5-3.勝ちにこだわる理由
うまく息継ぎができずに咳き込んでは、またハァハァと懸命に呼吸しようとしている。一歩対応が遅れれば過呼吸で倒れていてもおかしくなかったというような琉聖の様子に、快は真正面からパンチをくらったような痛みを胸に覚えた。なにが起きたのか、理解がまるで追いつかない。
「あちゃー」
雨宮がボールを脇にかかえ、困ったように自らの頭をかいた。
「やっぱダメだったか、久慈のヤツ」
やはり、だと?
エンドラインではなく、ベンチの並べられた側のサイドラインに向かって歩き出した雨宮の背中を、快は険しい表情で見つめた。
「おーい、公恭ー」
雨宮に呼ばれた伊達が振り返る。「ごめんごめん」と伊達は軽く手を挙げて雨宮にこたえた。
「こっちは大丈夫。ちょっと苦しくなっちゃっただけで、少しずつ落ちついてきてるから」
「そうか。じゃあ、そっちは頼むな」
「了解。オグ、ナイスブロックだったよ!」
伊達がオグに向かってサムズアップした。左京と、琉聖の背後に回って首にアイシングをしている美砂都も「ナイスー!」とオグにエールを贈り、琉聖の隣に座る眞生は「オレ見えんかったー」と一人嘆いた。
「っしゃあ!」
煌我が握った右の拳を左の手のひらにパシンと軽く打ちつけた。
「琉聖もがんばってんだ。あいつのために、おれたちで勝ちをプレゼントしてやろうぜ」
おう、と快以外の四人は呼応して、それぞれのポジションへと散っていく。琉聖に聞かせてやろうとでも思っているのか、誰もが声を張り、コートに明るい空気が戻ってくる。
快の立っている一点だけが世界から切り取られ、置き忘れられているようだった。さも当たり前のように交わされたコートの中と外のやりとりは、新一年生が入部してまだ一ヵ月しか経っていない部で見られる光景にしてはあまりにもできすぎている気がする。
いや、きっと気のせいではない。
それだけのことが、チームとして強固な絆を結ばなければ乗り越えられなかったできごとが、この一ヵ月の間に起きた。
そのできごとこそが、たった八人しかプレイヤーのいないチームが古豪・正南学園を相手に五分の戦いができた理由。
実里丘という実績のない高校に、かつてのチームメイトが可能性を感じた理由。
「驚くよな」
一人呆然とコートの中央で立ち尽くしている快に、同じ後衛の真野が歩み寄った。快に話しかけながら彼は、振り返って琉聖の姿に目を向ける。
「あれが、あの子がバレーをやめようと思った理由なんだって。過去の失敗が忘れられなくて、ふとした時に思い出しては苦しくなっちゃう。自分で自分を責めすぎてしまうんだろうね。失敗した自分のことが許せないというか」
過去の失敗。星川東中でのできごと、ということか。
彼の在籍していた星川東中は、長年に渡って愛知県ナンバーワン中学校の座を守り続けているチームだ。昨年、琉聖たちが主軸の代は全国でもナンバーツーの称号を手にしている。
その栄光の裏側で、彼は心を壊してしまうほどの経験をしたということなのか。輝かしい成績を掴み取った代償として、彼は癒えない傷を負い、今なお苦しみ続けている?
「ならば、なぜ」
高校バレー界では無名の実里丘を進学先に選んだのだから、琉聖が本気でバレーボールをやめるつもりだったことは察するに余りある。
それが一転、選手として復帰しただけでなく、コーチ不在のチームにおいて指導者の役割まで担っている。琉聖を連れ戻したのはおれだと煌我が言っていたが、今の琉聖の様子を見る限り、そう簡単に戻る判断ができたとは思えない。
では、なぜ。
「立ち直れると思ったんだろうね、このチームでなら」
快のひとりごとに、真野が穏やかに微笑んでこたえた。彼の視線の先で、琉聖が懸命に顔を上げようと踏ん張っている。
「普通はさ、プレーのレベルに差がありすぎるとチームとして噛み合わなくて、レベルの高い側も低い側も一緒にやっていてつまらないものだと思うんだ。それでも久慈くんは、実里丘のバレー部でもう一度バレーと向き合うことを選んだ。このチームでならバレーがしたい。彼にそう思わせるなにかが、うちのバレー部にはあったってことだ」
このチームで、バレーがしたい。
琉聖はいったい、なにを信じて今のチームを選んだというのか。
「いいチームになると思うよ、きみたちは」
真野は快と、まっすぐ目を合わせて言った。
「俺たちがいた頃よりも、ずっと」
傾けられた真野の美しい微笑には、隠しきれない後悔の色がにじんでいた。一瞬だけ見せたその色を彼はサッとしまい込み、快の肩に手を載せた。
「さぁ、勝ちにいこうか」
気合いの入った瞳をして、真野は「雨宮、ナイスサーブ!」と後輩を鼓舞する。雨宮の一代前のキャプテンであり、司令塔でもある彼は、前衛の三人に声をかけることも忘れない。
「……このチームでなら」
真野の言葉を、快は人知れず口にする。
わからない。琉聖がこの平凡以下のチームになにを見いだしたのか。どんな期待をかけているのか。
右の拳を握りしめる。目の前の試合に集中しなければならないのに、あの男の顔が脳裏をちらつく。
勝たなければならない。
バレーボールという競技で、どうしても。
チャンスはもう何度もない。いや、おそらくこの秋の一回きりだ。
半年後の、春高バレー愛知県予選。
あいつと真正面からぶつかれるのは、そして、あいつを唯一倒せる可能性があるのは、今年の春高予選だけ。
久慈琉聖という天才と同じチームにいられる時間が、バレーボールの神様に与えられた最後のチャンス。
無駄にしてはならない。絶対に。
雨宮のサーブが星工コートに打ち込まれる。二度目ともなれば相手はきっちり対応してきて、レシーブはセッターのもとへと正確に返る。
どこから来る、なんてことを考えさせてはもらえない。トスはレフトサイド、オポジットの選手に上がった。
「レフト!」
雨宮の声。速さのある低いトスに、オグはやはりブロックに飛び遅れてしまう。
しかし、先ほどのオグのブロックを警戒したのか、相手は右京の飛ぶストレートコースを狙って強打をたたき込んできた。スパイクは右京の両腕の間を見事にすり抜け、バックライトを守る真野の真正面に放たれる。
真野は軽く後方へ吹っ飛ばされながら、しかしボールはしっかりとアンダーハンドで受け止めていた。勢いを殺しきれず、レシーブは天井に吸い込まれていくように高く高く上がっていく。
「高木、頼む!」
真野が左を振り返りながら叫ぶ。今のレシーブから二段トスを上げるのにもっとも都合のいい位置にいるのは快だ。
「ライトライトー」
右京が助走の体勢を整え、快のトスを呼んでいる。レフトでも煌我が「快、持ってこい!」と叫んでいるのが聞こえた。
高く跳ね上がった真野のレシーブボールを快は見上げる。
この軌道。この高さ。
トスに換えるのは、もったいない。
快が左足から動き出す。ボールとの距離をはかりながら、助走を取り、両足で力強く踏み切った。
高らかに飛び上がり、肘をめいっぱい引いた右腕を勢いよく振り抜く。バコンッ、とボールがヘコむような音が体育館じゅうに響き渡った。
目では追いきれないほどの速さで、快のたたき込んだボールは星工コートに飛んでいく。ほとんどノーブロック状態で放たれた快のバックアタックは、セッターであるキャプテンのすぐ左でフロアを跳ねた。
ストン、と静かに着地した位置はアタックラインを越えていた。だが、助走を踏み切ったのはアタックラインよりも後ろだった。問題はない。
主審がブザーの音を鳴らす。反則は取られず、実里丘の得点になった。
「わお」
左から雨宮の声が聞こえてきた。
「すごいな。打っちゃうのね、今のを」
快は無表情のまま雨宮を見やる。この人はなにを言っているのだろうと本気で思う。
バレーボールにおいて、レシーブボールをトスととらえ、相手コートに打ち込んではいけないというルールはない。三回のボレーを必ず経て返球しなければならないわけでもなければ、味方が触れる二本目が絶対にトスでなければならないということもない。
ファーストレシーブでいきなり相手コートに返してもいいし、今の快がそうしたように、トスに近い軌道で上がったレシーブボールを強打で打ち返してもいい。セッターによるツーアタック、ブロッカーによるダイレクトアタックが時に有効打となるのは、バレーボールが基本的に三回のボレーで返球することを目指すスポーツだという共通認識を逆手に取った攻撃だからで、今しがた快の放ったカウンター攻撃もその一種。驚かれるようなことをした覚えはなかった。
「いけませんか」
誰もが驚きに満ちた顔で快を見つめる中、快は雨宮の立ち姿に目を向けたまま言った。
「二段トスからの攻撃で、点が取れるとは思わなかったので」
トスを呼ぶ声は聞こえていた。上げるのならレフト側、煌我に振るのがいいと考えなかったわけではない。
だが、真野がからだを張って上げてくれたレシーブを無駄にしたくないという気持ちが勝った。バックアタックで打ち切れそうな高さと位置にボールが上がっていたこともあったけれど、なにより、煌我にパスをつないだとしても、確実にこのラリーを物にできるという未来が見えなかったことが大きかった。
「なんだよそれ」
声を荒げたのは煌我だった。
「どう意味だよ、今の」
「そのままの意味だ」
間髪入れず、快は答えた。
「点の取り方も知らないおまえにトスを振って、この試合に勝てると思うほうがどうかしている。違うか?」
煌我は豆鉄砲を食った鳩のような顔をして黙る。少なからずショックを受けているようだが、すぐに反撃の言葉を口にした。
「そんなの、やってみなくちゃわかんないだろ!」
「わかる。おまえのスパイクでは、星工の守備レベルの足もとにも及ばない。久慈の指示どおり狙ったさっきの一打は運よく決まっただけだ。二度目はない。おまえのような単調な攻撃をくり返すだけのアタッカーは、星工にとっては絶好の餌食だ。おまえの攻撃からのカウンターで点を取る。向こうのセッターにはすでに、そのビジョンが見えている」
練習のレベルも、目の肥え方もまるで違う。現状の実里丘は、富士山の一合目から見えない頂上をぼんやりと見上げている登山初心者集団のようなものだ。ただやみくもに、正しい登り方もわからないまま入山している。根拠のない自信だけを携え、仲よく笑い合いながら。
勝てるわけがない。
勝とうとしているとは思えない。
全国制覇だと?
本当に、どこまでも笑わせてくれる。
「真野先輩」
快は右隣の真野に声をかけた。
「バックアタックのトスを呼びます。高さはどんな風でもいい。佐藤にまかせていては勝てません。オレにトスをください」
「快!」
煌我が真野よりも先に叫んだ。この期に及んでまだ言い訳をするつもりかと、快は煌我を睨みつけた。
「言ったはずだ。オレは高階に勝てるバレーを目指していると。こんなところで、こんなぬるい試合をして喜んでいる時間はない」
そうだ。時間がない。
追いつき、追い越したい男がいるのだ。
煌我だけでなく、今度は同じコートに立つ全員に向かって快は言った。
「オレは勝つためにここへ来た。仲よしごっこで勝てるほど、バレーボールは甘くない」
勝てないプレーをしているヤツに、勝てるプレーをしろと言うのは間違っているだろうか。
バレーボールに対する認識が異なる仲間とチームを組んで、果たして試合に勝てるのだろうか。
負けるわけにはいかない。勝たなければならない。
星工に負けているようでは、高階には百パーセント勝てない。
下位層からの大逆転を狙うには、このチームではあまりにも意識が低すぎる。
今のバックアタックだって、県大会上位レベルでは当たり前に見られるシーンだというのに――。
「快」
静まりかえるコートの中に、コートの外から声がかかった。
全員の視線が一点に集まる。
サイドラインの外に立っていたのは、琉聖だった。




