5-1.仲間たちの決意
○
星工コートのほぼ中央に、修がどっしりと構えていた。遠くから見ている琉聖にさえ、彼の瞳に真っ赤な炎が揺れているのがわかる。煌我に肩口を狙って打たれ、拾えなかったことがよほど気に入らなかったらしい。
修はいつもそうだ。ミスが出た時ほど燃える。
次は絶対に落とさない。スイッチの入った修のレシーバーとしてのプレーは時に人知を超える力を発揮する。彼の放つ見えないオーラになぜかボールが吸い寄せられて、どんな剛速球でもするりと拾い上げてしまう。
星工のサーブレシーブは、セッターの相馬と前衛ミドルの二年生を除く四人で陣を敷くようだ。修を中心に、その他の三人がそれぞれローテーションを崩さないような位置取りで立っている。オポジットの三年生と後衛のアウトサイドヒッターはどちらも琉聖の中学時代の先輩で、彼らが各サイドライン寄りに構えていることから、修の守備範囲がかなり広いことがわかる。サーブレシーブはほとんど修にまかせきりにするつもりのようだ。
そうしたい星工サイドの気持ちは痛いほどわかる。修はスパイクレシーブもいいけれど、それ以上にサーブレシーブの精度が高いレシーバーだ。
あの日のことを思い出す。
去年の夏、全中の決勝戦。
最終セット、相手のマッチポイント。次のラリーで試合が決まるかもしれないという大事な場面。
相手チームの放ったサーブは、まさに吸い寄せられるかのようにまっすぐ修のもとへ飛んできた。それを修はいつもどおりの冷静さで鮮やかにレシーブし、ボールは文句のつけようもないAパスで琉聖のもとへと返された。
だというのに。
修のレシーブは完璧だったのに、俺は――。
琉聖はコートに背を向ける。不意に蘇った絶望の瞬間に、過去へと一気に引き戻される。
きつく瞑ったまぶたの裏に、あの日の光景が次々と映し出される。
修のレシーブは素晴らしかった。運命を分ける一大局面だったにもかかわらず、いつもどおりのプレーができる高い精神力は紛れもなくチーム一だった。
問題は琉聖のプレーにあった。あの試合を見ていたという煌我の弁によれば、そのあとの琉聖のトスも完璧だったように見えたらしい。
右の拳を握りしめる。
実際にはそうじゃない。完璧でもなんでもなかった。
琉聖のトスミス。判断を誤った結果だった。
フィルム映画のように頭の中で流れ続けるあの日のビジョンがぐにゃりと歪む。脳みそをぐるぐるとかき混ぜられているようで、だんだん気分が悪くなってくる。
相手の裏をかこうと思った、とはひどく都合のいい言い訳で、本当はそんなつもりなど微塵もなかった。
ただ、逃げただけだ。レフトでトスを呼んでいた黒矢の声に耳を塞いだ。それが真実。
あいつには上げたくない。
ほんの一瞬、そう思ってしまったばかりに迷いが生じ、後輩に託したAクイックのトスがわずかに低くなってしまった。修とは真逆の、弱い心が生んだ最悪の結末だった。
――どうしてオレに上げなかった!
黒矢に怒鳴られるのも当然だった。言い返せることなどなに一つなかった。
――なにやってくれてんの、最後の最後まで。
憲翔が上から見下ろしてくる視線が痛かった。
息ができない。吸っても吸っても肺に酸素が入ってこない気がして怖くなる。
苦しくて胸を押さえる琉聖の耳に、ぼそりとつぶやいたのは白石だった。
――逃げたね、久慈くん。黒矢くんから。
泳ぎ方を見失い、徐々に沈んでいく水の中で、白石に足首を掴まれた。
――残念だよ。僕のバックアタックという選択肢もあったのに、よりによってアキくんのAを選ぶなんて。どうだろう、せめて僕にトスを振ってくれていたら、こんな惨めな終わり方にはならなかったと思うんだけどね。
白石の右手が、もっと深い海の底へと琉聖を引きずり込んでいく。
黒矢にクズと蹴り飛ばされたこともきつかったけれど、こうして白石から静かに責められた時間も、忘れることはできなかった。
――本当に残念でならないな。きみには最後まで、賢いセッターでいてほしかったのに。
泣くことさえ許されず、ひたすら顔を下げて表彰式の時間を待っていた琉聖に、白石は淡々と、一方的に言いたいことを言い尽くした。
頭の回らない、正しい選択のできないおまえに用はない。
容赦なく切り捨てられたその時、バレーはやめようと決心した。
おまえはいらない。
バレーボールの神様から、そう通告された気持ちだった。
「琉聖」
誰かに抱きかかえられる。そうしてもらえていなければ、立っていることはできなかった。
「つらいな。しんどくなっちゃったか」
眞生の声だということはかろうじてわかった。「ゆっくり息しよう、ゆっくり」と言われてはじめて、呼吸がおかしくなっていることに気がついた。
眞生に連れられるまま、真っ青な顔をした琉聖はベンチのパイプ椅子に腰を下ろした。
時折激しく咳き込みながら、眞生の声かけに合わせて深呼吸をくり返す。吐き気もして、からだの震えが止まらなかった。「大丈夫だよ」と眞生が言ってくれる声が遠い。
コートからベンチへ戻ったばかりの眞生のからだは汗ばんでいるのは当然だが、それ以上に琉聖は汗をかいていた。中学時代から星工での練習日は憂鬱で、家に帰ると玄関で倒れ込んだまま一歩も動けないなんてことはザラだった。
こうして崩れてしまうかもしれないと危惧し、こうならないことだけを祈ってここへ来た。
ダメだった。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせたけれど、ダメだった。
悔しい。いけると思っていたのに。
バレーボールの神様は、あの日の失敗をまだ許してくれていない。
いつになったら、なにができるようになったら、この悪夢から解放してもらえるのだろう。
自信を持って顔を上げ、心からバレーボールを楽しめるようになるのだろう。
「だいぶ落ちついてきたみたいだね」
「りゅうせー、だいじょぶー?」
どのくらいの時間が経ったのか、それが伊達と左京の声だとわかるまでには正気を取り戻すことができた。
琉聖はそっとまぶたを持ち上げる。かけてもらった声のとおり、吐き気は治まり、呼吸のリズムもだいぶ整ってきていた。
知らない間に、ベンチスタート組の二人も琉聖の周りに集まってくれていた。マネージャーの美砂都が氷嚢で首をアイシングしてくれて、からだにこもっていた熱が少しずつ抜けていくと、言葉を発することもできるようになった。
「ごめん、俺……」
「謝ることない」
琉聖のすぐ隣に一緒になって座ってくれている眞生が、琉聖の両肩にタオルをかけてやりながら言った。
「しんどいなって思ったら早めに教えて。苦しくなる前に助けるから」
「眞生」
「いい? 一人でかかえちゃダメだからな、琉聖」
眞生が琉聖の膝をポンポンとたたく。
「オレたちさ、おまえが入院してる間に話し合ったんだよ。おまえはオレたちのために、慣れない監督業を精いっぱいやってくれてる。その代わりに、オレたちは全員でおまえを支えようって。おまえが苦しい中でバレーをやってること、ちゃんと理解してあげようって」
琉聖の吐息がかすかに震えた。眞生の紡いでくれる言葉に、胸がじわりと熱くなる。
知らなかった。ただささやかな歓迎会を催してくれただけじゃなかった。
あれは彼らの、彼らなりの意思表明だったのだ。
チームのために茨の道を行く決意をしてくれた琉聖の思いを受け止める。
琉聖を仲間として認め、受け入れ、絶望の海で溺れそうになった時には全力で助ける。手を伸ばすことをあきらめない。
琉聖のことは、おれたちが支える。
それが彼らの、仲間たちの決意。
「楽しいもんな、おまえとバレーするの」
眞生はどこまでも清々しく、琉聖に笑いかける。
「どう考えても勝てそうにないチームが相手でも、おまえが一緒だと、勝ちが目の前に迫ってくるのがわかる。勝てるんじゃないかって思えてくる。夢を見てるわけじゃなくて、本当に、手の中に形を感じるくらい立体的に、勝てそうだって思わせられる。オレ、それがすげー楽しくてさ」
おれもー、と左京がまったりと言う。伊達も「久々に熱くなれたよね、この前の正南戦は」と嬉しそうに微笑んだ。
眞生はもう一度、琉聖の肩に腕を回した。
「手術も終わったばっかだし、これからもっと苦しいことが待ってるかもしんないけどさ。でも、安心していいよ、琉聖。おまえにはオレたちがいるから。おまえがオレたちに力を分けてくれる代わりに、オレたちはおまえを全力で支える。おまえがもう二度と、バレーをやめたいって思わないように。オレたちとずっと一緒に、バレーを楽しめるように」
眞生は力強く笑っていた。眞生だけじゃない。伊達も、左京も、美砂都も、みんなが琉聖のそばを離れず、心を寄せてくれている。
嬉しかった。頼ってくれていいと言ってもらえた。
同時に悔しくもあった。傾けてもらっている優しさ以上のものを返せている自信はないし、もう二度と、彼らを心配させたくない。
情けない。また借りを作ってしまった。
返さなくてはいけない。琉聖にできることは、みんなで喜べる勝利を、みんなで掴みにいけるようなゲーム作りをすること。
そのために、これまで蓄えてきたものをすべて出し切る。
全国制覇という大きな夢に、一歩でも近づけるように。
「ごめん、みんな」
まずは謝罪を。
顔を上げたら、今度は礼を。
「ありがとう。助かった」
現実の地に足は着いた。立ち上がろうと腰を浮かせると、眞生がサッと背中を支えてくれた。
戻ろう。大好きなバレーボールの時間に。
今という時間と真剣に向き合えば、神様はきっと許してくれる。
同じミスは、一度まで。
二度目はない。戻らず、ただ前に進むだけだ。
「無理しちゃダメだよ、琉聖くん」
美砂都が女性らしいきれいな指先で琉聖の額の汗をぬぐってくれた。
「ドリンク、取ってくるね」
「いえ、大丈夫です」
今度は琉聖が、チームを窮地から救う番だ。気持ちを切り替え、琉聖は肩にかかっていたタオルをはずした。
「試合、どうなってる?」
誰にともなく尋ねながら、電子表示のスコアボードを確認する。
三対四。過去の記憶にのみ込まれて倒れかけていた間に追加点が入っていた。
だが、喜ばしい三連続得点を挙げたはずの実里丘コートはなぜか静まりかえっていた。
コート内の五人の視線が、ある人物に集まっている。
「やっぱりうまいね、高木は」
伊達がコートの中を見やりながらつぶやいた。
「だから余計に、難しい」
事の発端は、新加入のテクニシャン、高木快の放った一発のバックアタックだった。




