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平和になれば

「ほらね、何とかなったでしょ」

 病床の上の彼女はおよそ病人のものとは思えない笑顔を浮かべ、快活に言った。

 この頃は日中の気温もあがり、汗ばむような日も出てきている。彼女も、幾分か高めに設定されている病院の空調は少し暑く感じるらしく、長袖のネルシャツを肘のあたりまで捲っている。俺は、自転車でここまで移動すると、さすがに暑いから半袖である。


「何とかなったんかな?」

 俺はこの間の委員会での出来事を、胡桃に話し、そのコメントを受けて首を傾げた。

 安曇にきつく当たっていた件の三人組は、執行部が他に進めている行事の委員になるという名目で、放送委員会を退会。事実上の放逐である。衆人環視の下、三人組を糾弾し、その舌鋒を大勢に晒して集団内での異質性を磨くことに余念がない、例の橘美幸さんは校内にて孤立を深めているような気がしなくはないが、本人はまったく気にしている様子はないし、むしろ前より元気になっているので、とりあえず放っておく。というか俺が下手に説教なんかして刺激するべきではない。というか刺激したくない。怖いもん。だから当分の間は、彼女の毒舌は俺が一手に引き受けておこう。これ以上問題を増やされては堪らない。彼女に暴言を吐かれるのは俺だけで充分である。他の奴にその役目を渡してはならない。畢竟、彼女の言葉は俺だけのものである。はいキモイ。

 

 なんとかポジティブシンキングで楽観的に考え、精神のメンタルヘルスを健康的でヘルシーに保とうと努めて、逆に自分で自分にセルフヘイトな嫌悪感を感じ、頭痛が痛くなってきたところで、胡桃は

「何とかなったんだよ。だってあずちゃんはこれで嫌な思いしなくて済むし、みゆちゃんは委員会に入れたし、げんきくんは女の子たちと一緒に入れて万々歳じゃん」

 と変わらぬ笑顔を浮かべる。

「おい、俺を女たらし見たいに言うな? 違うからね?」

「違うの?」

「ちげえよ」


「でも、みんなハッピー、ハッピーエンドだよ?」

「……少なくとも、みんなの前で糾弾されて、追い出された奴らはハッピーじゃないだろ」

 それに、みんなに怖い人だと勘違い(?)されてしまった橘の事を考えると、すべてが丸く収まったとは言い難い。一緒につるんでいる、俺や安曇までやばい人認定されてしまう。


 俺がそう言えば、胡桃は明らかに怪訝な顔を見せた。

「げんきくんさあ、いったい誰の味方なの?」

「やだなあ。俺は誰の味方もしないよ? 永世中立宣言したもんね。ノーモア戦争放棄」

「……それじゃあ、戦争しまくることになるじゃん。しかも誰も味方につけず四面楚歌で」

「なんだよそれ。誰かさんの人生みたいじゃないか」

「……誰の人生なの?」

「……なんでもない」


「とにかく! げんきくんは、あずちゃんと、みゆちゃんの味方なんでしょう。なら、その二人が幸せになる事だけ考えていればいいんだよ」

 はは。二人を幸せにするとか、俺ってば一体何様だよ。石油王でもない限り無理だろ。というか一人でさえ無理だろ。そもそも自分でさえ幸せにできる自信がないんですけど。自分すら幸せに出来ないで、誰を幸せに出来るんですか? 逆に言えば俺が幸せになれば、誰かを幸せに出来る可能性はあるわけで、その誰かは他の誰かを幸せに出来る。こうして幸せの連鎖が生まれ、全世界が幸せになる。そうすれば戦争もなくなるに違いない。これはもう、人類恒久平和のためには、俺自身の幸福を科学するしかないな。さあみんなで幸福を科学しよう。幸福を科学しないやつはもはや人類の敵。悪魔である。そういえばそんな新興宗教があったな。以前に調べてみた時は、悪い噂なんてちっとも出てこなかった。さぞかしすんばらしい宗教に違いない。これは是が非でも日本の国教にすべきでは? ……よし、検閲が怖いからそろそろ黙ろう。俺の思考はフィクションです。実在の組織・団体とは一切関係ありません。……俺がこの世界から抹消されたら、たぶん組織のせい。この世には知らなくていいことが存在している。


「……でも、いいなあ。げんき君には友達がたくさんいて」

「おいおい胡桃よ。俺は友達は少ないほうなんだぜ」

 安曇さんと橘さんを友達に数えるのは、お情けで許してもらうとして、テニスをした各務原はまあ良いだろう。他には……あの馬鹿は友達というより、敵だから論外だろ、あとは……。ほら全然いない。

 指折り数えようとしたところで、指を折るまでもなかったことに気づき、手を下ろした。

 胡桃は唇を尖らせ

「私よりは絶対多いじゃん。私、同年代の友達、げんき君以外にいないんだよ?」

「……俺だけじゃ不満だよな。ごめん。お前を満足させてあげられなくて」

 ごめんね、出来の悪いお友達で。


「いや、そういうことじゃないんだけど。……それに、今私に友達がいないの、自分のせいでもあるし……」

 そしてシュンと寂しそうな顔をする。


 俺も小さくため息をついた。

 一緒に街に出掛けたときに、胡桃が同年代の人間が戯れているのを、物欲しそうに見つめていたのは一度や二度ではなかった。

 人が怖い。それは紛れもなく彼女の心のなかにあったものだろう。それでも、同時に人との触れ合いを欲する気持ちがあるのは、別段おかしいこととは言えない。彼女にぽっかり開いてしまった穴を埋めようと、俺は今まで努力してきた。

 だが、どれだけ一緒に過ごそうと、俺と彼女の間にある、性別の隔たりはやはりそうやすやすと乗り越えられるものではないのだ。

 彼女に気のおけない同性の友人を作ってやること、そればかりは俺自身どうにかしてやることはできない。性転換手術を受ければ別かもしれないが。違うそういう話じゃない。


 俺は少し考えてからある提案をした。

「……なあ、一度、あいつらに会ってみるか?」

「美幸さんと梓さんに?」

 胡桃は俺の目をじっと見た。

「うん」

「いいの?」


「いいというか、俺からあいつらに頼んでみることはできるが」


 胡桃はまた俺の顔を少し見てから、視線を自分の足のあたりに落とし、

「……うん。会ってみたいかも」

 とぽしょりといった。


    *


 週末が開け、月曜日の昼休み。

 今日、安曇と橘に胡桃のことについて相談するため、放課後部室に来てもらう算段を立てる必要があった。同じクラスの安曇にはすぐに話をつけることが出来たが、文系クラスの橘のところへ行くのは少し骨が折れる。安曇に話したら、「昨日の段階で、ラインすればよかったじゃん」とお小言をいただき、確かに安曇にはそれで良いかもしれないと反省した。

「お前も俺なんかと、教室で話したくないよな。ごめん気が利かなくて」

「別にそういうわけじゃないし!」


 安曇は俺を傷つけまいとそう言ってくれたが、今度からは気をつけよう。

 だが橘に関しては、それだとうまく行かないのだ。


「あいつが俺のメールに直ぐに返信した試しがないんだが」

「……そうなの?」

「ああ、日付が変わってから返信してくる。いや大抵返信よこさないな。次の日に直接話してくるから。そもそも既読にならない。あいつ、めったにスマホ触らんし、家に帰ったら基本玄関に放置してるらしいからな」

「……へえ。……でも私がメールした時は割とすぐ返信してくるけどなあ」

「……わざわざ俺が傷つく情報をどうもありがとう」

「あっ、でも私が美幸ちゃんと仲良くなる前はそうだったのかも」

「おかしいな。今でもなんだよなあ」


 また安曇は慌てるように

「私の時は偶然、スマホ見てたのかもしれないし!」

「……お前、橘と結構ラインでやり取りする?」

「日に一回くらいだから、そんなにだよ」

 なるほど、彼女の言う偶然というやつが、これまで数百回以上たまたま連続で起きたらしいな。世の中には不思議なことがあるもんだ。


   *


 若干の傷心状態に陥った俺だったが、胡桃との約束を無碍には出来ないので、重たい足を引きずり橘のところを訪れた。

 ああ、いやだなあ。中に入りたくないなあ、とこの間以上に躊躇いを覚えていたら

「おい、花丸、また嫁に会いに来たのか」

 と誰か薄っすらと見覚えのある気がしないでもない男が、おちょくるように声を掛けてきた。

 ええっと、なんて名前だったかな……。確か二輪メーカーっぽい……。

「なんだ本田か。ちょうどよかった」


「……とうとうかすりもしなくなったんだが。俺の名前は本田じゃない」

「ん? あぁ、わりぃ、山葉だったな」

「なぜそうなるぅ?」


「ありゃ、ちげぇか。……ああ、思い出した。お前は川崎だ」

「俺も川崎のバイクは好きだぜ。名前は違うけどな」

「とすると……」

 彼はゴクリと息を呑んだかのように見えた。


「お前、ハーレーだったな。久しぶり」


「おい。この日本人顔をつらまえて、あんたは何を言っているのだね?」


 なんか言ってやがるが気にするこたない。それより用事を済ませねば。

「それでよ、理仁(まさひと)よ」

「なぜ下の名前は覚えてるんだ? 今のでよく分かった。お前ら絶対わざとだろ」


「些細なこと気にしてるとハゲるぞ」 

「人の名前間違えて、些細な事とか言っちゃうやつぅ。……どうせ、橘とおしゃべりしに来たんだろ。今呼んでくる」

 そう言ってガラッと教室の中に入っていった。

 ……まったく。あいつもいい加減学習しないと、いつまで経っても俺が名前を覚えられる気がしないぜ。


 バイクメーカーくんがちゃんと呼んでくれたようで、すぐに橘が廊下に顔を出した。そして俺の顔を見るなり

「何かしら花丸くん。そう何度も教室に来られるのは困るのだけれど」

 と嫌そうな顔をする。


 ただでさえ傷心状態だった俺に追い打ちをかけるなよと毒づきたい気分だったが、意識をしっかり保ち努めて平静を装い

「今日、帰らずに部室来てくれって言いに来たんだ」

 となんとか言うことが出来た。


「……別に今日は行くつもりだったわ。そんなことならわざわざ教室まで来なくても、ラインでいいじゃない。なんなの? そんなに私に会いたかったの?」

 さっき安曇さんと全くおんなじ話をしたんですがね。君どうせ返信よこさないよね。……まったく。

「まあそんなとこだな」

 説明したところでこいつは聞く耳を持たないだろうから、適当に流す。

 橘は顔を少し伏せて

「……あら、そう。別に私はそれほど会いたくなかったけれど」

 と呟いた。

「まあ、そうでしょうよ」


 それから橘は顔を上げて、左の上腕に手をやりながら

「でも花丸君がそんなに私に会いたかったというなら、私の顔を思う存分眺めていけばいいわ。ただし、あまり色情的な視線はむけないでね。欲情した豚の嘗め回すような視線で見られると蕁麻疹(じんましん)が出るから。しまいには発作で倒れそうになるのよ。嘘じゃないわよ。ほんとよ」

 と俺の方を見てくる。

「え、なに、それ実体験なの? お前の豚、そんなやばそうな目で見てくるの?」

「え、花丸君ったら、そんないやらしい視線を私にぶつけていたの?」

「おい、お前の豚って言ってんだろ」

「だから、あなたのことでしょう?」

 俺が訂正したら橘は不思議そうな顔をした。


「俺がいつお前の豚になったんだ!?」

「割と前からよね。……豚丸くん」

「もはやなんの捻りもない悪口だな」

「そうかしら、美味しそうなラーメン屋にありそうな名前だわ。豚の匂いがプンプンする濃厚なラーメン」

「お前、ラーメンとか食わんだろ」

「いいえ、そんなことないわ。ソフトクリーム入りのスガ○ヤラーメンは名古屋民のソウルフードだもの」

「やめろ。名古屋の住民が皆偏食の変態だと思われるだろ」

 俺はラーメンにソフトクリームなんて絶対入れんぞ!


 橘は馬鹿にしたような視線を向けてくる。

「知らないの? ソフトクリーム入りのラーメンをおかずに、味噌カツを食べて、箸休めに小倉トーストでお口直しをして、台湾ラーメンを飲み物のように飲んで、デザートに外郎(ういろう)で締めるというのが、名古屋大帝国民の由緒正しいフルコースメニューよ」

「何その生活習慣病まっしぐらなラインナップは? 脂肪と炭水化物多すぎでは? というか君、いうほど長く名古屋住んでないよね? 東京にいた時間のほうが長いよね?」

「大事なのは思いの強さであって、時間じゃないわ」

「えぇ」


「ところではなま……豚丸くん」

「おい、なぜわざわざ言い換える。最初ので合ってるからね?」

「あなた、今度のクラスマッチ、バレーよね?」

「……まあ、そうだけど。お前は?」

「私もバレーよ」

「そっか。安曇はドッヂらしいけど、なんか見に来いって言われたな」

「……あら、そうなの」

 橘はふーんとたいして興味なさげな反応をする。


「俺が見に行ったところでどうにかなるわけじゃないのにな」

「そうよね。あなたが行ったところで、誰も気づかないものね」

 ……。なんだろうこの強烈なデジャビュ。……それにしても。


 橘は俺の表情の変化に気づき、気味悪そうに見てきた。

「……どうしたの? 花丸くん。何急にニヤニヤし始めたの?」

 彼女が言ったように、自分でも頬が緩んでいるのが感じられた。

「いや、お前、なんかあるとすぐ元気なくして、大人しくなるのに、平和になると舌鋒がすごく激しくなるよな」

「だからといってなんであなたは嬉しそうな顔をしているの? 女の子に暴言を吐かれて快感を感じるような性癖でも目覚めたの? マゾなの? 気持ち悪いからあまり近づかないでくれる?」

 それでも俺は自分がニヤつくのを止められなかった。

 本当最近色々ありすぎたからな。世界が平和なら橘は毒舌を吐く。橘が毒舌を吐くなら世界は平和。どちらにせよ俺が心を痛めるのは変わらないのだが、どうせ俺は傷つくなら、女子たちだけでも楽しい世界であればいい。

 ああ、平和というものはいいものだ。


「……本当に気持ち悪いのだけれど」



 俺が平和な世界に酔いしれ、次の言葉を継がないでいると、橘は流石に恐怖したのか

「じゃあ……また後でね」

 とくるっと体の向きを変え、教室の方へ戻ろうとした。

「ほぇ?」

 俺が声を上げて引き止めたら、橘は煩わしそうに

「だから部活に行けばいいんでしょう」

 と眉を顰めた。


「……ああ、そうそう」

 橘は澄ました顔に戻り、スリッパなのに、なぜかカツカツと音が立っているような気さえ起こさせる様子で、中に戻っていった。



ちょっと一息つくようなお話?でした。


最近暑くなってきましたね。

日本の殆どの地域が今は梅雨だと思います。むしむしする所も多いでしょう。

僕の住んでいるところは、朝と夜は半袖だと割とひんやりしますね。それでも初夏になり家の近くでホタルが飛び始めました。

ホタルは綺麗ですが、ホタルを見るといつも火垂るの墓のことを思い出してなんだか悲しい気分になります。今年もテレビ放映やるんですかね。僕んちテレビないですけど。


いつも応援ありがとうございます!!

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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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