8.決着
ゲームは序盤以上にもつれ、長い試合になった。
コートに戻った煌我の奮闘ぶりは目覚ましく、時どき失敗しながらも果敢にブロックアウトを取りにいった。レフト側からの攻撃では星工のブロックシフトがストレート側を厚くしていたこともあり、失礼な言い方だが、煌我の練習にはもってこいだった。
失敗するたびに快が細かくダメ出しをして、それに対して煌我がわーわーわめき散らしていたけれど、今日だけは見ないフリをしてやろうと琉聖は心を鬼にして二人のやりとりを見守った。スパイクに関しては、セッターの琉聖よりも実際にスパイクを打つ快や雨宮が指導したほうがより深い理解につながると考えたことも理由の一つだった。
そうして煌我が活躍すれば、星工サイドも黙ってはいない。前衛のサイド攻撃が中心だった相馬のトスは、時間の経過とともにコート全体を使った多彩な攻撃へとその姿を変えていった。
それこそが、琉聖にとってこの試合における唯一の誤算だったかもしれない。
伊達の分析をもとに、雨宮とオグに「ブロックはサイド攻撃を止めにいくように」と指示して数分、さっそく効果が現れた。遅れずに飛べるようになった雨宮のブロックが決まり出した。
センターからの攻撃がないとわかると、マークすべきアタッカーが一人減る。セッターの相馬が前衛にいるなら、前衛から打ってくるのはサイドアタッカーただ一人。もちろんバックアタックはあるので要警戒ではあるものの、相馬の対角に入っているオポジットの峰が前衛に上がってくるまでは少し楽に守れる。そうして心に余裕が生まれ、中盤、実里丘は連続得点を挙げて十四対十三と逆転に成功した。
だが、そんな丘高サイドの守備陣形の修正こそ、相馬の思惑どおりだった。
実里丘に逆転を許した直後、相馬は動いた。実里丘は雨宮がサーブに下がるローテーションで、前衛のセンターにはオグがいた。
図ったように、相馬はセンター線を使い出した。それまで一度もトスの上がらなかったミドルブロッカーの二年生にAクイックを打たせ、バックセンターからのパイプ攻撃も組み合わせてきた。
サイド攻撃を止めにいけと琉聖から指示を受けていたオグは、唐突に上げられたクイックのトスにまったくついていけなかった。相馬の気づきか、あるいは修が後ろから見ていて指摘したのか、序盤、オグが相馬の速いトスに飛び遅れていたことを彼らは実里丘の穴と考えた。
だからあえて、雨宮が前衛にいるうちはトスをサイドへ振り、雨宮にブロックポイントを取らせることで琉聖の指示が正しかったと思わせた。そしてタイミングを計り、前衛ミドルがオグに替わったところでセンター軸の攻撃にシフトした。忍耐力と、のちに必ず逆転できる底力が試される、しかし見事な作戦だった。
ノーブロックで打ち込まれるクイックをレシーブすることは困難で、勢いづいた星工サイドが一気にスコアを伸ばし、再び実里丘を引き離す展開になった。またしても琉聖は相馬との駆け引きに敗れ、十六対二十、星工が先に二十点に到達する。
「さすがに苦しいな」
雨宮がもどかしさを隠しきれずつぶやいた。
今のローテは、前衛がオグ、快、真野の三人。次に実里丘が得点すると雨宮が前衛に上がるタイミングになるが、現在実里丘は連続三失点中。完全に相手へ行ってしまった流れをどう取り返していいのか、混沌とした空気が実里丘コートに立ちこめている。
ベンチに戻った雨宮から再度座るよう強く言われ、おとなしく命令に従っていた琉聖だったが、おもむろに立ち上がり、コートサイドに向かって歩き出した。
「おい、久慈」
雨宮に呼び止められるのも聞かず、ネットから三メートルの位置にひかれたアタックラインを目指して歩を進める。
「真野さん」
声をかけた相手は真野だった。手招きすると、真野は疲れをにじませた厳しい表情で駆けてきた。
琉聖は星工コートに背を向けるようにして立ち、落とした声で真野に伝えた。
「トス、煌我に集めてください」
「佐藤くんに?」
「はい。快がブロックに捕まり始めています。少し時間を取りましょう」
星工の勢いに押されているせいか、真野のトスが快一人に集まり出しているのが気になった。もちろん快は頼れるサイドアタッカーだが、試合も終盤、何本も連続で決めさせてもらえるほど星工の守備は甘くない。
「わかった。佐藤だね」
真野は額から流れ落ちる汗を拭いながら言った。
「バック、ずっと呼んでくれてるのは聞こえてるんだけど、なかなか上げてやれなくて……。俺の気持ちに余裕がなさすぎるんだよな」
「大丈夫。煌我は口うるさく繊細なトスを要求してくるヤツじゃない。気持ち高めに上げてやるだけでオッケーだから。なんならめちゃくちゃテキトーでいいし」
テキトー、はさすがに言い過ぎた気もしたけれど、煌我だから問題ない。煌我のスパイクにトスの質が関係ないことは周知の事実だ。ブロックアウトなど、いろいろ覚え始めようとしている今はそんなことも言っていられなくなってきてはいるけれど、バックアタックに関してはおもいきり打てばいいだけだ。なら、テキトーでいい。高くてふわっと落ちてくるハイセットでかまわない。
真野がうなずくのを確認すると、琉聖はもう一言だけ真野に言った。
「騙されたと思って、しばらくあいつにトスを上げ続けてみて。あいつが本領を発揮するのは、こっからだから」
真野は目を丸くしたが、琉聖は自信を持って口角を上げた。
まだまだだ。覚醒した時の煌我の爆発力はこんなもんじゃない。
煌我の中には、四点差なんて簡単にひっくり返せるほどの力が眠っている。真のエースを目覚めさせ、秘めたパワーを引き出してやることこそセッターの役目だ。
負けない。負けたくない。
今日は練習試合だけれど、星工とはいつか必ずどこかの大会で対戦することになるはずだ。
その時のために、勝った記憶を植えつけておきたい。一度でも勝てたことのある相手と戦うのと、ひたすら負け続けている相手と戦うのとではモチベーションも緊張感もがらりと変わる。
本当は自分が試合に出て流れを変えたいところだが、今は真野に託すしかない。セッター歴で言えば、琉聖よりも真野のほうが長いのだ。信頼して、試合の行方を見届けるのが今日の琉聖にできる唯一のことだ。
ベンチに戻りながら、今度は左京に声をかける。
「次、入れるからな」
「サーブでー?」
「そう。オグと交替ね。準備しといて」
「ほいほーい」
左京からはいつもどおりのまったりとした口調が返ってくる。相手のスコアはすでに二十点に乗っているというのに、普段と変わらないゆるーい調子でジャンプをしたり屈伸したりし始めた左京のことが、琉聖は正直うらやましくてたまらなかった。どうしたらこれほどまでに心が強くいられるのか。右京も含め、今後、最上兄弟から学べることもきっと多いのだろうなぁと琉聖はぼんやりと思った。
今度こそベンチへ戻り、パイプ椅子に腰を落ちつけると、雨宮がそっと琉聖を見下ろした。
「あの人になにを吹き込んだ?」
真野のことを言っているらしい。琉聖は顎でコートのほうを指した。
「見てればわかるよ」
今日という日を迎えるまで、琉聖は星工に対して実里丘がここまで戦えるとは考えていなかった。
選手の素地も、練習量も、経験値も、なにもかもが星工よりはるかに劣る実里丘は、せいぜい十五点を取るのが精いっぱいだろうと思っていた。四月の正南学園戦の時にも同じことを感じていて、名北ベスト4を目標に掲げながら、正南にボロ負けして終わるのが関の山だろうと見ていた。
だが今のところ、そうした琉聖の予想はことごとくはずれている。
チームの半数以上が身長一八〇センチに届かない選手の実里丘が、平均身長一九〇センチを超える大型チームの正南学園を窮地に追いやることができた理由。そして今、実力派セッターによって怒濤のスピードバレーを展開してくる星工と競った試合ができている理由。
下馬評を覆す戦いがどうして自分たちにはできるのか。
その理由が、今ならわかる。
「さぁ、声出していこうぜ!」
エンドラインにほど近い場所でかまえている煌我が、両手を広げて声を上げ、大きな笑みを浮かべて続けた。
「まだ負けてない! こっから一気に九点取ったらおれたちの勝ちだ!」
九点て。琉聖も含め、丘高サイドの誰もが最初は苦笑いしたけれど、それも一瞬のできごとだ。並んだ苦笑は、次第に力強い笑みへと変わっていく。
コート内の淀んだ空気が、煌我の一言で一変した。霧が晴れたかのように、前向きな顔つきと互いに掛け合う明るい声で満ちていく。
これだ。これこそ、実里丘が強豪チームを追い詰められる最大の理由。
煌我がいること。
どんな苦境に陥っても、ただ前だけを見て勝ちを追い求め続けられる煌我の存在こそ、実里丘の強さの理由だ。
中学時代の琉聖は、負けないことを目指していた。負けることに怯え、勝たなければならないのだという強迫観念にとらわれてバレーをしていた。
でも、煌我は違う。もっと純粋に、勝つことの喜びだけを求めている。
言葉にするのは簡単だが、実践することはかなり難しい。負ける未来が一瞬でも頭をよぎると、少なからず気持ちが揺らぎ、プレーに影響が出るものだ。
だが、煌我は揺らがない。どれだけ劣勢でも、勝つことをあきらめない。どんな相手だろうと、勝てると信じることをやめない。
煌我がいれば、チームが下を向くことはない。背が低くても、技術で劣っても、見えないくらいに細い勝ち筋をあきらめずに追い続けようと思わせてくれる。
だからきっと、このピンチも煌我なら乗り切ってくれる。煌我が風穴を開けてくれる。
バカで、自信過剰だけど、それでいい。
厚すぎる壁を越えていくには、それくらいがちょうどいいのかもしれないと今は思える。
琉聖の期待どおり、真野は煌我にトスを集めた。煌我は琉聖の意図を知ってか知らずか、見ていて気持ちいいほど豪快にバックアタックを決めてくれた。
十七対二十。ここで琉聖はリリーフサーバーとして左京を投入。雨宮もコートへ戻り、逆転ムードが高まっていく。
琉聖の采配に狂いはなかった。狙ったのか、偶然そうなったのかはわからないが、左京のサーブは鉄壁のリベロ・修のもとへと吸い込まれ、しかし修がめずらしくレシーブを乱した。最後の最後、ボールが修の手もとで伸びたせいだ。
ほとんど胸で受けることになった修のレシーブは真上に上がり、二段トスからライトの峰が強打を打ち込んできたが、待ちかまえていた雨宮と快の二枚ブロックがきれいにシャットアウトした。
十八対二十。煌我のバックアタックで流れを引き寄せ、左京のサーブでさらにいい波へと乗った実里丘が連続ポイントを奪う。
だが、その後すぐに遠山に強烈なスパイクを決められ、十八対二十一。どうしてもついてしまう三点の差が、今の実里丘と星工の立ち位置を表しているようでもどかしい。
試合はそのまま取って取られてをくり返し、二十一対二十四と、先にマッチポイントを取ったのは星工だった。
どうしても、この一点が欲しい。琉聖はベンチから身を乗り出し、雨宮たちとともに大きな声を出してコートに力を送った。このラリーを取れば、次は煌我にサーブが回る。逆転の芽はまだ摘まれていない。
サーブレシーブから、真野はライト側で呼んでいる煌我にトスを託した。煌我は期待にこたえ、ブロッカーの手をおもいきり弾き飛ばす強烈なスパイクを放った。
ボールは星工コートの外に落ち、二十二対二十四。少なくともあと二点を連続で取れればデュースになり、試合はほぼ振り出しへと戻される。本当の勝負はそこからだ。
煌我のサーブはクリアされ、しかし相手からのリターンを眞生が懸命に拾い上げた。乱れたレシーブに真野が食らいつき、トスはレフトの快へ上がる。
頼む――。
祈るように、琉聖は快の飛び上がる姿を見つめた。快は器用に空中でからだを捻り、真正面に立ちはだかったセッターの相馬の手にあえて当たるようにスパイクを放つ。けたたましい音を立てたボールは、快のすぐ左、実里丘コートの外へと弾き出された。
スパイクが決まると叫ぶ煌我とは正反対に、快は黙ったまま、人差し指を立てた右手を天井に向けて突き上げた。その静かなる闘志の上へ、コートに立つ五人の仲間たちが満面の笑みで覆いかぶさる。
二十三対二十四。あと一点。ここはどうしても落とせない。
「っしゃあ! 勝つぞ!」
煌我はチーム全体に改めて気合いを入れ、サーブに下がる。負けることなどまるで考えていない、どこまでも前向きな表情。
勝てる。根拠のない自信が琉聖の胸にも宿った。このサーブで、流れがまたこちらへ来る。なぜだかそう思えてならない。
主審の笛が鳴る。煌我の強烈なジャンプサーブが放たれた。
ボコッ、という重低音が響き渡り、ボールが爆速で星工コートへ飛んでいく。
だが、その勢いはネットを越える直前に殺された。
ボールがネットの上側の白帯に振れ、ポゥン、とゆるやかに跳ねた。
まるでスローモーションになったかのように、青と黄に彩られた球が星工コートへ落ちていく。決まるか。誰もが息をのんでボールの行方を見守る中、あきらめの悪い男がボールの下にすべり込んだ。
相馬だった。セッターである自分が決して一本目を触ることのないような守備をさせていた彼が、同じくサーブレシーブに絡まない前衛のミドルブロッカーを差し置いて、ネットインのボールに食らいついた。
「上がった!」
相馬の声。すぐさま修が反応し、レフトで待つ遠山にトスを振った。
「雅貴!」
相馬が叫ぶ。遠山は気合いの入った助走から、自分が決めるという強い気持ちのこもった強打を実里丘コートに打ち込んだ。
スパイクはストレートコースを狙われ、当たった右京の右手から大きく跳ね上がり、真野の頭上、エンドラインを大きく割ってフロアを跳ねる。
二十三対二十五。
星川工科高校とのはじめての練習試合は、あと一歩届かない、悔しさに満ちた敗戦からのスタートとなった。




