2.憧れのセッター
実里丘がコートの半面を借りてウォーミングアップを始めると、アリーナからさらに階段を上ったところにある体育教官室からふたりの教員が揃って出てきた。実里丘の顧問・浜園と、星工の小山田監督だった。
星工の選手たちが浜園を囲み、琉聖たち丘高生は小山田のもとへ集まった。
「今日はよろしくお願いします!」
「お願いしまぁす!」
雨宮の号令に合わせ、全員で声を揃えて小山田に対し頭を下げる。
小柄な浜園とは対照的に、小山田はいかにもバレーボール選手らしいすらりと背の高い人だった。年齢は五十を過ぎているかどうかというところ。現役時代はセッターで、琉聖は中学時代、小山田から厳しくもありがたい指導を何度もしてもらったことがある。
「悪かったですねぇ、突然試合をお願いしちゃって」
小山田は人のよさそうな笑みを湛えて実里丘の面々を見回した。
「こちらこそ、今日はよろしく頼みます。うちの選手たちをたっぷり鍛えてやってください」
「いえ、そんな」
雨宮がすっかり恐縮して首を振る。当たり前だ。相手は名北ナンバーワン、愛知県ナンバーツーのチームである。鍛えてもらうのはむしろ実里丘のほうだ。
小山田の視線が琉聖に移った。
「久しぶりだな、久慈」
琉聖は緊張気味に「ご無沙汰しています」と丁寧に応える。
「どうだ、調子は」
「はい、順調です」
「そうか。無理をするなよ。早い復帰を望むのなら、なおさら」
琉聖が「はい」と素直に返事をすると、小山田は次のターゲットへと視線を移した。
真野だった。
「やっぱりきみだったか。そうだろうとは思っていたが」
真野はわからないといった風に首を捻る。小山田はふわりと笑った。
「浜園先生から、久慈の開けた穴を埋めるのは井波くんの中学時代の同級生だった三年生と聞いてね。当時の春崎中のセッターと言えば、きみのことだろうなぁと思っていたんだ」
「はぁ」
真野が歯切れ悪く返すと、小山田は嬉しそうに「きみのそのきれいな顔はなかなか忘れられないよ」と言った。いよいよなにも言い返せなくなってしまった真野の隣で、雨宮がニヤニヤしながら真野を見ている。気づいた真野が雨宮をにらむが、雨宮はいっそうニヤつくばかりだった。
「小山田先生」
琉聖が小山田に声をかける。
「どうして実里丘なんですか」
「ん?」
「インハイの県大会、来週ですよね。どうしてそんな大事な時期に俺らなんかと試合を?」
今日の練習試合の話を聞かされてから、ずっと疑問に思っていたことだ。直接小山田に尋ねると、彼は「そのことか」となぜだか嬉しそうに微笑んだ。
「正南学園の戸高先生から連絡をいただいてね。『久慈琉聖くんがもう一度バレーをやることにしたみたいですよ』と」
小山田の回答はやはり、琉聖の予想から大きく外れてはいなかった。正南学園の監督が小山田へ連絡を入れたとはさすがに読めなかったが、いずれ知れることだ、琉聖が実里丘でバレーをやっていることは。
「先日の名北予選、きみに散々な目に遭わされたと戸高先生は笑っておられたよ。そして、実里丘は久慈琉聖だけのチームではない、ともおっしゃっていた」
付け加えられた一言に、琉聖を含め、丘高バレー部全員の背筋をピンと伸ばした。小山田は自らを囲む琉聖たち全員をぐるりと見回し、言った。
「そんな話を聞いたら、私もこの目で見てみたくなったんですよ。たったこれだけの人数しかいないきみたちが、正南学園さんを相手にどんな試合をしたのか。星工とはどんな試合をしてくれるのか」
楽しみにしています、と小山田はやっぱり人好きのする笑顔で言い添えた。話はそこで終わり、雨宮の号令に合わせて琉聖たちが挨拶をすると、小山田は自チームの練習コートへと戻っていった。
「どうする、久慈」
雨宮が琉聖に、遠ざかっていく小山田の背中を見つめたまま尋ねてくる。
「妙な期待をかけられてるぞ、俺たち」
「みたいっすね」
「おまえが試合に出られないこと、小山田先生は本当にわかってるんだよな?」
「……と思いますけど」
だんだん自信がなくなってきた。とはいえ、まだまともなリハビリにも入れていない琉聖だ。試合に出たくても出られない現実は変えられない。
「うぉおおお燃えてきたぁあああ!」
誰もが不安そうな顔をする中、煌我だけはどこまでもいつもどおりに吠えた。
「勝つしかねぇな、あんだけ期待されてんなら!」
勝つぞー! と言う煌我の声に、「おー!」と快を除いた一年生軍団がこたえている。煌我の言うことは決して間違ってはいないのだが、この状況でこれだけ前向きでいられるのはもはやあっぱれとしか言いようがない。
両チームによるそれぞれの練習が再開され、琉聖は特に真野とよく話をしながら練習の指揮を執った。中学時代から知っている星工のバレー部員から時折視線が注がれ、なにかをささやかれているのに気づいていたけれど、なるべく意識しないように、今のチームメイトとだけ向き合うことを心がけた。
そうやって気を張っているにもかかわらず、どうしても気になってしまう人が一人だけいた。その人が星工の正セッターであると確認できた時、琉聖は今の星工が昔とチーム方針を変えていないことを悟った。
「どうだ、久しぶりに見る相馬のトスは」
コートサイドから両チームのスパイク練習を見ている琉聖のもとへ、小山田がふらりと近づいてきた。見上げた小山田の表情からは自信の色が見て取れる。
琉聖は改めて、星工で正セッターを務めるキャプテンの三年生、相馬祐介が味方にトスを上げる姿に目を向け、小山田からの問いかけに答えた。
「変わりませんね。攻めてて、鋭くて、美しい」
直線的で攻撃的な、まるで夜空を駆け上がっていく流星のようなきらめきを伴って、相馬のトスはアタッカーのもとへ飛んでいく。ボールの回転は一切なく、トスアップのフォームも惚れ惚れするほど整っている。
ある種の芸術を思わせる相馬のトスこそ、星工バレー部最大の武器だった。正南学園がブロックを強みとするチームなら、星工は相馬による抜群のトスワークが強さの理由だ。
中学時代の琉聖は、そんな相馬のトス、そしてチームの司令塔としての立ち姿に羨望の眼差しを向けていた。あんなトスを上げてみたい。自信満々に、このトスで打てないはずがないと確信してあげられる完璧なトスを。
でも、ダメだった。琉聖が上げたいと思ったトスを、星川東中のチームメイトは誰一人受け入れてくれなかった。
相馬のように、琉聖は強くなれなかった。
相馬は言うことができた。仲間のアタッカーに対し、「オレのトスで打てないヤツにはトスは振らない」と。それが彼の信じるバレーボールであり、天下無敵の司令塔たるゆえんだった。
琉聖にはできなかった。「点を決めてくるのはオレたちアタッカーだ。オレたちに打てないトスを上げて、どうやって試合に勝てる?」。そう言われた時、返す言葉が見つからなかった。セッターはただの中継役。試合で勝つには、アタッカーに点を取ってきてもらわなければならない。そう強く思ってしまう。
それが琉聖のバレーボールに対する価値観で、琉聖が『自分のトス』というものを持たない一番の理由だった。
相馬のトスには今でも憧れているけれど、自分は相馬のような圧倒的リーダーには一生なれないのだと、すでに琉聖はあきらめてしまっている。
「そう、変わらんのだよ、あいつは」
小山田が、まるでひとりごとのようにつぶやいた。
「確かに、あいつはいいトスを上げるよ。感心するくらいに。だが、きみの知っている相馬祐介というセッターは、きみの知っている彼のままだ。一年前からなに一つ変わっていない。この意味がわかるか、久慈」
小山田と視線が重なる。すぐには答えが見つからなくて、琉聖は吸い寄せられるように相馬のトスを上げる姿に目を向ける。
何度見ても美しかった。比べてはいけないけれど、真野や伊達、星工のセカンドセッターが上げるトスとは球の質がまるで違う。
だが小山田は、それではダメなのだと言いたげなことを口にした。
相馬のトスは、一年前から変わっていない。
変わっていない。
言い換えるなら。
「成長してない、ってことですか」
おそるおそる、逆に問いかけるように、琉聖は小山田に言った。小山田はふわりと優しい、どこか父親を思わせるような笑みを浮かべた。
「きみはさっき私に訊いたね、どうして我々が県大会前の大事な時期にきみたちと練習試合をしようと思ったのかと」
「はい」
「その答えの一つは、今の話とつながってくる」
「相馬さんのこと、ですか」
それが、小山田が琉聖たちを呼び寄せた理由。
小山田は教え子たちが熱心にスパイク練習をする姿に目を向け、言った。
「いい刺激になると思っているんだ、きみたちのような発展途上のチームとぶつかることは。特にきみは、相馬とは正反対のプレースタイルをしたセッターだからね」
ポンポンと琉聖の肩をたたき、「本気で勝ちに来てくれよ」と言うだけ言って、小山田は足取り軽く自チームのベンチへと帰っていった。呼び止めようかと一瞬手を伸ばしかけた琉聖だったけれど、結局その場で踏みとどまる。
「勝ちに来い、って言われても」
勝算なんてどこにもない。一年生主体のチームで、おまけにセッターはブランクありの助っ人だ。エースの対角はチームに合流したばかりの一年生だし、チームの歯車はいつ狂ってもおかしくない。
もちろん、勝利は目指す。だが、小山田の期待にこたえられるだけの自信はない。
雨宮の言葉を思い出す。小山田は本当に、琉聖が今日の試合に出られないことをわかっているのだろうか。
コートに立てない琉聖の姿を相馬に見せて、小山田はいったい、星工のなにを変えようと言うのだろう。
変わらなくちゃいけないのは、実里丘のほうなのに。




