2-1.ローマは一日にして成らず
次の公式戦の予定は、七月末に開催される愛知県選手権大会だ。愛知県内のチームが出場し、県内ナンバーワンを決める。
高校バレー界では、大型大会であるインターハイ、国体、春高バレーの他に、一ヵ月半から二ヵ月に一度程度の頻度で中規模・小規模大会が催されるのが通例となっている。八月にも名古屋市内の県立高校のみが出場できる小さな大会があり、琉聖の公式戦復帰はそこが最短だろうというのが医者の見立てと聞いていた。
美砂都が琉聖や雨宮とともにチーム運営にかかわることを、琉聖は手放しで歓迎してくれた。腰のリハビリが本格的に始まり、練習に出られないこともある琉聖に代わって、美砂都はほぼ初心者のオグと眞生の見守りと指導を主にまかされることになった。
今後のチームの活動方針としては、七月の愛知県選手権まで少し時間があるということで、今のうちに基礎基本をしっかり身につけようという話でまとまっていた。
第一目標は、パスの精度を上げ、チーム全体のレシーブ力を向上させること。それが叶えばセッターへの返球率が上がり、アタッカーのスパイク決定率が上がってくるはず。最終目的地はそこだ。
運のいいことに、実里丘は比較的レベルの高いアタッカーが揃っている。彼らの持っている光るものをより輝かせるために、レシーブ強化は最重要課題だと琉聖は言った。みんなは納得し、地道な下積みの時間が始まった。
「違う」
琉聖の厳しい言葉が放たれた。対象者は煌我だった。
「腕を組んだまま振り回したらダメだって。からだの右側に打たれたら、まず足を使って右へ動く。ボールの下にからだを入れるんだ。で、次に右手だけを横に出す。それから左手を持ってきて組んで、両腕でボールを返したい方向に対して面を作る。面ってのは、ボールの勢いを殺して流れを堰き止めるダムみたいなものだから。そこがちゃんとできてないと、ボールは腕をかすめるだけかすめて全部後ろへ流れちまう。それじゃあセッターはなにもできない。わかるよな、俺の言ってること」
「わかるよ。わかるけど、できん」
「じゃあできるようになるまでやって」
琉聖は球出し役の雨宮に目配せし、練習を再開させた。今はハーフコート内に三人のレシーバーと、セッターの伊達、相手プレイヤー役の雨宮の五人が入っていて、雨宮が同じコートに立ちながら三人のレシーバーに対しランダムに打ち出すスパイクを拾うレシーブ練習の最中だ。レシーブされたボールは伊達に戻され、伊達はレフト・センター・ライトのいずれかのスパイク位置に任意で移動する雨宮にトスを上げ、再び雨宮が三人のうちの誰かに打ち込む。それを延々ループする、よくあるシート練習だった。
三分ごとにメンバーが入れ替わり、コートの外に出ている時には気づいたことを必ず一つは指摘するよう琉聖は指示を出していた。ボーッと突っ立っている時間は作らせない。常に頭を働かせ、誰かのいいところを見つければ盗み、悪いところは直させる。そうやって目を肥やしていくことも技術向上につながるからと琉聖は言った。意識高いなぁ、と美砂都は少しだけ身がこわばるのを感じた。
全国大会経験者の言葉は重い。けれど、琉聖が憶測で物を言っているわけじゃないことはわかる。
琉聖自身が言葉の体現者なのだ。できないことを、できるようになるまで練習する。それは琉聖が実際にやってきたことで、だからこそ彼は中学ナンバーワンセッターになれた。できなかったことが、厳しい鍛錬を積み重ねることでできるようになったから。
チームのみんなもそれがわかっているから、文句は出ない。琉聖が純粋な天才プレイヤーではなかったことは、コートに立ち、誰よりも必死に勝ちを追い求めて動き続けていた彼を見れば一目瞭然だった。
「がんばろ、煌我くん」
交替がかかり、コートを出た煌我に、美砂都は一番に駆け寄ってドリンクのボトルを手渡した。
「すぐにできるようになるわけじゃないから。毎日コツコツ続けて、春高までにできるようにすればいいんだよ」
琉聖がみんなに鞭を打つなら、わたしは優しい言葉をかけてあげよう。そんなつもりで美砂都は煌我に寄り添おうとしたけれど、煌我はどこか納得できない顔でボトルを受け取り、首を横に振った。
「早くうまくならなきゃ」
めずらしい。煌我が瞳を揺らしている。
「どうして?」
美砂都が尋ねると、煌我はコートの中でトスを上げている伊達を見た。
「今度の大会、セッターが琉聖じゃないからさ」
そっか、と美砂都も心の中でつぶやきながら伊達を見る。
煌我なりに、セッターを始めたばかりの伊達を気づかっているのだ。レシーブがきれいに返れば返るだけ、伊達は落ちついてトスを上げられるはずだから。
「怒られるかもしんないけど」
煌我の視線が、今度はコートの外から中へ声をかける琉聖へと向けられる。
「琉聖だったら、ちょっとくらい甘えても大丈夫なとこあるじゃないっすか。レシーブ乱れてもなんとかしてくれるっていうか、笑ってごまかしとけばいい、みたいな」
「うん、わかるよ。でも絶対怒られると思う」
ですよね、と煌我は大きく笑った。笑いごとじゃないんだけどなぁ、と美砂都は思ったけれど、煌我の顔はすぐに真剣な眼差しを湛えた。
「それはそれとして、今のセッターは伊達さんだから。レシーブがちゃんと上がんないと、伊達さん、絶対困るでしょ」
おれが助けないと、と煌我は言った。レシーブが上がらなければ試合に勝てないという事実は、セッターが琉聖である時よりも、伊達がセッターを務める今のほうがチームに重くのしかかってくる。
その点に関して、煌我は責任を感じているようだった。琉聖に指摘されるまでもなく、自身のレシーブ力の低さがチームの足を引っ張っていることを理解している。
レシーブが下手なら、リベロをつければいい。そうやって簡単に割り切れるのならいいが、こと煌我に関してはその作戦は使えない。
煌我はバックアタックを打たなければならないからだ。そのためには後衛に下がってもコートに残り続けなければならず、コートに立つ以上、レシーバーとしての役目を必ず果たさなければならない。
バックアタックを決めたい。でも、そのためにはレシーブを上げなければいけない。
自分で拾って、自分で打つ。前衛でも後衛でも、うまいプレイヤーはそうやって勝ちをもぎ取ることができる。それができてこそ、胸を張ってエースを名乗ることを許される。
そして煌我には、その自覚がある。
正セッター不在という苦境を乗り越えるために、自分がなんとかしなければならないのだと。
「じゃあ、練習する?」
焦る必要はないと思ったけれど、煌我の気持ちが少しでも落ちつくなら、と美砂都は煌我の前を離れ、ボールを一つ持って戻ってきた。
「間違ったフォームでくり返し練習しても無意味だから、まずは正しくレシーブできるように、形をからだに覚えさせるところから始めてみよ」
「正しく」
つぶやく煌我に美砂都はうなずいて返し、距離を取る。「いくよ」と声をかけてから、前傾にかまえる煌我の立ち位置から左右どちらかにわざとズラしたところへドライブショットを打ち込んだ。
レシーブの精度を高めるためにはまず、腕よりも先に足で反応する癖をつけることが肝要だ。今の煌我に必要な練習はそれだと考え、実践した。
煌我が焦る気持ちは理解できる。けれど、ローマは一日にして成らず。琉聖の言う「できるようになるまでやれ」は、小さな努力を積み重ねていけ、という意味だと美砂都はとらえた。成果がなかなか現れなくても、折れることなく続けていくこと。言葉にするのは簡単だけれど、実行に移すのは難しい。
でも、たとえば一万回、正しい練習がこなせたなら。
その先に訪れる試合本番でのレシーブは、きっときれいにセッターのもとへ返るはずだ。
琉聖、あるいは伊達の待つセットアップポジションまで、必ず。
今は苦しいかもしれないけれど、その瞬間を想像して、ひたすら耐え忍ぶしかない。
がんばれ、がんばれ、と煌我を励ましながら、美砂都による個人練習はしばらく続いた。今日だけでほんの少しコツが掴めたようで、終わった頃には煌我の表情がいつもの明るさを取り戻してくれていた。




