01 希代の悪女、その卵
「生まれてきてくれて、ありがとう……! 最高のファンサです!」
それが、生まれ変わったわたしの第一声。
階段を転げ落ちて頭を強く打ったショックで、わたしは前世の記憶を取り戻す。
前世のわたしは派遣会社に勤めるOL。非モテだったので、乙女ゲーのとあるキャラの推し活だけが生きがいだった。
もちろん真っ先に頭に浮かんだのも、推しの顔。
おかげでわたしの脳内はふたつの意味でクラクラしてたけど、廊下の壁に手をついてなんとか立ち上がる。
ふと、窓ガラスに映った人物と目が合った。
「め……メイリアっ!?」
【メイリア・ハタラキアリ】。
推しの出演作である【龍宮恋想エスピリトゥ・アモレ】、略して【エスアモ】の登場人物のひとり。
エスアモは中世ファンタジーのような世界観の乙女ゲーで、プレイヤーはファイウォード王国の貴族令嬢【ホワイトアリス】となる。
【龍宮】という名の宮殿を舞台に、歴史的な革命に巻き込まれながら大恋愛をするというもの。
しかし、いまのわたしはヒロインではない。というかモブキャラですらない。
メイリアは龍宮で働いていたメイドのひとり。
同じく龍宮で療養していたリュミエラ第一王子を、14歳の誕生日に硫酸を浴びせて殺害し、その現場を押さえられて投獄されるんだ。
唯一の王位継承者を失ったファイウォード王国に、権力争いの嵐が吹き荒れる。
その災いをもたらしたメイリアは【龍宮の悪霊】と呼ばれ、後に処刑。
ゲーム中では、名実ともに悪霊となった彼女が敵キャラとして登場するんだ。
ようは、ただのモンスターっ……!
「だ……大丈夫!? メイリアちゃん!」
鈴を転がしたような声がしたので振り返ると、そこには……。
翼のない天使がいた。
彼女はわたしとおなじメイド服。
しかしその輝きは段違いで、わたしは思わずのけぞってしまう。
「ほっ、ホワイトアリス!?」
彼女こそがエスアモの主人公、【ホワイトアリス・ヒールロイン】。
なんで貴族令嬢の彼女がメイド服を!?
と思ったんだけど、ゲーム中では悪霊であるはずのメイリアがまだ生きているということは、いまはゲーム開始前の時間軸ということだ。
エスアモの設定資料集で読んだことがある。
ホワイトアリスは貧しい剣士の家の出で、龍宮でメイドとして働いていた。
病床のリュミエラ第一王子の世話係として、献身的に看病していたんだけど、メイリアに殺されてしまった。
葬儀の場で泣き崩れる彼女は周囲の涙を誘い、その慈愛に満ちた言動から【聖母】と呼ばれるようになる。
龍宮のナンバー2である【クインアント王室夫人】によって、爵位を授けられるんだ。
これはホワイトアリスが貴族令嬢になったエピソードなんだけど、ゲーム本編はそこからスタートする。
いまの時点ではまだ彼女はヒロインではないんだけど、聖母としての片鱗はすでにあった。
彼女は白いハンカチで、わたしの頭の血を拭ってくれている。
「大丈夫!? メイリアちゃん!? お医者様のところに……!」
わたしはまだ頭が混乱していたんだけど、彼女を心配させまいとなんとか声を絞り出した。
「だ……大丈夫、ホワイトアリスちゃん。心配してくれてありがとう」
「ズッ友なんだから当たり前じゃない! メイリアちゃんはちょっとおっちょこちょいなところがあるけど、そういうところも含めて、アリスちゃんは大好きだよ!」
屈託のない笑顔、マジ天使。それに比べてメイリアときたら……。
これも設定資料集で読んだことだけど、メイリアはドジっ子メイドというやつで、しょっちゅう転んでいたらしい。
ホワイトアリスちゃんは好意を寄せてくれているけど、わたし自身はメイリアが死ぬほど嫌いだ。
どのくらい嫌いかというと、彼女を見るくらいなら同じ時間、ヘドロの川を眺めているほうがマシだってくらい。
だって彼女は、わたしの推しであるリュミエラ様を殺した張本人だよ!?
メイリアの手で殺されてしまうので、リュミエラ様はゲーム本編には登場しない。
ゲーム開発当初は攻略キャラのひとりとなるはずだったらしいけど、ボツになってしまい、設定資料集にはリュミエラ様が18歳に成長した姿と、彼のストーリーがあった。
前世でそのお姿を初めて目にしたわたしは、一瞬にして恋に落ちたんだ。
彼のためなら、死ねるっ……!
とまで思ったほど。
そこからだ、わたしの推し活が始まったのは。
リュミエラ様はコアな人気があって、ファンの間では葬儀が行なわれたりした。
命日であるその日は、前世のわたしの部屋の壁はリュミエラ様の遺影で埋めつくされたものだ。
グッズとかもたくさん発売されたんだけど、わたしはローンに苦しみつつ、その全てを買いあさった。
だってそうすれば、エスアモ本編にリュミエラ様の生存ルートが追加されると思ったから。
しかしわたしはその志半ばで過労死してしまった。
リュミエラ様を救えなかったことだけが、名残だったんだよね……。
そしていまに至るんだけど、わたしはふと、はたとなった。
……あれ? よく考えたらこの状況って、もしかして……。
「りゅ……リュミエラ様に、会える!?」
いきなり大声を出したので、ホワイトアリスちゃんはビックリしていた。
わたしは興奮のあまり、彼女の反応などおかまいなしに肩を掴んで訴える。
「ね、ねぇ! ホワイトアリスちゃんって、いまもリュミエラ様を看病されてるんだよね!? お願い、ひと目会わせてほしいの!」
ホワイトアリスちゃんはわたしの異常な熱意にちょっと戸惑い気味だったけど、すぐに聖母の微笑みを取り戻した。
「うん、いいよ。実をいうと、今日はちょっと忙しかったの。アリスちゃんのかわりに、リュミエラ様にお夕食を届けてもらえないかなって、メイリアちゃんにお願いするところだったんだ」
「お夕食!? やるやる! ぜひぜひ届けさせて!」
彼女はその途中だったのだろう、階段の踊り場に停めてあった小さなワゴンから、食事が乗ったトレーを渡してくれた。
それは木のボウルに入ったおかゆで、1本のロウソクがポツンと立っている。
これが、夕食……? 王子様が食べるにしては、あまりにも質素なんじゃ……?
それに、なんでロウソクが……?
「リュミエラ様はお身体の調子が良くなくて、おかゆしか召し上がれないの。でも今日は14歳のお誕生日だから、せめてロウソクだけでもと思って」
なんだ、そういうことか、それなら……。
って……14歳の誕生日っ!?
思わずまた叫びだしそうになっちゃったけど、必死で堪えた。
「じゃあアリスちゃんはお仕事があるから行くね、また転ばないように気をつけてね」
バイバイと手を振りながら、軽やかに階段を上がっていくホワイトアリス。
わたしはすでに心ここにあらずだった。
今日がリュミエラ様のお誕生日ということは、今日がリュミエラ様の命日……!
「しかも、わたしが殺すの……!?」
いやいや、そんなのありえない。
推しを殺すなんて、しかも物理的に殺すなんて、次元を超えたヤンデレだよ。
でもよく考えたらいまのわたしはメイリアだけど、中身は前世と同じなんだよね。
わたしには殺意なんてぜんぜんない。それにようは殺さなきゃいいだけのことだから……。
「リュミエラ様生存ルート、キタコレっ!」
まさか前世の未練が、こんな形で叶うなんて。
わたしはスキップで廊下を歩きだした。
「ああっ、お会いするの楽しみだなぁ! あ~んして食べさせてあげちゃったりなんかしちゃったりして! なーんて! えへへへへっ!」