嬉しさと、絶望と
この学園の文化祭は、二日間にわたって開催され、毎年沢山の人がやってくる。
一学年三クラス、計九クラスが各々工夫をこらし、飲食店や展示、劇などを披露する。
文化祭での売上は、一部を除いて教会や福祉施設に寄付されるので、社会貢献のひとつでもある。
来賓はロイのお父様だけでなく、諸外国から他にも数人やってくる。語学が堪能である私とフォーレンが協力をして案内する事になっている。
この学園の歴史や様々な行事の話を交えながら案内をしようとフォーレンと沢山打ち合わせをした。
特にロイのお父様には全力でアピールしたいので、気合いが違った。
そんな忙しく準備をした、文化祭初日。
ちらほらお客さんの姿が見え始めた頃、不備はないかと各部屋を見回っていた時だ。
とある部屋から、女性であろう泣き声が聞こえてきた。
何があったのかと部屋を除くと、そこにいたのは、衣装を抱え込み一人で泣くリリー・レジェノの姿だった。
正直、関わりたくないのだが、今の私は生徒会の腕章をつけた人間なのだ。私情は挟めない。
「何かあった?」
その声に顔をあげたリリーは、私だった事が意外だったらしく、その涙で濡れた大きな瞳を一際大きく見開いた。
「ハワード様……そうか、生徒会ですもんね」
腕章をみて、納得したらしいリリーの手元には、ズタズタに引き裂かれた衣装があった。
「……そういう事ね。確かあなた達のクラスは演劇だったわね」
ベタベタの恋愛ものだったはず。
ヒロインの貧しい少女を演じるのはリリー・レジェノ。そのヒロインと恋に落ちる王子役は、本物の王子であるダレン。よくある身分差恋愛劇だ。
リリーが抱えているのはその衣装で、三着ある全ての衣装が引き裂かれていた。
恐らくダレンと親しい平民の彼女をよく思わない貴族達の仕業だろう。
――前世でも身に覚えのない嫌がらせの罪を押し付けられた。
「……言っておくけど、私じゃないわよ」
「なっ、おもって……ません」
完全に思っている顔なんだが。
「ただでさえ忙しい生徒会なのに、文化祭の準備で殺人的なスケジュールだったのよ。そんな事に時間を割くわけないでしょう。時間があってもそんな幼稚な事しないから」
「……は、はい。疑ってすみません」
「あとね、何故理解してくれないのかわからないけど、私はダレン殿下の事好きじゃないから。私別に好きな人いるから」
「……そう、なんですか。私てっきりダレン様の気を引こうとそう言ってるとばかり」
「……もういいからそういうの。とりあえずその衣装みせて」
私が裂かれた衣装を見ていると、リリーはまた思い出したかのようにぽろりと涙をこぼした。
「もう、これじゃ使えない……。あんなに練習したのに。ダレン様にもクラスのみんなにも何ていえば……私のせいでっ」
そう言ってしくしく泣き始めた。
「あなたのせいじゃないでしょう。それに、何とかなるわ」
「……えっ?」
「この衣装が出来たのいつ?」
「あ、あの、三日前です。それで当日まで置いておいたらこんな事に」
「わかった」
魔法の中には、復元魔法というのがある。
かなり魔力が持っていかれるし、高等魔法だから、私やエリアスを含め、使えるものは王国中で片手もいないんじゃないか、という魔法だった。
私も、貴重なものを魔法薬の調合に使う際に――失敗した時の為――苦労して習得した魔法なのだ。
魔力を込め、詠唱を終えると、裂かれていた衣装はたちまち光とともに三日前の姿に戻った。
物の時間は戻せるのに、時間自体は何で戻せないんだ。あれば即ダレンに対する行いを、消せるというのに。
「こんな高度な魔法を使って頂けるなんて、思ってもみませんでした。疑ってしまいすいませんでした……。 おかげで無事に劇が出来ます!」
リリー・レジェノは、ちょっと思い込みが激しいだけで、ただの素直な女の子だった。飛び跳ねるようにして喜んでいる。
前世では愚かだった私はこの子を殺しかけたのだ。復元魔法などいくら使っても償いきれないだろう。
「ええ、頑張ってね。時間があれば見に行くわ」
「はい、是非。……ハワード様って意外と親しみやすい喋り方も出来るのですねっ。私はその方が好きです」
「……それはどうも。普段は貴族だからこうはいかないけどね」
「ダレン様の事で色々私に注意をしていた時とは別人です!」
リリーは結構ズバズバ言ってしまう子だった。天然ですかそうですか。事実だけれども。
「今後一切そんな事はないから。これまで悪かったわね」
「そんな! ……いいんです。私は貴族の事とかわからないから、言われて当然の事も多かったですし」
「……そう。でもこれから嫌がらせが酷いのなら、ダレン殿下にでも相談しなさい」
「……ダレン様にご迷惑をおかけするのは……」
「人って、好きな人に頼られて迷惑だなんて思う人いないわ」
「す、好きな人……!」
そこに反応するの。
照れた様子のリリーに呆れてしまうが、まあとにかくなんとかなって良かったんじゃないだろうか。
「さ、そろそろいって」
「はい、本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げたリリーは走って部屋を出ていった。
「魔法って凄いんだね、それに凄く優しい魔法使いさんらしい」
突然かけられた声に驚き、振り返ると、そこには、いるはずのない人物。心から愛おしくて、ずっと会いたかった人、
――ロイ・カールトン、その人が立っていた。
「ごめんね、覗き見するつもりはなかったんだ。偶然通りかかったときに、君の生徒会の腕章がみえたんだ。これから生徒会室に向かうところだったし、一緒に、とおもって」
「あ、え、はいっ。生徒会の者です、わ、私がご案内を!」
びっくりしすぎて噛みまくる私に、優しく笑うその姿は、最後のロイの記憶よりずっと若い。
でもなぜ、ロイが?
「急に声をかけたから、びっくりさせちゃったね。慌てなくて大丈夫だから。今日は仕事の都合で来れなくなった父の代わりに僕が来たんだ。そうか、君が今日案内してくれる生徒さんだったか」
「そう、だったのですね。改めまして、本日ご案内させて頂きます、生徒会庶務のルーシー・ハワードと申します。まだ一年の未熟者ではございますが、ストケシア語が少しばかり喋れますので、担当させていただく事になりました」
ストケシア語に切り替えそう言った私に、ロイは少し驚いたというように目を開いた。
「少し所じゃないよ。ネイティブだと言われてもなんの違和感もない。どこでストケシア語を?」
ロイもストケシア語に切り替えそう聞いてきた。前世で、十一年間ストケシアにいて、あなたと結婚していました。
……なんて言えるはずもなく。
「……独学でして、きちんと話せていたなら安心しました。ロイ様のアスター王国語のほうこそ素晴らしいです」
「まだ一年生で、しかも独学でこのレベルかあ。素晴らしいね。僕は商人としてこれくらいは当たり前なんだ。ちなみに他にも?」
「ええ、語学は少し得意なので、あとは――」
相変わらずロイは喋り上手の聞き上手だった。
こんなにも早くロイと出会えるなんて、予想外で嬉しすぎるこの出来事に、完全に私は浮かれていたと思う。
――一番聞きたくなかった、あの言葉を聞くまでは。
☆
生徒会室にて他のメンバーと挨拶を交わしたロイを、ドキドキしながら学園の案内をしていた。
「この学園は、沢山の行事がありまして、この文化祭の後は、魔法大会なんて物もあります」
「へえ、そうなんだ。僕は商人としての勉強ばかりで学園や学校には通えなかったから、羨ましくて、話を聞いているだけでも楽しいよ」
そういって本当に楽しそうに笑ってくれる姿にたまらなく胸が疼く。
ロイは目が細くて小さい。鼻もぺたっと低いが、口元は上品に整っており、そのアンバランスさが、ロイの愛嬌を存分に引き出していた。
背は高く、女性の中では高身長である私でも見上げるほど。
そんなロイのお腹は、ぽよんと出ている。
実はこれ、太ってみせるために偽装しているのだ。この方が何かと都合がいいのだと、深くは語らなかったが、私は知っている。
ロイは人たらしで、一般的に"イケメン"ではないが、かなりモテるのだ。実際に言い寄られてる姿を見た訳ではないが、柔らかそうな雰囲気に、その言葉遣いや所作、話し上手の聞き上手な上に、更に褒め上手でもある。
どう見てもモテない筈がない。娼婦歴十年だった私が言うのだ、少なくとも女性に困った事はないだろう。
まあそんな訳で、女性関係で仕事に支障をきたさないために、偽装しているのだ。
ちなみに本当のロイの身体は、めちゃくちゃいい身体をしている。見事なシックスパックをお持ちである。
プロポーズされてはじめてロイに抱かれた日にみたその引き締まった身体に、出ていないお腹に驚いたが、それ以上にドキドキして更に惚れ直したのが懐かしい。私が一番戻りたい日だ。
……一流の商人としての腕をもつロイだが、夜の方の腕も一流だという、余計な情報も伝えておく。
「ここは、三年二組の執事とメイドの格好をした生徒が給仕してくるカフェです。実際に貴族である生徒の家で働く使用人の方に指導してもらったらしく、本格的だそうです。結構歩きましたし、お茶に致しましょう」
「そうだね。わあ凄い。衣装も完璧なんだね」
ロイが言ったのもその通りで、貴族生徒により、本物の使用人服を持参したものらしい。文化祭の最後に優秀クラスの発表もあるので、貴族平民問わずみんな本気なのだ。
注文すると、メイド姿の生徒がやって来て、紅茶をいれてくれた。
「今日は本当に来てよかった。こんな素敵で博識な魔法使いのお嬢さんに案内して貰えるなんて "役得" 過ぎるよね」
「ほ、褒めすぎです。それに、お嬢さんだなんて、ロイ様は私と二つしか年が違わないではないですか」
「あれ、僕、いくつか君にいったかな」
褒められ、社交辞令とわかってていても嬉しくなってしまって、つい私が知っている筈のない事を言ってしまった。
「あ、え、いやっ、そんな気がして……勝手にすみませんっ」
「いや、当たってたからびっくりしただけなんだ。謝らないで」
「は、はい」
「それに、褒めすぎじゃないよ。本当に貴族令嬢で品があるのに、それをいい意味で感じさせないフランクさもある。君みたいな人に好きになってもらった人が羨ましいくらいだよ」
冗談っぽくそう言ったロイに、リリーとの会話を聞かれていたとしって驚く。
それに何だか恥ずかしいし、そもそも好きな人ってあなたの事なんですけど。
「……聞かれてらっしゃったんですね」
「不可抗力なんだ。悪いのは聞こえてしまった僕の耳だ。今度よく叱っておくから許してほしい」
そんな風にいうロイに、少し怒ったふうを装うのも忘れ、私は笑ってしまう。
「私の方こそ、ロイ様の恋人が羨ましいです。ロイ様の様な方と、結婚出来ればすごく幸せだと、思います」
恋人ぐらいはいるだろうが、婚約者は前世の記憶からもいないだろう。勇気をだして、少しアピールしておく。
「ありがとう。素直にうれしいよ。まあ、本当にそう思ってくれていたら、幸せなんだけどね。実は、仕事が落ち着いたら、プロポーズしようと思っていたんだ。君にそう言われて、勇気を貰えたよ」
――私の中で何かが砕け散った音がした。どくどくと心臓が暴れだし、血の気が引いていくのがわかる。そんな私の様子に気づくことなくロイは喋った。
「……プロ、ポーズ……?」
「ああ、幼馴染なんだ。こんな僕を支えるために、しなくてもいいのに商人の勉強をがんばってくれて。いいビジネスパートナーでもあるんだ。働かなくてもいい程の裕福な家庭の子なんだけどね」
私が知っている歴史と完全に違う。幼馴染の話は聞いた事が無いだけだったかもしれないが、プロポーズする程に愛していた恋人がいたなんて、聞いたことがない。
そんな事って……。
一番聞きたくなかった話で、一番起こらないで欲しかった現実。
確かに私だってもとの歴史通りの行動はしてこなかったが、こんな現実あんまりではないか。
「……どうしたの? 気分でも悪くなった? ごめんね、長々と君にはどうでもいい話だったね。存分に楽しめたし、僕はそろそろ引き上げるよ」
「い、いえ。そうでは、ありません。……もうお帰りになられるのですね」
「そっか。よかった。他に仕事があってね」
顔色が悪くなっているであろう私に気づいたロイだが、全然どうでもよくない話なのだとは気づくはずもなく。
もう上手く笑える自信のない私だったが、帰らないでとそう叫び出しそうになる。
ロイが私以外の人と幸せそうに笑っているのを想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。
綺麗で、頭が良くて、優しい人なんだろう。ロイが愛するその人は、私なんか比べ物にならない程素敵なんだろう。
勝手に想像して、勝手に傷つくという無意味な事をしてしまう。
「今日は本当にありがとう。案内してくれたのが君でよかった。もしストケシアに来る事があったら、カールトン商会に来て欲しい。今度は僕が案内するよ」
「……是非、おねがい、します」
嬉しい言葉の筈なのに、喜べず、涙をこらえる事しか出来なかった。
何も考えたくなくて、残りの文化祭をひたすら無感情で働き、あまり記憶がないまま乗り切った。
――本当に私は、神様に嫌われているとしか思えないほど、運のない女だ。どれだけ努力しようと、一番ほしいものは、絶対に手に入らない。