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前編

3月13日の異世界恋愛ジャンルの日間ランキングで3位に入りました。

読んでくださっている皆さまのお蔭です、どうもありがとうございます。

『……君はまだ、随分と若いね。

きっと、ここに来るのは不本意だっただろう?』


目の前でライラを見下ろす、大きな杖を携え、白い長衣に身を包んだ、驚くほどに整った顔立ちをした男性は、その金色に輝く瞳に同情の色を浮かべている。


「いえ、特に思い残すことはございません」


落ち着いた口調でそう述べるライラに、男性は目を瞬いた。


『珍しいね。たいてい、君くらいの美しい盛りの娘がここに来ると、世を偲んで涙の一滴も溢すものだが』


その口元にあきらめとも取れる笑みを僅かに浮かべ、無言で首を横に振ってから、ライラは顔を上げると、男性に尋ねた。


「ここは黄泉の国の入口なのでしょうか?」


ライラの前に立つ男性は、軽く頷いた。黒く艶のある長髪がさらりと揺れる。


『ああ、その通りだよ。君は、君自身の最期のことを、どうやら覚えているようだね』

「ええ、ご認識の通りですわ。

では、早く私をあちら側へと行かせてくださいませ」


ライラの前には、細く長い、薄暗い洞穴のような道が続いていた。その奥からは、黄色味がかった温かな光が、淡く微かに洞穴の入口まで届いている。


その洞穴の入口にいるこの黒髪の男性は、恐らく、黄泉の国の番人とも呼ばれる神なのだろうと、ライラは思った。ライラの村に古くから伝わる、伝承の中で語り継がれている存在だ。けれど、神であるはずの彼がこのように親しげに話し掛けてきたことは、ライラにとっては少し意外でもあった。


自ら洞穴に向かって足を進めかけたライラに、労るような視線を向けてから、彼はライラを遮るようにその手を取って引き留めると、口を開いた。


『君に会いたいという者が、あの泉の向こう側に現れたんだ。


最後に彼と話すかい?この洞穴を抜けて黄泉の国に着くと、もう二度と君はここには戻っては来られない。彼との対話を望むにしろ望まないにしろ、君次第だよ』


ライラの村に程近い山中に、死者に会える泉があるという話も村に語り継がれていた。あくまで言い伝えだったし、その泉があると言われていた場所も、険しい山の奥深い場所だった。だから、今までその言い伝えの真偽はわからなかったのだ。


けれど、どうやらその泉は本当に存在したばかりか、ライラに会いたいという者が訪れているという。


(……皮肉なものね)


ライラが命を落としたのは、死者に会えるという言い伝えを確かめに泉に向かう途中で、魔物に襲われたからなのだ。けれど、世を去ったライラに会いたいという者が現れたことで、この言い伝えの正しさを知ることになったのだから。


しかしライラは、黒髪の男性の言葉に、困惑して眉を寄せた。


「私に、ですか?

彼と仰いましたが、男性でしょうか。いったい、私などに誰が……」


黒髪の男性は、ライラに視線で、洞穴の脇にある小さな泉を指し示すと、彼女の手をそっと引いて泉の側まで歩いて行った。優しい手だと、ライラは思った。


ライラは、その深い青色に澄んだ泉の縁に膝をついて中を覗き込むと、はっと息を飲んだ。

一時は夢にまで見た懐かしい顔が、そしてライラが最後の瞬間に思わず助けを求めて呼んだ名前の主が、憔悴しきった様子で泉の中に映っていた。


(ジェフ……)


泉のほとりで固まったライラの姿に、水面に映る彼も気付いたらしい。

彼は必死の形相で、懸命にライラに向かって手を伸ばしてきたけれど、その手は彼女には届かず、ただ彼の手は虚しく冷たい泉の水を切っただけだった。


「どうして……?」


ぽつりと呟いたライラの言葉が耳に届いたようで、水面の向こう側から、ライラに応えるように悲鳴にも似た声が聞こえてきた。


「ライラ、そこにいるんだな?僕の声が聞こえるかい?」


ライラの幼馴染みで、そしてかつての恋人でもあったジェフリーの顔が、泉の向こう側で辛そうに歪んでいる。真っ直ぐな強い光を称えた碧眼に、緩いウェーブを描く淡い金髪が、土埃にまみれた彼の顔に汗で張り付いていた。


ライラは、泣きそうになるのを堪えて、ぐっと唇を噛んだ。


「……ジェフ、あなた、生きていたのね」

「ああ。

ライラ、そこにいるということは、君は本当に……」

「ええ、そうよ。

私は、もうあなたのいる世界にはいないわ」


小さく息を吐いてから、ライラは続けた。


「魔物討伐のために僻地に赴いたあなたは、長らく王都に戻っておらず、行方知れずで、恐らく命を落としたのだろうと、そう書かれた手紙を受け取っていたの。あなたが生きていてくれて、よかったわ」

「ああ、この通り、僕は生きているよ。……でも、僕のいた隊がかなりの苦境に陥っていたのは事実だ。全滅したと思われていたとしても無理もない状況だった。


ようやく王都に戻れたと思ったら、君が村に戻っていないと伝え聞いて……。君が向かったというこの山に、急いで来たんだ」


ライラはしばらく口を噤んでから、ジェフリーの瞳を見つめると、穏やかに微笑んだ。


「私のことなんて、もう忘れているかと思っていたわ。

最後にあなたに会えてよかった、ジェフ。私に会うために、危険な場所までわざわざ来てくれて、ありがとう。


……さあ、早く村に戻って。そこは魔物も多いわ、長居は無用よ」


「そんなことを言わないでくれ!」


ジェフリーの悲痛な叫びに、ライラは首を横に振った。


「私とあなたの間には、もう越えられない境界ができてしまったわ。


それに、王都には、あなたの帰りを待つ方がいらっしゃるのでしょう?

どうか、私の代わりにその方を幸せにしてください。私では、もうあなたの側にいることはできませんから」


ライラの言葉に、ジェフリーの表情には微かな動揺が走る。


「それは……」


「王都で魔物の討伐軍を指揮している将軍様も、そのお嬢様も、あなたのことを気に入っているのでしょう?

彼女とあなたが、身分差を越えて結婚するかもしれないっていう噂が、村まで届いていたのよ。


……その後、あなたの行方知れずを知らせる手紙を受け取ったのも、彼女からだったわ。

ふふ、彼女は私を、あなたの身内のような存在だと思っていたみたいね。私はあなたにとっての家族のようなものだと聞いていると、そう手紙には書いてあったから」


村でも飛び抜けた剣の腕を誇っていたジェフリーは、王国の騎士団に入ると言って、5年前に村を出た。ライラとジェフリーの育った貧しい村を出るには、それくらいしか方法がなかったのだ。地位も財産もなくても、実力主義の騎士団になら、剣の腕さえ立てば入ることができる。それが、何も持たない者にとっての一縷の望みだった。


ライラにとって、幼い頃から長い時間を共に過ごして来たジェフリーは、恋人であるのと同時に、親友であり、家族を超えて近しい存在でもあった。ジェフリーが、いよいよ王都へと向かう準備が整った時、彼はライラに、必ず迎えに来ると約束してから村を後にしたのだった。


彼の卓越した剣の技術は、すぐに王都でも目に引いたらしい。それほど時間も経たないうちに、腕の立つ者が集められた辺境への魔物討伐隊に、ジェフリーが地位を得て加わったようだという噂がライラの村にまで伝わって来た。軍隊の総指揮を取る将軍にも目をかけられ、その娘まで彼に執心のようだとも。けれど、長期の遠征に赴くことを告げる手紙を最後に、ライラへのジェフリーからの便りは途絶えていた。


将軍の娘がジェフリーに心を寄せているとの噂を耳にした時にも、ライラの心は不安に揺れたけれど、ジェフリーの消息が絶たれたことを告げる彼女からの手紙を受け取ってからは、止まらぬ涙を流しながら、ただ彼の無事だけを祈っていた。


その後も新しい報せは届かず、望みが薄れて行くにつれ、いてもたってもいられなくなったライラは、死者に会えるという言い伝えの泉に向かう途中で、魔物に襲われたのだった。


そして、ライラは今、現世と黄泉の国との境界に立っている。



ゆっくりと立ち上がり、ジェフリーに背を向けてその場を立ち去ろうとするライラに、呻くような声が泉の水面の向こう側から響く。


「待ってくれ!


君が言っているのは、将軍の娘のエレオノーラのことだろう。それは誤解だ。

彼女は、父である将軍の部下である僕の剣の腕を買ってくれているだけだと、そう思っていた。僕も、早く君を迎えに行けるような地位を得たいと、ただそればかり考えていたから、彼女の気持ちに気付けずにいた。それは僕も迂闊だった。……でも、僕が大切に想っているのは、君だけなんだ。もちろん、結婚の話は断ったよ。なかなか納得してはもらえなかったが……」


ジェフリーは必死にライラに呼び掛けた。


「君のいないこの世界なんて、僕にとっては意味がない。すべての光が失せてしまったように、色が感じられないんだ。


僕は間違っていた。少しでも君に楽な生活をさせられればと、そのために僕の腕が活かせればと思っていたけれど、僕はただ、君の側で君を守っていられれば、君と一緒にいられたのなら、貧しくたってそれで構わなかったんだ。まさか、僕のいない間に君を失うことになるなんて、考えてもみなかった。


……どうか、最後に少しでも多く、君との時間を過ごさせてくれないか?」


ライラは息を飲み、ジェフリーの言葉に瞳を潤ませてから、ゆっくりと再度水面に向き直ると、ふわりと美しい笑みを浮かべた。


「あなたのその言葉を聞けただけで、私はもう十分よ。幸せだわ。


……あなたの幸せも、あの世で、心から祈っているわね」

「ライラ!!」


(ジェフリー、早く帰って。

そうでないと、いくらあなたの腕が立つとはいえ、あなたも私のように魔物に襲われて命を落とすかもしれない)


後ろ髪を引かれながら、ジェフリーにくるりと背を向けたライラの瞳から大粒の涙が零れ落ちる様子を見て、黒髪の男性が、ライラに代わって泉の中を覗き込んだ。彼の金色の瞳に、ジェフリーの碧眼が捉われる。

彼は、柔らかな口調でジェフリーに話し掛けた。


『君がジェフリーか。

彼女のことを返して欲しいかい?』

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