死の先は過去
「ウワァァアァァアア!!」
大声と共に飛び起きた私は、心臓がうるさい程鳴っていて、呼吸も荒かった。
――私、あの男に首を絞められて……目の前が段々白くなって……死んだ。
……なのに意識がある?
私は大きなベットの上にいて。 天井には豪華なシャンデリア。広い部屋には、高級な家具達が品よく並んでいる。ものすごく見覚えがある。
わたし、の、部屋……だ。
見覚えがあるのは当然だ。十八年間ここで、――ハワード公爵家の屋敷で育ったんだから。
どうしてここにいるんだろう。私はこの屋敷の敷居を跨いではいけない人間なはず。というか、この王国にさえ、追放された人間で。私の最後の記憶も、薄暗い路地裏だ。
仕事帰り、酒と薬で完全に飛んでいたあの男に路地裏に引きずり込まれ、犯されながら首を絞められ、死んだ、はず。
本当は死んでなかった? 魔力封じの印が解けて何か魔法が発動した……とか? わからない。わからないが、そんな事どうでもいい。 生きてたんだ。なら――ロイに――私の最愛の人に会いたい。今すぐストケシアに行かなければ。
そう思うと、いてもたっても居られなくて、ベットから飛び出し、扉まで走った。扉を開け、勢いよく部屋出ると、思い切り誰かにぶつかった。
その反動で床に叩きつけられるように尻もちをついた。
「お、お嬢様っ! 申し訳ございません! お加減をお伺いに、お部屋に行こうとっわ、私、とんでもないことをっ」
私がおしりの痛みに耐えていると、目の前には、平伏すようにして頭を下げ謝る女が一人と、その後ろには、この様子を恐怖に染めた顔で見ている、女が二人。
みんな同じ服を着ている。
これは、ハワード公爵家の使用人の制服だ。 ということは、この三人は使用人で。
さっきもお加減がどうとか。 確かにこの三人に見覚えがある。
――私付きの侍女達だ。
私がハワード公爵家から、この国から去って十一年もの月日が経ったというのに、全く歳をとった様子がなくかなり不自然だったが、今はどうでもよかった。私の頭の中は、ロイただ一人だ。
「いいのよ、頭を上げて。 私もいきなり飛び出して悪かったわ」
「申し訳ございませんっ申し訳ございませんっ。解雇だけは何卒ご勘弁下さいませっ。私にはまだ幼い兄弟たちがっ……えっ?」
かなりの言葉を発してから、やっと私が怒ってないとわかったらしい侍女は、間の抜けた顔で私を見つめ、後ろの二人も、驚きに満ちた顔で見ていた。
「私、急いでるから。 あなたは何も悪くないから戻って」
「お嬢様っ! 何を仰って……お嬢様は三日程高熱で寝込んでいておられたのです。治癒魔法も効かなくてっ…それなのに……そのお身体で何処へいかれるのですかっ」
「ストケシアにいく。そこをどいて」
「ス、ストケシアで、ございますか。お嬢様は十六年間一度も王国を出た事がないと聞かされておりますが……」
「は……? 十六年間……? 出たというか、追い出されて私は十一年もストケシアにいたのよ」
「お、お嬢様の仰ってる意味が、わかり兼ねます……。きっとまだ体調がよくないのでは……」
「何を言っているのかこっちがよくわからないけど、そこをどいて」
次々に訳の分からないことを言う侍女三人は、困ったり驚いたりと、パニックな様子で私の前に立ち塞がっていた。
「し、失礼かとは思いますがお嬢様っ。出国なされるにしても、お手続きと学園の休学届も必要かとっ」
手続き……? 学園の休学届……? さっきから何を言っているの? 学園なんてとうの昔に卒業――は出来ていないか。いやそんな事どうでもいいが、私はもう二十九歳でいつの話をしているのか。それに私は正当ではないにしろ、国外追放された身だ。見つかれば即刻船に乗せられるはずで。
「あなた達本当におかしいわ、よ……何に、いってい……る……」
突然目の前が歪み、言葉を言い切る前に私は意識を手放した。
☆
意識が戻って、一週間。私は部屋に籠り、泣き続けた。
二十九歳だった私は、ストケシアという国の薄暗い路地裏で、最も最悪な形で生涯を終えたと思ったら、何故か、アスター王立魔法学園に入学した頃の十六歳に戻っていた。
生きていたのでは、なく、戻っていた。
――ロイに出会ってすらない過去に。
どうして、とか、何故、とか。そんな事はどうでもよくて。沢山の事を乗り越えてロイと結婚して一年。幸せの絶頂にいた私達。
ロイは、犯されて死んだ私をみてどんな気持ちでいたのだろう。一人残されてどんな気持ちで生きていかなければならないのだろう。
そう思うと、ロイに申し訳なくて、謝りたくて、でももうあの時のロイには会えないのだと思うと、死んでしまいたいぐらい辛くて、泣いても泣いても涙が止まらなかった。
ロイ・カールトン。ストケシアという魔法のない技術先進国で産まれた大商家の跡取り息子。
十八歳にして、王国一番の魔法薬師だった私は、好きだった、このアスター王国の第二王子、ダレン・バリー・アスターと恋仲になった、聖女リリー・レジェノに、独自に作り出した治癒魔法の効かない毒を、潜りの魔法使いを雇い、飲ませた。
そして最後の最後でつめの甘かったらしい私は、雇った魔法使いに裏切られ、学園卒業パーティで断罪され、国外追放を言い渡された。
聖女リリー・レジェノは、私の毒に打ち勝ち、奇跡的に息を吹き返した。リリー・レジェノは平民の出で、国一番の治癒魔法の使い手だった。王都に蔓延した新種の病を収めた事で、助けられた人達により、聖女だと崇められた。
そしてそんな私は、その聖女を殺そうとした悪女として、人間扱いすらされなかった。
実は私も、聖女に遅れは取ったものの、新種の病の特効薬を作り出した。注目はされなかったが、聖女が行った大規模治癒魔法以降の感染者は私の特効薬で助かった。
その功績と、聖女リリー・レジェノの強い希望で、私は処刑から免れ、国外追放となった。
そして、断罪後、魔法を封じられ即牢屋に放り込まれた。
全て垂れ流しの汚物まみれの牢屋、複数人による凌辱、鞭に打たれ一生消えない傷。処刑された方がましだという地獄を数日に渡って与えられ、いつのまにか船に乗せられストケシアという国に放り出された。
裁判すら行われなかったそれは、恐らく第二王子の独断だと、怒りで底冷えするような目でロイは言っていたが、それももうどうでもよかった。ロイに出会えた事が私の一番の幸運だったからだ。
ストケシアに一文無しで放り出され、野垂れ死に寸前だった時、サリバンという老女に拾われる。
サリバンは高級娼館を営んでおり、行く宛てのなかった私は、そこで雇って貰える事となり、娼婦になった。サリバンに拾ってもらった恩を返すべく、がむしゃらに働いた。
そんな中、お客さんとして出会ったのがロイだ。
ロイは手を繋ぐ以外、結婚が決まるまでの十年間、一切触れてこなかった。安くない金額を払って、いつも私を笑わせてくれるだけだった。
優しくて、話し上手で、うんと甘やかしてくれるロイを好きになるのには、時間がかからなかった。
お互い好きだと感じているのに、ロイは大商家の跡取り息子で、私はとんでもない過去を持つ娼婦。
釣り合う訳がなかった。――だけど、十年という月日を経て、沢山の事を乗り越え、結婚できた。
あの時の感動は一生忘れられない。思い出すと、また涙が溢れて、あの時のロイとはもう会えないと、食事も喉を通らなかった。
そんな私は沢山泣いて沢山思い出しながらも、思った。
あの時のロイとはもう会えないけど、今この世界にいるロイに会いたい。抱きしめて、愛してると言いたい。声を、あの優しい笑顔を……。
そして、決意した。ロイに会いに行こうと。
もうこの世界に生きるロイに会うことしか、生きる希望がなかった。
☆
アスター王国魔法学園の制服に身を包み、侍女によって、最低限のメイクと、綺麗に編み込みが入ったハーフアップにされた私は鏡を見つめる。
ロイが綺麗だと言ってくれてから私は、自分のプラチナブロンドの髪と同色の瞳がとても好きになった。
この国の女性の中では、背が頭一つ分ほど高く、痩せているが胸は突き出て、おしりは小さかった。
ストケシアにいた頃、みんな私の容姿を褒めた。アスター王国では、綺麗などと言われた事がなかった私は、何をと笑ったが、後に私がしていたメイクのせいだと判明する。太く黒いアイラインに、ド派手なアイシャドウ。白粉を厚く塗りすぎて、真っ白だった。
娼館で、それをしようとして全力で止められたのが何だか懐かしい。
今でも自分の容姿がどうとか、どうでもいいが、この容姿のお陰で、身体中が傷だらけにも関わらず、平均の半値には落ちてしまったものの、娼婦としてやっていけたのだ。そしてロイとも出会えた。
今は前世、と呼んでいるが、前世で今と同じ十六歳だった頃、私付きの侍女に、『お嬢様はお化粧なさらない方が美しいですね』と言われた事がある。
本来なら主人が問わなければ使用人は言葉を発しない。その侍女はまだ幼かったのだ。
私はその言葉に怒り狂った。 メイクは濃ければ濃いほど美しいと思っていたし、自分の素顔が綺麗だと思えなかった私だった為、馬鹿にしていると思ったのだ。ダレン第二王子との婚約を目指していた私に、綺麗な格好で行くなというのか、と癇癪を起こし、即クビにした。
傲慢で我儘で、周りが見えない世間知らずなお嬢様だった私は、人は身分に関わらず一人一人感情を持っているのだと、そんな事すら知らなかった。
私にクビにされた使用人は数しれず。そのせいでハワード公爵家はいつも使用人不足だった。
私には、父と兄がいるが、私になんの興味もなく、むしろ疎ましく思っているために、咎めようとすらしない。ある意味そのせいで傍若無人に拍車がかかっていた。
「お嬢様、とてもお綺麗でございます!」
そう言ったのは、前世で私に素顔が綺麗といってクビにされた侍女、ミリアだった。
「うん、ありがとう。あなた達の腕がいいからね」
「そんな事はございません! お嬢様の素材が良いからですわ!」
と、キャッキャとしていると、私達を厳しい目で見ている人が一人。
「ミリア、お嬢様がお優しいからといって、勝手にその様な発言をするものではございませんよ。いずれお嬢様と違うご主人様の元でお世話になる事があればすぐに解雇ですよ」
そういうのは、リサ。三人いる内の私付きの侍女の一人で、歳は十八歳で最年長だ。しっかりもので厳しいもの言いだが、人を思って言っていることがほとんどで、根が優しい人だ。
「まあいいじゃない。ずっとここにいてくれればいいし」
「お嬢様も、でございますよ! わたくし達の前ではよろしいですが、旦那様やセドリック様の御前では言葉使いや態度はしっかりなさってくださいまし」
「大丈夫だって! リサは本当に心配症なんだから」
「ですよねー! お嬢様っ!」
そういって悪戯っ子のように笑う小柄で可愛らしいミリアは、まだ十二歳だ。男爵家の次女ではあるが、領地はなく、沢山の兄弟がいて、爵位は名ばかりだと言っていた。なので、珍しい事でもないが、こうして幼いながらも働きに出ている。
「でも、お嬢様は意識が戻ってから、大変変わられましたね」
そういうのは、三人目の侍女のカレン。私と同い年で、平民出身だと言っていたが、頭がよく紹介状ではなく、自力でハワード公爵家の面接をパスして私の侍女となった才女だ。
「……まあ、三人の前ではね。この部屋から一歩でもでたら、ルーシー・ハワード公爵令嬢よ。だから許してね」
ルーシー・ハワード公爵家令嬢とは私で。今の私は本来のルーシー・ハワードとかけ離れすぎている。前世ではずっと娼婦として生きていたし、湯水の如くお金を使っていた時とは違い、金銭感覚もすこぶる庶民的だ。
大金持ちであったロイの方が本来のルーシー・ハワードと金銭感覚が近かったぐらいだ。
「ええ、もちろんでございます。ですが、制服であったり、お化粧やヘアメイクで周りの方は何かあったのでは、と思われるかもしれません」
というのは、前世でもそうだが、卒業までの三年間、一度も制服を着たがらなかったし、着なかった。今は、入学して半年程になるが、制服は衣装部屋に新品のまま吊るしてあった。
しかも一度きたドレスは着ない主義だった。卒業までに衣装部屋がいくつあったか分からない程で、王国一の資産家であるハワード公爵家だからこそなせる技だった。他の貴族令嬢達も制服を着たがらずドレスであったが、リメイクしたりしていて、三年間も毎日違うドレスというのは、さすがに私しかいなかった。それを自慢に思っていのだ。
制服なんて着るのは平民だけだと、学園の半数以上になる爵位を持たない平民の生徒を馬鹿にしていた。
そんな私が制服でいくのだ、ド派手なメイクも盛りに盛ったヘアスタイルもやめて。笑われるかもしれないがどうでもいい。そんな事ぐらいではハワード公爵家の看板には、かすり傷すら付けられない。
というか、学園に行く為だけに三時間もかけるなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。ドレスだって内臓が飛び出るんじゃないかと思うぐらいコルセットで締め付け、時間がかかる上に動きにくくて重い。
そんな時間があるなら勉強したい。
私は、ロイに見合う人間になりたい。身分なら十分だが、ロイは本当に同じ人間なのかと思うぐらい頭がよかった。
私は学園を優秀な成績で卒業し、完璧な公爵令嬢となってロイに会いにいく。そしてもう一度、ロイの隣で、今度は一生そばにいて、一生支えていく。
それが今の私の生きる希望なんだ。
「ではお嬢様、行ってらっしゃいませ」
一斉に頭を下げた侍女達に見送られ、馬車に乗り込んだ私は、アスター王立魔法学園へと向かったのだった。