第2話 守るための魔法
1話目が長すぎたので分割しました。それでも長いかもしれませんが、きりが良さそうなところで後半をこちらへ移動します。
夜が明けて、簡易結界の効果も切れた頃。朝食を終えた二人は、再び旅の準備を整えていた。
「セイアさん、次の目的地はドゥオイトの街で合ってますよね?」
シルヴィは地図を広げ、ドゥオイトへと続く道を確認しながら尋ねた。
「ええ、その通りよ。この森を抜ければ、街道に出られるはずだから」
セイアの言葉に、シルヴィは頷く。そして、彼女たちは再び森の中へと足を踏み入れた。
森の中は、来た時よりも少し明るく感じられた。シルヴィが魔物を退けた場所を通り過ぎる時、セイアが「ありがとう」と微笑み、その表情にはもう、出発前の不安はなかった。
やがて、木々の隙間から光が差し込み、街道が見えてきた。
「……着いたわ」
セイアが安堵の息を漏らした。街道に出れば、もう魔物が出る危険な場所は少ない。護衛依頼は、これでほぼ完了となる。
「ここまで、ありがとう、シルヴィ。あなたのおかげで、最高の絵が描けたわ」
セイアは、シルヴィに向き直り、深々と頭を下げた。
「あの……頭を上げてください! 私は依頼を受けただけですから!」
慌ててセイアの手を掴み、顔を上げさせる。その手は、小さく、そして、絵筆を握るために生まれたかのように繊細だった。
「……でも、依頼料以上のものを、あなたから貰ったわ」
セイアは、そう言って微笑んだ。
「シルヴィ、あなたは本当に素敵な魔法使いよ。その魔法は、誰かを傷つけるためじゃなくて、誰かを守るために使われるべきだわ。そして、いつかきっと、世界中の素敵な景色をいっぱい見ることができる」
セイアの言葉は、シルヴィの胸に温かく響いた。
「セイアさん……ありがとうございます!」
言葉に詰まりながらも、感謝を伝える。
「ふふ、こちらこそよ。……さあ、もう行きなさい」
セイアは、そう言って優しくシルヴィの背中を押した。
「え……? セイアさんは?」
シルヴィは振り返った。
「私は、もう少しだけ、ここでスケッチをしようと思うの。ここから見える景色も、とても綺麗だから」
セイアの言葉に、シルヴィは寂しさを感じながらも、頷く。
「……はい! セイアさんも、お気をつけて。また、いつか!」
「ええ、また、いつか」
二人は、それぞれの旅路へと向かい、別れた。セイアは再びスケッチブックを開き、シルヴィは一人、ドゥオイトの街へと続く街道を歩き始める。その足取りは、来た時よりもずっと力強かった。彼女はただひたすらに前へ進んでいた。
シルヴィが街道を歩き始めて数時間。森を抜けた安堵感と、セイアとの別れの寂しさが入り混じった複雑な心境で、彼女はただひたすらに前へ進んでいた。
日が傾き始め、周囲が橙色に染まる頃、前方に大きな馬車が止まっているのが見えた。馬車の周りには、数人の男たちが集まっている。男たちは険しい表情で、何やら言い争っているようだった。
(……なんだろう?)
シルヴィは、好奇心に駆られて、男たちに近づいていく。
「……おい、お嬢ちゃん! 見せもんじゃねぇから、あっち行きな!」
男の一人が、シルヴィに気づき、大声で叫んだ。
男たちの手には、剣や棍棒が握られている。そして、馬車の荷台には、布がかけられた大きな箱が積まれていた。
「これは……?」
シルヴィが状況を把握しようとすると、男たちの一人が、馬車の近くに倒れている一人の老人を指差した。老人は、手足から血を流し、苦痛に顔を歪めている。
「このジジイがよ、魔物に襲われてたから助けてやったのに、礼も言わずに逃げようとしやがってよ!」
男はそう言い、唾を吐いた。しかし、シルヴィは男たちの言葉に違和感を覚えた。老人の傷は、魔物につけられたものではなく、人間の手でつけられたような、鋭い切り傷に見えたからだ。
「あなたたち、一体何を……?」
シルヴィが尋ねると、男たちは一斉にニヤリと笑った。
「悪いが、お嬢ちゃんには関係ねぇことだ。この箱は、俺たち宛の荷物なんだ。ドゥオイトに来るのが遅かったから、街道まで受け取りに来たってワケさ!」
男たちは、明らかに老人の荷物を狙っているようだった。旅の途中で、魔物ではなく、人間に襲われている。シルヴィは、これが冒険の世界のもう一つの側面なのだと悟った。
「……関係、あります」
シルヴィは、震える声でそう言った。
「この人が、あなたたちにやられたんでしょう?……私は、この人の護衛じゃありません。でも、困っている人を、見過ごすわけにはいかない!」
シルヴィは、小さく息を吸い込むと、手にした杖を構えた。
「そのバッジ……。新人の小娘が、粋がるんじゃねぇよ!」
男たちは下品な笑い声を上げ、一斉にシルヴィに襲いかかってきた。
「ウィンドカッター!」
シルヴィが放った魔法は、風の刃となって男たちを襲った。しかし、男たちは慣れた手つきで刃を避け、シルヴィを囲い込む。相手は一人ではない。数人の男たちを相手に、シルヴィは初めての本当の危機に直面していた。
「やっぱりこんなもんか。痛い目に遭いたくなかったら、お家に帰るんだな!」
男たちは顔を見合わせ、下品な笑い声を上げた。
(だめだ……このままじゃ、このおじいさんが……!)
シルヴィは、賊たちに囲まれ、どうすることもできない自分に歯がゆさを感じていた。風の魔法は、相手の動きを止めることはできても、複数の敵を同時に倒すほどの力はない。それに、馬車と荷物、そして何より老人を守らなければならない。
(風は、ただの刃じゃない……!)
その瞬間、シルヴィの脳裏に、セイアとの会話が蘇った。「風の匂いとか、温かさまで伝わってくる気がします!」という自分の言葉。風は、目には見えないけれど、そこに存在し、世界を動かす力だ。
シルヴィは、目の前の賊たちではなく、馬車と馬に意識を集中させた。
「今度こそ……! ウィンドカッター!」
放たれた魔法は、先ほどのような鋭い刃ではなかった。馬の足元に、砂埃を巻き上げるような突風を送り込む。風の感触と、突然の砂埃に驚いた馬は、けたたましい鳴き声を上げながら暴れ出した。
「うわっ! おい、馬が暴れてるぞ!」
「お、落ち着け、手綱を引け!」
賊たちの注意は、一斉に暴れ出した馬に向けられた。男たちが馬を抑えようと慌てふためく隙に、シルヴィは倒れている老人のもとへ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「う、うぅ……」
老人を抱き起こし、馬車から離れた草むらへと避難させる。しかし、男たちもすぐに馬を落ち着かせ、再びシルヴィに詰め寄ってきた。
「このアマぁ……! 余計なことをしやがって!」
「次は容赦しねぇぞ!」
怒りを露わにした男たちが、シルヴィを取り囲む。逃げ場はない。絶体絶命の危機。
「ウィンドシールド!」
シルヴィの杖から、透明な風の壁が吹き出した。それは、賊たちの攻撃を防ぐ、防御の魔法だった。風の壁に阻まれ、賊たちの攻撃は届かない。
(できた! 守るための魔法……!)
シルヴィは、初めて実践で使う防御魔法に戸惑いながらも、必死に風の壁を維持する。
「風の壁だと……!」
「くそっ、これじゃ攻撃が通らねぇ!」
男たちが風の壁に阻まれている隙に、シルヴィは老人を安全な場所へ移動させる。しかし、防御魔法の維持には、かなりの魔力を消費する。シルヴィの額には、汗がにじみ出ていた。
(もう、限界だ……!)
風の壁が、徐々に弱くなっていく。男たちは、その変化に気づき、さらに攻撃を強めた。
「もう終わりだぜ、小娘!」
「や、やめろぉ……!」
その時、シルヴィは最後の力を振り絞り、もはやどうすればいいかわからず、ただ無我夢中で杖に魔力を込めた。
「「……アアァァァァァア!!!」」
放たれたのは、轟音を伴う突風だった。それはまるで、遠くから巨大な魔物が咆哮をあげ接近してくるような、耳をつんざくような音だった。
「な、なんだこの音は……!」
「おい、まさか……」
賊たちは、その轟音に顔色を変える。彼らは森の近くで活動していたため、魔物の気配や鳴き声には敏感だった。そして、この音は、彼らが決して敵わないと知っている、巨大な魔物の咆哮に酷似していた。
「ちくしょう! デカブツの魔物だ! 逃げるぞ!」
「荷物なんざ、もうどうでもいい! 命が惜しい!」
男たちは、荷物を諦め、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
馬車と老人、そして荷物。全てが無事だった。シルヴィは、へなへなと地面に座り込むと、安堵のため息を漏らした。
「ありがとう、お嬢ちゃん……」
老人は、かすれた声でシルヴィに感謝を伝えた。その瞳は、涙で濡れている。
「よかった……! 馬車も荷物も、無事みたいですね!」
シルヴィは、安堵からか、笑顔でそう言った。
「……いや、お嬢ちゃん。わしのことじゃなくて、お嬢ちゃんのことが心配でな」
「え……?」
老人の言葉に、シルヴィは首を傾げた。
「あの荷物はな……ドゥオイトの街にある工房の、特別な部品だったんだ。わしは、その荷物をそこへ運ぶところでな。そうしたら、あの賊たちに襲われてしまって……」
「じゃあ……! やっぱりあれは、あの人たちの荷物じゃなかったんですね……!」
「ああ、そうじゃ。だが、賊に脅されて、動くこともできなんだ。本当に、ありがとう。お嬢ちゃんのおかげで、荷物を守ることができた」
老人は、シルヴィの勇気ある行動に、心から感謝していた。
「私……私、なんにもしてないですよ! ただ、馬を驚かせただけで……」
「いや、違う。お嬢ちゃんは、見ず知らずのわしを守るために、命をかけてくれた。それは、誰にでもできることではない」
老人の言葉に、シルヴィは胸が熱くなった。
こうして、シルヴィは初めての冒険で、魔物との戦いだけでなく、人間との争いも経験した。そして、彼女は知った。
綺麗な景色を探す旅の途中で、誰かを守るために、時には戦わなければならないこともあるのだと。
シルヴィの旅は、まだ始まったばかり。彼女は、この経験を胸に、ドゥオイトの街へと向かう道を、再び歩き始めた。