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安芸国と鯉の城

 夜が明けてから下関のホテルを離れ、そのままバスで広島へと向かった。

 海岸沿いに下関を南下していき、山陽自動車道にのって、東西に長い山口を横断してゆく。


 俺はそっと窺うように安曇の方を見た。

 今日の安曇は白のブラウスに、ハイウエストの青いスカートを履いている。スカートの腹部にはチェックが入っており縦に並んだボタンがアクセントとなってなかなか可愛らしい。

 そのような華やかな装いである上、一晩寝たおかげか、昨日より元気になっているようだった。それか俺にジュースを買ってもらえるのがそれほど嬉しいのか。

 泣いている女子に甘いものをあげるというのはやはり有効な手段らしい。

 


 そんな安曇は俺の視線に気づいてか

「ねえねえ! 広島ついたらみんなで回ろ」

 と笑顔で言ってきた。

 某お嬢様だったら「何舐め回すようにジロジロ見てるのかしら? 変態なの? 通報されたいの?」とか言いかねないんだけどな。

 そんなことを思いながら

「みんなとは?」

 と聞き返した。


「各務原くんとか、外野くん達」

「……各務原はいいとして、なんで外野と?」

 出来れば僕は静かに見物したいんですがね、もし。


來那(らな)ちゃんに誘われたの」

「誰だよ來那(らな)ちゃん」

「もうっ! 一緒のクラスじゃん。ほら、あの外野くんと座ってる子」

 そう言って安曇は指を差した。

 俺はその手に触れて優しく下ろした。

 安曇は

「え? 何?」

 と驚いた顔をする。


「人を指差しちゃいかんと習わなかったのか?」

 俺がそう言えば

「ああ、そういうことか」

 と唇を突き出し不服そうに言った。


「そう膨れるなよ」

 俺は宥めるように言ったが

「別に膨れてないし」

 そう言って、ぷいとそっけない態度を取る。


 それはともかく。

 俺は安曇が指し示したほうを見た。外野と一緒に座っているのは、おかっぱ頭の女子生徒だ。

 ……確か名字は伊良湖(いらご)だったか。

「ラナって、伊良湖のことだよな。あのおかっぱ頭の」

「おかっぱじゃなくてショートボブだし」

 ……何が違うの?


「……伊良湖は俺が来ることまで想定してないんじゃないか?」

 呼んでない人が来ちゃった時の気まずさと言ったらないだろ。

 ちなみに俺は「え、花丸くん呼んでなかったよね」って言われたときはしっかり「うん、ちょっと通りかかっただけだよ」って答えて何事もなかったかのように引き返すくらいには健気だったよ。

 あと俺がとち狂って誕生日会のホストをした時は、呼んでない人どころか、呼んだ人すら来なかったよ。一人で食べる羽目になったホールケーキが、やたらしょっぱかったのだけは覚えている。

 ……。


「全然大丈夫! ちゃんと確認しといたから……ってなんで泣いてるの?」

「泣いてねえし。バスの空調で目が乾燥しただけだし」


 それにしても今日は空が綺麗だな。


  *


 神高生一行はバスで広島に入り、広島の最初の目的地である原爆ドームへと到着した。

 流石におちゃらけた雰囲気でいるのはまずいと思ったのか、皆静かになり厳粛な面持ちで見学をしていた。

 遠くで橘が、石碑の前で手を合わせ、目をつむって静かに祈りを捧げている姿がチラと目に映った。

 別にやれと言われたわけでもなく、誰かが見ているわけでもなく、そういうことをするところに、彼女の人格がにじみ出ているように思えた。


 俺たちはそれから記念資料館へと入り、戦時中の資料について見学をした。

 俺が焼け野原から見つかった当時の人々の生活の痕跡を見ているときに

「なあ花丸よ。思ったんだが、原爆もそうだし、日本が受けた無数の空襲で非戦闘員が大量に死んだのだよな」

 と唐突に外野が話しかけてきた。


「……まあ、それはそうだろうな」

 ある統計によれば、原爆を含めた第二次大戦時の空襲により、日本の民間人が五十万人以上亡くなったとされている。


 俺の言葉を受け外野は続けた。

「とすると、米国は日本に対しホロコーストを行ったということにはならんか?」

「……まあ、そういう言い方もできるな」

「そしたら米国は国際法違反で裁かれたんだよな?」

「……そういう話は聞かないな」

何故(なにゆえ)!」

 外野はくわっと目を見開いた。


「……なあ外野よ、勝てば官軍という言葉を知っているか」

「嫌な言葉だな」

「仮にだが、日本が先の大戦でアメリカに勝っていたとすれば、日本が米兵や諸国の民間人に対してした残虐な行為は、おそらく表在化しなかったろうな」

 まあ、日本側が連合軍相手に戦いを続けられるなんてこと、天地がひっくり返ったとしてもあり得なかった話だろうが。

「……花丸、お前左寄りだったのか。知らんかった」

「左でも右でもないだろ。至極客観的な意見だと思うが。戦争なんて、……人間なんてそんなもんさ」

 地球よりも重たいはずの人間様の命を一番奪っている脊椎動物は人間なので、とりあえず人間は滅びればいいと思う。


「いやしかし驚いた。花丸でもまじめなことを考えるときがあるんだな」

 それ俺のセリフだよな。


   *


 記念資料館を出たあとは、それぞれ個人に分かれて広島市を散策した。

 俺は安曇に誘われたように、彼女と各務原と外野と、そして伊良湖と五人で一緒に街を見た。

 路面電車に乗って移動し、始めに行ったのは鯉城こと広島城。適当に見たあとまた移動してとりあえず、観光名所として有名なところを順に潰していった。


 昼にお好み焼きを食べてから、市内の美術館に行ったのだが

「うおおおおお!!」

 突然外野が奇声を上げ駆け出したかと思えば、どっかで聞いたの事のある映画のテーマを自分の口で流しながら、階段を駆け上がり始めた。


 そして階段の頂点に立ち、円の一部が切り取られたような建物の前で、両腕を上げピョンピョンはねながら

「エイドリアァァアアァアァァァンンンン!」

 と叫んでいる。恥ずかしいからやめてほしい。そもここはフィラデルフィアじゃないし、叫ぶのはボコボコに殴られた後にしてほしい。何なら俺がボコボコにしてやろうか。


  *


 集合時間が近づいたので、五人で路線バスに乗り込み、集合場所である広島港に向かった。そこから宮島行きのフェリーに乗船する。今夜の宿は宮島にあるホテルらしい。場所的には西に戻ることになるが、高速船で三十分ほどで着くという。

 俺はまた一人、船の下の方、車が停められる広い空間で、遠ざかる本土をしげしげと眺めていた。

 そんなとき、一人の女子生徒が声をかけてきた。広島散策で一緒だった伊良湖來菜(いらごらな)だ。


「もし、花丸くん」

「なんだ?」


「修学旅行は楽しんでおられますか?」

「……まあぼちぼち」

 なんか妙な言葉遣いをする子だな。同級生に対し、おられますか、ときたか。

 そのおかっぱというか……いや、ショートボブね。ともかくその古風な髪型から、言葉遣い、立ち居振る舞いまで、普通の女子高生とはいささか離れているように思える。


「……そういえば、君、外野と一緒に座っていたけれど、仲良いんだな」

 俺がバスで見た景色を思い出して言った。

 蓼食う虫も好き好きとは言うが、このおしとやかな女子が、あの口から先に生まれてきたような男のどこに惹かれているかは、俺の理解が及ぶところではない。

 

「……ええ。親しくさせて頂いてます。あなたも度々外野くんとは親しげにお話されているようだから、彼の人徳の厚さはよくご存知でしょう」

「…………?」

 最近の女子高生は難しい言語を操る。ジントクノアツサとは日本の神話に出てくる妖怪の名前か何かだろうか? 生憎古典や歴史には疎くて、よく分からない。


「まあ、私のことは良いのです。それよりも、安曇さんのことなんですが……」

「安曇がどうかしたのか?」

「……私、彼女とそれほど長い付き合いではありませんが、彼女の人柄に心底惚れているのです。こんなことを私が言うのもおかしいかもしれませんが、彼女はいい子でしょう?」

「……まあ、そうだな」


「ですから、私そんな彼女のことが大好きですし、彼女には幸せになってもらいたいのです。そしてもちろん彼女が悲しむような姿は見たくありません」

「……何か、心配なことでもあるのか?」


「それはあなたが一番よく分かっていることだと思うのですが……」


 俺はその言葉の意味を計りかねた。

 俺が彼女と一緒に過ごしているから知っているはずだと言いたいのか、それとも俺がしていることが彼女の精神に影響を及ぼすと言いたいのか。


 俺がその答えに行き着く前に彼女は続けた。


「あなたは悪人ですか?」


「……君が何を以てして人のことを悪人と断ずるかで、その答えは変わり得ると思うが」


「やっぱりあなたは意地悪な人ですね。その答えも何もかも、本当はお分かりになっているのでしょう?」

 

 俺はその言葉に何も言い返さなかった。


  *


 日暮れも近かったが、神社から連なる門前町は人通りに溢れていた。道に並ぶ店は活気を帯びており、肉まんを蒸す湯気が、程よく空いた腹を刺激してくる。

 だが俺は腹を鳴らすばかりで、何かを買って食べることはしなかった。

 船を降りたところで安曇たちと合流するべきだったのだが、それすらも(いと)い、誰に何も告げず一人で目的もなく彷徨(さまよ)っていた。

 

「あ、いた!」

 そんな俺の耳に安曇の声が響いた。


「もう! 勝手にいなくならないでよ。ていうか電話ぐらい出てよね。何回も掛けたんだから」

 彼女はこちらに近づき俺を捕まえ、(とが)めるように言った。

 俺はぼーっとスマホを取り出し画面を起動させてみる。

「ああ、ほんとだ」

 確かに安曇から何度も不在着信が来ていた。


「大丈夫?」

 俺が鈍い反応をしているからか、安曇は心配そうな顔をした。

「……ああ。ちょっと考え事してた。すまんな迷惑かけて」

「迷惑だなんて。……ちょっと心配はしたけど」

 安曇はそれから「ほら、行こ。みんな待ってる」と俺の方に手を指し伸ばしてきた。


 夜になってホテルに行き、飯を食べて、風呂に入りと、着々と予定された行事は消化されていったのだが、心が浮ついているようで、はっきりと記憶に残っていない。


 ただ覚えているのは、スマホを取り出し、彼女を呼び出したことだけだった。


  *


 俺はすっかり日の沈んだ宮島を歩いていた。


 宮島の象徴とも言える、海上の厳島神社の鳥居が、ライトアップされ煌々と夜の海をバックに浮かび上がっている。チラホラとうちの高校の生徒らしき人物は見えるが、互いが誰であるか分かるほど近くにはおらず、声も聞こえない。

 そんな状況下、ホテルを出てから、俺の後ろを人一人分だけ離れて彼女は黙ってついて来ていた。

 声は出さず聞こえるのは静かに地面を踏む音だけ。

 表情は読めなかった。単に暗いというだけではなく、彼女自身がどういう気持であるか俺に悟らせまいとしているように見えた。


 まさかこんなことになるなんて、眼前の彼女よりも、何より俺自身が驚いている。


 あいつは俺のことを俺よりも知っている。全く情けない。人から理由を与えられないと動けないなんて。

 だが俺は彼女の意思を踏みにじるわけには行かないのだ。彼女がそう願ったように、俺は自分の気持ちに素直にならなければいけない。


 俺は立ち止まる。後ろの彼女も立ち止まった。

 そこでゆっくりと彼女の方に向き直る。

「なあ、橘」

 そしてようやく彼女に話しかけた。 

 彼女はしっとりと落ち着いた声で静かに返してきた。

「何かしら?」


「……どうだ? 新しいクラスは?」

「……そうね。もう慣れたわ」


「退屈してないか」

「そうね。あなたという玩具がいないと退屈ね」

 いつものように俺をおちょくる彼女の言葉を聞いて、俺はなんだか気分が安らぐ気がした。


 俺は深く息を吸って吐いてから、切り出した。

「……あのさ、ちょっとした提案なんだが」

「何?」


「放送委員会が出来て、だいぶ楽というか、……暇になったろ」

「多少はね」


「それでさ、……その、学校が終わった後とか、後、予定が合えばでいいんだが、土日とか、喫茶店行ったり、適当に食事したり、一緒に図書館で勉強したり、……たまに遊んだりするっていうのはどうだろう?」

 彼女は訳がわからないという顔で

「……どういうこと?」

 と聞き返してきた。


「俺、多分好きだったんだよ。お前と馬鹿みたいな話するのがさ。だから、前みたいにさ、……そう、前みたいにしたいんだ」

 必死に紡いだ言葉なのに、自分ですら何を言いたいのか分からない。吐き出した気持ちが形を成さず、手の隙間からボロボロとこぼれ落ちていく。そんな心持ちがした。


「だから、つまりどういうことなの?」

 彼女も戸惑い、また聞き返す。


 俺はただ……。

「俺はもっとお前と一緒にいたい」

 ただそれだけだった。


 その言葉を聞き、薄暗い中、彼女は目を見開いたように見えた。

「つまり花丸くんは、つまり私と、……その、つまり……そういう関係になりたいということ?」


「……まぁ、平たく言うとそういうことだな」

 全然平たくなってないけど。


「……もしかして、もしかしてだけれど、これってひょっとすると、私あなたに告白されているのかしら?」

 驚き、あるいは呆れたように彼女は言った。それかこの状況を楽しんでいるのか。

「……そう取ってもらって構わない……です」

 しかしながら立場上、低頭平身腰を低くするよりしかたない。


 それを聞いた橘は

「ふーん。そっか。そうなんだ。ふーん」

 ……なんだろう。この「新しい玩具を見つけた!」みたいな反応は?

 これは俺のこいつに対する好意を利用して、いろいろとこき使われてしまう、という事態に陥るのでは?

 それはそれでご褒美だな。いや駄目か。

 

 橘はそれから特に何か言うわけでもなく、止めていた足を同じ方向へと動かし始めた。

 俺も海に沿って、今度は先を歩く彼女について行く。


「ふーん。そっか。花丸くん、そうだったんだ」

 ブツブツとそう言っては電灯に照らされた厳島神社の鳥居に目をやっている。


「あのう、それでお返事を頂けないでしょうか?」

 俺は後ろからなおも腰を低くして尋ねた。


「……少し考えさせてくれるかしら」

 橘はまた立ち止まり、振り返って言った。

「えぇ……」


「男を待たせていいのは女の特権よ」

「それジェンダー。大体赤い手ぬぐいをマフラーにして待つのは女のほうだろ」

「あなた、神田川見たことないでしょう」

「スカイツリー登ったことあるからチラ見はしてるはず」


 橘は「馬鹿ね」とボソリと言ったかと思ったら、また歩き出して、今度は顔を前に向けたまま

「とにかく、待ちなさい。それくらいの権利私にはあるはずよ。それまでビクビクしながら眠れない夜を過ごすことね」

 と俺に言った。

「そんな殺生な」

「あなたが選んだ道よ」

「……それはそうだけど」


 言葉が途絶え、音が途絶え、二人して黙って歩いていった。

 初夏とはいえまだ夜風は冷たく、海風に煽られてぶるりと身震いをした。


「……じゃあ、そろそろ戻りましょうか。文彦先生に見つかったら面倒よ」

 彼女はターンをして言った。何事もなかったかのように、いつもみたいに。


「そうだな」

 だから俺もいつもみたいに答えた。

 

 

 どうも作者です。

 スピンオフを書きました。


 https://ncode.syosetu.com/n5621gm/


 まだ途中ですけど、よかったらお読みください。

 本編もまだ続きます。

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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
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― 新着の感想 ―
[一言] え?何事?マジで?
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