。そのうえで、もう一度チャンスを頂けませんか」
「なんだよ、これ」
封筒を眺めたまま、伊佐山さんは呟いた。加藤さんはコーヒーを口に含んだ。
「責任の取り方を考えました。こちら、伊佐山さんに預けます。もし、何かあれば私は責任を取りますので」
「いらない」
受け取ることなく、伊佐山さんは一蹴した。
「麻依が北村を信じているのであれば、一任するから勝手にしろ。確かにリーダーは一度外した方がいいが、この話は店長間で止めるからもうしなくていい」
私が北村にした話をそのまま、伊佐山さんから受け取る羽目になるなんて。
「でも、それでは伊佐山さんに迷惑が・・・」
「それが仕事。お前は従業員、俺は従業員と麻依や加藤を含めた社員の責任までを取る」
エナジードリンクを開けて、一気に半分くらい飲んだ。
「ありがとうございます」
「やることが極端なのは変わらないな。従業員の不正報告程度で辞表持ってくるなよ」
そういうと、私以外の二人は吹き出した。
「なんで笑うのですか」
「いやあ、麻依がそうやって従業員の報告が出来るようになった嬉しさもあるけど、やっぱり麻依は麻依なんだなって思うと」
「ひどいですよ。せっかく真面目に考えてきたのに」
目を細めて、伊佐山さんを睨んだ。真剣な対応を笑われて、今度は怒りが湧いてくる。
「怒るなよ、麻依。二人とも麻依の成長を感じているだけなんだから」
なだめた加藤さんにも怒りが湧いてくる。子ども扱いしないでほしい。
「私は真剣です」
「まあまあ、冗談はここまでだ。俺の迷惑と考えるな。麻依を副店長にしている限り、責任を取る覚悟は出来ている。今回の件はもちろんよくない事案だが、麻依がそうやって従業員に対して自分の進退をかけて取り組む姿勢は評価したい」
そう言って、封筒を私に差し出した。
「だからこそ、山内副店長はぶれずに仕事に励むようにしなさい。自分で思っている以上に精神的な安定性を欠く場面が多い。従業員は副店長の背中を見て働いているのだから、安心させるも不安にさせるも自分の行動であると自覚するように」
「わかりました」
からかわれたうえで、きちんと締められてしまった。
「少しは伊佐山さんの気持ちもわかっただろう。俺や麻依が失敗した分を、こうやって涼森オーナーに報告してくれていたのだから」
「よせ、加藤。言わなくていいだろう」
照れたように手を振った。確かに自分がこの立場になってから、伊佐山さんがなぜあのように話していたのかが分かるようになっている。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。肩は震えている。
「なんだよ、泣いているのか」
「いや、わかるようになったのって私が成長できたからだし、嬉しくなっちゃって」
「お前、相変わらずだな。加藤、なんとかしてくれ」
からかわれたので、まっすぐな感謝はお預けにした。今後も続く関係。感謝はいつでもしている。これからもっと大きな成果を出してから、きちんとすればよい。
報告を終えて店舗に戻ると、ピーク前でパートさんたちはせわしなく動き回っている。納品の処理は終わったようで、カウンターの前に三人がいた。
「戻りました」
「報告どうだったの」
「問題ありません。事後処理はこの後にしますが」
ちらりと、菊川さんを見やった。真剣な表情で揚げ物を準備している。
「ちょっと菊川さんをお借りしていいですか」
「もう、忙しいのに」
「すぐ終わらせますから。ごめんなさい」
手のひらを合わせて、会釈をした。今川さんは溜息をついた。
「菊川さん。ちょっといいですか」
こちらに気が付き、菊川さんがこちらに来た。
「事務所に行きましょう」
彼女の反応を確認しないで、私は歩き出した。後ろから足音がするので、ついてきてはいるはず。何を話すべきか、伊佐山さんの時と違ってアドリブになるので、せめてこの短い時間に考えておこうと頭を巡らせた。
「作業中にすみません」
「いえ、副店長もお疲れさまでした」
少し疲れた表情をしている。彼女も幼い子供の面倒を見ながら働いているので、日々忙しいはず。
「あの、以前お話した際に、私副店長に失礼なこと言って、すみませんでした」
やはり気にしていたのか。言い換えれば、気にさせてしまっていたようだ。
「気にしていません。といえばウソになりますよね。ははは」
おどけて見せたが、彼女の表情はこわばり、更に不安にさせてしまったようだ。
「あの時は図星でしたからね。でも、自分を考えるきっかけになりました。別に言い返してやろうとか、そういう気持ちはないので構えないでくださいね」
「あの時は私も落ち込む出来事があり、副店長に八つ当たりしてしまいました。許していただけるのであればありがたいですが、すみませんでした」
ユニフォームを強く握っている。緊張すると、服を強く握る癖があるようだ。
「これからもよろしくお願いします。そして、この話はお互い引きずらないようにしましょうね。最後に一ついいですか」
「はい」
「高校生の時に、仲間から全力でアルバイトをやっている姿を笑われた記憶があります。所詮アルバイトなのに本気でやっているなんて。今も変わりません。この仕事を馬鹿にする人も多いです。でも、その悩みを話した時に、鈴本先生は全力で否定してくれましたよね。どの世界も真剣で頑張っている人は素晴らしい。アルバイトも部活も全力な人はどの世界でも輝いているのだから、周りの意見に惑わされないで頑張ってほしいって」
「そんな昔のこと、覚えていませんよ」
「そうですよね。でも、あの時の言葉が今はっきりとわかるようになりました。この世界で生きていく自分に迷っていましたが、それは仕事に対して真剣に向き合えていないから周りの状況を見て、苦しくなっていたのかなって」
あくまでも困惑しているままだが、目は私をしっかり見ていた。昼のピーク前にそんなに話している時間はない。お客様が入店しているチャイムが鳴り始めた。
「私はこの店舗で、沢山の人の背中を押していきます。飛びだっていくのだって、これからずっと働いていくのだって、なんでもいい。この店舗で働いてよかったと思えるように一緒に頑張りたいと思っています」
ゆっくりと、彼女は頷いた。答えを出してほしいとは思わない。でも、私の中で彼女にかけられる最大限の言葉は伝えられたと思う。彼女はさらに強くユニフォームを握った。
「ありがとうございます。いいお話が聞けて、少し力が抜けました。あの、今度ゆっくりお話をしてもいいですか」
ふり絞るように、彼女は訊ねた。
「ぜひ、お待ちしています。お時間を頂きまして、ありがとうございました」
彼女はゆっくりと事務所を後にした。
結果はどうなるかわからない。でも、私はみんなの背中を押すという決心をした。彼女が新しい挑戦をするのであれば、それも一つの選択肢として尊重しよう。
ロッカーを開くとジャケットをしまって、ユニフォームを取り出した。靴も履き替えた。引き出しからチョコレートを取り出すと、数粒を一気に口に入れる。
短気で感情的。人の成功を喜べない。そんな自分が嫌いで仕方ない。でも、みんなの背中を押しながら、私もここで変わっていきたい。
誰かの人生の中に、一ページでもここでの出来事が入ってくれればいいな。
当たり前にあるコンビニエンスストアという場所で、私はこれからも挑戦していきたい。強くはない心に、静かな灯をともした。




