3.勝てない
六月になると、顧問の浜園が五年前まで勤務していた名古屋市内の公立高校との練習試合を組んでくれた。対戦相手である名南支部に所属する県立桜山高校男子バレー部は県大会常連出場の実力あるチームで、先月のインターハイ予選は二回戦で敗退。今は代替わりして、二年生が主体の新チームになっている。
久しぶりの練習試合とあって、誰もが気合いを入れて臨んだ。先日の星川工科高校との練習試合での負け越しをバネに、今日はなんとしても勝ち越したい。美砂都の目にはちょっと力が入りすぎているように見えたけれど、相手もまた、秋の春高予選で東堂大高階を倒し、全国大会出場を目指すチームだ。それくらいの気持ちでなければ勝てないのかもしれないと思い直し、精いっぱい選手のサポートをしようと改めて気持ちを引き締めた。
気象庁による梅雨入り宣言から一週間、毎日のように雨が降っていた。もとより夏場の湿度が異様に高い名古屋において、雨の日ほど過ごしにくい時間はない。ベタベタした空気が全身にまとわりつき、湿気まみれの体育館は最悪の練習環境だった。
桜山高校は星工と似たようなチームの形を作っていた。キャプテンのミドルブロッカーによる速攻を主軸に、守備に力を入れたコンビバレーを展開し、こちら側のブロッカー陣を嘲笑うかのように翻弄してくる。
対する実里丘は、伊達がセッターとしてスタートから起用されるはじめての試合だった。相手のブロッカーがあまり高くなかったこともあり、煌我による高い打点からの強打はよく決まったが、一方で、これまで琉聖が展開してきた雨宮、オグ、右京による速攻を駆使したコンビバレーはほとんど見られないまま試合は進んだ。
相手が強いチームであればあるほど、単調なトス回しではすぐに切り返されてしまう。たとえば正南学園のような、相手のブロックの上から打てるアタッカーばかりが揃っているチームなら、比較的ゆっくりと展開されるオープンバレーでも勝ち筋が消えることはないが、実里丘には高い打点から攻められるアタッカーが煌我一人しかいない。
琉聖が以前指摘したように、背の低い攻撃陣で勝ちにいくには、いいレシーブからの速い攻撃、あるいは相手の裏をかくようなトリッキーな攻撃を仕掛けられなければならない。それを可能にできるのは、熟練のセッターを堅い守りで支えられるチームに限られる。
今の実里丘のレシーブ力は不安だらけで、かつ、伊達は初心者セッターだ。伊達がセッターをやる時には、まずなによりもトスを正確に上げること。それさえできれば百点だと琉聖は言った。コンビバレーを展開するのは、余裕を持ってトスを上げられるようになってからでなければ難しい、と。
今日の練習試合はまさに、両チームのセッターの力量の差が勝敗を分けた。
伊達は実里丘の二枚看板である煌我と快にどうにか正しくトスを上げることに精いっぱいで、当然相手はすぐにブロックをコミットしてきた。いくら煌我の高さや快の職人芸的な小技がすごくても、学習されれば拾われ、あっという間に反撃されてしまう。セット数を重ねるごとに、特に煌我のスパイクは易々とレシーブされるようになっていった。
「苦しいな」
すでに二セットを落とし、試合は三セット目に入っている。美砂都の隣に立つ琉聖が、作戦盤の上で黒いマーカーのペン先をコツコツとたたきながらつぶやいた。
「せめて雨宮さんだけでも、真ん中を抑えてくれると助かるんだけど」
琉聖の視線を追うように、美砂都もコートの中に立つ雨宮の姿に目を向けた。相手がサーブを打ち込んでくるのを待つ雨宮は、ネット際で厳しい表情を浮かべている。
攻撃のリズムがつかめないと同時に、今日の実里丘はブロックがあまり機能していなかった。
主な要因は、桜山のキャプテンであるミドルブロッカーとセッターのコンビが寸分の狂いなく完成していることだった。チャンスボールからの攻撃ではAクイックとBクイックを打ち分けてきて、多少レシーブが乱れてもサイド攻撃に頼らず、セッターはむしろ積極的にセンター線を使ってくる。
特にBクイックを止めるのが難しかった。
Aよりもレフト側に寄った位置からの攻撃であるBクイックは、それを意識して待っているとライト側からの攻撃に対しブロックが遅れてしまう。桜山としてはそれが狙いの一つで、ライト側からの攻撃もよく使われた。
かといって、Aクイックの正面の位置でかまえていると、Bに対するブロックは横っ飛び状態になり、高さが下がる。ブロックの上から打たれれば、そもそも脆い実里丘のレシーブ陣はなにをすることもできず、もどかしい失点が続く場面も少なくなかった。
琉聖の指摘ももっともだと思ったけれど、美砂都にはもう一つ気になることがあった。
「裕隆くん」
思わずその名をつぶやいてしまう。雨宮の表情が、今日はいつになく暗い。
まだバレーをやれていた中学時代、美砂都も雨宮と同じミドルブロッカーだった。だから、今日の雨宮の不調の原因はすぐにわかった。
トスが合っていないせいだ。緊張しているからか、あるいは別の要因があるのか、伊達によるAクイックのトスはまるで安定していなかった。
ネットに近くなりすぎたり、反対に離れすぎたりする。高さも一回ごとにまちまちで、オグにはとても打てたものではなく、雨宮でさえ長い腕を駆使してどうにかネットの向こう側へ返すだけで精いっぱい、という印象だった。桜山のミドルがうまいだけに、精彩を欠いた実里丘の速攻は小学生が遊びでバレーをやっているのかと思うほどのレベルにしか見えなかった。
全員が一生懸命取り組んでいる。でも、チーム単位で考えると、今日はとことん噛み合っていない。
仕方ないことだ。伊達はセッターとして出場するはじめての試合だし、雨で湿度が高いというバッドコンディションも影響している。
煌我や快のスパイクで点を取っても、すぐに相手が取り返してくる。そんなシーソーゲームが長く続いた。それでも最後には相手が勝ちきってきて、セットを重ねるごとに実里丘サイドは声が小さくなっていった。
「いいよ。さっきのセットよりはよくなってる」
三セット目を二十対二十五で落としたチームに、琉聖は前向きな声をかけた。
「煌我と眞生はオッケー。左京のサーブもよかった。快と右京、おまえらはトスの高さをちゃんと毎回調整して。おまえらが伊達さんの上げる高さに合わせにいってもいい。そこはちゃんと話し合って。できれば、コートの中で」
快も右京も返事をしたけれど、その声はどこまでも冴えなかった。
琉聖の視線が、今度はオグに向けられる。
「おまえ、トス呼んでる?」
「え……?」
「失敗してもいいから、必ず呼んで。おまえがちゃんと呼ばないから、伊達さんが上げづらくなってる。今日は練習試合だし、最初からうまくできるヤツなんていないんだから、回数重ねないといつまで経ってもコンビが合わないままになるぞ」
「はい……」
オグはすっかり自信を喪失しているようだった。四月の正南学園戦の時に見せてくれた凜々しく頼もしい立ち姿は幻だったのかと思うくらい、今のオグは誰よりも小さく見えてしまう。
次に琉聖が声をかけたのは雨宮だった。
「ブロックね」
雨宮は黙ってうなずく。
「こればっかりは、雨宮さんの勘に頼るしかないです。Bか、ライトか。できればBを確実の止めにいってほしいところだけど」
「そう、わかってる。わかってるんだけどな」
めずらしく雨宮の歯切れが悪い。即断即決、わからないことはわからないとはっきり言える人なのに、今の彼は見えない敵を相手に苦戦しているような顔をしている。自分がなにと戦っているのか、それさえもわかっていないような。
最後に琉聖は、誰よりも暗い表情を浮かべている伊達と向き合った。
「少しはつかめてきましたか、感覚」
「どうかな。五里霧中って感じだけど、正直」
「そっか。でも、練習どおりにやろうとしてるのはわかるから、今の調子でいいと思います。さっきも言ったとおり、俺たちが絶対にやらなきゃいけないのは、毎回必ずアタッカーと話をすること。伊達さんのトスが悪いとは限らないから。安定しないのは当たり前。俺だって中二で正セッターになったばっかの時はめちゃくちゃだったよ」
伊達は黙ったまま首を横に振る。信じられない、と言いたいのは美砂都にも十分伝わった。
短い休憩時間が終わり、練習試合は次で四セット目に入る。エンドラインへ並びに向かう伊達たちを見送りつつ、美砂都は雨宮の袖を引いた。
「美砂都」
雨宮が振り返り、足を止めてくれる。美砂都はやや声を抑えて言った。
「大丈夫?」
「俺?」
「うん」
「いや、大丈夫だけど」
「嘘」
そんなはずはない。彼とは一年も同じ時間を過ごしてきたのだ。
彼が誰よりも楽しそうにバレーをする人だということを、美砂都は深く理解している。
今の彼が、心からバレーを楽しめていないことも。
「……悔しいよな」
美砂都から視線をそらし、雨宮は小さく息をつくと、エンドラインに並ぶ伊達に目を向けた。
「俺が佐藤みたいな圧倒的エースだったら、公恭のこと、もっとちゃんと助けてやれるのに」
本音をこぼし、自身も挨拶のためにエンドラインへ向かった雨宮の背中を、美砂都はなにも言えないまま見送る。彼の耳に声が届かなくなってから、ようやく「裕隆くん」と小さな声でつぶやいた。
だから今日の雨宮は、いつもの調子が出ていないのだ。
伊達が暗い顔をしているから。不安でいっぱいのままコートに立っているから。
雨宮だけじゃない。みんな同じだ。
誰もが伊達を助けようとしている。一生懸命勝ちに行って、伊達に自信をつけさせてあげようとしている。
どんどん声が出なくなっていく中で、煌我だけはいつものように笑い、いつものように大きな声を出していた。きっとそれも、必死になってムードメーカーでいてくれようとしているだけだ。チームのために。伊達のために。
美砂都はちらりと、隣に立つ琉聖の姿に目を向ける。
琉聖のあけた穴はあまりにも大きかった。美砂都でなくとも、今日の相手は琉聖が試合に出ていたら比較的楽に勝たせてもらえたチームだということはわかるはずだ。
けれど、勝てない。
琉聖がいないから。誰がセッターをやったとしても同じことだ。
そろそろ全員が気づく頃だろう。これまでの試合で勝てていたのは、琉聖による勝つための土台作りが完璧だったからなのだと。琉聖の力に頼りすぎていたのだと。
琉聖以外は、誰もが力不足なのだ。伊達だけじゃない。アタッカーも、レシーバーも、もっともっと力をつけなくては勝てない。
琉聖の魔術にかかることを期待するだけのチームなら、琉聖の復帰をただ待っていればいい。
でも、違う。琉聖がいなくても勝てるチームでなければならない。琉聖は監督の仕事も兼ねているのだ。試合に出ず、コートの外から指示を出すことが必要になる場面が必ず出てくる。
苦しいのは伊達だけじゃない。みんな同じだ。琉聖の不在が、チームに暗い影を落とした。
そして、琉聖の心にも。
「琉聖くん」
どこでもない、フロアの一点をボーッと見つめている琉聖に、美砂都はそっと声をかける。
「大丈夫?」
琉聖は顔を上げると、自分自身を納得させるように何度も小さくうなずいた。
「まだまだ、これからです。食らいついていかないと」
そのとおりだ。今日がまだ一歩目を踏み出したばかりだということを忘れてはならない。
生まれたての赤ん坊にできることは少ない。だが、赤ん坊には無限の伸びしろがある。
今はまだ勝てなくても、五ヶ月後には勝てるチームに。
高階を倒し、全国の舞台へ立つために。
「伊達さん、ナイスサーブ! 一本目、大事に!」
琉聖がベンチから声を出す。実里丘のサーブで始まるこのゲームは、伊達がファーストサーバーだ。
琉聖に負けないように、美砂都も声で仲間たちを鼓舞した。勝てなくても、学びの多い一日になればいい。そのためにできることをしてあげたい。
笛が鳴り、第四セットがスタートする。
強まる雨脚が、精いっぱい出しているみんなの声をかき消そうとするかのように体育館の天井をバタバタとたたく。




