1-4.二人目のセッター
なびけばふわりと揺れる漆黒のサラサラ髪。はっきりと大きいふたえの瞳。耳もとでささやかれれば一瞬で骨抜きにされそうなほど艶やかで色気に満ちた高めの声。
現在の部員以外にもう一人練習に来るという情報を事前にもらっていた琉聖だったが、現れたその人がこれほど見目麗しいとはさすがに思いもしなかった。ついつい見とれてしまう彼はかつて、実里丘高校男子バレー部に所属していたという。
「ちわっす、真野さん」
雨宮が挨拶をすると、他の部員たちもそれぞれ雨宮に続いて挨拶の声を上げた。琉聖以外のメンバーはすでにその人と顔を合わせていて、すっかり慣れ親しんでいる様子が見て取れる。
「久慈、あの人が真野新平先輩。今度の星工戦でおまえの代わりにセッターをやってもらう、俺の一代前のキャプテンだ」
右手にシューズを持ったまま、真野はさわやかな笑みを浮かべてまっすぐ琉聖のもとへと歩み寄った。「はじめまして」とシューズを右手から左手に持ち替え、あいた右手を琉聖に差し出してくる。
「三年の真野です。よろしく」
今年の一月、顧問との諍いに堪えかねて全員が引退したという三年生のうちの一人。雨宮の前に男子バレー部のキャプテンを務めていた人。
そして彼、真野新平こそ、今週末の星川工科高校との練習試合で琉聖の代役を務めてくれるセッターである。
「久慈です」
なかなかお目にかかれないレベルのイケメンである真野の右手を、琉聖はやや緊張しながら握り返した。目線の高さは琉聖とほぼ同じだった。
「よろしくお願いします。というか、すいませんでした。俺のせいで急に練習に出てきてもらったりして」
「きみが責任を感じる必要はないよ。雨宮の人使いが荒いだけだから」
「ちょい。なんで俺のせいみたいに言うんすか、真野さん」
ちらりと真野から視線を受けた雨宮が声を荒げる。真野は涼しい顔で応戦した。
「あーあ。本当なら午後からも家で受験勉強する予定だったのに」
「まーたそういうことを言う。誰でしたっけ、久慈の代わりのセッターを探してるって話を振って、目ぇキラキラさせて『やるやる!』って即答した人」
「どうしてきみはそういう他人を小馬鹿にしたような言い方しかできないかなぁ。もう帰るよ、俺」
「あー待った待った! すいませんすいません俺が間違ってました真野先輩様!」
ひし、と真野の背中にしがみついた雨宮の姿は、これまでに見たことがない、どこか甘えん坊な印象を受けた。二人は純粋に仲がいいだけでなく、お互い信頼し合ってもいるようだ。
まだ言い争いを続けている二人の先輩を、琉聖は微笑ましく見つめる。もしかしたら雨宮は、もっと長く真野とバレーをしていたかったのかもしれないなとなんとなく思う。
実里丘高校のようなごく普通の公立進学校では、三年生の部活引退は四月のインターハイ予選が一般的だ。だが真野たちはその三ヶ月も前、三年生にすらなっていない二年生の一月に部を去っている。
真野たちの背中から多くを学べたはずの三ヶ月を失った雨宮は、まだ一年生のうちにチームのキャプテンに就任し、男子バレー部の存続を憂えながら、伊達と美砂都の三人で部を守り続けてきた。彼が真野に甘えたくなる気持ちはよくわかる。真野だけでなく、彼とともに部を去った他の三年生たちにも。
ようやく雨宮の猛攻から解放された真野がフロアに腰を下ろし、シューズに足を通し始める。その姿を、琉聖はすぐ隣に立ったまま見つめる。
彼も琉聖と同じ、中学時代からセッターをやっていた選手だと聞いている。彼のプレーは見たことがないが、経験者というだけで琉聖の代役には十分だった。
星川工科高校から練習試合の申し込みがあった時、雨宮は顧問の浜園に対し「どうして受けちゃったんですか!」と詰め寄ったという。
当然だ。琉聖は腰の手術のため現在チームを離脱している。先般のインターハイ予選では苦肉の策で雨宮がセッターを務めたが、本来雨宮は貴重な長身アタッカーだ。ミドルブロッカーとして、ブロックポイントや速攻でのアタックポイントなどを稼ぐのが彼の役割であり、チームメイトに毎回トスを上げている場合ではない。
では、雨宮の代わりに誰が、という話になった時、迷わず手を挙げてくれた人がいた。
伊達だった。
「どうせ正セッターは久慈なんだし、気楽にやるよ。なんの取り柄もないままチームのお荷物になるよりはマシだから」
ほんの少しひねた答えをよこした伊達だったけれど、琉聖は心からの感謝を伝え、「よろしくお願いします」と入院中の病室で伊達に頭を下げた。
そういうわけで、琉聖に続く二人目のセッターは伊達ということで決定したのだが、さすがに二週間では準備が間に合わない。まして相手はあの星川工科高校だ。県内トップクラスのチームに対し、初心者セッターしかいないチームで挑むのは失礼極まりない。
雨宮は考えた。琉聖を欠いているとはいえ、星工との練習試合は実里丘にとってはまたとないビッグチャンスだ。全国制覇を目指すチームを作るためには、強豪校と言われるチームと手合わせする回数は多いほうがいいに決まっている。
かといって、伊達をセッターに据えて試合に臨むのはさすがに伊達の荷が重すぎる。そこで雨宮が絞り出した答えが、一月まで実里丘の正セッターだった真野に、今回の練習試合限定でバレー部に復帰してもらうことだった。
うまくやったな、と琉聖は心の中で雨宮に称賛を贈る。
セッター経験者である真野なら、たとえ練習期間が短くても煌我たち一年生をある程度打たせることはできるだろう。琉聖がそうだったのだ。たった二週間で、あの正南学園と互角の戦いに持ち込めた。
主に煌我のコンディションによるだろうが、うまく調整できれば、星工とも競った試合ができるのではないか。今回は監督業に専念する琉聖はそんな風に考えていた。雨宮の采配のおかげで、星工戦に対してどうにかこうにか前向きな心を保てそうだった。
「稔春からも聞いてるよ」
シューズの紐をきつく結びながら、真野は顔を上げ、琉聖に話しかけた。耳慣れない名前が飛び出し、琉聖は首を傾げる。
「トシハル?」
「正南学園のキャプテン」
あぁ、と琉聖はその人の坊主頭を思い浮かべた。ファーストネームではピンとこなかった。正南のキャプテン、井波のことだ。
「知り合いなんですか、井波さんと」
「同中なんだ。中学の時、一緒に県大会に出た。二回戦で負けたけどね」
へぇ、と相づちを打ちながら、琉聖はまだ見ぬ真野の実力を推し量る。
先日の試合で痛い敗北を喫したチーム、正南学園高校で、エースアタッカーの名に恥じない活躍を見せた井波。その井波と同じチームに真野はいた。あの大男を打たせていたセッターであり、中学時代は県大会出場経験もあるという。とすれば、中途半端な技術しか持ち合わせていないということは考えにくい。
なるほど、雨宮が琉聖の代役に彼を選んだ理由がなんとなくわかった。彼ならば、琉聖と遜色ないプレーが望める。そう判断したわけだ。かつて彼のトスを打っていた雨宮が決めたのだから、信用してよさそうだ。
真野は無駄のない動作で立ち上がると、琉聖に朗らかな笑みを向けた。
「『やはり中学ナンバーワンセッターの実力は半端じゃなかった』だってさ。ベタ褒めだったよ、きみのこと」
琉聖は反射的にため息をついた。見舞いに来てもらった病室でも、井波は琉聖のことを必要以上に褒め立てていた。
「買いかぶりすぎですって」
「そんなことはない。稔春は自分にも他人にも厳しい男だからね。そんなあいつが認めたんだ。自信を持っていい」
渋い表情を浮かべる琉聖の肩を、真野は満足げにぽんぽんと叩いた。褒められるようなプレーができていた記憶はなく、どう反応していいのかわからなかった。