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CHANGE ~県立実里丘高校男子バレーボール部の瓦解~  作者: 貴堂水樹
第2セット 勝ちの目指し方

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26/37

6-5.逃げるな

   ○


「ナイス、峰!」


 バックアタックを決めた峰佳志(よしゆき)のもとへ全員が集まり、相馬もホッとしたような表情を浮かべて峰と両手を重ねた。たった一点だが、自分たちがリードしているスコアボードを見ると安心できた。


「っぶねー……!」


 峰が顎を伝う冷や汗を拭いながら苦笑いした。


「焦ったぁ。今の、絶対コウに上がると思った。おれが騙されたわ、おまえのトスに」


 俺も、と前衛レフトでトスを待っていた桜井さくらい幸太郎こうたろうも言い、峰と笑い合っている。なにをバカなことを、と相馬は軽く苛立ちながら二人の立ち姿から目をそらし、実里丘コートを静かに見やる。

 今のタイミングでレフトへトスを振っていたら間違いなくブロックに捕まっていた。少なくとも久慈琉聖には読まれていて、相馬の手からボールが離れるよりも早くブロッカーに指示を出す声が聞こえていた。

 今は後衛に下がっているエースの遠山とおやま雅貴まさきならともかく、コウのスパイクでは得点につながらなかったはずだ。やはり、雅貴と峰が前衛にいないと心許こころもとない。今のローテーションをいち早く切り抜けることが目下の課題だ。


 つい、舌打ちがこぼれそうになる。

 まったくおもしろくない。そこらへんのよくあるチームと変わらない、目の端に入れる価値もない実里丘ごときを相手に、ここまでギリギリの試合をいられることがあっていいのか。

 あり得ない。許されていいはずがない。

 ここから一気に引き離す。もっと攻めよう。息をつく暇も与えないくらい、速く、強く。


 試合の準備を、とネット際に上がろうとした相馬だったが、妙に鋭い視線を感じ、足を止めた。

 振り返ると、修がにらむように相馬を見ていた。


「なんだ」


 相馬が問う。いつもニコニコとやんちゃな笑みを浮かべ、誰よりも楽しんでバレーをしている修が、めずらしく怒っているようだった。


「合ってない」


 修は臆さず、相馬に言った。


「トスが合ってない。さっきコウ先輩に上げたトスも、今、峰先輩に上げたバックアタックのトスも」

「なに?」


 トスが合っていない、だと――?

 相馬は修をにらむように目をすがめる。一方で、修に指摘されたアタッカー陣は、どこか焦ったように目を泳がせ、何人かは小さく生唾をのみ込んだ。


「そんなことないよ」


 誰よりも先に口を開いたのは、相馬ではなく、峰だった。


「俺らの入りが遅いんだ。すまん、相馬。もう少し早く準備して……」

「違うって」


 修は峰のフォローを一蹴し、峰に詰め寄る。


「ねぇ、なんで言わないの? 相馬先輩のトス、どんどん低くなってるじゃん」


 峰がおもいきり顔色を変えた。それ以上にハッとさせられたのは相馬だった。


 トスが低くなっている?

 バカな。オレのトスがブレるはずは――。


 針で引っ掻いたような細い痛みが胸に走る。同時に、腹の底から途方もない怒りの感情が湧き上がってくるも感じた。

 相馬の歯噛みするかすかな音が、コートの中心から波紋のように広がっていく。

 何様のつもりだ。一年の分際で、このオレにトスの指摘をするなんて。

 オレのトスはいつだって完璧だ。

 間違うはずがない。絶対に。


「修」


 峰が強張った表情で修の肩に手を触れる。


「いいよ、もう。その話は……」

「なにがいいの?」


 修は肩に載せられた峰の手を振り払い、峰のことも相馬と同じようににらんだ。


「意味わかんない。おれが外から見ててわかるんだから、実際に打ってる先輩たちが一番よくわかってるはずでしょ。なんで言ってあげないの、相馬先輩に。トスが低くて打てないんだって。苦しいんだって、言ってあげなきゃわかんないじゃん!」


 修の声が徐々に叫びへと変わっていく。いよいよ峰は口を閉ざし、他のアタッカーたちも同じように、困惑を隠しきれない様子で互いに目配せを交わした。


「琉聖は気づいてたよ、中学の時から」


 修は黙りこくるアタッカーたちを見やりながら、感情のまましゃべり続ける。


「相馬先輩は、試合が劣勢に傾くとトスが低くなるって。焦りがトスに出るんだって。そういうのって、誰かに教えられなきゃ気づけないことだよ。自分が正しいと思ってることが実は間違ってたなんてよくある話じゃん。大事なのは、それを直せるか直せないかでしょ。自分で気づけないことは、誰かが言ってあげなきゃダメなんだよ。なんでそこを怖がるの。逃げんなよ! あんたたち、ずっと一緒にバレーやってきた仲間だろ!」


 仲間。

 聞き流せばいいと思っていた修の主張の中で、その言葉だけは相馬の胸を深く抉った。


 相馬がはじめて、コートの上で視線を下げた。

 いつからだっただろう。

 何十人といる部員のうち、信頼できるチームメイトの数を絞るようになったのは。


 雅貴。峰。あとは、……あとは。

 二人の顔以外には浮かばない。星工という、全国大会の舞台に限りなく近い場所にいるチームを選んで入学したはずなのに、相馬のレベルに見合ったプレーのできるアタッカーは少なかった。速くて攻撃的な相馬のトスを、アタッカーたちはことごとく打ちきれず無駄にした。


 そんな中、雅貴と峰は一年の頃から相馬のトスについてきてくれた。呼吸が合うのを肌で感じることができた。

 三人で同じコートに立ってプレーするようになった去年の新人戦シーズン以来、二人を攻撃の要に据え、着実に勝ちを重ねてきた。

 オレたち三人と、その他大勢。態度や口にこそ出さないけれど、心のどこかでこのチームをそんな風に思うようになっていた。

 雅貴と峰の話は聞く。それ以外のヤツは、まずはオレと同じレベルに立ってから意見を言え。いつまで経っても自分に追いついてこない多くのチームメイトに対する苛立ちと失望が、いつしか相馬の心を支配し、孤高の司令塔を作り上げた。


 右の拳を握りしめる。

 それでいい。オレは変わらない。レベルの低いところでヘラヘラ笑っているヤツに上げるトスなど一本もない。

 トスが低くなっているんじゃない。コウの入りが遅いだけだ。

 そうに決まっている。オレは間違ってない。


 なのに、なぜだ。

 間違っていないはずなのに、どうして顔が上げられない――?


「ねぇ、なんとか言ってよ」


 沈黙の流れる星工コートに、修の今日一番の大声が響いた。


「おれ、琉聖に負けたくないんだけど!」


 相馬の視線が静かに上がる。他の四人も同じように、なにかに気づかされたような顔をし、修を見た。


 修の真剣な眼差しが、責めるように五人の三年生の心を貫く。

 星工のバレーに憧れ、星工の力を信じ、チームのひとかけらとして勝利を目指すために入学した少年は今、大いなる失望の最中さなかにいた。相馬がそうだったように、修も今、チームメイトに裏切られたと感じている。目を見れば、少なくとも相馬にはわかる。


 このチームじゃ勝てない。

 修がそう感じて嘆いているのは相馬たち三年生のせいだ。

 同じコートに立つ仲間に対し、言うべきことが言えない。距離があり、互いに手の届かないところでバレーをしている。


 そんなことで、勝てるわけがない。そうして知らぬ間に作ってしまった穴を、琉聖は絶対に突いてくる。

 修は上級生を相手に、その事実を懸命に伝えていた。


 相馬は静かに目を閉じる。

 気に入らない。たいそう気に入らないが、目を背けてはいけないことだと心が訴えかけてくる。


 勝ちたい。そう強く思っているだけだ。

 だから、攻める。速く、鋭く、弾道の低いトスで。


 けれど一方で、わかってもいた。

 コウが当たっていない。いつもどおり打てていない。

 打たせなければならない。それができなければ試合に勝てない。


 そうして気づかないうちに焦りを覚え、コウとのコンビが合わなくなっていたということか。

 いつもどおりだと思っていたはずのトスが、いつもどおりじゃなくなっていた。

 だとしたら。

 だとしたら、悪いのは。


「ごめん、相馬」


 コウが勇気を振り絞り、震える声で相馬に言った。


「おれ、下手だから。雅貴みたいに、おまえの速いトスをうまくさばけない」

「コウ」

「さっきのも、峰に上がってよかったって思っちゃってた。おれじゃなくてよかった、って。おれに上げられてたら、たぶん、ブロックにかかってた。おれ、今……おまえにトスを上げられるのが怖い」


 うつむいたコウの瞳は揺れていた。これまで相馬の指示に従順だった彼が、相馬に自分の気持ちを伝えたのはこれがはじめてのことだった。

 知らなかった。コウが怖がっていたなんて。

 アタッカーという生き物は、とにかく自分にトスをくれと吠える獣のような存在だとばかり思っていた。自分で点を取りたくて、カッコよくスパイクを決めたくて、自分の力で試合に勝ちたい。そう思うのが当たり前なのだと。


 コウだってそうだったはずだ。それがいつから、こんな風に怯えるようになったのだろう。トスが欲しいと叫ぶことを忘れてしまったのだろう。

 違う。今度は相馬が瞳を揺らした。

 オレだ。オレが忘れさせたんだ。

 理想を追い求めすぎたせいで。打てないトスを、それでも打てと無理やり押しつけてきたせいで――。


「俺からも頼むよ、相馬」


 雅貴がコウの肩に腕を回して相馬に言う。


「俺へのトスは変えなくていい。だけど、コウに上げてやる時は、もう少しだけ高くしてやってくれないか」

「雅貴」

「わかってるだろ、おまえにも。コウは下手じゃない。今は合ってないけど、本当はおまえのトスをちゃんと打てるアタッカーだ。トスを高くしたことで遅れが出たなら、その分は俺が必ず取り返す。おまえの理想は、俺が叶える。だから」


 峰が雅貴のすぐ隣に歩み寄る。自分も雅貴と同じ意見だと、彼は暗に主張していた。

 雅貴と峰に見つめられる。相馬はいよいよ、誰にも聞こえないくらいの音で舌打ちをした。


 くそ。どいつもこいつも――。


 心の中だけで悪態をつく。一日のうちにこんなにもたくさんの意見を浴びせられたのは久しぶりだ。

 司令塔として、キャプテンとして、チームを引っ張っていくのが当たり前だと思っていた。多少強引でも、反感を買おうとも、勝てさえすればそれがのちに正しい選択だったと証明されるのだと考えていた。


 だが、違った。

 バレーボールは、一人で成り立つスポーツじゃない。

 彼らは、仲間たちは皆、相馬にそのことを伝えたいのだと気づいた。

 気づくのがずいぶん遅れてしまった。


 コウ、雅貴、峰の三人を順に見る。もう一人の三年生、ミドルブロッカーの木下きのした文生ふみおも、どこか祈るような目をして相馬を見ていた。


 一つ、息をつく。

 負けたくないと叫んだ修の声が蘇る。


 そうだ。負けたくない。

 久慈琉聖にだけは、絶対に。


 星工に入ったばかりの頃、こう強く思ったことを思い出す。

 オレのトスで、いつか星工おまえら全員にテッペンの景色を見せてやると。


 導かなくてはならない。誰一人置いていくことなく、チーム全員で高校バレー界の頂点に立つ。

 ハイレベルな相馬のトスが打てる部員。打てない部員。

 さまざまな選手がこの星工バレー部にはいる。相馬と同じコートに立って、一つのボールを追いかけている。

 壁を作ってはいけなかった。雅貴と峰の存在に、いつの間にか負の感情を預けるようになっていた。


 トスは変えない。変えたくない。永く信じてきたものを簡単に手放すことはしたくない。

 だが、意識は変える。変えなくちゃならない。

 オレのトスが打てなくても、コートに立っていなくても、心を重ね、一緒に戦えば、そいつは仲間。置き去りにしてはならない、大切なチームメイト。


 オレが連れていく。

 オレのトスで、まだ見たことのない高みへ、必ず――。


 相馬は静かに、ネットに向かって歩き出した。

 八対七。今ならまだ間に合う。

 取り戻そう。忘れかけていた大切なものを。

 ここにいる全員で、頂点を目指す。今はまず、久慈琉聖をぶっ倒す。


 ようやく奪還できたリードを、この先いかにして死守するか。考えるべきはそれだけだ。

 それさえできれば、負けることはない。

 コウを打たせる。いや、全員を打たせて勝つ。

 それができてこそ、司令塔セッターだ。


「相馬!」


 雅貴の声が、相馬の背に突き刺さる。

 立ち止まり、振り返った相馬の視線が最初にとらえたのは、まだ怒りの治まらない小さな守護神の立ち姿だった。


「生意気言いやがって。おかげですっかり頭が冷えた」


 じっと相馬をにらんでいた修の表情がわずかに和らぐ。他の四人も両眉を跳ね上げ、雅貴の口もとにはニッと力強い笑みが浮かんだ。

 相馬は同じコートに立つ五人のチームメイトに目を向ける。

 チームの先頭に立つのはあくまで自分だと改めて宣言するように、相馬は高らかに声を上げた。


「立て直す。練習どおりにやるぞ。狂った寸法は、なにもかもすべてリセットだ」


 ずっと顔を下げていたコウが視線を上げる。目を合わせた相馬はうなずき、勝ちを確信した笑みを浮かべ、闘志を全身に漲らせて言った。


「ついてこい。全員まとめて、オレが最高のアタッカーに仕立ててやる」


 四人のアタッカーの、いや、仲間たちの雄叫びが体育館じゅうに響き渡る。修の顔にも「やれやれ」といった表情が浮かび、「さぁ、こっからだよ!」といっぱしの声を出してチームを鼓舞した。


 そう、ここからだ。

 実里丘と競った試合をしているなんて事実を、このまま放置しておく訳にはいかない。


 取り戻す。

 失いかけた信頼も、圧倒的な力量の差を見せつけて勝つはずだった未来も。


 コウへのトスは、少し高く。

 それでいて、自分のやるべきことは見失わない。


 速く、正確に、相手の隙を生み出すトスワークを。

 仲間たちに、気持ちよく点を取ってきてもらうために。


 サーブに下がった峰に、相馬は大きな声で力を送った。

 星工コートに漂っていた淀んだ空気が、新鮮なきらめきを取り戻した。

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