山内麻依①
店舗の事務所は静かで、店舗の業務用パソコンのジーという音と秒針を刻む時計の音がしっかりと私の鼓膜に響いていた。使う必要のないボールペンをくるくる回しながら、私は進まない週報告を記入しているノートパソコンを見つめていた。
一昨年に開店した駅前の競合店舗で失った売り上げは、この数か月の改善行為で少しずつ回復に向かっていた。まだ前年には届かないが、決めていた予算は達成しており、店長の伊佐山さんも評価してくれている。
店舗を担当している本社の経営相談員の中西茜も、私の計画を一緒に作成してくれる。まさに、今は万全の態勢でこのお店の体制作りを進めているのだ。
コンビニエンスストアはお客様から見れば狭い店舗で、時間ごとに少人数が働く店舗というイメージが強い。しかし、少人数とはいえ、二十四時間を定休日もなく経営するには人数もそれなりに必要になる。そのうえ、ただ経営しているだけでは簡単に競合店舗にお客様を持っていかれる時代。売場の作りや品揃え、そして接客の工夫は各店舗を悩ませる課題になっている。
このお店の副店長になった当初は、アルバイトの育成はほぼ諦めてしまっていた。アルバイトの質は確実に低下しているという周りの意見を疑うことなく、出来ないのを人のせいにしてさぼっていた時期もあった。それを、新浜さんが変えてくれたのだ。
少しずつおぼろげになっていく彼女の顔が頭に浮かんで、我に返った。
もう、彼女を思い出すのはやめたはずなのに。
一緒に頑張ったからこそ、彼女は次のステージに進むことが出来たのだ。まさに、ハッピーエンドのはず。そして、その経験は私と中西茜の仕事への姿勢も変えてくれて今があるのだ。この話に後悔はなく、むしろ大切な経験として私の宝物になっている。
ただし、最近はこの経験を思い出すとモヤモヤした闇のようなものが頭の中に浮かんできてしまう。まるで、思い出したくない過去が蘇ってくるように。
それが嫌で、なるべく思い出さないようにしているが、こうやって考えが詰まると勝手に出てきてしまう。
「副店長、寝ているの」
後ろにいた、パートの今川さんの存在に気が付かず、肩を叩かれた。
「ああ、すみません。考え事をしていました」
「なんだ。全然反応ないから、さぼっていると思った」
「まあ、似たようなものです。白紙のままですから」
口が悪く、周りのパートにもあたりの強いベテランで、私も副店長になったばかりの頃は苦手にしていた。ただ、この人はまっすぐに意見を言うだけなので、それを理解すれば気にならなくなった。むしろ、本音で話してくれるので、悩んでいるときには相談できる頼りになる存在だ。
「そんなに悩むものなの。セールも目標達成したでしょう」
「まあ、そうですが・・・」
「まさか、新浜ロスかしら」
「違いますよ」
笑って否定した。この辺りは、店舗の従業員からよく言われる。一緒に走ってきた仲間の退職で、私の心がぽっかりと空いているのではないかと心配されているのだ。
馬鹿らしい。
頭の中の悪い私が、静かに否定する。わかっていた彼女の離脱に悩まされるような幼さは持ち合わせていない。
「ならいいけどね。しっかり働いてくれないと、この店も安泰じゃないでしょうが」
探しに来ていた備品が見つかったみたいで、言い残して今川さんは出ていった。
言いたい放題だな。
従業員はアルバイトやパートだからと、店舗の運営は他人事。当たり前なのだが、困ったときは必ず社員にすべての解決を求める。給料が高いから、雇用形態が違って守られているから。そんな話をよく聞く。
しかし、口にはできないが、今の雇用形態が必ずしもみんなよりも優遇されているとは思えない。給料は月給だが拘束時間も長く、緊急時は休みであっても連絡が来て対処をする。事務仕事をしていても、突然のアルバイトの欠員での売場作業になることも多々ある。
そう考えると、何が楽しくてこの仕事をしているのか。大切だった仲間は店を離れて他の世界に挑戦をしている。この店舗で働きながら、進路を決める学生だって次のステージへ羽ばたいていく。この役職になってから、そういった人間を何人も見てきた。
じゃあ、私は一体どこにいくのだろうか。
同じようにこの店舗でアルバイトを始めた。最初は人見知りもひどくて、挨拶も緊張していた。向いていないと思いながらも辞める勇気もなかったが、続けていくうちに仕事にやりがいを感じて接客を磨き続けた。沢山の常連のお客様とも知り合えて、伊佐山店長や先輩の加藤さんからも可愛がられて学生時代を過ごした。
小さな頃から憧れていたのは警察官。小学三年生の交通安全教室に来ていた女性警察官の凛々しい姿に心を奪われた。
元々、弟と妹の三人兄弟の一番上だったので、大学への進学希望は出さなかった。出来れば夢をかなえるために警察官の採用試験を受けるか最後まで悩んだが、犯罪者相手に強い意志を持って戦っていけるのかを考えた末に断念。人を救いたいという気持ちで看護の専門学校への進学を決めた。
学んだ知識が将来、人を救う仕事になるのだという気持ち、新しい友達の存在。毎日が楽しくて、充実していた。アルバイトもそのまま続けて、学生アルバイトのリーダーを任されていた。
そして、当時常連だったお客様とお付き合いを始めた。
ああああああ。
嫌な気持ちが蘇り、頭を掻きむしった。楽しかったかけがえのない時間の中で、いくつもの選択間違えがこの状況を生み出している。無論、この仕事にやりがいも感じている。しかし、自分の居場所なのかという自問に対して、自答できない自分がいる。
周りからはまっすぐで、ひたむきに頑張っているという印象を持たれる。そんなのは表向きの私の姿でしかない。
本当はもっと輝きたいし、認められるような仕事がしたい。尊敬のまなざしや感謝を口にされる仕事をしたかった。
この謎な程に高い承認欲求も、私の性格の中で大嫌いな部分だった。大した努力もしていないのに、一体どの口が望んでいるのか。
溜息をついて、マシンで入れたコーヒーを飲んだ。出勤した際に淹れたので、生ぬるくなっている。カフェインが体にしみて、少し冷静さが戻ってきた。
こんな気持ちになっている場合ではない。店舗の報告をまとめていたのに、無駄な昔の記憶をたどってしまっていた。
こんな気持ち、誰にも話せない。だから、考えるのはやめるべき。全く納得できない言葉で自分をなだめながら、再びパソコンのデータを眺めることにした。