06 決戦の夜
その日の夜、わたしとリュミエラ様は地下室にいた。
ここでの最後の晩餐を終えたあと、わたしはひと振りの剣を差し出す。
「ハッピーバースデー、リュミエラ様! 少し早いですけど、16歳のお誕生日おめでとうございます! これは、わたしからのプレゼントです!」
「わぁ、本物の剣だ! ずっと欲しかったんです! ありがとうございます、メイリア様!」
「練習用の安物で、使い捨てですけどね。わたしのお給料だと、これが精一杯で……」
「使い捨てなんかにはしません! 一生大切にします! 肌身離さず持ち歩きます!」
今日は抱いて寝るぞとばかりに、ギュッと剣を抱きしめるリュミエラ様。
しかしその安らぎがやってくるのは、まだまだ先のことだろう。
だって今日の夜は、いちばん長いのだから……!
遠雷のように鳴り渡る警報が耳を掠め、幸せな時間は終わりを告げる。
わたしたちは、顔を見合わせ頷きあった。
「いま北門のほうで、デーフェクトゥスさんが騒ぎを起こしてくれています。警備がそちらに集中しているいまのうちに、わたしたちは夜の散歩のフリをして南門に向かいます。南門ではトルマリア様の配下の方が、検問の兵士を倒してくださっているはずです」
「はいっ」と真剣なまなざしで頷くリュミエラ様。
「迎えに来ている馬車に乗って、トルマリア様のお屋敷へと逃げる手筈になっています。でも途中でなにか問題が起こるかもしれません。途中でわたしが捕まったりしても、振り返らずに逃げてくださいね」
いつものように「はいっ」って返事をしてくれるかと思ったんだけど、
「嫌です」
「えっ?」
「メイリア様を置いてはいけません。戻ってお助けします」
「いや、そしたらふたりとも捕まってしまいます。この作戦は、リュミエラ様に逃げていただくためのものですから……」
「メイリア様といっしょでなければ、僕は逃げません」
「そんな……」
リュミエラ様はわたしの言うことは、なんでも素直に聞いてくれていた。
これまで一度だって拒否されたことはなかったので、わたしは面食らってしまう。
言葉を重ねればわかっていただけると思ったんだけど、リュミエラ様はこれだけは譲れないとばかりに、決して首を縦には振ってくれなかった。
「メイリア様と離ればなれになるくらいなら、僕は捕まることを望みます」
あまりにまっすぐな瞳でそう言われ、わたしが折れるしかなかった。
もう作戦は始まっちゃってるから、こんなところでモタモタしているわけにはいかない。
「わかりました、では、ふたりで逃げましょう」
それからふたりで地下室を出て、夜の森を進んだ。
目立つから、明かりとかは持たずに。
逃走ルートは身体に覚え込ませてある。
夜、我が家のベッドで起きて明かりなしでトイレに行くような感覚になるまで、何度も行き来した。
森の闇は深くて鼻先を黒猫が横切ってもわからないくらいだけど、昼間と同じペースで進んでいく。
やがて、南門の明かりが見える。今夜は風がないのであたりは不気味なくらい静かだった。
門はすでに開け放たれていて、かがり火の前にひとつの人影があるのみ。
どうやらトルマリア様の配下の人たちが、検問の制圧に成功したようだ。
ひとりしか残っていないのは残念だけど、これで逃げられる。
わたしとリュミエラ様は、手を取り合って走り出した。
「メイリアです! リュミエラ様をお連れしました!」
「ご苦労様っ!」
しかしそこにいたのは、まさかの人物。
オレンジ色に照らされた、その顔は……!
「ほ……ホワイトアリスっ!?」
彼女はメイド服姿だったけど、首にコルセットみたいなのを巻いており、血まみれの剣を肩に担いでいる。
その足元にはトルマリア様の配下の人たち転がり、あたりは血の海と化していた。
「ずいぶん長いこと寝たきりだったから、身体がなまってたの! ちょうどいい運動になったわ! ありがとう、メイリアちゃん!」
「な……なぜ、あなたがここに……!?」
「ズッ友だからね! メイリアちゃんのやることは、全てお見通しだよ!」
トルマリア様は、たしか配下を20人ほど遣わせると言っていた。
「まさか20人を、たったひとりで……!?」
「実をいうとアリスちゃんって、剣士の家の出身なんだ。お金は無かったけど、戦闘力はあるの。そのへんの男の人なら、殺すのに1秒もいらないかな」
剣を薙ぎ払うホワイトアリス。刀身に付着していた血が飛沫となって、わたしの肩から腰に掛けて袈裟斬りのような跡を残す。
もうそれだけで、凄腕だとわかった。
しかし彼女の腕前を思い知ったのは、その直後。
血の跡がついた部位に沿ってわたしの身体が裂け、鮮血が噴き出した。
「け……剣圧っ……!? がはぁっ!?」
わたしは血を吐き膝を付く。「メイリア様!」と寄り添おうとするリュミエラ様を、なんとか手で制す。
ホワイトアリスはわたしたちを見下ろしながら、ゆっくりと近づいてきた。
「あとひと太刀入れるけど、気を失ったりしないでね? アリスちゃんのズッ友なら、ガマンできるよね?」
「あ……あんたなんかズッ友じゃない!」
「ああ、やっぱり勘違いしてた。さすが【バカリア】ちゃん。ズッ友っていうのは、【ズルした時に、罪を被ってくれる友達】の略だよ。バカリアちゃんは、最高のズッ友だった……!」
わたしはリュミエラ様をかばいながら、頭をフル回転させた。
なんとかして、この窮地を脱する方法を探すために。
しかし、思いつかない……!
「両手両足の腱を切ってあげるね。動けなくなっちゃけど大丈夫だよ。リュミエラ様が死ぬところは、ちゃんと見せてあげるから」
させるか! その前に、お前をやってやるよ!
わたしは心の中で強がるだけで精一杯だった。
天使のように微笑みながら、悪魔が剣を振り上げている。
刀身に月光がすべり、切っ先でギラリと輝いた。
「あっ、震えてる。寒いの? じゃあリュミエラ様を殺したあとで、あなたにピッタリのお洋服を着せてあげるわ。そうすれば、寒くないよね」
その笑みがさらに深くなり、ハロウィンのカボチャのにようにニタァと歪んだ。
「アリスちゃん特製……! すべての罪っていう、濡れ衣を、ね……!」
がんばったのに……! いっしょうけんめい、がんばったのに……!
わたしは結局、リュミエラ様殺しの罪を着せられちゃうの……!?
いや、そんなことはどうでもいい。
リュミエラ様を助けられないことが、ただ心残りだ。
こ……こうなったら、化けて出てやるっ……!
絶望のあまり、わたしはゲームの正規ルートに乗っかりかけているのに気づかなかった。
しかし目の前でふたつの刃が十字に重なり合い、散った火花に頬を叩かれた思いだった。
リュミエラ様が抜刀していた。プレゼントした剣を。
わたしには目にも止まらぬ速さだったホワイトアリスの太刀を、受け止めていたんだ。
まさか防がれるとは思わなかったのか、ホワイトアリスは目を点にしている。
リュミエラ様は鉄仮面の向こうから、いままで聞いたことがないほどの危機迫る声を絞り出していた。
「このお方は、僕がもっとも尊ぶお方……! 貴様のような下郎が、おいそれと近づいていい相手ではないぞっ……!」
ドスの効いたその声に、ホワイトアリスは一瞬たじろぐ。
「ふ……ふん! なに言ってるの? ぐうぜんアリスちゃんの剣撃が受け止められたからって、イキがっちゃって! あなたみたいなガリガリの子供が、アリスちゃんに勝てるわけが……!」
「僕の言うことが聞こえなかったのか! 離れろっ!」
そこから先は、もうわたしにはついていけない世界だった。
とりあえず、リュミエラ様とホワイトアリスが激しく剣を交えているのだけはわかった。
ただの光の筋にしか見えない剣閃がいくつも煌めき、花火めいた衝撃波が次々とおこる。
レベルの高すぎる戦いに、わたしはもうポカーンとするばかり。
こんな時なのに「夢みたいにきれい……」なんて言っちゃった。
ホワイトアリスは悪夢を見ているかのような表情で、じりじりとあとずさっている。
リュミエラ様の攻撃を受け流すので精一杯なようで、とうとうよろめいて尻もちをついてしまった。
「な……なんで!? なんでこんなに一撃が重いの!? ガイコツみたいな身体してるクセに、どこにそんな力が……!?」
ああ、それは【プレミアムニセ貫頭衣】の効果でそう見えてるだけ。
その中に秘められた、本当の姿は……。
って、どんなのなんだろう? そういえば、長いこと見てない気がする。
リュミエラ様が新しい貫頭衣を気に入られて、ずっと着ていたのと、お身体を拭かれるのを恥ずかしがってご自分で清拭されるようになってからは、拝見していなかった。
「ならば、見よ……! 神より授かりし、この身体をっ……!」
リュミエラ様は、バッ! と鉄仮面と貫頭衣を脱ぎ捨てる。
妖精の衣が脱ぎ捨てられたような光の残滓が、彼の身体を包んだ。
星屑をまとっているようなそのお姿に、世界が息を飲む。
わたしは前世で初めてリュミエラ様のお姿を目にした時と、寸分違わぬ感想を漏らしていた。
「て……天使が舞い降りた……!」
金色のロングヘアはオーロラのようになびき、星をちりばめた青い瞳は天の川のよう。
白い肌に贅肉ひとつない筋肉質の身体は、古代ギリシャ彫刻さながら。
顔立ちにいたっては、この美しさを表現できる言葉はどの辞書にも載っていないだろう。
語彙が消失するほどの、クール系の超絶イケメン。
どのくらいイケメンかっていうと、戦いの最中だというのにホワイトアリスの目がハートになるほど。
わたしも見とれていたせいで気づかなかったんだけど、まわりには多くの兵士たちが集まってきていた。
……しまった!
ホワイトアリスは腕でヨダレをぬぐって立ち上がる。
「いざという時のために、兵士を控えさせておいてよかった! みんな、作戦変更だよ! リュミエラ様を生け捕りにして!」
リーダー格の兵士が「ええっ!?」と驚きの声をあげた。
「でもホワイトアリス様! クインアント様からは、殺せと仰せつかっていたのでは……!?」
「あんなアリみたいな顔したババアの言うことなんて気にしなくていいの! リュミエラ様は、トルマリア様のところにお連れします!」
それにはわたしが「ええっ!?」となった。
「そうしてくるなら、願ったり叶ったりだけど……どうして急に!?」
「いいこと思いついちゃったの! リュミエラ様と結婚すれば、アリスちゃんはこの国の王妃になれるって! 侍女や貴族令嬢なんかより、ずっとずっといいでしょう!?」
たしか、エスアモの設定資料集に書いてあった。
リュミエラ様の生存ルートでは、リュミエラ様が攻略対象のひとりになると。
ということは、ホワイトアリスと結ばれるのは……正しい……こと……?
いやでもこの状況で、リュミエラ様がホワイトアリスを好きになる可能性はゼロだ。
しかし我らがヒロインは、そんなことはおかまいなし。
我が物顔で、とんでもないことを言ってのけたんだ。
「メイリアちゃんを人質にすれば、リュミエラ様を思いのままに操れるから、女王も夢じゃないわ! ああっ、メイリアちゃんってば最高! アリスちゃんにこんな素敵なプレゼントをしてくれるなんて、ズッ友で良かったぁ!」




