番外編 浮かれすぎたその男。 人気歌手の公演チケット入手方法
その日、仕事で夕食を取るのが遅くなり、待ってると言ってくれたミシェルがいる屋敷の食堂に向かっていた、そんな時。
今日は出かけてくると嬉しさを隠しきれていなかった可愛い弟が、目の前からフラフラと歩いてくる姿を見た。
いつも特に表情が変わることなく、飄々としているエリアスが、蕩けたような顔をしていて、驚いた。
「……エリアス? どうしたんだ?」
そう声をかけても全く反応が無く、顔の前で手を振っても全く俺に気づく様子はなかった。
フラフラと屋敷の廊下を歩くエリアスは、自分の部屋へと向かっているらしく、その様子が心配な俺は、エリアスの後を追った。
予想通りというか……エリアスはおもいきり閉まった扉に激突していた。
痛みを感じていないらしく、
「ああ……扉か。お前も俺を祝福してくれるよね?」
と、訳のわからない事を言っていて、本当に何があったのかと聞きたくなった。そんな俺はエリアスに続き一応ノックしてから部屋に入った。
「エリアス、大丈夫か? なにかあった?」
「……ん? ああ、兄貴か……ただいま」
「ずっと話しかけても気づかなかったんだぞ」
「……今は仕方がないんだ……そうだ兄貴、俺のほっぺたつねってくれない」
またもや謎な発言するエリアスだが、話を聞くためにはいいのかもしれないと思い、結構力を入れて両頬をびよんと横に引っ張りながら抓った。
「……いひゃい……げんじつだ……」
「……本当にどうした?」
惚けた顔でそんな事を言うエリアスに謎は深まるばかり。だが、続いて聞いたエリアスの言葉に、深く納得する事となる。
「……兄貴、俺ルーシーに好きって言われた。プロポーズして婚約することになった」
「なっ……!」
その言葉に俺は目を見開いた。
ルーシー・ハワード公爵令嬢。
俺の家以上に身分の高い名家の出で、エリアスとは…うちの家族とは切っても切れない縁がある女性だった。
助けてくれた恩人が見つかったと、俺や両親、ミシェルに目を輝かせて報告してきた時にはそれはもう驚いた。お礼を述べたいとみんな言ったが、本人は憶えてなさそうだから、本人にはまだ伝えていないと申し訳なさそうに言ったエリアスのその瞳や態度は、完全に恋する男のそれだった。
確かに恩人であるその人を好きになってしまってから言うのは中々難しいだろう。小さな頃に助けてもらったんだと言ってしまっては恩人だから優しく接するんだと思われても仕方がない。普段愛想をあまり持ち合わせていないエリアスだから余計だろう。
「…エリアス、本当におめでとう。家族みんな大喜びするぞ! なんだったら今からでもお祝いするか?」
「ルーシーと食べてきたし、そう言ってくれて嬉しいんだけど、俺しばらく胸がいっぱいで食べれそうにない。しかも飲んだら俺、踊り出すかもしれない」
エリアスにここまで言わせるルーシーという女性は一体どんな人なのだろうか。
恩人でもあるし優しく、綺麗な人だと言っていたが、そもそも人にあまり関心がなく、優しいだけでましてや辛い過去があったエリアスが容姿が綺麗というだけでここまでならないだろう。
いずれにしても会えるのはそう遠くない日であろうが、今から楽しみで仕方がない。
エリアスはあの事件があってから本当に大変だった。基本的になんでも使用人に任せっきりなのは、その名残だ。ウィーラー家は上位貴族であってもそこまで貴族然とした所ではないし、自分達で身支度ぐらいはする。
それぐらいエリアスは心を病んでしまった。
本当にルーシー嬢や、レオナルド殿下、ミシェルには感謝してもしきれない。
そんなエリアスは、長らく片思いをしながら魔法薬師として働きだしたルーシー嬢をせっせと助け支えていたみたいだ。
念願叶い、このような状態になってしまうのは仕方ないのかもしれない。むしろこの状態でよく帰ってこれたと、褒めてあげるべきだ。両親やミシェルもそう言うと思う。
あの事件故に可愛い弟には少し甘過ぎるかもしれない俺はそんな事を思い、そしてすごく嬉しくなった。
「気持ちはわかるが、本当に食事は抜くなよ。
これから一生ルーシー嬢を愛し支えていくんだろう? 養う為に、仕事もがんばらないといけないし、体が資本だぞ」
「……わかってるよ。食事も抜かないし、健康管理も完璧にする。今までどうでもよかったけど、俺、出世する」
「お、おう……その意気だ。がんばれよ」
「ありがとうね、兄貴」
「……ああ。本当におめでとう! よく眠るんだぞ」
まだまだ惚けた顔をしたエリアスに、おやすみと伝え、部屋をでた。
バタンと扉を閉めた、瞬間。
「よっしゃあああああああ」
という叫びと、ベッドの上でジタバタと飛び跳ねていそうな音が、決して薄くない扉の向こうから聞こえてきたが、可愛い弟の名誉の為、今のは聞かなった事にして、長らく待たせてしまっているミシェルの元へ向かったのだった。
☆
番外編 人気歌手の公演チケットの入手方法。
私は、ウィーラー侯爵家で働くエリアス様付きの執事である。
今、少なくない使用人達の休憩室に、エリアス様が何やら真剣な表情でやってきた。
「もう兄貴とミシェル、両親には頼んだんだけど、それでもわからないから協力してほしい。もちろん礼はするよ」
いくら他の家より距離が近いとはいえ、使用人である私たちに頭を下げてまで協力してほしいこととは何だろう? 出来ない事の方が少ないんじゃないかと思う程の身分と優秀なエリアス様だから余計にそう思う。
「ある歌手のチケットなんだ。抽選販売で、俺ももう百通以上応募しているのに、全く当たらないの」
……正直、そんな話……? と転けてしまいそうになってしまった。
確かに、アスター王国に大旋風を巻き起こすほど人気のある歌手のチケットは、信じられない程倍率が高いというが、なんかもっとこう……深刻そうな話かと思うようなテンションだったのだ。
「……俺は全く興味ないけど、聴きたいってしょぼんとした顔でいうから……」
伏し目がちにそう言ったエリアス様にどういう事なのか、ここにいる使用人全員がわかった。
ルーシー・ハワード様だ。
彼女が、聴いてみたいけど、当たらないと言ったのだろう。本人は無意識だろうが、彼女と出掛けるであろう際は、頭を揺らし、鼻歌まで歌うのだ。
それを目撃しているため、この家の使用人たちは全員しっていて、とても微笑ましく見ていたのだ。
「とにかく、半年先まで全部の日にちに出来るだけ応募して欲しい。もちろん費用は俺が出すし、給金にも色つけるから、お願い出来ないかな」
いつもあまり変わらない表情を真剣で必死な色に染めたエリアス様に一同ふわっとした。
「給金は多いくらいなんです。そのような事仰って頂かなくとも、是非一同協力させて頂きます」
そういった私に、全員うんうんと頷く。
確かに半年全部というのは正直手間ではあるが、みんなエリアス様やここの御家族の事を心から信頼し、好いている。
それにエリアス様は昔のあの事件のせいで、見ているこっちが辛くなるほど悲惨だった。
だからそれ以上に、幸せそうなエリアス様に、みんな嬉しくなる。
「ほんとにありがとう。助かる」
本当に嬉しそうにお礼を言ってくれたエリアス様だった。
そして、婚約していたエリアス様のお兄様とミシェル様が入籍したその頃、ぽつぽつと当選者が出始めた。
なにやらすごく忙しいらしいルーシー様に、ひと月先まで日にち毎に予定を確認したと言う、さすがとしかいいようがないエリアス様の欲しかったチケットは、私が当選したチケットに決まった。他の分はみんなで行って欲しい、そう言ってくれた。
ルーシー様との約束を取り付けた休日と同じ日付の公演チケットをエリアス様に渡した時、一瞬どこか違う世界に行ったんじゃないかという表情をして喜んだエリアス様に、更にほっこりしたのだった。
その数日後、ご学友だった方の家が経営する商会を、ウィーラー侯爵家に呼び出し、その友人とともに、あれでもないこれでもないと真剣に相談するその姿に、正直笑いそうになってしまった事を許して欲しい。
「あんたはあまり興味がないかもしれないけど、俺はこれが一番自信あるよ」
と、当日の朝、姿見に向かって言っていた発言は、聞かなかった事にしたほうが良さそうだ。




