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中西茜⑤

 朝一の電話で、午前中に伺う店舗のアポイントが流れた。そこまで重要ではない案件だったので焦りはなく、むしろ他の作業に回せるのであれば今日は助かる。やりたい仕事があるのと、麻依ちゃんのところへ行ける。

 駅近くのパーキングに車を停めて、先に優先順位の高い仕事を済ませた。彼女の余裕のなさを考えると、今は自分に余裕を持たせて接したい。前に進めるのが目的ではなく、少しずつでも心の負担を軽くするのが目的だ。

 お互いに本音を言おうと約束しても、まだ見えない壁があるのが実情だ。これは、私の接し方に問題があると反省している。もっと余裕を見せないと、彼女は私を頼ってくれない。

 こうやって自分自身を見直すことが出来たのはいい経験になった。今後の仕事への糧になる。何もできないという後ろ向きになっている気持ちを捨てて、これからの成長を考えるように努めた。

 息を吐いて、髪をほどいた。うまくいかないなんて思わない。つい最近までの悪い感情を捨てる。髪をまとめると、一本に結び直す。

 曇っているが、午前中は雨が降らないとの予報が出ている。ここから少し歩くが、傘は置いていくことにした。あまり長くもいられない。

 翼さんと話して、気持ちは軽くなった。ごちゃごちゃと考えているうちに迷い込んでしまっていたが、自分の長所も短所も前向きに考えながら、今を集中しようと決めた。私は恋愛も仕事も不器用だ。だからこそ、綺麗にこなそうとしなくていい。嘘をつくのも見栄を張る必要ない。特に大切な彼にはありのままを見せよう。

 そう決めた午後のデートは結局自分を演じた。本音を言えずに時間が流れてしまった。もちろん、彼との時間は楽しかったが自分を見せるのは躊躇いが生まれてしまう。

 好きな人だから本当の自分を知ってほしい。でも、本当の私は泥だらけでいつもどこかを彷徨って生きている頼りない人間だ。こんな姿をさらけ出して、失望されたくない。

 やめておこう。また後ろ向きになる。

 溜息をついたところで、店舗に着いた。もう一度深く息をすった。しっかりしないといけない。

「おはようございます」

 大きな声で、売場の従業員に挨拶をした。

「あら、この時間に珍しいね」

 今川さんが話しかけてきた。ベテランで、お局的な人間だと聞いている。私も会うと嫌味を言われることがあった。

「時間空いたもので。副店長いますかね」

「いるよ。最近具合悪そうで、大丈夫かしらね」

 吐き捨てるような言い方ではあるが、心配している表情だ。口はよくないが、性格はそこまで悪い人ではない。

「私も心配はしています」

 軽く会釈をすると、深くまでは話さず事務所へ向かった。途中であまり見ない顔の従業員とすれ違った。大きな目をした綺麗な女性で、明るく挨拶を返してきた。

 彼女が麻依ちゃんの話した菊川さんか。

 名札を見て思い出した。売場の動きを見ても、ベテランのように周りに気をかけながら行動をしている。初めて新浜さんを見た時に感じた印象に近いものがある。

 ただ、新浜さんほどこの仕事に関心はない気がする。具体的な根拠は一切なく、この数秒で判断できないことではあるのだが。

 事務所をノックして中に入った。事務所の椅子に深く腰をかけて、麻依ちゃんはパソコンを眺めていた。

「おはよう」

「ああ、おはよう。珍しいね」

 弱々しい挨拶が帰ってきた。黒縁の眼鏡をかけて、明らかに睡眠不足が出ているような曇った表情。何かあったに違いない。

「具合悪そうだね」

「ちょっとミスが続いている。家のことだけどね」

 引き出しからチョコレートを出して、数粒を口に放り込んだ。目が充血しており、寝不足なのだろう。

「大丈夫。何があったの」

「別に大きな問題ではないよ。ちょっと夫婦喧嘩、いや、私のミスで夫が怒っている感じ」

 話したくない雰囲気を醸し出しているので、あまり聞かないでおこう。やはり、私にすべてを打ち明けるのをためらっている。

「無理しないでね。ただでさえ、具合は悪いのだから」

「わかっています。他の店に行くはずじゃなかったの」

「予定変更。最近体調悪そうだったから寄っただけ」

「そうなんだね。意外に暇人なのかな」

 麻依ちゃんの口元が緩む。こういう冗談を言ってくるというのは、喜んではくれたようだ。大きな用事が無くても、話せる状況を作るのは悪くない。

「暇は言い過ぎかな。でも、いつも仕事に埋め尽くされているわけではないよ」

 そう言って、麻依ちゃんの横の席に腰を掛けた。麻依ちゃんは少し間を空けてから真顔になった。

「そうか。あの、相談していいかな」

「どうしたの」

「昨日、北村から話を聞いたの」

 そう言って、昨日の北村さんからの悩み相談の話を始めた。やはり、忙しいのを気にしてすぐには話してこなかった。あれだけ話をしようと、人はすぐには行動を変えられない。私自身の悩みである分、腹は立たない。

 店舗でよくある、恋愛相談のようなものだ。恋愛相談とはいっても、一方的な好意がトラブルのもとになっている。フリーターの須永さんには何度かあっていて、個別に連絡先の交換を持ちかけられたので遠回しに断った記憶がある。その際は麻依ちゃんに相談をして、麻依ちゃんから注意をしてもらっていた。

「北村のモチベーションにも影響するから、慎重にいくとはいえ、早く行動はしようと思って」

「そうだね。でも、片方だけの話を信じるのも危険だよね」

「そうかな。そうはいっても、北村だよ」

 麻依ちゃんは眉間に皺を寄せた。気に入って信頼している従業員だけに、私の言葉をあまりよく受けとらなかったに違いない。

「そうだけどね。こういった問題は情報が多い方がいいよ」

「じゃあ、どうするの」

「私が少し夕方に顔出すよ」

 仕事のスケジュールが変わるが、夕方に最近顔を出していなかったのでいい機会だ。麻依ちゃんは怪訝そうな表情を崩さなかった。

「忙しいでしょう。そこまでしなくても注意でどうにかならないかな」

「大きな問題にはならないと思うけど、気になるのは最近になっていきなりっていうところかな」

「どういうこと」

「北村さんにはリーダーになるためにトレーニングとか色々お願いしていたでしょう。その際のコミュニケーションの仕方に問題があって、変な誤解を与えている可能性もありそうな気がする。北村さんが悪いわけではないけど、早めに気が付かないとこれからも困ると思うから」

「そんなことあるかな」

 麻依ちゃんはそこまで気にしていないようだが、私自身の経験からも双方の課題を明確にしておく必要はあると感じていた。

「ないと思うけど、より確実にするため情報が欲しいの」

 麻依ちゃんは頭を掻いた。腑に落ちていないときの仕草で、分かりやすく不満そうに眼を逸らした。

「ごめんね、業務外の相談をして」

「業務外の話ではないでしょう。そういう言い方はやめて」

 彼女のこの言い方はあまり好きではない。もちろん、サラリーマンとしての仕事はあるが、お店の悩みを解決するのが仕事である以上、これも仕事だと積極的に相談には乗っていた。

「茜ちゃんだって、忙しいでしょう。それなのに・・・」

「だから、それは言わない約束だよね。遠慮も隠し事もなし。わかった」

 真剣に麻依ちゃんを見つめたが、彼女は視線を逸らしたままだった。北村さんを疑うように話したのが気に入らなかったのも影響しているのだろう。

「わかった、相談に乗ってくれてありがとう。それに、夕方をよろしくね」

 長くはとどまれないので、話はここで終わった。車に戻ると、手帳を開いてスケジュールを見直した。相談の内容を考えると、なるべく早く動きたい。人間関係のトラブルは、放置していると悪い方に進む可能性は高い。聞く限りでは北村さんはまだ我慢できる程度だが、須永さんの行為がもっと積極的になれば状況は変わる。

 社用車に戻ると、髪をほどいた。時間があると、こうやって仕事を増やしに行ってしまう。もっとやるべき仕事を消化しないといけないのは重々承知だが、放っておいてはいけないと行動すればする分、自分の首を絞めている気がする。

 車内が熱くなっているせいで、朝に伺った店舗で買ったアイスコーヒーが汗をかいている。氷も既に解けており、午前中でぬるくなるに違いない。喉は乾いているので、残り半分くらいの量を一気に喉に流し込んだ。

 寝不足の目をこすって、パソコンの電源を入れた。メールが増えている。いくつかのメールに返信を打ち、店舗へ配布する書類作成と申請をする書類を出来るところまで仕上げる。本来は余裕を持った対応が出来るのが社会人として優秀なのだが、すべて期限手前で何とか済ませている。

 麻依ちゃんの悩みを軽々と引き受けてよかったのか。

 今更に強くなる後悔を打ち消した。私の仕事の仕方はいつもこうだ。危機感を感じると、直ぐに反応するが計画性なんてない。追い込まれようと、自分の力を伸ばすことで乗り越えてきた。

 いや、乗り越えてはいない。なんとなく回避できただけだ。納得できる仕事が出来ているなんて思わない。

 無意識にこめかみに人差し指を置いて目を閉じていた。考えている暇はない。今の課題をこなさないと。

 スマートフォンが鳴り出した。車内で一人きりのため、遠慮なく舌打ちした。

「はい、中西です」

「ごめん、電話大丈夫か」

 上司の森田さんか。何も考えずに出たのはまずかったが、森田さんなら問題ない。

「はい」

「なんか暗いな。また揉めたか」

「書類作成中です。ご用件を頂ければ幸いです」

「なんだよ、ノリ悪いな」

「森田さんもふざけすぎですよ。もう上司なので、そこは一線を引かせてください」

「いやだなあ、マネージャーなんてなるものじゃないな」

「本当に切りますよ」

 この人は最近この地区のマネージャーになったが、私が直営店で店長として働いていた時の経営相談員だった。直営店にも経営相談員はおり、情報だけではなく、アドバイスももらう存在である。

 森田さんは変わっていたが、アドバイスは的確で私のことは気にかけてくれていた。私は基礎を教えてくれた存在と慕っているが、みんなの前で彼は私を教えた覚えはないと突き放す。

「わかったよ。相変わらず愛想悪いな。メール入れたが、返信がなかったから電話した。来週の会議の後に定期面談入れるけど、予定大丈夫か」

 こうやって面倒なことは面倒と素直に話せる数少ない先輩だ。尊敬する女性相談員の松原さんより年齢も社歴も森田さんの方が高いが、彼女と話すときと同様に、私は素の自分で話ができる。

「申し訳ございません。返信していませんでした。会議後、時間空けておきます」

「相変わらずため込んでいるみたいだな。少しは報告入れろ」

「申し訳ございません」

「信頼はしているが、空回りするのが中西の悪い癖だ。お店の気持ちを考えるのはいいことだが、自分のコンディションも気にかけないとやっていけないからな」

「はい」

「まあ、頑固な中西が聞くとは思えないけどな。来週までには、悩みまとめておけよ」

 そう言って、電話は切れた。前任のマネージャーにもかなりお世話になっていたが、森田さんが上司になってくれたのは正直助かる。こうやって気にかけてくれるので、気持ちが随分楽になった。

 ただ、面談はあまり気乗りしない。

 自分のこの先が定まっていないので、あまり面談は好きではない。店舗の悩みだけではなく、これからの私のキャリアの話は必ず出る。

 溜息をつくと、作業に頭を切り替えた。雑念は排除したい。心の中に響き渡る雑音を遮るように、私はパソコンの画面に集中した。

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