4.募る苛立ち
翌週の土曜日にも練習試合があった。
今回は実里丘を含む四校が集まっての練習で、そのうちの一校であり、今日の主催チームでもある私立瑞穂学園高校は、名南地区ではトップの成績を堅持し、五月のインターハイ愛知県予選会ではベスト8という好成績を残している。バレーがやりたくて進学先に瑞穂学園を選んだ生徒がほとんどで、ミドルブロッカーは二人とも一九〇センチを超え、高さを生かしたバレーを得意とする正南学園とよく似た雰囲気のチームだった。
練習時間は午前九時から午後四時までの丸一日。時間の許す限り、総当たりでゲーム練習をくり返した。
実里丘の他に呼ばれた二チームとの対戦も含め、全ゲームが終了した時点での実里丘の成績は三勝六敗と大きく沈んだ。瑞穂学園との三戦はすべて落とし、最終セットに至っては十六対二十五と大差をつけられての敗北だった。
勝てない時間が続いている。力がついてきたという実感が持てないだけでなく、大事なところでミスが出るなど気持ちで押し負ける場面が目立つことが、外から見守ることしかできない美砂都にとっても気がかりだった。
負けを重ねるたびにコートの雰囲気が悪いほうへ向かっていくのは理解できる。けれど、今日は勝てた試合でさえ、ムードがよくなる様子がなかった。
原因はあきらかだった。今日はとにかく、煌我が終始苛立っていた。
相手のほうが格上なんだから、勝てなくても仕方ない。そんな甘い考えは煌我の中に存在しない。琉聖も試合中には勝ちに対する強いこだわりを見せるけれど、煌我は琉聖のそれ以上だ。冷静に相手の強さを見極めるようなことはしない。格上だろうとなんだろうと、どんな相手にも勝ちにいく。その気持ちの強さはチーム一だ。
それがどうだろう。先週の練習試合でも勝てず、今日も負け試合のほうが多い。煌我の出来は決して悪くないと琉聖が評価したにもかかわらず、勝てないことに強いストレスを感じてしまった煌我はことあるごとに苛立つ気持ちを表に出した。誰かに当たり散らすのではなく、自分自身のプレーが気に入らないようだったけれど、いつも明るいムードメーカーの煌我が心を乱すと、チームの空気はおのずと悪くなっていった。
結局この日は最後まで悪い雰囲気を引きずり、反省会はまた明日、と一同は解散した。月曜日から定期試験週間に入るため、試験終了までの十一日間、部活動が原則禁止になるが、試験前に少しでも練習をしておくため、基本的に土日のどちらかしか使わせてもらえない体育館をどうにか押さえ、明日、日曜日の午後も練習する予定になっていた。
翌日、伊達が練習を休んだ。熱を出したと朝一番に美砂都へ連絡が入った。連日の疲れが出てしまったようだ。
練習の始めに昨日の練習試合の反省会を開き、出た意見を踏まえて今日はサーブレシーブを含むレシーブ練習を重点的におこなうことに決まった。伊達の欠席によってスパイクのコンビ練習ができないこともあり、チーム結成時からの課題だったレシーブ力向上を目指すいい機会だと琉聖は言った。そのとおりだと美砂都も思い、「声出していきましょう」とみんなを鼓舞した。
トスを上げることはまだ許可されていないけれど、琉聖は自らセットアップポジションに立ち、どんなボールが欲しいか、どんなレシーブだったらトスが上げやすいか、一人ひとりに丁寧な指導をして回った。手術を受けてから一ヵ月半が過ぎ、少しずつできる動きが増えてきたものの、その腰にはまだ痛々しい医療用コルセットが巻かれ、もっとちゃんとバレーをやりたくてうずうずしている琉聖の気持ちが美砂都にも強く伝わってきていた。
筋力トレーニングを含めた基礎練習からレシーブ練習までみっちりこなし、練習開始からまもなく二時間が経とうとしている。「じゃあ次、サーブレシーブな」と言った琉聖に、煌我が「待った」と声を上げた。
「なぁ、琉聖。レシーブはもう十分がんばったからさ、スパイク練習しようぜ」
「ダメ」
「なんで」
「サーブレシーブが先。スパイクもあとでやるから」
「やだ!」
煌我が叫んだ。パラパラとサーブレシーブの練習に向かっていた他のメンバーがみんな足を止めて煌我を見た。
「煌我」
「勝ちたいんだよ、おれは」
まっすぐな煌我の言葉がこぼれ落ちた。琉聖は黙り、他の誰も、なにも言えないまま立ち尽くしている。
「おれが打ち切れなかったから、ずっと」
煌我は連日の練習試合を振り返り、自分に言って聞かせるようにつぶやいた。
「勝てる試合もあったはずなんだよ。でも、大事なところで打てなかった。おれがちゃんと打ててたら、何試合かは絶対に勝ってたと思う。だから」
煌我なりに、ここ数週間の負け越しに対し責任を感じているようだった。誰よりも勝ちたいのだと口にし、それでも勝てない時間が続いていることにフラストレーションをため込んでいるのは、自身のプレーに不満があり、それを解消できない現実が重くのしかかっているせいだ。
「それは本当に、おまえだけのせいなのか」
口を開いたのは快だった。快は腕を組み、目を眇めて煌我をにらむように見る。
煌我も快をにらみ返した。
「なにが言いたい」
「トスが合っていないんだろう、伊達先輩と」
煌我は生唾をのみ込み、快から目をそらした。彼の中で動く歯車が狂い、ギシギシと軋む音が聞こえてくるようだった。
「わかんねぇ」
煌我は懸命に絞り出すような声で言った。
「合ってるとか、合ってないとか、おれ、そういうのよくわかんねぇんだ。正南戦の時にも琉聖に言われたよ。トスが合ってないから打てないんだ、セッターが悪いんだって。でも、おれにはなんの違和感もなかった。うまく打てないのはおれのせいだと思ってた」
煌我、と琉聖が小さくつぶやいた。煌我は首を横に振った。
「うまいセッターがいるチームが強いってのは、絶対そのとおりだと思う。正南にもう少しで勝てそうだったのは琉聖のおかげだし、星工との練習試合も、真野さんがいてくれたからなんとかなってたんだと思う。けど今は琉聖が試合に出られなくて、伊達さんしかセッターをやってくれる人がいない。ありがたいことだよ、セッターなんて一番ムズいのにさ。だから、本当ならおれが伊達さんを支えなくちゃいけないじゃんか。伊達さんが一番しんどいんだから。でも、どうすればいいのか、どうしたらもっとうまく打てるのか、おれ、それがわかんなくて。今の伊達さんに対しては、いいトスを要求するよりも、おれがどんなトスでもちゃんと打てたらいいんじゃねぇかって思うんだよ。レシーブが大事なのはわかるけど、おれは、もっとスパイクがうまくなりたいんだ」
煌我の主張はもっともらしく聞こえはした。気持ちはわからないでもなかったけれど、もし快が指摘したように、煌我がスパイクの不調を感じているのが伊達とのコンビが合っていないせいならば、今日焦ってスパイク練習をしても効果は薄く、伊達と話をしなければ解決は難しいだろうと美砂都は感じた。おそらく琉聖も同じことを思っていて、冴えない表情を浮かべている。
琉聖だけでなく、快も同じことを感じたらしく、呆れたように息をついた。
「スパイクはサーブやブロックと違って個人技じゃない。久慈や伊達先輩のトスがあっての、おまえのスパイクだ。うまく打てないなら、いつもどおり打てるようなトスを伊達先輩にはっきり要求すべきだろう。おまえ一人でなんとかできると思っているなら、それはとんでもないうぬぼれだぞ」
「じゃあおまえは言えんのかよ」
煌我がやや声を荒げた。
「伊達さんが精いっぱいやってくれてんの、おまえだってわかってるだろ」
「あの人が精いっぱいやっているかどうかは関係ない。必要だと思ったことは正直に伝える。そうでなければなにも言わない。オレは多少トスが乱れても対応できるからな」
「はぁ! おまえはそうやっていっつもいっつも優等生発言ばっかりだ。そんなに楽しいかよ、おれらのこと見下して」
「見下してなどいない。チームのために、自分なりにできることを」
「だからぁ! そういうところが優等生ぶってるっつってんだよ腹立つなぁ!」
「いい加減にしろ!」
雨宮が声を張り上げた。バレー部のメンバーだけでなく、隣で練習していた女子バスケ部の何人かも雨宮の怒鳴り声を振り返った。
「バカ野郎が。くだらないことで練習止めやがって」
「裕隆くん」
美砂都は思わずつぶやいた。雨宮は普段、言葉を選んで話せる人だ。感情にまかせて暴言を吐くことはめったにない。
「もういい」
雨宮は誰を見るでもなく、どこでもない一点を見つめたまま指示を出した。
「今から五分間、休憩。佐藤と高木、おまえらは外を走って頭冷やしてこい。外周一周で勘弁してやる」
「はぁ? マジかよ」
声を荒げた煌我の横を、快は無言ですり抜けて体育館を出て行った。「あっ、こら! ひとりでカッコつけてんじゃねぇっ」と煌我がその背中を慌てて追いかける。実里丘高校の敷地の外周は約一キロ。速度にもよるが、走り切るには五分の休憩時間をほとんど全部使うことになるだろう。
「なに怒ってるの」
小休憩に入り、美砂都はドリンクのボトルを片手に雨宮に歩み寄った。手渡すと、雨宮は小さく息をついた。
「なにが『伊達さんを支えなきゃ』だ。生意気なこと言いやがって」
「煌我くんのこと?」
「全員だよ。最近じゃ、久慈まで公恭に気をつかい出してる。ダメなんだよ、それじゃあ。いくらセッター経験がないからって、後輩に気づかわれてるようじゃダメだ」
「公恭くんが悪いって言いたいの?」
我知らず、口調がきつくなってしまう。雨宮は首を横に振った。
「俺が悪い。あいつのことを一番支えてやんなきゃいけないのは俺だ。なのに、俺もどこかであいつに遠慮してたんだと思う。俺たち三人だけは、なにがあってもちゃんと腹割って話そうって決めたのに」
美砂都は両眉を跳ね上げた。雨宮が持ち出したのは、今からちょうど一年前、雨宮と伊達、そして美砂都の三人で交わした約束。
入部当初は十人いた仲間たちが、たった三人になると決まったあの日。
校門から駅まで続く長い下り坂の途中で、三人で立てた一つの誓い。
「話さなくちゃな、あいつと」
美砂都が手渡したドリンクのボトルを、雨宮は右手で強く握りしめた。
「ヘタでいい。そう言ってやらなきゃ。ヘタでいいけど、自信を持ってプレーしろ、ってさ」
「裕隆くん」
「そう思わないか」
雨宮の視線が美砂都をとらえる。
「あいつがいつまでも不安そうな目をしてるから、みんなあいつに気をつかい出す。久慈と比べる必要なんてないし、誰もあいつを久慈と同じラインで考えちゃいない。久慈よりうまいセッターなんてそうそう簡単には見つからないんだ。気負う必要なんてない。ヘタなのは当たり前。助けてほしいなら、あいつから『助けてくれ』って言ってくれなくちゃ。少なくとも、俺に対しては」
手にしていたボトルを口に運び、雨宮はわざと喉を鳴らすように中身をからだへ流し込んだ。頭を冷やさなければならないのは自分のほうだとわかっているかのような仕草だった。
美砂都は一年生が固まって休憩している場所へと視線を移す。琉聖が深刻そうな表情を浮かべ、その肩を眞生がポンポンとたたいている。
あの性格の琉聖だ。チームによくない流れが来てしまっている現状に責任を感じているのは間違いなさそうだった。
明日からテスト週間に入り、部活動ができなくなる。タイミング悪いな、と美砂都は感じた。
絶対に取らなければならない二週間の休みが、吉と出るか、凶と出るか。試験が終わってみなければわからないけれど、なんとなく、嫌な予感がした。
こぼれそうになるため息をこらえながらみんなが飲み干した空のボトルを集めていると、煌我と快が戻ってきた。休憩時間の五分間を計っていた電子タイマーは、十秒後に休憩終了を知らせようとしている。
「よし、練習はじめるぞ」
雨宮はタイマーが鳴る前から声を上げ、二人に休む暇を与えなかった。
彼もまた、自分自身のふがいなさがどうしても許せないようだった。




