割と良好な仲じゃないとパイ投げとか無理だと思う
「どうすればいいと思う?」
俺はベッドサイドの椅子に座り、胡桃に話しかけていた。
彼女に聞いていたのはこの間の放送委員会でのトラブルの件について。
半ば愚痴のような感じで、解決策を尋ねていた。
胡桃は俺の話を受けて、うーんとしばらく考え込んでから
「……うーん。その女の子たちは執行委員長さんが一緒にいるときは、静かに話聞いてくれてたんだよね」
と顔を上げて俺に訪ねてくる。
「うん、まあ」
奴らも執行委員長様様の前ではいい子ちゃんでいたいらしい。俺にしてみれば山本は萌菜先輩に比べれば、可愛いぐらいでちっとも怖くはないのだが、他の生徒にとっては執行部の人間と言うだけで、若干の遠慮が生じるのだろうか。
安曇は完全になめられてしまっている。俺がなめられているのは言うまでもない。
安曇は山本より可愛いし、怒っても可愛いからな。それも致し方ないか。猿の群れが序列を大事にするのと同じように、彼女らも自分より下と判断した相手には強く出るという習性を持っているのだろう。つまり女子高生というのはニホンザルと同じ。実際すぐキーキー言うしな。モンキーパークに行けばたくさんいるよね。
いや、ニホンザルと同じというのは流石に失礼だったな、ニホンザルに。
彼女らは歴とした人間だ。類人猿からホモサピエンスに進化すると、序列が下なら馬鹿にするし、上なら引け目を感じて陰口を叩き始める。みんな一緒が一番。自分より優れている存在は認めない。自分と違う考えのやつは危険因子。徹底的に排除します。皆が同じ考えになれば戦争も起きないしね!!
なるほど、素晴らしい進化だ。
俺がサヘラントロプス・チャデンシス誕生以後の人類史七百万年の歴史に思いを馳せていたところ
「だったら、執行委員長さんにずっと一緒にいてもらえたらどうかな」
と胡桃は続けて提案する。
「それは、無理だ。執行委員長というのはお忙しいご身分なんだぜ」
いくら彼らが放送委員会を作ったからと言って、その後々の面倒までしてもらうのは無理がある。
「うーん、問題なのは女の子たちが話聞いてくれないこと?」
「うん、端的に言えば」
胡桃はうん? というような表情をして
「……それって、何が問題なの?」
「ばっか、話聞いてくれなきゃ、まともに活動できんだろ」
「そうだけど、放送委員の仕事ってそんな難しいものなの? 私やったことないからよくわかんないけど。なんか連絡があったらそれを流したりするだけなんだよね」
「いや、それはそうなんだが」
「そうだよ。げんきくんが心配してるのはそんなことじゃないでしょう」
「じゃあなんだって言うんだ」
「安曇梓さんのことでしょ」
「……え?」
「げんき君は安曇梓さんが誰かに悪口言われるのが嫌なんでしょ」
「……それは。……そうだろ。友達が悪口言われるのを見て気分いいわけ無い」
「だったら、げんき君がすることは一つだけじゃん」
「何さ」
尋ねれば胡桃は目を瞑り、まるで幼子をあやすように
「それは自分で考えなさい」
とぷいと言った。
*
安曇が傷つかないために俺は何をすればいいか。
胡桃に言わせればそれは自明のことらしく、やることは一つしかないらしい。しかし一人で考えてすぐに答えが出せたのなら、俺は胡桃に泣きついたりはしなかっただろう。
あの女子たちが言うことを聞かないのは安曇や俺が、そうするだけの器がないとみなしているからだろう。あの場で彼女たちの抑止力たりえたのは、執行委員長だけ。胡桃の言ったように山本にいてもらえたら問題は生じないわけだが、それが無理なことは彼女に話したとおり。
けれどこの問題の相談相手としてなら、山本は適任かもしれない。
「……威厳を身につけるレクチャーでもやってもらおうかね」
ぽつりと戯言を呟いてみて、とりあえず明日山本のところに行き、相談することにした。
*
翌朝。俺は早めに登校し、昇降口で山本を待ち伏せていた。
俺が張り込みを始めてから十分程して、校門の方からある女子と二人で歩いている山本の姿が目に映った。
彼らが昇降口まで登ってきて、山本が俺に気づいたのと同時くらいに
「ちょっといいか。話があるんだ」
と声をかけた。
山本は隣を歩いていた女子に「ごめん留奈。先行ってて」と告げ、俺に向き直る。
「あれ、お前の女か?」
俺はその女子の後姿に目をやりながら、彼に尋ねた。
山本は「……君もいい加減口が悪いな」と苦笑いしつつも
「そう、僕の彼女だよ」
と答える。
「ふーん。可愛い子だな」
「……君でもお世辞を言うんだね。ちょっと意外だ」
「馬鹿野郎。俺がお世辞なんか言うかよ」
お世辞を言えるほど世渡り上手なら、こんなことにはなっていない。だいたい褒めたのは彼女だから。お前じゃないから。
「そっか。まあそうだよね。……それで話って?」
事の次第を山本に斯々然々斯様でありんす、と説明する。
山本は俺の話を聞き、ふむふむと考え込んでから
「そうか。……分かった。花丸くん、君副委員長やっぱり辞めてくれ」
と俺に告げた。
「え? ……俺なんかまずいこと言ったか?」
いきなりの解任要求。最近の会社は結果を出すどころか、プロジェクトの始動前に担当者を解雇するのか。嫌だな。
彼女のこと言ったの怒ってるのかな?
「いや、そうじゃなくて。花丸くん、橘さんと一緒に委員会やりたいんだろう」
こいつは一体何を言っているんだ?
全く萌菜先輩といい山本といい、執行部の人間は俺の発言を曲解するきらいがあるらしい。第一俺は橘の話は今していない。
「いやそういう話じゃなくてだな。だいたい、あいつがやりたくないっていったから、俺が副委員長を──」
「だから、橘さんが委員会にはいるなら問題も起こらないだろう。君自身が抑止力となるような人物がいないから雰囲気が悪くなるって言ったんじゃないか。その点橘さんなら問題ないだろう。ぶっちゃけ僕より怖いんじゃないの?」
「それはそうだろ。橘は山本より百倍怖い」
「だったらそうするのがいいと思う」
「だから、あいつはやりたくないって──」
「だからだよ。彼女、何か理由がなきゃ動けないんじゃないか」
「……理由?」
「放送委員会に入らなきゃならないような理由」
その山本の言葉を聞き、彼の洞察力に感服した。なるほどさすが萌菜先輩に後を任されただけはある。彼は橘美幸という人間がどれほど面倒で、捻くれた存在なのかを、少し話しただけで既に気づいているのだ。
彼女が何かをやるのにいちいち理由を必要とする、そんな性格特性をさえ見抜いている。
「……つまり、俺じゃ務まらないから、橘にやってくれと?」
「うん。君には泥をかぶってもらうことになるけど」
執行部の信用を得られず解雇される副委員長。たしかにかっこ悪いな。また神宮の学校史に花丸元気の道化じみたエピソードが刻まれてしまう。
だが今更そんなもの大したダメージじゃない。
「……それくらいならかまわないが」日頃あいつから受けている仕打ちに比べればそんなものは屁じゃない。しかし問題はそこじゃない。橘を動かすのに動機を与えてやらなければならないというのは正しい。けれどそれが取ってつけたようなものでは通用しないだろう。「橘が素直に聞くとは思えんぞ」
「それは君の交渉力にかかってるかな」
「……やっぱ、説得すんのは俺?」
「僕がやるのは構わないけど、でも僕こそ彼女は聞く耳を持たないだろう。説得するなら君からのほうがいいよ」
「……うーん」
あまり勝算は高くなさそうだな。
俺がその場から去ろうとしたとき山本が俺の背に向かって
「先輩曰く、君が真摯に頼み込めば橘さんはちゃんと聞いてくれるってさ」
俺はその言葉を耳に入れ半身になって、
「……それいつ言われたんだ?」
「春休み入る前かな」
「……萌菜先輩って予知能力でもあるの?」
「さあ? ……多分これに限った話じゃないと思うんだけど」
春休み、先輩に呼び出されて「あいつらと仲良くしろ」と言われたのも、このことを念頭に置いていたからなのか? でも俺と彼女たちの個人的な仲のことまで、後任にべらべら話してしまうのはいただけない。全くあの人には、プライバシーの観念というものが欠如しているらしいな。今度会ったときは俺から愚痴を言ってやる。
*
昼休み、俺は橘のクラスであるF組の前に立ち、扉を開こうとしてふと思った。
他のクラスにわざわざ行って、女子を呼び出すというのはいかがなものだろうか? 妙な噂をされるんじゃないだろうか?
しかしだからといって、彼女に話をつけるのに他に方法がない。ここで待っていても来るとは限らないし、メールを打っても学校の中で彼女が見なかったら無意味だ。
それに今更という話か。俺が今まで橘とどういうふうに接してきたか考えたら、これくらいどうってことないことだろう。他人は自分で思っているより自分のことを気にしていないと言ったのは、彼女か俺か忘れたがそれは確かに事実だと思う。変に意識してしまった自分が恥ずかしい。
よし、と意を決して扉を開けようとしたところでやっぱり留まる。いや、びびったんじゃないよ。何事にも準備は必要だし。ほら、別なクラスって妹の部屋以上に入りにくいよね。俺悪くないよね。
とごちゃごちゃと言い訳をしていたら、幸運にも元クラスメートが扉の前にやってきた。
これ幸いと
「あのさ、橘いるか?」
と尋ねる。
その男は「学年が変わってもアツアツだなお前らは」と意味不明なことをブツブツ言いながら扉に手をかけ、半分ほど開けてから、俺を見て胡乱げな表情を浮かべ
「……その前に俺の名前分かるか?」
と尋ねてくる。
えぇっと確か……
「えっと、す、す、鈴宮だな。ハハハ全く人が悪いぜ。元クラスメイトを試すようなことしやがって」
「ハハハ悪い悪い。普通に間違ってるけどな」
「え? ……あ、ボケてたわごめん。釘宮だったな」
いやぁ、うっかりしてた。決してくだらないことでからかおうとしてきたから、やり返してやろうと思ったわけじゃないよ。
「いや、だから違うし。べ、別にあんたなんかに名前覚えてもらわなくても全然構わないけどね!」
え、何この人。何突然わけわからないこと言ってるの? 怖い。
「どうしたの鈴社くん。変な人に絡まれてるの? 通報してあげましょうか?」
俺と確か軽自動車っぽい名前の人との会話を聞きつけたのか、橘が中から顔を出した。
「──通報する前に君はクラスメイトの名前を覚えようか」
物騒なことをいう橘を諫言する。
「おいおい橘。通報するとか言うなよ。鈴杜がびっくりしちゃうだろ」
「──一年間同じクラスだったやつの名前さえ覚えていない君らに僕はびっくりだよ」
橘は馬鹿なことを言うんじゃないとでも言うような顔で
「え? 何を言っているの花丸くん。鈴森くんくらい肝の太い人になるとそれくらいでは驚かないのよ」
「お前に鈴林の何がわかるって言うんだ!」
「──君等ふたりとも全然分かってないと思うんだがね、僕は」
知ったかぶりをする橘を叱ったら、彼女は続けて
「あら、鈴原君のことは私のほうがあなたより百倍詳しいわよ」
「人が誰かのことを簡単に理解できるわけ無いだろう。人間そんな単純じゃないんだ。鈴野だって例外じゃない」
「──だからふたりとも全然分かってないし。木、切り過ぎだし」
先程から何かボソボソと雑音が聞こえてくるが、多分ポルターガイストなので気にしない。気にしたら負け。
「ところでベルウッドくん」
突然橘が横を見たかと思ったら、そこには驚いたことにポルターガイストがいた。
彼は投げやりな態度で
「そっちのほうがかっこいいからもうベルウッドでいいや」
「あ、いたんだベルモット君。ごめん気が付かなかったよ」
俺は通り道を塞いでしまったのを申し訳なく思ってそういった。
「花丸、お前、ふざけんなよ。お前が話しかけてきたんだろ」
と何やら声を荒げる。しかし橘が
「花丸くんが話があるみたいだから、モルモットくんは席を外してもらえるかしら」
と言ったらすぐにシュンとして
「……仰せのままに」
とトボトボ教室の中に入っていった。あいつ橘に弱いらしいな。お前気をつけろよ。あいつに狙われてるぜ。
「それで話って何かしら。愛の告白ならまた今度にしてくれる?」
橘は俺に向き直り、右手を左肘のあたりにやりながら言った。
「いや告白じゃないし。だいたいまた今度にしたらどうなるんだよ?」
「返り討ちする準備ができるわ」
「ああそうですかい」
「……それで告白じゃないなら何の用?」
若干迷惑そうな口調だ。早く戻りたそうな顔をしている。まだ昼食の途中だったのかもしれない。
「……今日の放課後、部活ないけど、ちょっと付き合ってくれないか」
問題は問題として、とりあえず委員会は始動している。しばらくは俺や安曇、または部活と放送委員会の顧問でもある井口先生が付きながらではあるが、委員たちに仕事を引き継いだ。だから、部活として帰りの放送をする必要がなくなったのだ。部活がなければ当然帰るしかないので、彼女が帰らないよう頼みに来たのである。
橘はピクリとし周りを気にするようにキョロキョロしてから
「……別に構わないけれど」
と上目がちに言った。
*
放課後、帰り支度を済ませた俺は、橘と昇降口で待ち合わせた。
自転車を押す俺の隣を歩く橘は
「それで、花丸くんのくせに私をデートに誘ったあなたは、一体どこに連れて行ってくれるの?」
と尋ねてくる。
「いや、デートじゃないし。ちょっとカフェ行って話をするだけだから」
「あら。あなたはそうやって女の子と遊んでは、奥さんに問い詰められたとき『あれはちょっと食事しただけだから! デートじゃないから! 浮気じゃないから!! お前は本気だから!!!!』とか言うのね。恥を知ればいいわ」
「いや言わねえし。そんなことしないし。そもそもできないから」
口ではそう言いつつも、安曇と喧嘩をして元気をなくしていた彼女が前みたいに減らず口をたたけるようになって、俺は少し安心した。
カフェに着き、橘は早速
「花丸くんは何を頼むの? 私このスフレチーズケーキにしようと思うのだけれど。花丸くんは抹茶ケーキ? それともフォンダンショコラ? ねえ、半分こずつ食べましょうよ」
とメニューを見ながら、楽しそうに目を輝かせている。甘いものに関しては、こいつも年頃の女子みたいな表情をするから、こちらも微笑ましい気持ちになる。
「俺のもお前が選んでいいよ」
俺がそう言うと、彼女の瞳はキラキラと玲瓏さを増し
「本当? 今日は随分優しいのね。もしかして熱でもあるの? やばいウイルスにでも感染したんじゃない? もしかして死んじゃうの?」
「何言ってんだ」
俺は大抵優しいんだぞ。
「そうよね。花丸くんが私にお熱なのはずっと前からよね」
「ほんとに何言ってんだ!?」
「ねえ、花丸くん。どうして人はクリームパイを見ると、花丸くんの顔に叩きつけたくなるのかしらね?」
「ならないから。それお前だけだから。お願いだから食べ物を粗末にするのはやめてね。俺のことは嫌いでもクリームパイのことは嫌いにならないでね」
それにしてもどうしてアメリカ人はやたら人の顔にパイを投げつけたがるんですかね? 多分トム&ジェリーのせいだな。
「違うわよ。あ~んするのは恥ずかしいから、叩きつけることで愛憎表現をしようという幼気な私の乙女心なのよ」
「それはツンデレに見せかけたただの暴力!! お前ジェリーより質悪いな」
愛情ではなく愛憎表現というところが味噌。多分「愛」:「憎」=0.01:99.99ぐらいの比率だな。
「……私はどちらかと言うと猫系だと思うのだけれど」
「今そういう話してないから」
橘は引き続き注文を決めるのに悩み「これもおいしそうね、でもこっちも捨て難いわ」とぶつぶつ言っている。
俺はそんな彼女に対し
「……橘。それで話なんだが」
と今日連れ出した目的を話そうとする。
彼女は顔はメニュー表に向けたまま、眼だけ俺の方にやった。
「食べたあとにしましょう。ケーキは集中して美味しく食べなきゃ勿体ないもの」
橘は多分俺がどういう話をするのか分かっているのだ。
「……分かった」
*
ケーキを食べ終え、ナプキンで口を拭う橘を見て、俺はようやく今日の最重要ミッションに移ることにした。
「ケーキも食べ終えたし」
だから話をしようかと、言おうとしたら
「コーヒーも飲んだし、話も済んだしそろそろ行きましょうかね」
「いや、待て。話、まだ始まってすらないから」
「……どうしてもするのね」
「当たり前だろ」
「……わかったわ」
俺は咳払いした。
「橘、俺の代わりに放送委員会の副委員長をやってほしいんだ」
橘はひたとまっすぐ俺の目を見る。
「……あなた私に約束してくれたじゃない。安曇さんの手助けをするって」
「ああ。分かってる。でも俺だけじゃ力不足なんだ」
それから橘を説得するためにでっち上げた話を始める。
「それがよお、副委員長に立候補するやつがいなくてよ、俺がやってもいいかなって思ったんだけど、執行委員長様に反対されちまったんだ。誰もやりたくないから俺がやってやろうって言ってんのに、おかしな話だろ。でも、お上が駄目だっていうんなら、仕方ないだろ。だからお前に──」
橘は俺の言葉を遮り、冷たく言い放った。
「そんな話で通用すると思ったの?」
彼女が先程まで見せていた愛嬌は消え、今はただ冷ややかな視線を俺に向けている。
やっぱり彼女には俺の急造の奸計など通用しないのだ。そんなことで説得できる人間なら、安曇がとうに説得していただろう。安曇があれほど気を立たせるほどだったのだから、彼女が橘に対し説得を試みたことが一度や二度だったとは考えにくい。
橘が心から信頼している安曇でさえ駄目だったのだから、俺に説得ができるわけがなかったのだ。
俺はため息を付き、椅子に深く座り直した。
コップの中の氷が溶け、カランと音を立てる。
山本は馬鹿じゃない。橘の人間性にもすぐに気づいた。それでも俺が彼女を説得できるという考えがあまりに楽観的であることには気づけなかったらしい。
あいつはどうして俺なんかが橘との交渉に耐えうる人間だと思ったのだろうか。いくら萌菜先輩が俺のことを……。
……ああ。
俺は自らの愚かさに舌打ちしたい気分になった。
そうか。そうだったな。萌菜先輩の言葉では、橘を騙せなんて言ってなかった。……真摯に頼み込め、か。
思い返してみれば、俺が橘と真面目な態度で接したとき、いずれの場合も一悶着はあったが、たしかに橘は俺の話を最終的には受け入れることがほとんどではなかっただろうか。彼女の親との関係について話したときもそうだったろう。
最初から誤魔化そうとしたのが良くなかったのだ。
俺はまた口を開いた。
「……安曇がどういう経緯でうちの部活に入ったか知ってるよな」
「当たり前でしょう……。私も当事者の一人なんだから。それがどうしたというのよ」
「安曇の顔なじみが何人か委員会にいる。その意味分かるよな」
橘は俺の言葉を聞き、目を伏せ表情を強張らせ、唇を噛んだように見えた。委員会でどういうことが起きたのかおおよそ理解したのだろう。
一年前、俺と橘が安曇に提案した解決策。いや、解決策と言うにはあまりに烏滸がましい、問題の先送り。安曇と他の部員とを引き離すということで達成されたのは、彼女を攻撃から守るということ。それはあのときの選択肢としてはベストだったのは俺も認めたところ。それでも、問題がなくなったわけじゃなく、禍根を残したまま冷戦状態に入ったに過ぎない。
放送部に安曇を引き入れる提案をしたのは俺だが、そもそも安曇に部活をやめるよう提言したのは橘が先だ。凍結されたままだった問題が今ここに現れたなら、彼女はそれから目を逸らすわけにはいくまい。彼女自身がそれを許しはしない。
「あいつにはお前しかいなんだよ」
橘は潤んだ眼を見開いた。
「……わたしにとっても、安曇さんは唯一人の存在だわ。だから……」
「だから、なんだよ? そう思っているのなら、あいつのそばにいてやれよ」
橘はぎゅっとセーラー服の胸元を掴んだ。そしてどこかここではない場所を見るような目を浮かべ、ポツリと小さな声で「なかなか、果然とはいかないようね」と言った。
「まったくだな」
どうしても物事は、考えた通りには進んでくれないらしい。運命というものは、人間がこうあってほしいと思うものをことごとく否定するようにできているのか。
俺の声を聞き、橘は曖昧なそして寂しげな笑みを浮かべた。
それから目を瞑り、短く息を吐いてから、ひたと俺を見つめ
「分かりました。副委員長の任、引き受けます」
と言った。
*
橘の説得に成功した翌日。俺はそわそわしながら部室で待機していた。
今部室には安曇と俺の二人だけ。安曇にはまだ昨日橘と話したことを伝えていない。
きぃと音がして、部室の扉が開いた。
「……こんにちは」
橘が少し遠慮気味な感じで部屋へと、入ってくる。
「おう」
俺は彼女に会釈した。
「……うん」
安曇はそれだけ言い、顔も上げない。怒っているわけじゃないのだろうが、喧嘩をした手前気まずさがあるのだろう。
橘は鞄を置き、静かに座った。
所在なさげに、鞄から本を取り出したり、髪を手で梳いたり、スカートの裾を伸ばしたりで、口を開こうとしない。彼女も緊張しているのだろう。彼女から話すと言っていたので、敢えて俺が急かすようなことはしない。
恐らくは友達と喧嘩をして仲直りをするという経験も今までにないんじゃないだろうか?
そんなことを考えていたら突然橘は立ち上がり
「お茶でも淹れようかしら。花丸くんは、コーヒーでいい?」
「え、あ、うん」
それから橘は若干上ずった声で
「あ、安曇さんは紅茶にする?」
少し間を開け安曇が答える。
「……じゃあ緑茶」
「分かったわ」
橘は電気ポットを持って部屋の隅にある蛇口に向かい、水を汲んで電源を入れた。
それからお湯が沸くまで誰も口を開かない。
シューという音が聞こえてきて、お湯が沸いたことを知らせるピーという電子音が、張り詰めた部屋の空気を震わせる。
こぽこぽとマグにお湯が注がれ、コーヒーの匂いが部屋に漂い、次いで緑茶と紅茶の香りが鼻腔を刺激する。
「はいどうぞ」
「サンクス」
俺は軽く礼を述べる。
「はい安曇さんも」
「……ありがと」
それから部室に再び沈黙が訪れる。
いい加減ムズムズした気分になってきた俺は、「話があるんじゃないか」と橘に促そうとしたところで、橘が重たくなっていた口をようやく開いた。
「あの、……その、安曇さん?」
「……何?」
「私、やっぱり委員会に入ろうと思うの。花丸くんの代わりに副委員長をやるわ。……だから、これまでのことはごめんなさい」
橘が訥々と言葉を紡いだ。
安曇は落ち着いたトーンで
「……私もごめん。色々言って。美幸ちゃんだって、たくさん悩んで決めたのに、それを分かってて、わがまま言って」
「いいえ。わがままだったのは私の方だわ。あなたの気持ちも考えずに、全部一人で決めつけて。本当にごめんなさい」
今度は安曇がガバっと立ち上がった。それから橘の方に近づき
「ごめんね。私美幸ちゃんのこと大好きだよ」
と言って、大きく手を広げてから、座っている橘をギュッと抱きしめた。
突然のスキンシップに橘は面を食らったのか、行き場を失った彼女の手はしばらく空中を右往左往していたが、やがて安曇を包み込むように橘も安曇を抱き返した。
「いいのよ。私も悪かったわ」
そして顔を真赤にしながらではあるが
「……私も安曇さんのこと大事に思っているわ」
と言っている。
ところが俺が彼女らを見てニヤニヤしているのに気づき、はっと思い出したように
「でも、委員会に入るのは何もあなたのためというわけではなくて、ただ単に花丸くんが役に立たないから、山本くんに頼まれただけで、べつにそういうんじゃないから」
と言い訳めいたことを言う。
だが安曇はそんな見え透いた嘘などお見通しで
「ウンウン分かるよ。私のこと好きなんだね」
「だから、……別にそういうのでは……」
橘の言葉は濁るばかり。
「好き?」
再び安曇に問われば、然しもの橘もとうとう陥落した。
「………………ええ、好きよ」
「よかった!」
そうやって抱き合いながら、愛を囁いている彼女らはまるでお互いがお互いを支え合う互恵関係、永遠の愛を誓うパートナーにすら見えた。
俺は突然訪れたてぇてぇ展開に対し、この世でこれ以上に美しい存在はないに違いないと、百年ぶりに心が洗われているような気がした。彼女らの永久の愛を邪魔しないように、空気に徹していたのは言うまでもない。俺が陽気なアメリカ人だったら、ここで「お前ら愛してるぜベイベー」とか言いながら、彼女たちに両手で抱き付き、クリームパイを顔に投げつけられる、というエンターテイメントを提供しただろうが、流石にそこまで修行が進んでいなかった。
橘と抱き合いながら、俺と目の合った安曇が、口だけを動かし「あ・り・が・と・う」と言ったのが見えたが、俺はぷいとそっぽを向き「俺は何もしてねえよ」と自分にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
彼女たちが健やかな関係でいられるのなら、俺が汗をかくことくらい造作ないこと。
仲良きことは美しきかな。
ヒロインB「ねえ、作者さん。聞いて!」
作者「なんだい、Bちゃん?」
ヒロインB「ランキングに乗れそうないいタイトルを思いついたの!」
作者「ほう。聞かせておくれ」
ヒロインB「うん!『小さい頃にした結婚の約束を持ち出してウザいくらい絡んでくる毒舌幼馴染をざまぁしてやったら、子犬系女子に猛アプローチされたので彼女にしてイチャラブ高校生活をエンジョイします!!』ていうの。ぽくない!?」
作者「ぽいけど、やっぱりタイトル詐欺だよね」
ヒロインA「ちょっと、安曇さん」
ヒロインB「な、何かな?」
ヒロインA「もしかして、もしかしてだけど、その子犬系女子というのは、ひょっとしてあなたのこと?」
ヒロインB「そ、そうだよ! 悪い!?」
ヒロインA「別に。ただ、自分で自分のことを子犬系女子とか言うのはどうかなと思うのだけれど」
ヒロインB「別にいいでしょ! 美幸ちゃんだって『美少女ツンデレ幼馴染』ってキャラ作りしてるじゃん!!」
ヒロインA「キャラ作りとか言うのやめてくれるかしら。私は天然物のツンデレなのよ。もう希少すぎてそのうち花丸くんに指定文化財にされる予定だわ」
ヒロインC「指定文化財ならガラスの箱に入れて保存してあげなきゃだね!!」
ヒロインA「ちょっと。やめてくれるかしら。私はお触りOKなタイプの文化財なのよ。むしろ花丸くんのほうが大きな水槽で飼われるべきだわ。私の家で」
ヒロインB「なんで美幸ちゃんが独り占めしようとするの?」
ヒロインA「あなたもたまにだったら、散歩と餌やりやらせてあげてもいいわよ」
作者「あの、みんな何の話してるの?」
ヒロインズ「「「誰がメインヒロインになるか!」」」
作者「えぇ……」