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山内麻依⑥

 茜に最低限の話が出来たのは収穫。黙っていて言えなかったが、彼女が偶然顔を出してくれて助かった。ただし、この顔を見られたくはなかった。余計な心配はさせたくないのが本音のところだ。

 北村については、私の方が理解している。茜は随分疑っているようだが、須永の今までを考えればほぼ事実に違いない。

 椅子に腰かけると、次週の営業スケジュールに目を通した。セールの準備や新商品のリストを確認して、売れそうなものに印をつける。重点的な販売が必要な商品はそれだけ売場の面積が必要になる。今ある商品の見切りをつけなければならないのだ。

 北村には今年の接客コンテストへの出場も決めているため、早めに解決はしたい。しかし、茜の言葉も引っかかったので彼女の言葉を待とうと決めた。こういった話の際には、彼女の勘は当たっていた。

 頭痛は薬で落ち着いたが、眠気が襲ってくる。定期的に立ち上がり、売場を確認しながら前出しをして眠気を散らした。座っているだけでは、意識がどこかに行ってしまいそうになる。

 昼のピークを終えたあたりで、店舗の固定電話が鳴った。ディスプレイには、伊佐山店長の文字が入っていた。

 一年前なら、ただの説教だとおびえていたよな。近くのメモ用紙を引き寄せて電話に出た。

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れさん。麻依、この後昼飯行かないか。加藤はもう抑えているが」

 最近では珍しい、食事の誘いだった。防犯カメラを見ると、お店は落ち着いているので外出はできそうだ。昨日の出来事があったので、気分的には行きたくないのだが。

「うーん、どうしようかな」

「麻依の好きな焼肉にしてやるから。一時半でどうだ」

 乱雑な物言いに、少しいら立った。昔からそうだ。何か頼みごとがあるときは、焼肉をごちそうすればいいという扱い。社員になるときも、アルバイト時のセールの売込みを任された時もこうやって焼肉を食べさせてもらっていた。

 今日も何か大事な話があるに違いない。もう子供じゃないので、私を単純なものとして見ないでほしい。食べ物につられるような幼さは持ち合わせていない。

「問題ありません」

「じゃあ、店舗集合でよろしく」

 受話器を戻して、息を吐いた。別に久しぶりの焼肉に心が躍ったわけではない。上司からの誘いに対応をしただけ。既に口の中は焼肉一色になっていたが、大人の女性を気取ってみた。冷静を装いながら、ユニフォームのファスナーを下ろした。

 こういう単純なところも、本当は嫌いだ。

 シフトの引継ぎを終えて、足取り軽く向かった。昨日の出来事はいまだに心に刺さっているが、今は忘れよう。そうしないと、仕事が手に付かない。

 浩紀の作ってくれた食事をほとんど食べた後、義母に色々な話を聞いてもらった。優しく聞いてくれる姿に涙は止まらず、疲れてそのまま義実家で寝かせてもらって、早朝に帰宅した。

 浩紀とは挨拶だけを交わしたが、しっかりと謝れずにお互い出勤をした。颯は一瞬悲しそうな顔を見せたが、笑顔を見せてくれた。

「ママ、お誕生日おめでとう」

 危うく泣きそうになったが、こらえてお礼とお詫びを言って頭を撫でた。目は充血していて、コンタクトを付けられるコンディションではない。仕方なく眼鏡をかけて出勤をした。

 人には恵まれている。こんな自分勝手な行動をしている私を許してくれる環境に感謝しかない。

 帰宅したら、しっかりと謝ろう。

 溜息が漏れる。ここは真剣に考えていかないといけない場面なのに、焼肉に浮かれている自分に腹が立つ。それに、こういう時は重い話になるのはわかっている。現状の私で耐えられるのだろうか。

 無駄に思考を巡らせながら、チャットに送られていた店についた。駐車場に二人の車がそれぞれついていたので、既に中にいるようだ。

 昼のピークを過ぎていたが、店内は混雑していた。小さな子供の声も響く店内に大きな体が目立っているので、探すのには時間はかからなかった。

「遅くなり、申し訳ございません」

 集合時間には間に合っているが、順列としては先に来た方がいいと思い謝罪した。

「食べ放題にしているから、さっさと注文しろ」

 食べ放題にするなら、せめて一時半までは待ってほしい。ただし、この二人が待ってくれていたことはないので、これは通常運転。怒りよりは空腹が勝っているので、黙って加藤さんの横に座った。

「久しぶりだな、麻依と飯食うの」

 加藤さんが優しく声をかけた。身長が高くやせ型だが、大学までサッカーをやっていた。鼻が高く、爽やかな印象からアルバイトの女子学生やパートからの人気があって、彼と働くのが目当てでアルバイト採用された女の子も数人いた。

「そうですね。注文していいですか」

 淡白に答えると、注文用のタブレットに手を伸ばした。颯を連れていくとゆっくり食べられないので、貴重な機会は無駄にしたくない。図々しく見られても、この二人なら構わない。

「相変わらずだな」

「遠慮したら損ですよね。本題は何ですか」

「そう急かすなよ」

 そう言って、伊佐山さんは私の皿に肉を乗せた。先に注文をしていたものらしく、たれ皿を加藤さんが差し出してくれた。

「ありがとうございます。いただきます」

 不気味に思いながらも、肉を口に運んだ。脂がのっていて、期待通りの味が口の中を支配する。

 ああ、幸せ。

 あくまでも平常心を装った。この気持ちはあまり悟られたくない。

「おいしいか」

「はい、好物ですから」

「よかったよ。最近麻依が体調悪そうだったから、伊佐山さんと心配していたんだ」

 二人の表情を見た。伊佐山さんはわざとらしく目をそらしたが、加藤さんの言葉は嘘ではないようだ。

「心配おかけして、申し訳ございません。最近眠りが浅くて、体調崩していました。もう大丈夫ですよ」

 二人に笑顔を見せた。生意気な態度で二人を困らせているのは理解しているが、私にとって素の自分を見せられる貴重な人間なのだ。社員になりたての頃は厳しい指導を受けたが、それでも感謝しているのは彼らが私を大切にしてくれているのが伝わるからだ。

「本当か。あまり無理するなよ」

「ありがとうございます。好きなだけ食べますね」

 そう言って、タブレットに手を伸ばした。我慢しようと思ったが、この肉に白米は必要だ。

「なあ、麻依は店長になりたいの」

 加藤さんが訊ねた。こういったデリケートな案件は、必ず加藤さんが切り出す。

「そうですね。せっかくここで働かせてもらっているので、もちろん挑戦はしたいです」

 目で気持ちを悟られるので、あえて肉に視線を向けながら話した。結局、現状出されたくない嫌な話題になりそうだ。

「そうか。話が来たら引き受けるか」

 伊佐山さんも黙って肉を食べている。人事への発言権があるのは彼の方だ。加藤さんが柔らかく話をすることで、彼の中での判断の材料にしているのだろう。

「即決は出来かねます。夫にも負担があるので、一人では決められません」

 夫と言って、心が締め付けられた。仕事が原因で、彼との関係がギクシャクしている。

「まあ、あの麻依が今は母親だもんな」

「からかわないでください。私だって、ちゃんと子育てしていますよ」

 出来ていると言えないのは、やはり昨日の出来事が頭に残っている。それに、完璧な家事も育児も出来ていないので嘘はつけない。

「颯君は元気か」

「まるで怪物ですよ。外では大人しい方ですが、もう元気いっぱいで疲れますね」

 可愛さもあるが、とにかく元気な時期だけに関わるとクタクタになる。本当は疲れて眠れるはずなのに、最近の寝つきの悪さはどうなっているのだろう。

「大変そうだな」

「いえ、私の挑戦を夫は黙ってみてくれています。サポートもしてくれるので、私は仕事に時間を使えます。だから、店長は目指しますよ」

 話を切りたかったので、結論を勝手に出した。体調不良の原因を、二人は私のモチベーションの低下と受け取ったに違いない。原因を聞きたかったのだろうが、それは的外れだ。これで深刻な話しはおしまい。愚痴でも言いながら、焼肉を堪能して店に戻ろう。

「麻依の気持ちはわかった。そうしたら、一ついいか」

 完結したと思って、到着した肉を網に乗せたところで伊佐山さんは切り出した。まっすぐな性格で、あまり冗談は言えないタイプの人間だ。

 元々は名前を聞いたことのある広告代理店で営業をしていたが、ストレスで体調を崩して退職。営業成績が良かったので慰留はされたのだが、先輩だったオーナーの息子である直人さんの強い誘いを受けて働き始めたのがこのコンビニだった。大柄で、学生時代はラグビーで大学推薦までもらっている。

「はい」

 力なく返事をしたので、眉毛が下がった。こうやって私の対応が冷たいと落ち込んで小さくなる。私がこの姿を好きなのは、ここだけの秘密だ。

「近々出店の予定があり、どうやらうちのグループがやらせてもらえる話になっている。そうすると店長を新しく置かないといけないのだが、加藤にやらせたい」

 横で加藤さんも真剣な顔で聞いている。兄貴分の朗報は、私にとっても素直に嬉しい。

「ただ、二号店の方が社員不在になるのが問題になるが、現在二号店の方で育てている大宮さんを副店長にする」

「わかりました」

 危うく店長の辞令の話かと思ったが、自分には無風だったようだ。それなら、問題ない。加藤さんの朗報を祝ってのこの食事であるのであれば、もっと気軽にくればよかった。

「ただ、大宮さんはパート上がりだが、まだ業務に不安がある。もちろん、こちらでもみようとは考えているが、山内の方で見てもらえないか」

 簡単に言えば、今までの副店長の業務と一緒に、二号店にも顔を出して大宮さんの相談役になってほしいとの話だった。何度か会ったが、明るくて声が大きなパートさんだった。あの人なら、ベテランのパートが多い二号店でのやっていけそうな気がする。

 アルバイトを束ねる社員には、お局の従業員とも連携が取れるコミュニケーション能力が必須になる。特に同性の社員は反発が多く、社員になってから関係が悪化して退職をした先輩が何人かいた。私も今川さんとの関係に悩んだ時期もあったが、お互いの距離感を図っていくことで今は無難に付き合えている。

 そこまで重くはないように見えるが、彼女という人間を知る必要があり、簡単な話ではない。現在社員は三号店の佐々木と四号店のベテランの下田さんが同じ副店長をしている。社員の中で私は一番の後輩になる。あの二人は男性なうえに、こういうと失礼だが、相談に乗るのが苦手なタイプである。同じ女性で悩みが聞けるのであれば、私が適任だ。

「私にできる事であれば、なんでもやります。加藤さんもおめでとうございます」

「麻依、ありがとう」

 面倒だな。

 正直な感想が心の中で漏れた。相談なんて、本来は自分が乗ってほしいくらいなのに。菊川さんの社員への誘いはうまくいってない中で、他店の社員には関心なんて生まれない。

「ありがとう。まだ先の話になるが、少しずつ大宮さんの教育の面で麻依には力になってもらう。まずは関係性を作りたいからな」

「承知いたしました」

 その後は、大宮さんの話をした。彼女は元々ファーストフード店で社員経験があり、結婚後に退職して、落ち着いたところでコンビニでのパートを始めた。明るくて常連のお客さんともすぐに打ち解けていたが、ベテランのパートさんから目を付けられて、最初は大変だったらしい。しかし、最古参のパートである三田さんが味方をしてくれて、現在は社員候補になったとの話だ。

「経歴は違うが、麻依にも共感できる部分はあるはずだから、うまくやってくれ」

 抽象的な言い方でごまかされた。男性の考える、女性には女性を当てればうまくいくという理論は間違えだ。女性だって何通りもタイプがあり、同じ女性だからといっても折り合いがつかないなんてよくある話だ。

 まあ、大宮さんなら問題ないか。

 おいしい焼肉の代わりにこのくらいの荷物なら。そう割り切って、私は店舗へ戻った。

「戻りました」

 店舗はアイドルタイムに入っており、従業員が清掃や売場の商品補充を進めてくれていた。全員に挨拶をしてから、事務所に戻った。

「お疲れ様です」

「あれ、菊川さん」

 既に勤務を終えたはずの菊川さんが、事務所奥の従業員用机で作業をしていた。

「プライスカードが抜けていたので。もうお迎え行かないといけないので帰りますね」

 既にユニフォームは脱いでいたので、立ち上がって鞄を持った。

「そこまでしてもらって、申し訳ございません。あの、勤務内で出来る範囲で構わないので」

「どうしても気になってしまいまして。別に自分の意思なので気にしないでください。少しでも副店長の力になれたらいいので」

 勤務外でのこういった対応は、絶対にさせてはいけない。私自身伊佐山さんからも言われていて、こういった仕事は依頼しなかった。ここまで動いてくれたのは、新浜さん位だ。去年の私だったら、人件費が浮いたとか仕事が手っ取り早く終わると開き直っていたが、そういった何となくやってもらう仕事が良くないのを知った今は放置できない。

「ありがとうございます。でも、菊川さんも子供が小さいですので、絶対無理はしないでくださいね」

「お気遣い頂き、ありがとうございます」

 笑顔を向けてくれた。

「これからも一緒に長く働きたいので、約束です」

「あの、副店長」

 すっと笑顔が消えて、真顔で私を見つめた。彼女のこんな表情は初めてだ。

「以前のお話ですが、お誘いを頂けるのは非常にありがたいです。でも、副店長は今の仕事にやりがいを持っていますか」

「どういうことですか」

「自分自身が迷っている仕事を私に勧めているのかなって。ただ純粋に思っただけです。失礼な言い方をしてしまい、申し訳ございません。失礼します」

 私の返答を聞かず、一方的に事務所を出ていった。

 なんなの、失礼な。

 言葉が脳内に伝わってきたら、瞬間湯沸かし器のように怒りが一気に噴き出した。いきなりこのタイミングでいう言葉ではない。

 やりがいなんて、久しぶりに聞かれた。面接官じゃあるまいし。早くなった呼吸を整えた。せっかくいい人だと信じていたのに、無神経な人ではないか。

 この仕事を続けていいのか迷っている人間が、仕事にやりがいを持っているわけがない。

 引き出しからチョコレートを出して、口に放り込んだ。焼肉の余韻に浸りながら、残りの業務を済ませる予定が台無しだ。ただでさえ、家に帰った後に謝らないといけないのに。考えるほど、嫌な気持ちになる。

 また社員になるのを断られた。苛立ちよりも脱力感で、やる気が体のどこかに空いた穴から漏れていくようだ。

 もう帰りたい。でも、浩紀には会いたくない。

 どこか、誰もいない世界で一度頭の中を洗い流したい気持ちだった。うまくいっていないのは、この混乱のせいだ。考えて行動しないといけないのに、どうしても短絡的に行動をしてしまい、相談に乗ってくれる相手に話もせずに悩んでいる。

 こんなはずではなかった。自分の行動が信じられない。しかし、判断や考えを間違え続けて沼にはまった原因は私自身なのは確かだ。

 最近収まり気味だった頭痛が始まった。辛いが抜け出せないこの気持ちとは、しばらく付き合っていくしかないようだ。そっと引き出しを開けると、頭痛薬を手に取った。

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