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推しの母  作者: 佐藤謙羊
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02 推しとの再会

 龍宮は宮殿なんだけど、領地くらいの広さがあって、敷地内には森や湖、山や洞窟なんかもあったりする。

 洞窟の奥深くには、このファイウォード王国の国旗にも描かれている水龍ウインディがいるという伝説もある。


 特に森には、ユニコーンがいるというウワサがあるくらいの素敵なファンタジー空間。

 リュミエラ様の療養所は、その森の一角にあった。


 より空気の良い所で、という配慮みたいなんだけど、周囲にはほとんど人気がない。

 別荘みたいなお屋敷が一軒ポツンとあるだけで、しかも中には誰もいなかった。


「リュミエラ様は、地下にある寝室におられるんだよね」


 なぜ地下かというと、リュミエラ様はお肌が弱く、太陽の光を浴びることができないらしい。

 がらんとしたお屋敷の地下への扉を開くと、薄暗くてどんよりした雰囲気の階段が現われる。


 壁は石造りで飾りのようなものはなく、いまにも消え入りそうなランタンがあるだけ。

 この先にいるのは囚人なんじゃないかと思えるほどに、必要最低限の空間だった。


 コツコツと足音を響かせて降りていくと、抱いていた不安は確固たるものに変わる。

 なんと、鉄格子のついたごつい鉄扉があったんだ。


「ほ……本当にこの先に、リュミエラ様がいるの……?」


 さっきまでの浮ついた気持ちがしぼみかけている。

 でもここまで来たら引き返すわけにはいかないと、扉に手を掛けた。


「お……重っ。なんて重い扉……あれ?」


 力を込めて扉を押し開こうとした寸前、わずかに開いた扉の隙間に、張りつめた糸のようなものが見えた。


「なにこれ? ……えっ? これって、もしかして……ワイヤートラップ?」


 わたしは前世の派遣会社で、いろんな所に派遣された。

 マタギの助手もしたことがあるんだけど、家に入ってくるサルを捕まえるためのワイヤートラップを仕掛けたことがあって、それにソックリだった。


「王子様の寝室だから、用心のために罠を仕掛けてるのかも。ホワイトアリスちゃんが教え忘れたんだろうな」


 この程度の罠だったら解除するのは造作もない。

 扉の隙間に手を突っ込んで、ワイヤーを外した。


「これでよし、っと」


 改めて扉に寄りかかり、体重をかけて押し開く。

 すると、あふれ出した異臭に鼻を突かれた。


「ううっ……!?」


 わたしは顔をしかめつつ、ギギギと軋む音をたてつつ、部屋へと入り込む。

 その先に広がっていた光景に、思わず言葉を失ってしまった。


 黒煙のような小バエの群れがよりいっそう闇を深くしている、窓ひとつない正方形の空間。

 先刻までは王子の寝室どころか監獄みたいな所だなと思っていたけど、そんな生やさしいものじゃなかった。


 これはもはや、地獄の底……!


 目が慣れてくると、片隅の壁に何者かがもたれかかっているのがわかった。

 たぶん人間、しかも子供だ。頭と肩を覆うほどに大きい鉄仮面を付けていて、使い古された雑巾みたいな貫頭衣を着ている。


 穴だらけの衣服から覗く手足は骨みたいにガリガリで、真っ黒に汚れた身体はアバラが浮いており、傷と火傷後でボロボロだった。


 もしかして、死体……?


 と思った瞬間、蠢きだす。

 まるで死にかけの虫みたいに、身体をちぢこませていた。


「も……もう……ゆるし……て……!」


 サビついた鉄仮面から、涙も涸れ果ててしまったような掠れ声が漏れる。

 声からすると、男の子のようで……。


「男の子……!? ま……まさかっ……!?」


 わたしはトレイを置いて男の子に駆け寄る。

 鉄仮面の向こうにある青い瞳と目が合って、わたしは確信した。


「あ……あなたは……リュミエラ様っ!?」


 すると男の子は、雷を怖がるみたいに震えだした。


「お……おねがい……です……もう……いじめ……ない……で……!」


「いじめる? いじめたりなんかしません、わたしはお夕食をお持ちしただけです」


「いやぁ……! 熱いのは……いや……です……! ゆる……して……くだ……さいっ……!」


 上半身を力なくよじらせ、いやいやをするその姿に、わたしの背中にゾクリとしたものが走った。

 そして彼の身体の理由(わけ)を想像する。


 ……リュミエラ様は、虐待を受けている……!?


 おびえきっているのがなによりもの証拠だった。

 彼は、わたしが熱々のおかゆを掛けに来たと思っているんだ。


 これは、いったいどういうことなの……!? ホワイトアリスちゃんが、献身的に看病してたんじゃ……!?


 背後にあった鉄扉がガッシャンと大きな音をたてて閉まったので、わたしとリュミエラ様は同時にビクっとなる。

 小バエがうっとおしくて外に逃がしたかったので、わたしはいったん扉に引き返した。


「あ……あれ? 開かない! ロックが掛かってる!? 閉じ込められちゃった!」


 しかしわたしの内心は不思議と落ち着いていた。

 なぜならば、点として散らばっていたいくつもの不安がつながり、線になりつつあったから。


 ホワイトアリスちゃんは、リュミエラ様を看病という名目で監禁虐待していた。

 そして……。


 鉄扉から振り返ってリュミエラ様の頭上を見ると、いまにも崩れそうな木棚に気づく。

 その頼りない支柱にはワイヤーが繋がっていて、木棚の上には瓶が置いてあった。


 間違って罠が発動しないように、忍び足で棚に近づいて瓶を取る。

 中の液体を少し垂らしてみると、空中にいた小バエがジュッと音をたてて散った。


「これは……硫酸……!」


 もうもうとあがる刺激臭を含んだ煙。

 その向こうに、わたしは邪悪な女の顔を見ていた。


 ホワイトアリスちゃん……いやホワイトアリスは……!

 リュミエラ様殺しの罪を、メイリアに着せていたんだ……!


 エスアモの設定資料集に隠された、大いなる闇を目の当たりにしたわたし。

 腹の底がカッと熱くなる。それだけじゃおさまらず、グツグツと煮えたぎるのを感じていた。


 推しをこんな目に遭わせるなんて、ぜったいに許せない……!

 しかも、やり方があまりにもえげつなさすぎる……! ジグソウかよ……!


 こんな感情、生まれて初めてかもしれない。

 わたしだけのことだったら、なにをされてもこんな気持ちにはならなかっただろう。


 いますぐにでも飛び出していって、ホワイトアリスを絞め殺したい衝動に駆られる。

 そんなわたしを正気に戻してくれたのは、ふたつの青い光だった。


 暗闇でもサファイアのように光る瞳が、こちらをじっと見つめている。

 小刻みに揺れる瞳孔は、これ以上ない恐怖を表していた。


「ご、ごめんなさい、リュミエラ様! お食事にしましょう! まずは、その仮面を取りますね!」


 しかしリュミエラ様はわたしのことをまだ疑っているのか、ずっと震えていた。

 なるべく刺激しないように、やさしく声を掛ける。


「もちろん、無理やりにはしません。嫌なら、はね除けてくださって結構ですからね?」


 わたしは捨てられた子猫に接するように、そーっと近づく。

 仮面に手を添えてゆっくりと外すと、ガイコツのようにげっそりとやつれた顔が現われた。


 その額には、ファイウォードの正統なる王子だけに現われるという水龍のアザが。

 やっぱり間違いない、このお方はリュミエラ第一王子だ。


 髪の色は黄金。本来ならば秋の麦畑のように豊かだったであろうそれは見るも無惨。

 山賊に襲われた後のように乱暴に刈られていて、ところどころハゲている。


 素顔のリュミエラ様は怯えているのか寒いのか、チワワのように震えが止まらなくなっていた。

 瞳が小さなプラネタリウムみたいにつぶらだから、余計に庇護欲をかきたてられる。


 ああっ……なんという、おいたわしい姿……!


 わたしは推しに会ったら、きっと泣いてしまうだろうと思っていた。

 でも流したかったのは、こんな涙じゃない。


 それ以前に、わたしには泣く権利なんかない。

 涙も涸れるほどに悲しい目に遭わされ続けた推しが、目の前にいるんだから。


 ぜったいに、殺させるもんか……!

 なんとしても、守り抜いてやるっ……!


 メラメラと燃え上がる決意を秘め、わたしはおかゆからロウソクを外す。

 木のスプーンですくってリュミエラ様のお顔に近づけた。


「はい、どうぞ」


 しかしリュミエラ様は熱さから逃れるように壁に張り付いていたので、目の前でフーフーしてみせる。


「わたしはあなた様をいじめたりしません。どうぞ、お召し上がりください。はい、あーん」


 おそるおそる開かれたその口にスプーンを差し入れようとしたんだけど、その直前、わたしの頭の中にいる虫がささやいた。

 反射的にスプーンを投げ捨てる。床におかゆがぶちまけられると、どこからともなくネズミが現われておかゆを食べはじめた。


 ネズミはコロリと倒れ、泡を吹いて動かなくなる。


「……!!」


 に……二段階の罠なんて……! あ……あんにゃろぉぉぉぉ~~~~~っ!!


 わたしは憤然と立ち上がると、ツカツカと鉄扉まで歩いていく。

 鍵屋さんに派遣されたこともあるわたしの前では、こんな原始的な自動ロックなどないも同然だった。


 さっさと解錠し、三段飛ばしで石段を駆け上がる。

 その勢いのまま猛然と森を横切り、龍宮のお屋敷にある厨房の勝手口を蹴り開けた。


 牛丼屋並のスピードで新しいおかゆをこしらえる。おいしさと栄養をアップさせるために、卵も入れた。

 あとは……!


「うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 毛布を小脇に抱えたわたしは、森を焼き尽くす烈火のごとき勢いで木々を蹴散らし、地下室へと舞い戻る。

 リュミエラ様は、変わらぬ姿勢でそこにいた。


 もはや、逃げるだけのお力も残っていないのだろう。


「お待たせしました! いっぱい食べて、元気を取り戻しましょう!」


 お身体を毛布でくるんでから、安全なおかゆを今度こそフーフーして食べさせてさしあげる。

 リュミエラ様はこくこく喉を鳴らし、一生懸命飲み込んでいた。


「お……おいしい……です……! こんなに……おいしいもの……はじめて……たべ……ました……!」


「おかゆに感激するなんて……。いつもは、なにを召し上がっていたのですか?」


「煮込んだ……残飯……です……。それを……身体に掛け……られて……。床に……こぼれたのを……這って……手を使わずに……食べ……させられて……いました……」


 わたしは叫び出しそうになるのをぐっとこらえる。ただひたすらに、おかゆをリュミエラ様のお口に運んだ。

 すっかり食べきったあとで、わたしは隠していたあるものを取り出す。


「ハッピーバースデー! リュミエラ様!」


 それはロウソクを立てたプリン。本当はケーキが良かったんだけど、飢餓状態でケーキなんて食べたらお腹を壊すかもしれない。

 でもプリンなら消化にいいから、いまの状態で召し上がっても大丈夫なはず。


 喜んでくれるかと思ったんだけど、リュミエラ様はドン引きしている。

 普段は暴力を振るうネグレクト両親が、急にファミレスに連れて行ってくれた子供のような反応だった。


 これから死ぬの……? みたいなお顔をしている。


「なんで……僕に……そんなに……良く……して……くれるんですか……? 僕は……生まれては……いけない子……なのに……」


 わたしは脊髄反射の速さで答えた。


「リュミエラ様は、生まれてはいけない子なんかじゃありません! むしろ最高のファンサです!」


 それはまぎれもない事実だ。前世のわたしは度重なる休日出勤と残業で、身も心もズタボロになっていた。

 でもそんなわたしががんばれたのは、スマホの待ち受けで微笑むあなたがいたからだ。


 リュミエラ様は「ファンサ……?」と困惑していたけど、ハッピーバースデーを歌ってあげたら気持ちが通じたみたいで、その瞳から真珠のような涙があふれた。


「あ……ありが……とう……ございます……! 誕生を……喜んで……祝って……もらったのは……うまれて……初めて……です……!」


 あれほどいた小バエもすっかりいなくなり、地下牢はささやかながらも暖かい雰囲気に包まれる。

 でもそれは、ほんのひと時で終わりを告げた。


 ハッと息を飲む声がしたので振り返ると、そこには……。

 羽根のないハエがいた。


「な……なんでまだ、生きてるの……?」


 その一言に、わたしの心に夜叉が舞い降りた。

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