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花丸元気の事情

 事の発端。

 全てを安曇に話すのが最善だとは言い切れなかったが、端折ったところで何か意味があるかというと、それはそれで話がややこしくなる気もしたので、事の起こりから包み隠さず全て話すことにした。

 

 と言っても既に話したことを繰り返すのも阿呆らしいと思ったので安曇に確認を取る。


「前に俺がお前らにした話覚えてるか? 小五の時、俺が女子二人に告られて、そいつらの仲が険悪になったって話」

「……うん」

 安曇はゆっくりと頷いた。


 自分でも時偶、全て悪い夢で、女子二人に同時に迫られるなんてことが本当に起こったことは思えず、己の内に秘めたる欲望が見させた幻覚なのでは、なんて考えたりもするのだが、現実から目を背けても致し方ない。


 俺は重い口を開いて言う。

「お前と橘が見た、車椅子の子は、その二人の内の一人、名前を久留和胡桃(くるわくるみ)と言う」

 

 安曇は硬い面持ちで

「……その胡桃ちゃんに何があったの?」

 と俺の顔を見つめていた。


  *


 久留和胡桃という少女は元来、快活で理知的であり、交友が広く誰からも好かれるような人間だった。整った顔立ちを持った彼女を好意的な目で見ていた男子も多かったと思う。


 そんな才色兼備で非の打ち所がない彼女は、小学五年生の頃いじめに遭っていた。 


 それは俺が彼女から「好き」だと言われてから、しばらくしてから始まったものだと思われる。


 彼女を虐めていた女子達のリーダーにあったのは、胡桃と特に親しくしていた女子だった。

 これも前に話したと思うが、そいつは胡桃より先に俺に告白してきた女だった。

 すべての原因が俺であると考えるのは、驕りでしかない。それも一端にはあったのだろうが、嫉妬の念が最大の要因だったろう。

 

 俺は久留和胡桃の人間関係がいとも容易く瓦解するさまを、間近で見ていた。

 かつての親友でいじめの首謀者であった女子だけではない。彼女と親しくしていた友人たちの誰もが胡桃に辛辣な態度をとっていた。近くにいた分、優秀な彼女に対する嫉妬の感情も募っていたのだろう。

 俺は信じられない気持ちでいた。

 あれだけ楽しげに笑い合っていた彼女たちが掌返しをして、たった一人の人間を攻撃している。


 その時初めて人間という生き物の下賤で残酷な性質に気がついた。俺が人付き合いに躊躇いを覚えるようになったのはその頃からだ。

 

 いじめはとても看過できるレベルのものではなかった。

 はじめは無視や、冷やかしで済んでいたものがどんどんエスカレートし、ありもしないことで誹謗中傷され、ものを隠され、ついには身体的に傷つくようなことまで行われ始めた。


 もちろん、胡桃の体が傷つくようなことに至っては、俺も教師に相談した。

 教師は虐めていた女子たちをきつく叱った。

 それからは流石にあからさまないじめは行われなくなったが、いじめっ子たちが教師に叱られて面白くないのは当然で、胡桃を精神的に追い詰める状況は更に苛烈になった。


 いじめや差別が人に言われてすんなり改善されるようなものなら、そもそもそんなことは起こらないだろう。人の心持ちなんてそうたやすく変わるものじゃないんだ。

 

 あからさまな言動はなくなったかもしれない。でもそれは見えなくなったと言うだけで、問題は依然として胡桃の周りを取り巻いていた。

 人の心なんて外からじゃ知りようがない。

 いじめは直截なものから、婉曲的でより陰湿なものへと変わっていった。些細な言葉の棘であっても、既にダメージを負っていた胡桃の心を蝕むのには十分すぎた。それは教師に関知されない分余計たちが悪かった。


 俺は見かねていじめに主に加担していたメンバーと胡桃がいるところで声を上げた。


「君らは、恥ずかしくないのか。よってたかって胡桃をいじめて、何が楽しいんだ? 胡桃が君らにいったい何をしたって言うんだ?」

「やめて。げんき君。……私大丈夫だから」

 胡桃がそう言って、俺の袖を引いている。


「はあ? 私達何もしてないわよ。てか先生に余計なこと言ったのあんただったんだ。まじキモい。そんなにその子のことが大事なら、ガラスの箱にでも入れといてあげたら?」

 グループの一人がそう返した。


「僕は君らみたいなのが大嫌いだ。君らは胡桃に何も勝てないから、こんなしょうもないことしかできないんだ。……人間の屑だよ」

「……きっしょ」


 彼女らは口々に俺と胡桃に野次を飛ばしながらその場をあとにした。


 その日から俺も孤立するようになった。

 そして胡桃は二学期の途中から学校に来なくなってしまった。

 

 俺はそれが仕方のないことだと思っていたし、彼女が無理に学校に来るべきだとは思わなかった。人間簡単には賢くなんてなれない。世の中には救いようのない人間がいるということをあいつらは証明していた。

 だからクラスが変わってまともな環境になってから、ゆっくりやり直していけばいい。そんな考えを抱いていた。


 ただそれでも何もできなかった自分に対する嫌悪感を拭い去ることは出来なかった。


 ある冬の日。学校に来なくなってしまった胡桃に、学校の書類を渡しに行くため、彼女の家に向かっていた。よく理由は覚えていないのだが、穂波も俺についてきていた。


「胡桃さんってどんな人なの?」

 歩きながら穂波の質問に答える。

「女子」

「いやそれは名前から分かるし」


「……僕に告白してきた子」

「ふーん」

 穂波は特に食いついてくる様子も見せなかった。


「あんま驚かんのな」

「まあ、別にって感じ」

「僕の嘘かもしれんぜ」

「お兄ちゃん私にそんな嘘なんてつかないじゃん」


 書類を渡して、少し顔を見て、前みたいに馬鹿な話ができれば十分だと思っていた。

 俺がちょっと言ったくらいで、再び学校に来られるなんて思っていなかったし、何もしなかった俺が今更説教じみたことを彼女に言うのも躊躇われた。

 

 小洒落た洋風の一軒家。白い壁はくすんだ所のなく、とてもその内に問題のあるような家には見えない。どこか寂しげなのは、空になったガレージと、冬になり葉の落ちた庭木がなんとも言えない哀愁を漂わせているからだろう。


 俺はドアホンを押した。


「はい」

 家人の声が機械越しに聞こえてくる。おそらくは彼女の母親だろう。

「胡桃さんと同じクラスの花丸といいます。学校のプリントを渡しに来ました」

「ありがとうございます。ちょっと待っててね」


 一分もかからなかったと思うが、しばらくしてから玄関の扉が開いた。白のセーターに、緑のロングスカートを身に纏った女性が顔を出した。


「寒かったでしょう。温かいココアでも入れるから入って」

 そう言って、彼女は俺たち兄妹を家の中へと招き入れた。断る理由もなかったので俺たちは導かれるまま家の中へと入った。



「ありがとうね。えっと花丸くん?」

「はい」

「娘と仲良くしてくれた子でしょう。胡桃からいつも聞いていたわ」

 ということは俺が彼女にした馬鹿みたいな話も、母親に筒抜けということか。なぜ女子というものはこうもベラベラと、親に何でも話してしまうのだろう。


「そちらは妹さんかしら? 仲がよろしいのね」

 穂波は話しかけられて、ぴょこんと頭を下げた。それからふふんと笑顔を浮かべる。


 胡桃の母親は、リビングに通され、普段は食卓として使っているであろう席を俺たちに勧めて

「ちょっと待っててくれる? 今呼んでくるから」

 そういってリビングから出ていった。

 

 一分経ち、二分経ちそれでも彼女は戻ってこず、五分ほどしてから再び姿を現したが、そこに胡桃の姿はなかった。


「ごめんなさいねえ。部屋に閉じ籠もって出てこないのよ。反応も全然しないし。せっかく花丸君が来てくれたって言うのにね」

 と申し訳無さそうな顔で言った。

「いえ、お気になさらず」


「ココアだけでも飲んで行って。今入れるから」

「ありがとうございます」

  

 入れた貰ったココアは、身体の冷えを十分に癒してくれた。飲み下して暖かさが臓腑にしみわたっていくのを感じる。

 それと同時に、このような優しい母親に育てられて、満ち足りた生活を送っていたであろう彼女が、心無いクラスの連中のせいで傷つき、部屋に閉じこもるしかなくなってしまったのを思い、酷く寂しくやるせない気持ちになった。

 そして何の役にも立たなかった己自身を呪う。

 

「僕、胡桃さんに酷いことしてしまいました。彼女が苦しんでいるのを知っていたのに、僕何もできなかった」


「そんなことないわよ。こうして会おうとしてくれているじゃない。あの子だって感謝していると思うわ」

「……でも僕が」

 僕がいなければ、こんな事態にはならなかった。

 それはたぶん事実だ。けれどこんなことを、仮想の話を今ここで、彼女の母親にしたところで何の役にも立たない。だから俺は口をつぐんだ。

 

 自分から尋ねたというのに、俺はその場から退散したくなっていた。まだ熱かったココアをこくこくと飲み干して

「胡桃さんとお話していってもいいですか。ドア越しでも構わないので」

 と尋ねる。

「ええもちろん」

 胡桃の母親は優しく微笑む。


 胡桃の母親に連れられて、彼女の部屋の前に向かう。穂波はリビングに残してきた。


 くるみとひらがなで書かれた札が、まるで部屋の主の気分を示しているかのように、どこか儚げな気がした。そんなことは絶対ないはずなのに、辛そうな顔を全く見せない胡桃の母親を前にして、逆に沈んでいた俺の気分もそれを手伝っていたのかもしれない。


「しばらく二人きりにしてもらってもいいですか」

「ごゆっくりどうぞ」

 胡桃の母親は温かい表情を見せ、俺だけを残してくれた。


 ドア越しに俺はしゃべり始める。

「ねえ。僕だ。花丸だ。学校のプリントを渡しに来たんだよ」

 部屋の中からは何の音も聞こえてこない。


「聞いてる? 怒ってるのか? それも仕方ないのかもしれないけど。これだけは信じてくれ。僕はたとえみんなが何を言おうと、胡桃の味方で居続ける」

 やはり何の反応も見られなかった。


「何か言ってくれるまで僕は家に通い続けるぞ。本気だからな」

 まるで部屋に誰もいないかと思えるぐらい静まり返っている。ドアの向こうに人のいる気配が全くしない。

 その頃の俺は今よりずっと餓鬼だった。俺が善意で彼女の家を訪ねたのは全くの事実だったが、ここまでないがしろにされてさすがに腹が立った。


「開けていいか? 何も言わないんなら開けちゃうよ」

 俺はいけないことだとは思いつつも、ドアノブに手を掛けた。


 果たして、ドアの向こうから何の反応も帰ってこなかったのは、当然だった。その部屋には誰もいなかったのだから。


 俺は良く分からないまま、リビングに戻っていって、部屋に誰もいなかったことを告げた。胡桃の母親は目を丸くしてから、「胡桃、胡桃」と娘の名前を呼んで家中を探し始めた。

 けれど、彼女は家のどこにも見つからなかった。玄関を見て、靴が無くなっているという。私に気づかれないうちに家を出ていったのだろうと、胡桃の母親は言う。

 

 全く間の悪いことをしてしまった。彼女の家を後にしたときはそのくらいにしか思わなかった。


 ついていたのか、ついていなかったのかはよく分からない。どちらにせよ俺がそこに居合わせたのは全くの偶然だった。


 妹を連れて、来た道を戻り、家に帰っている途中だった。俺は今後の事についてぼんやりと考えていた。さすがに毎日来るのは迷惑だろうから、週に一回くらいはこうして彼女を訪ねてみよう。そんなことを考えていた。


 とある川の近くを歩いていた時の事だった。俺の袖を妹が引く。


「ねえ、あの人何してんのかな」

 穂波の指さす方向には、橋の欄干に座った女の子がいた。何かの拍子に落ちてしまえば、この凍てつく空の下で、冷たくないわけがない冬の川にダイブすることになる。

 俺は自分の心臓がどきどきするのを感じた。その女の子こそが今日会おうとしていた久留和胡桃本人だったからだ。

 

 俺はゆっくりと彼女の方に近づいて行った。


「そんなところに座ってたら危ないよ」

 そう話しかける。

 胡桃はびくりとして、こちらを恐る恐る見た。誰かに話しかけられるなんて、思っていなかったのだろう。


「……げんき君」


 彼女の表情は、およそ感情というものを全く失っているように見えた。あれだけのことをされて、学校に通うのを苦に思うくらいだ。平気なわけがなかった。

 俺は歩いて、彼女の近くに行こうとした。


「来ないで!」

 鋭く胡桃が叫ぶ。

 胡桃は足を柵の外に下ろした。


「おい! 危ないって」

 俺はあせって彼女の手を取ろうとする。


「来ないでって言ってるでしょ! 近づいたら落ちる!」

 俺はぴたりと足を止めた。


「落ちたら死んじゃうぞ!」

「いいの! 私なんか生きてたってしょうがない!」


 頭をガンと殴られたような気がした。

 俺はどこか楽観視していたのだ。彼女が学校に来られなくなったのは、一時のものであって、時間が経てば元に戻るだろうと。そのときはしっかり彼女の味方になれるだろうと、楽観視していた。


 けれど、彼女はどうしようもないくらい追い詰められていたんだ。


 俺は胡桃に聞こえないよう穂波にヒソヒソと「110に連絡して。川に落ちそうな女の子がいるって。どこか近所の家に行って電話貸してもらえ」そう耳打ちするように伝えた。

 穂波はこくりと頷いて駆け出した。


 俺は胡桃から目を逸らさずに言った。

「ちょっと待てよ。落ち着けよ。こんなことして何になるっていうんだ」

「一人のどうしようもない人間がこの世から消える。別に誰も困りはしない」

 と叫び返す。


「なんでそんなこというんだよ。胡桃が死んじゃったらお母さんだって、僕だって悲しむのに」

「げんき君が悲しむ? 嘘言わないでよ。私の事なんて好きじゃないんでしょう。好きじゃない女の子が死んだところで君がどうして悲しむっていうの?」


「友達だからだよ。君は僕の事もう嫌いになったかもしれないけど、僕は君を友達だと思っている。友達が死ぬのは嫌だ」

 胡桃は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。俺も叫んでいた。


 俺は彼女を守ろうとした。近づいて逃がさないように腕をつかもうとした。


 それなのに――


 大きな水しぶきが上がった。


「お兄ちゃん!」

 穂波が走って戻ってきた。大人が数名後ろについてきている。


「落ちた! 早く助けないと!」


 大人たちは走って堤防の下へと降りていった。胡桃はバタバタともがきながら川下へと流されていく。

 大人が二、三名川へと入った。胡桃が流されていくのを必死につかもうと腕を伸ばすが、なかなか掴むことができない。そうこうしているうちに胡桃は水の中に沈んでしまった。


 俺は目の前が真っ暗になった。


 大人たちが協力して胡桃を川から助け出したのはそれから二分にも満たなかったと思うが、俺にはとてつもなく長い時間に思えた。

 引き上げられたときの胡桃はすっかり血の気がなくなり、その表情は生者のそれとは到底思えなかった。

 大人たちはすぐに心肺蘇生を開始した。


 間もなくしてどこからかサイレンの音が聞こえてくる。落ちたときに備えて警察は救急車も派遣したようだ。パトカー一台に引き続いて、救急車が到着し。人だかりができていた堤防下に、担架を持った救急隊員がかけていった。

 

 胡桃はすぐに救急車に運ばれた。俺は彼女の知り合いだと言って、そこに飛び乗った。


 悪夢のような時間だった。


 救急隊員たちが話している専門用語が、意味もわからないのに、頭の中に鳴り響き、病院とのやり取りがひどく事務的で無機質なもののように思えて、胸がムカムカした。

 

 病院につき、医者に引き継がれたあとは、俺はじっと病院の廊下で待っていた。

 しばらくして事故を聞きつけた胡桃の母親が血相を変えてやってきた。先程俺と妹に見せていた優しい顔はどこかに消え、ベンチに座る俺の横を何も言わずに通り過ぎ、手術室の前で立ち尽くしていた。


 最悪の状態だった。

 胡桃は病院についたとき、意識はおろか心臓さえ止まっていた。

 

 だけど生き延びたんだ。彼女は死の淵からよみがえった。


 しかし重い障害が脳に残った。


 低酸素脳症による脳の麻痺。医者は茫然自失の俺と母親にそう説明した。

 心臓が止まっていた間、酸素が脳にいかず、脳組織がダメージを負ったという。意識が戻るかはまだわからない。

 医者はそれだけ告げて、頭を下げてその場を去った。


 胡桃の母親はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「久留和さん、僕――」

「今は話しかけないで」

 俺は黙った。俺が彼女にかける言葉なんてあるはずがなかった。


 幸い、胡桃は二週間後意識が戻った。でも脳が障害されたせいで、身体の自由を奪われていた。


 それから五年、今に至るまでリハビリが続いている。

   *


 そこで俺は伏し目がちにしていた視線を上げた。

「でお前らがこの前見たのが、その久留和胡桃だ。こんなことは家族や当人の前じゃよう言わんが、徐々に体も動くようになってきているし、そんなに悲観するほどでもない。だからお前らも心配しなくていい」


 俺は長い話を締めくくった。


 話を聞いていた安曇はぼたぼたと涙をこぼしていた。


「……えと、安曇?」

「……ごめん」

 そう言って、ハンカチで目頭を押さえている。


 彼女は指で涙を拭いながら

「あの……さ、まるモンが中学受験しようとしてたのって……」

「地元の中学へはほぼ小学校から持ち上がりだったから、……俺も人間関係に反吐が出そうだったからな。ずっと胡桃を庇ってたし、それで周りの奴らは俺のことが気に食わんかったんだろ。胡桃が入院してからは、流石に奴らも罪悪感を感じたのか、今度は罪の擦り付け合いを始めた。そこにいたクラスの嫌われもの。胡桃が入院する原因を作った人間。つまりは俺に矛先が向いていた」


「……でもそんなの全部嘘じゃん」

 安曇は憤りを見せる。


 俺は彼女のその言葉に頷けるほど、自分に甘くなかった。


「……一つ学んだことは、人間というものは都合の悪い真実より、都合のいい嘘を信じたがる生き物だということだ。すべてを俺のせいにして胡桃をいじめてた奴らは心の充足を図ろうとした。でも俺に他の人間をとやかく言う資格はない。……俺だって全てから逃げ出そうとして、私立の中学に行こうとしたんだからな。……まあ、結果はご覧の通り」

「まるモン悪くないじゃん」

「……安曇は優しいな」


 俺がそう言うと、安曇は少し腫れた目をそらして

「……話してくれてありがとう。……私にできることがあったらなんか言ってね」


 本当に安曇はいいやつだと思う。他人の話でこんなふうに泣いてしまうほど優しくて、責任感が強くてお人好しで。

 

 そしてどうしようもないくらい真面目だ。


 彼女の俺に対する優しさには、一種の義務感すら感じられた。

 

 義務感。恩返し。贖罪。


 俺という人間のせいで、不幸になる人間がいてはたまらない。


「もう気にしなくていいぞ」

 俺はお前という人間が、そこまで心を砕くほど立派な人間などではない。


「何が?」

 安曇は分からないと言った様子で、聞き返してきた。


「俺がお前を勝手に助けただけだし、お前はちっとも悪いことなんかしていない。お前はあのときのことを気にしてたのかもしれないけれど、俺は別になんとも思ってない。確かに私立にはいけなくなったが、俺はこの高校に入れて良かったと思ってるし、お前らにも出会えたからな。だからもうお前が気に病む必要なんて全くないんだ」


 安曇はほとんど無表情に近い顔で

「……別に気にしてなんかないよ。だってまるモン入試に遅れることわかってて私を助けたでしょう。それは自業自得じゃん。それで私が悪く思ってるとかマジありえなくない? 勘違いしないでよね」

 と言い放った。


「……ですよね」


「なんか美幸ちゃんがまるモンに腹立てる理由分かっちゃったかも」

 安曇は飲みかけのコーヒーに角砂糖を一つ(つま)んで入れて、スプーンでぐるぐるとかき混ぜながら言った。


「えぇ……」


「訳わかんないこと言ったから、罰ゲームね」

 と唇を尖らせている。

「安曇さん何する気?」


「私に似合いそうなアクセサリー選ぶゲーム」

「そいつは難題だな」

 

 俺は少し考えてからあることを思いつき

「誕生日プレゼント、それでもいいか?」

 と安曇に聞いた。

 ツイッターのプロフィール画面に書かれていた日付によれば、明日は彼女の誕生日だ。


「……覚えてたんだ」

 安曇は驚いた表情を見せる。

「これでも成績はいい方だからな」


「……もしかして、今日付き合ってくれたのも、明日誕生日だから?」

 と安曇が窺い見るように確認してくる。


「……うん、まあ。俺と出掛けることで、お祝いになるかは甚だ疑問だったが、主役の願いなら叶えてやるのがベターだろ」

「そっか。……そうなんだね」

 安曇は照れたように顔を伏せてしまった。


「……それで、どうだろう? 誕プレ、それでいいか?」


 顔を上げて、若干口元を緩ませたように見えた安曇は目を細めて

「……それはやぶさかじゃないわね」

 と言う。


 彼女のその台詞に思わず吹き出してしまう。


「酷っ、ちょっと、何笑ってんの!」

 言って、顔を赤くして、俺の腕を引っ張ってくる。


「だってお前が橘みたいなこと言うから。お前影響されすぎじゃね?」


「そんなことないし。ほらっ! 行くよ!」

 安曇は立ち上がって、俺の手を引いた。


「俺のセンスの無さを見ても泣くなよ」

「やる前から白旗揚げないでよ」

 そう言って笑う彼女に連れられて、アクセサリーが売られているショップの方へと歩いて行く。


 俺の手を引いて前をずんずん歩く安曇の姿を見ながら、俺は思うのだ。

 多分俺は、自分という人間の胸の内を知られることに、痛く敏感になるあまり、彼女たちに昔の話をするのを避けていたのだと。

 重たい話をして彼女たちに腫れ物扱いされるのを恐れていたのだと。

 

 でもそれも取り越し苦労だったらしい。


 長い話をして軽くなったように感じる肩が、俺もそろそろ人との付き合い方を見つめ直すべきだと、言っているような気がしてならなかった。


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