茜さん
私の知り合いの話
彼女の名前を仮に羽海さんとしておきましょう。
羽海さんは小学生の頃にお風呂で溺れて死にかけた事があるそうです。その時の話。
羽海さんは両親が共働きだったので家に帰ると一人きりでした。一年生の時は学童保育に通っていたのですが、両親の仕事の都合等もあり二年生に上がると通うのを止め家で一人で留守番をすることにしたそうです。
とはいえ小学生の女の子が一人きりというのも不安が会った両親は隣人にたまに面倒を見てくれるようにお願いすることにしたそうです。
隣人は母方の遠縁であり、昔から顔馴染みでもあったので快く応じてくれ、特に高校生の娘さんは大喜びで面倒を見ると言っていたらしいです。娘さんと羽海さんと十歳は離れていましたが姉妹の様に仲が良く、本当の姉妹みたいだと親戚等にも言われる程でした。
隣人には子供が二人いて、一人は高校生の娘さんである茜。もう一人は大学生で現在県外に一人暮らしの友伽里さんがいたそうです。
羽海さんが学校から帰って暫く一人で留守番をしていると学校が終わった茜さんが遊びに来る。遊びに来るといっても、羽海さんの宿題をしたり二人でお菓子作りをした後は羽海さんは一人で本を読んだりゲームをしていたそうです。
受験生の茜さんは基本的に自分の勉強をしていて、息抜きにお茶を入れ休憩するとき以外は羽海さんも邪魔しないように静かにしていたそうです。茜さんと同じ空間にいられるだけで嬉しかったんだろうと思います。
ある時の事、家の近所である事件がおこりました。野良猫の死体が幾つも見つかったそうです。何ヵ所かではなく、一ヵ所に纏まって
回覧板でその情報が出回ったとき茜さんはとても悲しんでいたらしく、数日は受験勉強が手につかないようでした。
猫好きな茜さんの自宅には二匹の黒猫がいて、茜さんはそれをとても可愛がっていたのを羽海さんは知っていたので茜さんが猫が可哀想で落ち込んでいるのだと幼心に思ったそうです。
その後暫くは何事もありませんでしたが、猫の事があってから二ヶ月程たった夏の日の事、近所の飼い犬が死んでいるのが見つかりました。
羽海さんはとても怖がっていたのですが、茜さんが『大丈夫。私が守ってあげるから』と羽海さんを励ましてくれたそうです。
それから数日後、強い雨の日。羽海さんの両親が仕事で遅くなるので茜さんが泊まりに来ることになったそうです。
いつもは夕飯の頃に両親が帰ってきて、入れ替わりに帰る茜さんと遅くまで一緒にいられると羽海さんはとても嬉しかったそうです。
外は激しい雨。遠くから雷雲がゴロゴロと音をたてているのが激しい雨音の向こうから聞こえてくるような夜だったそうです。
二人で夕飯を作り、食べ始めようかとする頃には雷雨へと変わり、まだ少し距離はあるものの落雷の音が徐々に近付いてきていたようでした。
夕飯を食べお風呂に入ることになった羽海さんは先日の誕生日に貰ったアロマキャンドルをお風呂で楽しむ事にしたそうです。両親がいないので普段はやれないちょっとした事をやってみようと思っていたらしいです。
浴槽の蓋を半分のせたままにしてその上にキャンドルポット、浴室と脱衣場の電気を消して湯船に浸かり蝋燭の小さな炎をボンヤリ見ていたそうです。
蝋燭の炎と脱衣場を通して入る廊下の微かな光。時折窓の外から稲光。
激しい雨音と雷。
激しいけど心地好く聞こえてくる雨音を聞きながら、そのうち羽海さんはうとうとし始めました。
(そろそろ出ないと)
そう考えながらもボンヤリしていたら一際大きい雷。どうやら近くに落ちたらしく気がつくと廊下からの光が無くなっていたそうです。
(停電だ)
そんなことを考えながらもまだボンヤリとした意識のまま動こうとは思わなかったらしいです。
『後になって考えるとおかしいんだよね。あの時凄い音で、衝撃も伝わってきたのを憶えてるんだ。それなのにボンヤリとしたままって有り得ないでしょ』
とはこの話をしてくれた羽海さんの言葉
後になって知ったことでらしいですが、この時数十m程の距離のマンションに落ちたらしく、近隣が全て停電になったらしいです。
蝋燭の炎一つになった浴室に誰かがやってきた。ボンヤリする意識。唐突に頭を押さえ付けられ全身がお湯の中に沈んだ羽海さん。
ボンヤリする意識のなかで、頭の上にあるものを退かそうと必死にもがいたそうです。ボンヤリとして働かない頭が逆によかったのか冷静に、というか客観的に自分の現状を考えていたそうです。
(頭を押さえているのは誰かの手)
そう考えた羽海さんは爪を立てて思い切り引っ掻いたそうです。一瞬緩んだ力ですが、すぐに先程より強く押さえ付けられてしまったそうです。
一瞬意識が遠くなり気が付くと救急車にのせられる自分を観ていたそうです。
『置いてかないで』
そう思ったら自分の体に吸い込まれて、次に気がついたら病院の天井から自分を観ていたらしいです。次の瞬間にはまた体に吸い込まれたとのこと。
はっきり意識が戻ったのは二日後の事だそうです。
どうやら羽海さんはお風呂で寝てしまい溺れたらしいです。
茜さんがそれを見つけて引っ張りあげて救急車を呼んだとのこと。
両親は茜さんにとても感謝していたそうです。
その後、両親はどちらかは必ず仕事を早めに切り上げて遅くならないように帰ってくる事になったらしいです
羽海さんは小学五年生の時に引っ越しをして、その後は茜さんとはたまに連絡を取るぐらいになってしまったそうです。
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「懐いてたのに疎遠になったんだ」私が言うと
『友君、私は茜さんがこわかったんだよ』
と羽海さん
何故と訊ねると
『今思うと猫の死体があったから悲しくて勉強が手につかないんじゃなくて、犯人が自分だとバレるのが怖くて勉強どころじゃなかったのかなって』
『猫の死体が見つかった場所はね、前は茜さんよく行ってたんだけど死体が見付かる少し前から全く行かなくなってたらしいんだよね。学校帰りにそこに寄って猫可愛がって写真撮って、私の家に来たら見せてくれてたんだけど死体が見付かるちょっと前から写真見せてくれなくなったんだ』
『私の家に来る時間は変わらないのに猫の写真見せてくれないのなら写真とらないで別の事してたんじゃないかなっておもうんだ』
『死体が見付かる前の三日位は家に来るの早くなったけどそれって猫がいなくなったからなんじゃないかな』
『茜さんの家の黒猫、猫の事件が発覚する少し前から茜さんに懐かなくなってきてたらしいしね』
羽海さんは続ける
『それに、そもそも私を溺れさせたの茜さんだよ』
『停電したの憶えてるんだよ私。で、茜さんはそれから数分後に救急に電話したらしいんだけど、様子見に来るなら停電した時に見に来るでしょ。その時に溺れてたなら停電直後に電話するはずじゃない』
『意識が戻ったとき茜さん腕に包帯巻いてたし。私助けるときに怪我したらしいけどお風呂で溺れたの助けるのにそんな怪我しないでしょ。溺れて意識がないのを見つけた茜さんはどうして腕に包帯が必要な怪我をするのかな。私はね、押さえ付けられた時に相手の腕に爪立てて思い切り引っ掻いたの憶えてるんだよ』
『それにそもそも、蝋燭の灯りぐらいしかなかったお風呂にずっといた私が、停電したからって暗くて何も見えないなんてないんだよ。ボンヤリしてて反応しなかったけどはっきり認識してたんだよね、顔』
「それはそうとなんで急にそんなことを話すの」私が訊ねると
羽海さんは苦笑しながら
『泳げない訳じゃないけど海とか行くのはちょっと怖いからね』
と答えました