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落ち人:明日をも知れぬ運命  作者: 木苺
その1:プロローグ または「落っこちた」
4/97

書付

ふすま越しに 控えめな声で起こされた。

「お昼の用意ができたので、一緒に食べませんか?」と。


寝たのが夜遅くだったので、すっかり朝寝坊してしまったらしい。


昨夜は 浴衣のまま寝たので すっかり着崩れてしまった。

おまけに よれよれのシワシワ。

このままで人前に出るのは恥ずかしいが、ほかに着る物もなさそうなので

着付けをやり直してから、タンタンの前に出た。


お昼ご飯は 炊き立てご飯にお味噌汁、焼き魚におひたし、香の物はたくあんだった。お味噌汁の具は 青菜と()であった。


香りよく、塩控えめで、大変おいしゅうございました。


「お口に会いましたでしょうか?」タンタン


「はい、とてもおいしいです。

 村の方々も 人間と同じ食事をとってらっしゃるのですか?」


「いえ いろいろ違いはあります。

 ただ 救護所には 備え付けの書付(かきつけ)がありまして、そこに 人間用のレシピも載っています。


 また 私は 昨夜お話しましたように、落ち人に育ててもらった孤児ですので

 人間食には 慣れています。


 それに タヌ族、それが私の種族名ですが、このタヌ族はもともと雑食ですしね」


「そうなのですか。

 いろいろお気遣いいただきまして ありがとうございます。」



食後、タンタンからすすめられ、「落ち人の為の書付」なるものを読むことにした。


この書付、古い時代の日本語から現代にいたるいろいろな文体・字形の日本語だけでなく、英語・フランス語・ドイツ語・漢文・キリル文字(スラブ系の人が使う)にアラビア文字・イタリア語、それからスペイン語かな?というものまで使われていた。



ふー、簡体字とハングルが無かったのは、何か理由があるのだろうか??


とにかく 地球のいろいろな時代のいろいろな国の人たちが落ちてきたみたい。


だったら 地球外生物の文字もあるかなぁ? 数字ばっかりで書かれたメモとかモールス信号とか、奇想天外なしるしは?なんて思ったが そういうのはなかった。


楔形文字とか象形文字もなかったので、過去1000年くらいの地球の範疇に納まっているのかな?と思う。

 ふむ ラテン語が無かったから 案外 もっと期間は狭いのかもしれない。

でも 日本語の古語が・・字形からすると平安朝かな?っていうくらい流麗な仮名文字もあったんだよなぁ・・ もちろん私には読めないけど・・博物館や歴史展示館でよく見る書簡や巻物と同じつづりだったからたぶん・・


ちなみに 昔の人は なんで あんな 紐を縦に並べたような列が判読できたのかと不思議に思う。


一応、仮名文字字典なるものを片手に、読解につとめたことはあるんだけどね。

 さっぱりわからなかった。

 それくらいなら パーリ語やサンスクリットの碑文の方が、文字の所属がわかるだけ わかりやすいぞ(笑)

 ヒエログリフなら、現代日本人のまっとうな人なら 一目で「これ ヒエログリフ!」って判別できると思うんだな。読めなくてもw

 ( うん 日本語と外国語とで「わかる」の定義が大きくちがってるね、私)


中学校国語の先生は 一応、教員免許をとるために、あの仮名文字も書道として習得しているらしいのだけど・・ うん カナ文字の読める中学の国語の先生に会ったことが無いから あの人達・・(笑)


でも 私の母方の伯母たちは あの仮名文字で手紙のやりとりをしていたからなぁ・・やっぱり判読できる人はできるんだろう。 うーん謎だ。


なんて 「書付」を前に現実逃避をしてしまった。

 だって あまりにも 過去の落ち人がバラエティに富んでいたのだもの。


しかも 現代語の「書付」に至っては、「読めん! 田舎! おら都さ行ぐだ」の一行だけだったんだ!


まあ 元歌はかなり有名だから、なんとなく 書き手がいた世界の時代と国は推察できたけど・・しかしねぇ 自分の名前くらい書いておけよと言いたい。



|



(おまけ)

吉幾三さんご自身が歌ってらっしゃる「バイオハザード ヴィレッジ」の宣伝動画(おら こんな村嫌だ)もいいですね

 ホラーの苦手な私は このゲームに近づきたくないですけど

 ミュージックビデオとしては楽しいです


そして ふるさと五所川原の祭り 立佞武多たちねぷた(毎年8月4~8日)をうたった曲(作詞作曲 吉幾三)も素敵です。


・令和5年五所川原立佞武多総集編 25周年記念 五所川原市商工会議所青年部

https://www.youtube.com/watch?v=jZDhtQ5tmOA

 長いので序盤と最後のほうだけ見ても 祭りの雰囲気がわかると思います

  1:15あたりで 火入れした3基の立佞武多と新作の紹介あり


・立佞武多で使われている大太鼓を見た時、四天王寺舞楽で用いる二つ巴紋大太鼓を思い出しました。


 四天王寺は、推古天皇元年593年に聖徳太子によって建立された日本仏法の菅寺で、舞楽・式次第など

 古式を継承保持し続け、

 中国の寺の伝承儀式が、文化大革命により人もモノ(器物・服etc)も儀式等の継承が断絶したのち、再興するにあたり、四天王寺が全面協力・物心ともに援助しました。

 ただ その後それらが 観光用になってしまったようなのが 残念ですが、かの国らしいですねぇ(苦笑)

 

 四天王寺さんの見た目は 地味でへんてこりんな寺ですが、約1500年間 大阪庶民(地の人)の心の故郷でもありました。なにしろ無償で万人を受け入れる寺ですから。(プラスα部分は有料ですがw)


そして盆踊りでは、河内家菊水丸かわちやきくすいまるさんが 聖徳太子の一生を河内音頭かわちおんどに載せて歌います。

聖徳太子の一生は長いので、毎年 順々にその生涯の一部分を歌っていくのです。


そして 誰もが自由に境内で踊れます。

通りがかりに だれでも フラっと入って踊って 気が済んだらいつでも抜け出ることができるのが

河内音頭の流れる盆踊り大会の良いところ♪

 (本来の河内音頭というのは 時事ニュース・毎年の庶民の話題、時には風刺も混ぜ込んだ

  即興の語り。だから 歌詞は 音頭取り(歌い手さん)によってもちがうし 毎回毎回ちがって

  当たり前。だから、菊水丸さんが 聖徳太子の生涯を歌うのも いかにも河内音頭らしい良さ♡

  そして 同じ節回しにのって歌詞が連綿と続いていくのです。

  だから 踊るだけでなく 音頭を聴くのも 河内音頭の流れる盆踊りの楽しみの一つ。

   先祖供養ではなく 音頭を聴きながらこの1年を振り返る そういう「自分供養」っぽいのが

   河内音頭の流れる盆踊りであります。) 


あるいは 広くて変化にとんだ境内の片隅で、じっくりと音頭に耳を傾けるもよし、踊り手さん達の自由な振り付けアレンジを眺めるもよしです。


普段着で参加する盆踊り、それが四天王寺さんの納涼盆踊り大会であります。

(地元で親しまれているのに 観光化・商業化されてないんですよねぇー。幸いにも)


なので通りすがりの人も、大阪に住んでいたり勤めているけど地域のコミュニティの一員ではないから、盆踊りの輪に入りにくいなんて思っている人も、屈託なく その場の気持ちで踊ったり 音頭に耳に傾けることができるのが 四天王寺の盆踊り大会なのであります。)

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