Interlude 事実は一つ、解釈は無限。だから言わせてもらおう
挿入話です。とある女子生徒の視点から描かれてあります。
思うに、男性の丸刈りというのはこの世で一番洗練された髪型でありましょう。
長髪なんてナンセンスです。
私はクラスの殿方が全て丸刈りになればいいのにという願いを密かに抱いております。
綺麗に卵形を描く男性の頭部のシルエットを見ると、胸の高鳴りを抑えることができないのが常です。
私が思いを寄せている方はもちろん、これ以上にないほど美しい丸刈りであります。
名前を外野守くんといいます。愛する人を身を挺して守っていただけるようなお名前ではないでしょうか。
彼は私が通う高校の野球部員です。ポジションはピッチャーです。
私は野球のことをよく知りませんでした。しかし彼がきっかけで多少は詳しくなったつもりです。
彼の思いが乗った球を毎日受け止めている捕手の方に、恥ずかしながら嫉妬してしまっていることは、ここだけの秘密です。
私も彼と一緒に白球を追いかけたい、という夢を抱いたこともあるのですが、女である私にとってそれは儚い夢。夢浮橋を渡るようなものでしょう。
玉なしに玉は追わせまいというスポーツの神、ニケ様の思し召しでしょうか。しかしながらニケ様も女神というからには玉なしであるはず。……いけませんね。乙女がこのようなことを言うのは。自重します。
しかしながら彼を恋い慕う機会を得られたのも、私が女に生まれればこそ。贅沢は言えません。
運命的な出会いなどそうそう訪れるものではありませんが、私と彼はまさしく運命的な出会いをしたと言って差し支えないのです。
私達がまだ一年生だった頃、自転車置き場で私が自転車を連連と倒してしまったとき、真っ先に助けて下さったのが、外野守くんその人なのです。
私はお礼を言うべく彼を引き止め
「お礼をさせてください。このあとお時間はありませんか。お茶でもしませんか」
と尋ねました。
別段下心に突き動かされてそのようなことを申したわけではないのですが、助けてくださった男性が私の好みだったことに対し、少しばかり舞い上がっていたことは認めましょう。あくまで少しばかりです。
彼は答えました。
「いえお嬢さん。あなたの笑顔で僕はお腹いっぱいですよ」
その時の彼の表情は、澄み切った青空のように、晴れやかで清々しいものでした。
今でもあの表情を私はつぶさに思い出すことが出来ます。瞼の裏に焼き付いておりますので、目を閉じれば彼の何よりも美しい表情が思い出されるのです。万物が高いところから低いところへ向かうように、私の前頭葉を流れるビリビリとした電気が、一切合切落ちるところに落ちたのです。
ええ、端的に言いましょう。私は彼に惚れました。
私が生まれてはじめてと言っていい衝撃に、恍惚としている間に、彼は颯爽とその場を後にしようとしてしまいました。ですので
「せめてお名前だけでも」
と引き止めて尋ねてみれば
「名乗るほどの者ではありませんよ。お嬢さん」
彼はキャップを被り、そのまま去ってしまいました。
なんて謙虚な方なんでしょう! 彼は、丸刈りに悪い人物はいない、という私の信仰を裏付ける生き証人です。
それからというもの私は丸刈りを以前にもまして、美の完成形として捉えるようになりました。そしてこれはちょっとした変化なのですが、ねずみ色頭が目の端に引っかかれば、あの時の彼ではないかと、確かめなければ済まない体になってしまったのです。
二年になり彼と同じクラスになったのは、まさしく幸甚というべきでしょう。
しかしそんな熱に浮かされる時間も、すぐに焦燥へと変わります。
原因は彼が懇意にしている人です。
その方は花丸元気といいます。
花丸元気。
学校史随一の変態と噂される(発信者T・M)、放送部に巣食う怪物です。
私は人を見た目や外聞で判断するなと躾けられてきたので、彼のことも色眼鏡で見ないよう努めてきましたが、火のない所に煙は立たぬとはよくいうもの。
嫌に胸を強調したミニスカートの少女が描かれた表紙の本を、ニヤニヤ笑いながら読んでいる姿を教室で見たのは、一度や二度ではありません。あれをセクシュアルハラスメントと言わずしてなんと言いましょう。かの環境型セクハラのせいで、クラスの乙女たちの勉学におけるパフォーマンスが落ちていることは聞き取りをするまでもないでしょう。
クラスメイトに横柄な態度を取ることもしばしば見受けられました。外野君と並べばその不遜さが際立ちます。……いえ、外野君のように人徳の極めて高い男性と比べてしまうのは流石に可哀想かもしれません。外野君に比肩する人物はそうそうおられるものではありません。花丸くんでは荷が重すぎて、ぷちりと潰れてしまいそうなぐらいです。
ですがそれだけではありません。
彼の部活仲間である安曇梓さんが、教室で彼に全く話しかけようとしないことが、彼の人としての矮小さを物語っていると言っても過言ではないでしょう。
そして極めつけは私が実際に目にした事件です。
私は見てしまったのです。花丸くんが学校で一番の有名人である、綿貫執行委員長と密会をしているところを。場所は校内の自動販売機が置かれている場所でした。
遠目で見ただけなのでどのような話をしているかはわかりませんでしたが、彼に応対した綿貫先輩の悲しそうな顔だけはこの目に焼き付いております。そしてこの春からその綿貫先輩は転校してしまったと言うではありませんか! 彼が彼女の何らかの弱みに付け込んで、悪逆無道の限りを尽くしたことは想像に難くありません。……いけませんね。これは私の邪推でした。慎みます。
ですが彼が女性にだらしないのは確かでしょう。日本男児として恥ずべきことです。自重しなさい。
それはそれとして問題はここからです。
そんな女性にだらしない花丸くんがどうして問題なのかと言うと、どうにも外野くんは彼のことが気になるらしいのです。
なぜそう思うのかと言いますと、外野くんのことを見れば大抵の場合、花丸くんのことを見ているのです。それも甘く何かを訴えかけるような視線で。
ええ、彼は花丸くんに恋をしてしまっているのです。
外野くんは花丸くんが好きなのです。
私はその衝撃的な事実にクラクラと目眩がしました。私とて世の中には、男性が好きな男性がいることは認識しておりますが、いざそれを目にして十六の乙女が狼狽してしまうことを誰が見咎められましょうか。気が動転するあまりお悩み相談室に相談してしまったのも、仕方ないことでしょう。よく考えたらその相談相手はかの魔窟放送部。あの花丸くんに相談してしまったことになります。大変馬鹿なことをしました。
しかし私も真っ当な教育を受けている者としての自覚があります。殿方が殿方を愛しているからと言って、それを軽侮して良いことがありましょうか。ただ人と違うというだけで、その愛が不純で卑猥で人倫に悖っているなんてことがありましょうか。それが真実の愛ならばその価値は正当なものでしょう。
良うございます。私はあなたのことを否定しません。
しかしそれとこれとは別問題。
親からは慎ましく生きなさいと言われてきましたが、恋い慕う男性が悪鬼羅刹に奪われるのをみすみす逃せるわけがありません。好きな人に好きな人がいるからと言って、引き下がらなければならないという法がありましょうか。
これもまた真実の愛なのです。
しかしながら外野くんが花丸くんに惹かれているというのも公然の事実。私の好いた男性が惹かれるには、何か理由があるに違いありません。その理由を確かめないまま断罪をいたしますのも、道理に合いません。
故に私は彼のことを詳しく調査することにいたしました。
その決意を今朝方したのですが、早速その機会がやってきました。
数学の授業でのことです。
板書に当たっていた外野くんに先生が尋ねられました。
「……外野君、人に教えてもらうのは良いけど、せめて自分で分かるようにしようか。この一行目どういう意味?」
「さっぱり分からん」
正直に外野くんは答えました。大変好感が持てます。分からないのに分かった振りをする方がおられますが、彼の潔さを見習うべきです。分からないのは恥ではありません。謙虚にそのことを受け入れ、学び続けることが真の知恵者というものでしょう。
「……外野君、先生に喧嘩売ってんの?」
「実に面白い」
今のは「僕が先生に喧嘩を売るわけがないでしょう。実に面白い冗談ですね」を略して「実に面白い」と発言したのです。場を和ませる良い返しだと思います。
先生は続けて外野くんに訪ねました。
「外野君、誰に教えてもらったの?」
「あいつです」
外野くんは正直に答えます。聞かれたことを素直に正しく答えるのは学習者としての鑑でしょう。見習わなくてはなりません。
先生はそれを聞き、花丸くんの方を見てから微笑んで
「ほほう。やっぱりね。何となくそうじゃないかなあって思ってましたよ。なぜかって? そりゃあ、花丸くん。随所から花丸臭さが滲み出てるからですよ」
と言いました。
私は先生が何を仰ったのかよくわかりませんでしたが、どうやら冗談を言ったらしいです。外野くんは先生の冗談を聞き大きな声で笑ってあげていました。先生に対しても優しくできるその器量に惚れ惚れします。
さてさて問題の人の登場です。
花丸くんは黒板の前に立ちました。焦っている様子は見られません。どうやら外野くんに少しばかりアドバイスをしたというのは本当のようです。外野くんと仲睦まじく会話したに違いない。ずるいです。
外野くんは、どうして私に質問してくれないのかしらん、と思いましたが、私も外野君の当たったところの解答はよくわかりませんでした。無念です。
花丸くんが指示棒を使って積分の問題を解説し始めました。お手並み拝見です。
*
敵ながらあっぱれと言わざるを得ません。悔しいですが彼の解説は大変分かりやすく、私の疑問も氷解しました。目つき性格その他諸々悪いようですが、頭だけは良いみたいです。
しかし人間、頭だけ良くても仕方ありません。それだけで落ちるほど私はちょろい女ではありません。
花丸くんのことを詳しく知るには、彼の身近にいる人に聞くのが一番でしょう。
私は彼の部活仲間である安曇さんに話しかけることにしました。
安曇梓さんは元気の良い、愛らしい方です。どちらかと言うとおとなしめな私とは違うタイプの方ですが、好感が持てます。それゆえ人に囲まれていることが多いです。
なかなか話しかけるのには難儀しました。他の人と話しているのを遮るのはどうも気が引けます。話を引き出すためにも心証は大切でしょう。
彼女が一人になるタイミングを待つことにしました。
そして放課後、彼女が部活に向かうべく教室を出たところで、私もその後を追いました。渡り廊下に出て彼女に追いつこうとしたのですが
「ねえ、一緒に行こ!」
安曇さんはなんとあの悪鬼、花丸くんの方へ駆けてそう言ったのです。
花丸くんはいつものようにふてぶてしい態度で
「別にいいけど、どうせ一緒の部屋に行くんだから、許可もクソもないだろ」
「うわ、めんどくさ」
そうは言うもの、彼を見る安曇さんの横顔には一点の曇りもありません。
「今度のクラスマッチ、私ドッジボールになったから、応援しに来てね」
「俺なんかが応援してもどうにもならんだろ。むしろ皆の士気が下がる」
「そんなことないって!」
「酷いこと言うなあ。皆俺なんかが来たところで気づかないだと?」
「そんなこと言ってないじゃん!! ……まるモンはバレーだっけ?」
「ああ」
「じゃあ、私も応援に行くね」
「来なくていいよ。見てもつまらんぜ」
「まるもんの馬鹿。とんちんかん! カフェイン依存症!!」
「……カフェイン関係なくね?」
……。
これはどういうことでしょう。教室とは打って変わって、嫌に打ち解けた雰囲気です。二人ともあんなに饒舌に話すんですね。
安曇さんは教室内で花丸くんに話しかけようとはしません。近づこうとすらしないのです。彼女は彼のことが嫌いに違いないと私は踏んでいたのですが、今のやり取りを見るにどうにもそういうことではないようです。
もしや、彼女は彼のことが好きなのではないでしょうか? 好きだからこその好き避けというやつなのでしょうか。大勢に自分の恋心を知られるのはなかなか勇気が要ります。私も恋する乙女の一人。そのことはよく分かります。彼女もそうなのでしょうか?
次の日からの私の観察対象は花丸くんから安曇さんに移りました。
事の真相を調べる必要があるからです。
ですが調べるまでもありませんでした。安曇さんは事あるごとに花丸くんの方を見ているのです。あれを恋する乙女以外の何物と推断できましょう。
これはいわゆる恋は盲目というやつなのでしょうか? でも流石に人の想い人を悪く言えるほど、自分がご立派な人間だとは思っていません。きっと安曇さんはすべてを受け入れた上で、彼に恋をしているに違いないのです。蓼食う虫も好き好きと言いますしね。
念には念を入れておきます。
タイミングを見計らって安曇さんに声を掛けました。
「もし、安曇さん」
「ん? どうしたの?」
「安曇さんは花丸くんのことが好きなのかしら?」
「!?&*$#+:"lim[n→∞](1/n)Σf(k/n)=∫f(x)dx"是区分求積法也!!」
彼女は目を見開き、口をパクパクさせるばかりで何も言いません。私の言ったことがよく聞こえなかったのでしょうか?
再度問い直します。今度はしっかり伝わるように、はっきりとした口調で聞きます。
「あなたって、花丸くんのことが好きなの?」
彼女は私に飛びついて口を抑えてきました。そしていかにも慌てた様子で
「そそそそそそそんなわけないじゃん!!」
と言ったのです。
……これはクロですね。
私はトントンと彼女の手を叩きました。彼女ははっと我に返り手を離します。
安曇さんはおよよという表情を見せます。
「安心して、誰にも言わないわ」
彼女は何も言わずに顔を真赤にしています。恋する乙女はかくも可愛らしいものなのです。私が男だったら、間違いなく彼女のことを好きになっていたと思います。このような可愛らしい人を放っておくなんて、花丸くんは馬鹿でございますか?
私は緩む頬を手で戻しながら自分の席に戻りました。
……それにしてもこれは思いもしない吉報です。
彼女が花丸くんと添い遂げれば、外野くんは花丸くんのことを諦めるでしょう。そうすれば失恋に袖を濡らす彼に寄り添い、私の恋が成就すること間違いなしです。
いつになく冴えている自分が怖いわ。
ともかく私は安曇さんの恋を応援することに決めました。
それにしても「百鬼夜行の神宮、廊下を歩けば変人に当たる」とはよく言ったものです。無類の変態がいれば、それを愛する強者もいるのですから。
世の中は私の知らないことで満ち満ちていると痛感する日々です。