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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

デッドエンドマーチ・サクリファイスガール 〜贖罪の果てにバグった少女は不老不死の魔女と幸せに心中したい〜

作者: 鴉ぴえろ

「ミア、今日付でお前はクビだ」


 その解雇通知は突然に。

 私は主であり乳兄弟にあたるラニエロ様の顔を呆然と見つめる。


「ラニエロ様、クビとは……?」

「言わんとわからんのか? これだから貴様は愚鈍だと言うのだ」


 やれやれ、と言わんばかりにラニエロ様は首を左右に振った。

 わからないのか、と問われれば想像することは出来た。それは普段からのラニエロ様の態度を思えば察する事は容易い。端的に言えば、私は嫌われているのだ。


「まず、俺の姿をどう思う?」

「大変立派になったかと思います」

「そうだ。今や、俺は冒険者として危険な冒険をくぐり抜け、地位と名声を得ることが叶った。木っ端貴族と呼ばれていた我がデュアリング男爵家を栄華に導く者こそ、このラニエロ・デュアリング様だ」


 ラニエロ様の姿は大変立派になった。

 顔立ちは両親から受け継いだ美貌であるし、波がかった金髪はしっかり手入れが行き届き、蜂蜜色の瞳は自信に満ち溢れている。

 体格も立派に鍛えられ、これで騎士装束に身を包めば注目を集めることも叶うだろう。


 実際、ラニエロ様は爵位が遙か上のご令嬢からも懸想を受けており、その関係も満更ではない。その姿を亡き先代のご当主様と奥様にも見せてさしあげたかった。


「では、ミア。お前は自分の容姿をどう思う?」

「……そうですね。我ながら見窄らしいと言うべきかと」

「わかっているではないか!」


 別に不潔にしている訳でも、痩せ細っている訳ではない。ただ単純に色合いが不吉に見えるのだと皆から言われる。

 髪は色が抜け落ちて、くすんだ白へと変わってしまっている。目は血走っていることが多く、睨んでいるのかと問われることさえある程だ。

 顔は自分では悪くないと思ってはいるものの、目の下にはクマが出来ているし肌もやや荒れている。美人とは到底言い切れないのは自分でもわかっていた。


「これからデュアリング家は栄華を極めることとなるだろう。その俺と乳兄弟という立場のお前が、我が家に相応しいメイドだと思えるのか?」


 ……自分でも、少しだけ、ちょっと無いかな、と思ってしまった。

 ただ、それを素直に認めるのは無理だ。そもそも私がこうなってしまったのはラニエロ様の無茶ぶりのせいであり、それを私は甘んじて受け入れてきた。


 理由は贖罪だった。私の両親はラニエロ様の両親と共に命を落としてしまった。主君の命を守りきれず、残された私はラニエロ様に酷く責め立てられた。

 お前の親は私の両親を守らなかったのだと、私を責め立てる声は今でも胸の奧深くに突き刺さり続けている。


 有能な執事であったセルジュのお陰で領地の運営自体は出来たし、親戚の貴族が後見人としてラニエロ様が正式に領地を継ぐことが出来る日まで支えてくれた。

 親を失ったばかりのラニエロ様は荒れていたものの、少しずつ心を落ち着かせて次期当主として両親の後を継ぐために努力してきた。


 しかし、それで完全に心安らぐかと言われれば無理だ。誰かがラニエロ様の行き場のない怒りや悲しみを受け止める必要があった。

 その生贄として選ばれたのが私だった。親がラニエロ様の両親と共に命を落とし、守り抜けなかったのだから責任があると。


 実際、私が屋敷に残されていたのもお情けだった。乳兄弟という立場でありながら、両親を失った私は家から放逐されてもおかしくなかった。

 だから私はラニエロ様の怒りの捌け口としての役割を与えられた。それしか私の生きる道がなかったから。


 しかし、怒りの捌け口だけで終われば良かった私の人生は、ラニエロ様が冒険者になると志したことから大いに狂ってしまった。

 先代当主を失った領地は少しずつ、しかし確実に衰退の道を進んでいた。まだ子供であるラニエロ様は完全に領地の運営に関われる訳ではなかったので、時間が空いてしまっていた。

 そこで冒険譚での一発逆転に憧れるようになり、冒険者として活動したいというラニエロ様を誰も止めることは出来なかった。


 正直、この時点で屋敷の皆はラニエロ様に甘くなっていたのだ。

 立派なご両親を亡くしたばかりで心を病んでしまっていたラニエロ様が活動的になることを誰もが止めなかった。そこで犠牲になっていた私から目を逸らしながら。

 そして、ある日のこと。ラニエロ様は私の人生を大きく変える命令を下した。


『――野営というのは酷く環境が悪い! あんな環境では俺の活躍は望めない! だからお前が俺の世話役として付いて来い!』


 冒険者として活動し、意外にも才能の片鱗を見せたラニエロ様。しかし、野外活動という慣れない環境にご立腹なされたラニエロ様は私を従者として同行しろと命じた。

 それを断ることも出来ず、私はラニエロ様の冒険に同行した。そして野外活動のための装備は全て私が運搬することになる。


 勿論、荷物持ちだからと言っても命がけだ。ただのメイドでしかなかった私は兼業冒険者として腕を磨かなければならなかった。でなければあっさりと死んでいたと思う。

 そしてラニエロ様は冒険活動の雑務を全て私に丸投げした。野営の時の見張りも、私がラニエロ様の分を肩代わりをし、二人分の荷物を担ぐ日々。


 最初こそ眉を寄せていたラニエロ様の仲間も、私がラニエロ様の両親を見殺しにした従者の子供であり、贖罪として望んでやっていることだと言うようになってから私を便利屋扱いするようになった。

 二人分の荷物が三人分の荷物へと変わり、仲間が十分な休息を取るためにほぼ全ての見張りを担当し、ろくに寝る間もなく旅に同行しなければならない。

 ろくに寝なくても動けるようになったのは慣れたのと、体力と根性がついたからだろう。ただ、そんな状態で前線に出られる訳もなく、戦いでは何の役にも立たなかった。


『お前はただ付いてくるだけで本当に役に立っていると言えるのか? だが安心しろ。ろくに戦えもしないお前が貢献する方法を俺が示してやる』


 そんな私にラニエロ様が身につけろと命じたのは、対象の痛みを私が引き受ける〝恩恵(ギフト)〟だった。

 恩恵とは、ただの人に大いなる力を与える神が用意したものである。この恩恵の取得には、資質と恩恵に応じた意志の強さが必要となる。

 高い資質と強い意志が同時に求められる恩恵は、王族や貴族といった者たちが家系で引き継ぐ程、恩恵というのは身近なものであり、尊ばれるものだった。


 ラニエロ様が私に身につけろと命じた恩恵は〝サクリファイス〟。

 サクリファイスとは他者の痛みを己の身に移す献身の恩恵であり、特に強い意志が求められる恩恵の一つだ。


『これが取得出来ないということは、お前の贖罪などただの嘘だという事だ。もしもそうだと断じられた時は……わかるな?』


 つまりは始末するという事なのだろう。もう誰も頼る人がいなかった私は必死に祈るような思いでサクリファイスを会得することに命をかけた。

 無事、取得出来てもラニエロ様は何も褒めてくれなかったけれども。


 それからは苦痛に悶える日々が始まった。冒険者として腕を上げていけば負傷する場面はどうしても出てきてしまう。

 その度にラニエロ様の怪我の痛みを私が引き受けていた。この痛みは実際の傷となる訳ではなく、幻痛として私を苛み続ける呪いじみたものだった。


 しかし、嫌だとも言えない。私はラニエロ様の雑務や痛みを引き受けることでしか生きて行くことが出来なかったから。

 耐えた。耐えた。耐えて、耐えて、ひたすら耐えて。痛みに呻く本能と思考が分離して、幻痛に眠れなくなり、逆に都合が良いとさえ割り切って身を粉にして尽くし続けてきた。


 その果てに私の髪は老婆のように白く色が抜けてしまい、目の下にはくっきりと深いクマが浮かび、空色の目は常に血走っているのが当たり前になってしまった。

 それがラニエロ様の言う見窄らしい姿だと言うのだろう。実際、自分でも否定出来ないと思ってしまうのが泣けてくる。


 しかし、私の献身の甲斐もあったのか、ラニエロ様は地位を確立していった。怪我をすることも減り、幻痛に悩まされる日々は少しずつ緩和されていった。

 ここ最近は平和な日々が続いていたけれど、その平和の代償がこの解雇通知なのだろうか。


「理由はわかったな? 今までは乳兄弟ということで大目に見てきてやったが、栄えある我が家にお前のようなメイドは不要だ。故にクビとする。どこへなりとも消えるがいい」

「……畏まりました」


 私はもう求められていない。ここに居場所などないのだと生まれてからの主は私に伝えた。

 深々と頭を下げる。この不気味だと言われる顔を最後まで見せる必要もないだろう。


「今までお世話になりました。今後の栄達をささやかながらお祈り致します」

「お前の祈りなど何の足しにもならん。さっさと出て行け、二度とその顔を見せるな」



   * * *



「今までお世話になりました、セルジュさん」


 持ち出す荷物はほとんどない。私物と言えるのは冒険者稼業で使っていた時のものしかなく、逆に好都合だった。

 別に誇る程の腕前はないけれど最低限の護身は出来る。何事も経験は生きるものだと、一応は感謝を捧げておく。


 私を見送ってくれたのは執事であるセルジュさんだ。すっかり老年を迎え、私と同じように髪の色が抜けてしまっている。

 モノクルをかけた鳶色の瞳は私を静かに見据えていて、相変わらず何を考えているかもわからない無表情だった。


「……ミア、これが私から渡せる貴方への最初にして最後の給金となるでしょう」


 セルジュさんは無感動にお金の入った袋を手渡してくれる。ちなみにこれが私が貰う初のお給金だった。

 両親が亡くなってから早十年。十五歳となった私が受け取ったお給金ははっきり言って十年の働きに見合うような額じゃない。

 それでも一年ぐらいは働かずとも食うものには困らない程度の額だ。ただ、貰えるのと貰えないのとでは話が違う。これはありがたく頂いておこう。


「ラニエロ様が許したのですか?」

「いえ、私の独断でございます」

「じゃあ、このお金はどこから……」


 それを問おうとしたけれど、何も聞くなと言わんばかりにセルジュさんは首を左右に振った。

 もしかして、これはセルジュさんのお金なんじゃないだろうかと思う。だとしたら一年は生きていけるお金なんか受け取って良いものなのかと悩んでしまう。


「受け取りなさい、ミア。どうか、私のためだと思って。こんなはした金で貴方の働きに見合うなどと思っていません」

「セルジュさん……」

「私が個人的に次の働き先を、と言ってもラニエロ様に知られれば貴方に矛先が向きかねません。こうして放り出すことしか出来ない私たちを、貴方は憎んで構いません」


 セルジュさんは初めて表情を歪ませて、耐えるかのような表情を浮かべた。

 密かにセルジュさんが支えてくれていたことは知っていた。私が完全に潰れてしまえばラニエロ様を制御出来なくなる可能性が高かったという打算もあっただろうけども、割と普通に心配はされていたらしい。


「私は老い先短い身です。死後は貴方のご両親に地に頭を擦りつけてでも謝罪すると誓いましょう」

「……別に謝らなくていいですよ。恨みたいほど、この家の人のことなんて何も思えなくなっていますし」


 それにセルジュさんが目を見開き、僅かに肩を震えさせた。

 ……ここまでされて、もう私は怒りの一つも抱けなくなってしまっていた。


 ただひたすらに無関心だった。痛みを引き受けすぎて、痛みに抵抗するという気もなかった。

 痛みがあっても、その上でどう動くか。どう生きなければならないのか。私に残った人間性なんてその程度のもの。


「これで先代様たちを守れなかった両親の贖罪という義務は終えたと思って良いのですよね?」

「……本当は、貴方がそんな義務を背負う必要はなかったのですよ」

「今更、そんな事を言うんですか?」

「はい。……私は薄情な老いぼれでございますよ」

「ずっとそう思っていましたよ。でも、お給金用意してくれたんでいいです。それ以上、私に許されたいと思ったら私はお金払ってでも許して貰いたくなってしまいますね」


 私がそう言うとセルジュさんは項垂れるように肩を落としてしまった。その手が私に伸びようとして、だけど私に触れることはなかった。

 そしてセルジュさんは深く頭を下げて一礼をした。作法としては失格なほどの角度で頭を下げたまま、セルジュさんは告げる。


「これからの先の幸運をお祈り致します」

「お気持ちだけ受け取っておきます。……では」


 そして、私は今まで暮らしてきたデュアリング男爵家の屋敷に背を向けた。

 振り返ることはなかったけど、私が見えなくなるまでセルジュさんが視線を送っていたような気がした。



   * * *



「えっ、これ、寄付ですか?」

「はい。これだけの額ですが……」

「とんでもありません! ありがとうございます! ありがとうございます!」

「では、私はこれで……」


 最寄りの街から馬車を乗り継いで、適当な街へとやってきた。

 そこで私は所持金の全てを孤児院を併設している教会へと寄付をしてきた所だ。寄付にしてはとても多い額にシスターは不思議がりながらも、歓喜のままに受け取ってくれた。

 ちらりと見た孤児院には痩せ細った子供が多く、着ている服もボロボロだった。これであの子たちの状況が少しでも良くなることを願い、独りよがりの自己満足に溜息を吐く。



「あーっ、スッキリした! これでもう無一文よ、ざまぁ見なさいセルジュさん! 貴方のお金は報われぬ子供たちに使われることでしょう! この善行には神も祝福なさるわ! 幸せに余生を過ごしやがってください!」



 ――恨む程じゃないけど、気に入らなくはあったから望み通りになんてやってやるものか!

 そんな思いから私は虚無感と自暴自棄が入り交じった爽快さに胸を撫でた。セルジュさんを恨むとか思ってた訳じゃないけど、今になって許されたいという態度を取るのは呆れたものだった。


「もっと早く言ってくれれば私だって真っ当な人間としての反応が出来たかもしれないけどねぇ」


 私はもう自分が壊れてしまっているのを自覚している。

 身体の反応と思考を分離しすぎたせいで、どうにもちぐはぐなのだ。

 心と体が変な接続をしてしまっているために真っ当な人間としてはもう生きられない気がする。


 ただ、だからといって悪行に走るのは気が向かなかった。

 人を虐げたいとも思わないし、自分が生きるために利用しようと言う気もない。

 むしろ誰かがニコニコ笑ってたらお裾分けが貰えたぐらいの気持ちだ。幸せな人よ、どうかそのまま幸あらん事を。


「んーー、解放感あるわね……なんのしがらみがないのって最高よ……」


 私が生きていける場所はあの家しかなかった。だったら、あとはいつ死んでも良いということだ。

 生き続けたい理由もない。ようやく終わることが許されるのだと言う気持ちでいっぱいだ。


「……義務を残すのは癪に触るものね」


 いつまでも私の両親が悪しきように言われるのは嫌だったし、あの調子ならラニエロ様も私のことも両親のことも忘れてくれるだろう。

 私が壊れるほどに献身もしたし、私の異常さが際だって両親のことを悪く言う人も屋敷からいなくなった。


「お父さん、お母さん。もう悪く言う人はいなくなったから、安らかに眠ってください。あ、でも私が死んだらあっちに行けるのかな……怒られそう、うーん、そう思うと死にたくないかも……」


 怒られるのは嫌いだ。憎まれるのも嫌いだ。疎まれるのも、本当は嫌だった。

 でも、呑み込むしか私は生きていけなかった。ラニエロ様が、弟だと思った子が泣いていたから。


 私のせいって訳じゃないけど、たまたまそこに私がいてしまったのだから仕方ない。それはきっと運命だったんだ。

 どんな理不尽であっても、与えられたものを粗末にして適当に濁すのはなんとなく嫌だった。


「……もしかしたら、もっとちゃんとした理由があったのかもしれないけど」


 私はもう自分の事でさえ、なんとなく、という実感しか持てない。

 いつから壊れていたのかはわからない。でも、もう今は完璧に手足がねじ曲がったおんぼろ人形の如き人間だ。

 そんな自分が悲しい訳でもないし、嘆きたい訳でもない。後悔するぐらいなら逃げ出せば良かったけど、私は逃げなかった。


「……うん、頑張ったよ。私」


 頑張ったんだ。だったらそれで良い。

 誰かに褒められるような努力じゃなかったけど、最後まで投げ出さなかったんだから偉いじゃないか。

 それで幸せになったラニエロ様がいるんだから、私の努力は誰かを一人幸せにして、私を不幸にしなかった。なら二人分救ってる、義務は果たしたと言える。


「……後は、どう死ぬか、かな」


 いつ死んでもいいけど、終わり方は拘りたいかもしれない。だって苦しいのは嫌だし。

 もう散々苦しんだんだから、あとは眠るように安らかに終わりたい。


「……となると、薬屋? うーん、でも自殺したいから薬屋にいくってなったら流石に失礼だよね……おや?」


 ブツブツと独り言を呟きながら歩いていると、いつの間にか薄暗い裏路地に入り込んでいたようだった。

 明らかに治安の悪そうな場所で、力なく壁を背に座り込んでいる人が私へと視線を向けていることに気付いた。


 つまりはスラムという所だろう。光ある所があれば影がある所もある。貧富の差はどうしたって生まれてしまうのが世の常だ。

 だけど気になったのはスラムそのものじゃない。そこになんだか佇まいが怪しい家があった。


「……この匂い、薬草?」


 冒険者稼業をやっている内に身につけた知識、その中から該当する匂いに気付いた。

 もしかしてこんな裏通りで薬でも作ってるのだろうか? 久しく感じていなかった好奇心がムクムクと湧いてきて、私は誘われるままに店の扉に手をかけた。


 薄暗い家の中は煙が充満していた。その香りは何とも香しい。中は妖しい雰囲気に見合った内装で、匂いの元になっているだろう加工された薬の原料が机に並べられている。

 そして、驚いたことに机の傍に立っていたのは十代前半と思わしき少女。髪の色は暗いワインレッド、瞳の色はガーネットの宝石のようだ。

 しかし、佇まいはどう見ても十代とは思えない程の妖艶さがあった。見た目は少女、中身は老婆。そんな言葉が思わず浮かんでくる程だ。


「……なんだい、冒険者崩れのお嬢さんかい? こんな所に何の用だい?」

「薬の匂いに吊られて、お邪魔しても?」

「……入るならさっさと入りな」


 声は少女のものでも、喋り口調はやはり老婆のものだった。少女の皮を被っている魔女と思えば印象がピッタリだ。

 扉を閉めて改めて少女を見ると、少女は私の方へと視線を向けることなく薬品と向き合っているようだった。


「たまにお前さんのような冒険者が来るんだよ。どこからどんな噂を聞きつけてきたんだい? 私の薬は代償が高いよ、人生を棒に振りたくなければ帰るんだね」

「噂?」

「……私の噂を聞いてきたんじゃないのかい。だったらなんで入って来たんだい?」

「怪しい薬を作ってそうだったから、つい」

「どんな理由だい、そりゃ」

「普通の薬屋だったら、楽に死ねる薬下さいなんて言って貰えそうになかったから」


 私がそう言うと、少女が初めて私へと視線を向けた。目をきょとんとさせて、食い入るように見てくる。

 暫く私の顔を見ていたかと思えば、何がおかしいのかと言わんばかりに少女は笑い始めた。


「あっはっはっはっ! お前さん、本当に何も知らずにここに来たっていうのかい? こいつは傑作だ! まさか私の所に自殺のための薬を求めてくるとは!」

「笑って貰えたなら素直に話した甲斐があったわね」

「いいねぇ、お前さんに興味が沸いてきたよ。話を聞かせておくれよ、お前さんの話が面白かったら自殺するための薬、用意してやる気になるかもしれないよ?」

「本当に?」

「嘘じゃあないさ」


 愉快だと言わんばかりの口調でひきしり笑ってから、彼女は私へとおどけたように一礼をする。


「それじゃあ、自己紹介をさせてもらおうかね。私はアリーチェ。かの伝説の不老不死の薬、エリクサーを作ったことがある魔女さ」

「えっ、エリクサーにアリーチェって」


 思わず驚いた声が出た。アリーチェは私でさえ知っている、今もどこかで生きていると言われる〝伝説〟だ。

 その理由は彼女も言っていた通り、〝不老不死〟の薬を作ったからだとされている。実際、彼女は少女の見た目なのに年齢を重ねた老婆のような雰囲気を纏っていた。


「なんで伝説の魔女がこんなスラムなんかに?」

「最近、ここに引っ越してきたばかりだよ。この空き家を適当に借りてね。代わりに気まぐれで作った薬を無料で渡して黙ってて貰ってるのさ。うるさいのが来たらまた根無し草に戻るけどね、落ち着いて薬を作るには家がないとねぇ」

「伝説の魔女なら宮殿に住んでたっておかしくないと思うけど……」

「そりゃごめんだね。私は王族や貴族のために薬を作るつもりなんてない。私のは趣味だ。仕事で薬師や医者やってる奴の領分は取らない主義なのさ」

「そういうものなのね」

「……やけにあっさりと納得するねぇ」


 拍子抜けだと言わんばかりにアリーチェは肩を上下させた。今までが今までだから、割ととんでもない話でも適当に呑み込むことは出来る。


「で? 私は自己紹介したんだ。次はお前さんが自己紹介しな」

「私はミア・シュエ。最近までとある男爵家のメイド兼冒険者をやってたの」

「なんでお貴族様のメイドが冒険者を兼任してたんだい?」

「私の乳兄弟がご当主様だったんだけども、冒険者をやってる時に野外活動が辛いから身の回りの世話をさせるために冒険に同行させてたから?」

「……なんだい、そりゃ。随分勝手な男だねぇ?」

「色々事情があって……」

「ふぅん……?」


 訝しげな表情を浮かべてアリーチェは適当な相槌を打った。確かに何も知らない人から見ればそういう反応になるよね。


「ただ、もうお役御免って解雇されたので。退職金も景気よく使って、後は楽に死のうかと思って……」

「待て待て、待ちな。経過を端折ってるというか、結論がおかしいだろう? お前さん。普通そんなクズ男から離れられたら幸せになりたいとか思うもんじゃないのかい?」


 それはごく自然な感想だと思う。伝説の魔女であるアリーチェだけど、随分と常識的な一面もあるらしい。


「幸せってなんですか?」

「あん?」

「幸せって、どう感じるものなんですか?」

「……どうって。そりゃ旨いもの食べて、楽な生活して、好いた相手と結婚するとか思い付かないのかい?」

「幸せだろうな、って思っても、それが欲しいかって言われると……なんかもう、わからなくなってしまったので」


 そう言うとアリーチェは私を真っ直ぐ見つめて来た。まるで視線だけで私を見通してしまいそうな瞳に思わず目を奪われてしまう。

 何故かよくわからないけど、綺麗だなって思ってしまった。


「……お前さん、何があってそこまで壊れたんだい?」

「あ、やっぱり壊れたってわかりますか?」

「流石にね。なんかろくでもない事されたんじゃないかい?」

「サクリファイス……って言ったらわかります?」

「……恩恵かい?」

「流石、伝説の魔女。知ってるんですね」

「今では誰も使わそうな恩恵をよく取得出来たもんだよ、お前さん。成る程ねぇ、そいつで壊れたのか、それが取得出来るだけ壊れてたか、或いは両方ってことかい」

「そういう事なんでしょうか?」

「そういうのは本人が把握しておくもんだよ、馬鹿な子だねぇ」


 溜息を吐いてからアリーチェさんが肩を竦めた。

 こんな内容の話をしているけれど、そこに変な同情もなくて……凄く落ち着いた。

 人と会話していて、こんなに楽しいなって思ったのは初めてかもしれない。


「で、お前さんはサクリファイスの恩恵でクソ男の痛みを引き受けてきたのかい」

「えぇ。ただ地位も安泰になったし、実力もつけて怪我もしなくなったから私は要らないって言われまして」

「そこで死んでおいた方がまだ綺麗に死ねたかもしれないね、お前さんは」

「私もちょっとそう思います」

「……はは、こんな出会いがあるものなのかね。ちょっと笑ってしまいそうになるよ」

「……アリーチェさん?」


 その笑い方が、なんとなく力が抜けた自然のもののように聞こえて私は首を傾げてしまう。


「私も自分が死ぬための毒薬を作ってるのさ」

「……自殺のために?」

「そうさ。確かに不老不死の薬は出来たよ、だけど――解毒薬はまだ出来てないんだ」

「……それは」

「あぁ、そうだ。私は不老不死の薬を作った伝説の魔女だ。――だから死ねない」


 ――死ねないと、そう呟いたアリーチェさんの姿に既視感を覚えた。

 一体どこで既視感を覚えたのか考えて、それが過去の自分だったと気付いた。


「アリーチェさんは心の底から死にたいんですね」

「……なんかしみじみと納得されるのも不思議な気分だねぇ」

「だって、幸せではなかったんでしょう?」

「……そうだねぇ」


 深くは語らなかったけど、その仕草だけで十分だった。

 アリーチェさんはどこか常識的で、私が壊してしまった部分がまだ正常なんだろう。

 それが眩しいのに、だけど彼女も私と同じ願いを持っている。それに酷く心が揺さぶられた。


「だからおかしな話だよ。自殺志願者が飛び込んでくるのは流石に予想外だ。色んな薬を作ってきたからねぇ、私は。不老不死を求めてくる奴もいれば、身体を強化する薬を求めてくる奴もいた。万能薬を求めてくる奴もいたし、とにかくどうしようもない今をどうにかしたくて来る奴ばっかでね。最初は気まぐれで助けたこともあったけど……皆、良い顔をして笑うようになる。――私は、変わらないままなのにねぇ」


 その気持ちもわかってしまった。

 変われないから変われないままだったアリーチェさんと、壊れてしまったから変われない私とでは少し違うけど、でもこの気持ちは近しいものだと思う。


「同類ですね、私たち」

「……それには甚だ遺憾だと思いたい所だが、否定出来ないのが苦しい所だね」

「――私に出来ることはありませんか?」


 私の申し出にアリーチェさんは目を丸くした。


「……何を言い出すんだい、お前さんは」

「私、死ぬならせめて善行を積んでから死にたいんですよ。ほら、今まで散々虐げられてきたけど、やり返したいという気持ちを持つのは負けた気がして」

「いや、そこはやり返すべきだったよ」

「やり返して、何か得られたと思えたらそうしたでしょうけど。私にはそれで得たものなんて何も感じなかったんです。手遅れだったのかもしれないんですけどね」


 ただ自分が思う恥ずかしい人間のまま、終わりたくはない。

 偽善だって言われて良い。狂っていると言われても良い。それでも良い人のままでいたい。


「私は気持ちよく人生を全うしたいんです。たった今、私だけ先に死ぬのはアリーチェさんに失礼なのでは? と思った次第です」


 私の言葉を聞いたアリーチェさんは、まるで人の目には見えない何かを見ている猫のような顔を浮かべる。

 暫し、その表情のままで私を見つめていたかと思うと頭を抱えてしまった。


「……素直に言っていいかい?」

「はい、どうぞ」

「お前さん、頭おかしいぞ?」

「知ってます!」


 それは流石に自覚症状がありますからね! 困ったものですよ!


「いや、でも待ってください! 弁明を! 弁明の機会をください!」

「弁明……? お前さんが……?」

「あっ、何も期待してない顔ですよ! でも聞いてください! もし不老不死の魔女として人生に苦しんでるアリーチェさんを殺すことが出来たら、流石にこれ以上ないぐらいの善行だと思うんですよ! どうでしょうか! 私、気持ちよく終われると思います!」

「いやいや……何も弁明出来てないわ……なんだい、そりゃ」

「――私は、そうしたいと望んだからです」


 だって、似ていたから。

 とても近いって感じてしまったから。

 私に似た不幸を抱えて苦しんでるのなら、助けたいって。

 そう思ったから、その思いを素直に伝える。壊れて、まともな思いじゃなくても。

 この思いはなんだろう? 貴方を看取りたい? いや、でも私も死にたいし……。



「――アリーチェさん、私と心中してくれませんか?」



 初対面なのに言うべき言葉ではない。頭ではわかってる。

 でも、とっくに心と体の動きは乖離してしまっていて、今まで頭がどれだけ訴えようとも心は動かなかった。

 今は、逆だけど。心が動いてしまったなら、もう頭では止められない。


「――……本当に、なんて出会いだよ」


 馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりにアリーチェさんは笑った。

 可笑しくてたまらないというように、うっすらと涙が浮かべている。

 その顔に、どうしようもなく心がざわめく。


「そんな熱心な告白されたのは初めてだよ。しかも不老不死の魔女に心中しろと迫るなんて、とんだぶっ壊れたお嬢さんだ」

「はい、今気付きました! アリーチェさん、私、貴方が好きです! 多分、これが一目惚れって奴ですね!」

「破綻しすぎているよ! あぁ~ぁ、どうしろってんだい、この子!」


 アリーチェさんは髪を掻き混ぜるようにわしゃわしゃと掻きながら小さく呟く。

 困っているんだろうと思う。呆れているんだと思う。私だって馬鹿なことを言ってるのはわかってる。

 それでも、おかしくなってしまった私の想いでも、この人は受け止めてくれたんだ。


「……まずはお付き合いからどうだい? 私の薬は高くつくよ、ミア」

「はい、アリーチェさんの全てを買い取らせて頂くにはどれだけかかりますか!」

「私が必死で作ろうとしてる段取りをぶっ壊そうとするのはやめなァ!」


 怒られてしまった。本当に馬鹿な子だと言わんばかりに。

 その当たり前だと思える反応がただ嬉しくて、私は泣きながら笑ってしまった。



   * * *



 ――身を震わせるような咆哮が響き渡った。

 この世界は何かと恐ろしい怪物、魔物がいる。人の生活を脅かし、害を為すもの。

 一説によれば魔物とはこの世界の自浄作用から生まれた穢れであり、だからこそ世界を穢そうとすることで自滅しようとする性質があるのだとか。


 破滅を望む生物という狂った存在、大いに結構! そういう生物だからこそ、死が近くなる。その死が不老不死に届けば万々歳だ。

 なので――私たちはそういった魔物たちを狙って冒険者として活動していた。今は絶賛、国の危機と称された、悪魔みたいな風貌をした魔物と相対している所です!


「死ぬ、死ぬ! 死にます! これは死にますって、死ねますよアリーチェ!」

「一人で死にたきゃさっさと死にな」

「アリーチェを未亡人にする訳にはいきません!」

「いつ籍を入れた、いつ! ほら、さっさとどうにかしな! さっきから痛いだけだろ、ミア!」

「いやぁ、不老不死って本当に死なないんだなぁって……ハッ、今、私はアリーチェと同じ痛みを共有しているのでは!?」

「そうだよぉ! それでも死ねないんだよぉ! 不老不死ってのはさぁ!」


 前に出るのは私、後ろでサポートするのはアリーチェ。

 すっかりこの位置にも慣れきってしまった。迫ってきた魔物をアリーチェ特製の魔剣で受け止めながら、私は笑みを浮かべる。


 ――あぁ、死に近づくのがこんなにも楽しくて、愛おしい。

 でも、同時に切ない。この死でさえも、永遠の終わりには未だに届かないままだ。


「もっと傷つけてくださいよ、もっと、もっと、もっと、永遠を殺すほどに強く!」


 その痛みが、私を高みへと連れて行く。

 アリーチェが私のために作ってくれた、私の専用の魔剣。私が受けた痛みを武器の切れ味と威力に〝変換〟する呪具だ。

 〝普通であれば瀕死〟の痛みを威力に変えて、私は一閃を魔物へ叩き込む。その手応えから、魔物が致命傷を受けたことを察した。


「あぁ、もう耐えられないんですか? 痛いですよね、大丈夫ですよ」


 ――〝その痛み、貰いますね?〟


 サクリファイス。他者の痛みを引き受ける私の恩恵、それを私は魔物に触れながら引き受ける。

 死にたくなるほどの痛みが身体を駆け巡っていく。その痛みを全て威力へと変えて、優しく告げた。



「次は、痛みもなく一瞬で。それでは、おやすみなさい」



 私を殺そうとしてくれて、ありがとうございます。そんなお礼を込めるように、私は必殺の一閃を叩き込んだ。

 絶命した魔物はゆっくりと崩れ落ちながら、まるで塵のように散っていく。魔物の死骸は残らない、残るのは魔力が強く残る部位だけだ。これが武器の素材などになるのだから不思議なものだと思う。


「んー、それにしても。集めても集めても、なんかなかなか死ねないですねぇ」

「……私はこの方法で自殺はしたくないがね」


 戦闘が終わったことを悟ってアリーチェが私の方へと寄ってくる。そのまま布を取り出して、私を見上げる。


「ほら、屈め。返り血で酷いことになってるじゃないか」

「ありがとうございます、アリーチェ」

「……私は血化粧の花嫁と心中するつもりはないからな。眠るならもっと、せめて花に包まれた心中がいいな」

「ふふ、アリーチェがちゃんと真っ当な望みを言ってくれて安心です」

「お前さんはもうちょっと段取りを破壊しないでくれると助かるんだがな、ミア」


 壊れてしまった私と、壊れてしまいたいアリーチェと。

 この死を模索する日々はいつまで続くのかわからない。でも、その先に望む終わりがあることを祈って私たちは進んで行く。

 死という終わりが、いつか私たちを包んでくれることを願って。


「アリーチェ」

「なんだ、ミア」

「殺したい程、貴方が好きですよ!」

「あぁ、早く殺してくれ。私が死を諦めてしまう前にな」



 ――思い溢れて交わした口付けは、どうしようもない程に血の味がした。


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