例えばメテオストライク
学年末テスト最終日。
朝、通学路の途中で、最後の悪あがきをしているのか、ノートやら問題集やらと睨めっこしながら歩いている生徒たちを横目にしながら、まだまだ冷たい二月の風に吹かれて、校門をくぐった。
最近では歩きスマホの危険性が認知されて、その元祖とでも言うべき二宮金次郎像が小学校の校庭から撤去されるぐらいなのだから、名門校の生徒として歩きながら本を読むのはいかがなものなのだろうか、と俺は思う。そんなに勉強が好きなのか。そうかそうか。日本の未来は明るいなあ。
そんなお勉強が大好きな同胞諸君らの愛する、高校のテストはすごく長い。特に国数英はそれぞれ二時間にも及ぶ。
それだけ時間があれば、時間が足りなくて困るというような事もないかと思うかもしれないが、不思議なことに、大抵時間が足りなくなる。
ところが数学には例外があって、ギリギリになる奴と、割と暇な奴に二極化される。
曰く
「解けないやつ飛ばしていったら、開始十分で最後の問題まで終わった!(解けたとは言っていない)」
……つまりはそういうことだ。
今日の科目は、世界史と生物基礎だけだったから、俺も気楽に受けていた。勉強したところが出て、覚えたとおりに書いて、時間的にもだいぶ余裕を持って、終鈴を聞くことができた。
解答欄をずらして書いていない限り、そんなに悲惨なことにはなっていないだろう。
テストが終わり、歓喜に沸く教室をあとにして部室へと向かう。橘は用事があるとかで、今日は部活を休むらしい。慌てて、というほどでもないが、だいぶ急ぎ足で、教室を出ていった。
一人で歩いてゆく渡り廊下から、何気なく空を見上げてみる。尾張の冬空は、どこまでも澄んでいて、雲ひとつない。朝は寒かったが、日が高くなれば、太陽の暖かさを少しは感じることができる。二月も中旬。これからは三寒四温に従いつつ、だんだん暖かくなるのだろう。
特に意味はないが、今日の日付の話でもしておくか。
今日は、二月十四日。カレンダーにはそれ以外何も書かれていない。一年の多くを占める、ただの平日の一つ。いつもどおりの日常が送られるべき、平凡で、ありふれた、特筆すべき事の起きようがない、ただの平日だ。
なにか付け加えて言うことがあるとすれば、それこそ、一般人が取り留めて気にするようなことでもないのだが、敢えて言うと、製菓会社の稼ぎ時である。……別になんとも思っていないから、その理由に強いて触れることはしない。
もう一度言おう。
別になんとも思っていないから、その理由に強いて触れることはしない。
俺の関心事は、そんなことより、目の前の関数が微分可能かどうかについてだな。
関数:死体の数=俺の目の前を歩くリア充の数×バレンタイン定数×俺様の機嫌度数
証明したら、数学界のノーベル賞と称される、フィールズ賞にでも投稿するか。そして花丸の定理と名付けよう。
人生の命題とでも言うべき研究課題を見つけた俺は、フラットな感情のまま、放送室へとやってきた。
扉を開けてみれば、安曇が席に着いていた。
「よお、俺だ」
「やあ、まるモンだ」
安曇は、俺の方をまじまじと見てから
「手ぶらだね」
と言ってきた。
「お? 喧嘩売ってんのか?」
安曇は手をぶんぶん振り回し
「ちがっ! ただ、誰にも何も貰わなかったんだって思っただけ」
それの何が違うと彼女は思ったのか詳らかに知りたい、と私は思いました。
「……安曇は誰かにあげたりしたのか?」
俺は荷物を降ろしながら彼女に尋ねる。
「え? 私は義理チョコ配るようなタイプじゃないし」
「ふーん。まあ、義理チョコ配る女子って承認欲求の塊みたいなもんだしな。何がしたいんですか? 愛の安売り大バーゲンセールですか? そうですか」
安曇は眉を顰めて
「またそんなこと言ってる。本当に義理というか、恩義? で配ってる人もたくさんいるんだからね。日頃の感謝みたいな感じでさ」
と窘めるように言った。
「なるほど。恋人の日として知られるバレンタインデーには、日頃の感謝を伝えるという役割もあるというわけだな」
つまり僕は誰にも感謝されていない人生を送っているわけか。僕っていらない子なんだ。ぐすん。これはもう手作りお菓子でもみんなに配って、株を上げるしかないな。魚心あれば水心というし、まあ行けるだろう。これで花丸くんも愛されキャラデビューだぜ。俺の作ったお菓子がみんなの細胞に取り込まれて、血となり肉となるのかと思うと興奮しちゃうな。これが細胞レベルの恋。違う。
「おっとブルった」
俺はポケットに入れていたスマホに着信があったことに気づき、それを取り出した。
「あ、いけないんだ。校内は使用禁止だよ」
良い子の安曇さんは校則違反をする俺を見て、咎めたが
「でも、一番校則を破っちゃいけない立場の人からメール来たんだけど」
と俺は彼女に自分のスマホの画面を見せた。
それは萌菜先輩からのメールで
『いますぐ来てください。自販機のとこです』
と書かれてあった。
「もうこれは秒で行くしかないな♪」
俺がテンションアゲアゲで言ったところ
「なにげにまるモン、先輩のこと好きだよね」
と安曇さんがおかしな事を言う。
「当たり前だろ。俺と先輩の初対面は、盗撮犯とその取り調べに乱入した執行委員長という、ロマンチックな出会い方をしてるんだから」
そもそもの話だ。
綿貫萌菜先輩その人は、強く嫋やかで、圧倒的カリスマ性を有し、才色兼備な上に、出会う人すべてをバブみに耽溺させるとさえ言われている人物だ(俺所感)。そんな彼女を嫌いになる人間がどこにいようか?
全米どころか全俺がオギャりたい、とまで言われている。
「そのシチュエーションがロマンチックかどうか、大きな疑問が残るけれど」
「え、何? もしかして安曇さん先輩のこと嫌いなの? もしかしてアンチなの? いくら安曇さんでもそれは許さないよ?」
「そりゃあ、私も先輩のことは好きだけどさ。……でもなんかまるモン、ヤバい宗教の宗徒みたいになってるよ」
「おう、誰がマルモン教徒だって?」
「そんなこと言ってないし、ソルトレイクの宗教みたいになってるし。言うならモエナ教でしょ? 教祖様のいうことは絶対、みたいな?」
馬鹿なことを言う。どちらかと言うとモエナ狂だろ。
「俺と先輩はズッ友な上にマブダチだからな。先輩の命令なら断るべくもないだろ。というか先輩にこき使われるとか、我々の業界ではご褒美です」
「やっぱ信者じゃん」
「むしろ奴隷だろ」
「……変態?」
「かもしれん」
「……そんなに好きなら告っちゃえば? 先輩もまるモンの事、結構気に入ってるみたいだし」
「は? 何言ってるの? 女神様に恋するとか、正気じゃないだろ。冒涜だよ? 不敬罪だよ?」
「あ、うん、分かった。よく分かったから、もう行ってらっしゃい」
安曇の目は『こいつもう完全にイッちゃってるな』といった感じのものに見えたが多分気のせい。
俺は『今行きます』とだけメールを打って、部室を後にした。
「来た来た。やあ花丸くん」
意気揚々と自販機の所に向かえば、萌菜先輩が小さく手を振りながら俺に挨拶してくれた。
「あらあら、萌菜先輩」
もう、可愛いかよ。
「……メール見てから返信が来るまで若干のタイムラグがあったけど、私からのメールを見た女の子に、小言を言われていた、に賭けるよ」
そういって楽しそうに目を細めている。
「そんな訳ないじゃないですかあ。橘は今日はもう帰りましたし」
「別に、美幸ちゃんの話はしてないんだけどな」
「俺に小言を言う女はあいつくらいですよ」
「それもそうだね」
言ってコロコロと笑った。……全く他人事だと思って。
「で、今日はどういったご用件で?」
「はいこれ」
萌菜先輩はすっと箱を差し出してきた。
……トッポ?
「なんすか? くれるんすか?」
「うん。義理チョコ」
ああなるほど。これが噂に聞く義理チョコと言うやつか。いかにもな義理感が出ていて大変に良いな。
「ありがとうございます! 感動で涙がちょちょぎれそうです」
俺は懇切丁寧にお礼を述べた。
「トッポでそこまで喜ばれると逆に困るんだけど……」
俺は威儀を正して真面目な表情をした。
「……本番の方は?」
おずおずと尋ねたところ
「これから。……今のは練習かな」
「こんな軽い感じでいいんですか?」
「チョコの方は本気出したけど、どうせどんな感じにしてもあの子は冗談だって思うから。……それは私のせいでもあるんだけどね」
そういう先輩の顔は、何でも無いふうな表情をしていたのに、どこか寂しげに見えた。
「ごめんね。せっかく相談に乗ってもらったのに。いつまでもうじうじしてさ。……でも最後にはちゃんとするから」
「……はい」
*
部室に戻っているときは、萌菜先輩の心情に同調して、思わず嗚咽を漏らしそうになっていた。しけた面を安曇に見せるのもどうかと思い、両手で軽く頬を叩いてから、部室に入る。
安曇が部室に入った俺の手にある箱菓子を見つけ、にやにや笑いながら
「お、萌菜先輩にチョコ貰えたんだ。やったじゃん。女神の愛の大きさがそのチョコにあふれているね」
「そうだろそうだろ。俺ってば愛されてるだろ」
女神さまから貰ったトッポとか、永久保存版だろ、これ。とりあえず神棚に飾ろう。うち神棚ないけど。
「それはそれとしてさ、この問題教えてくれない?」
安曇は数学の問題を解いていたらしく、参考書を指さして俺の目を見た。
「結局やることにしたんだ」
彼女が取り組んでいたのは、以前に中身も見ずに買ってしまった、「やさしい(嘘)理系数学」だった。
「まあ、多少はね」
「ちょい見せてみ」
俺は椅子を引いて彼女の隣に座り、ペンを取って問題を解き始める。
そんな感じで臨時の寺子屋になって、安曇に勉強を教えつつ、俺も自分の勉強をはじめ、時たま冗談を飛ばしながら、時間をつぶした。
*
「今日は私の当番だから、頂戴」
安曇が部室の戸を閉めた俺に対し、手を差し伸ばしてくる。鍵を寄こせということだ。
「どうせ、あんま変わらんし、俺もついてくわ」
「いいって。二人で行ってもしょうがないでしょう。それに私が隣にいたら、まるモンにチョコ渡したい子が近づけなくて困るじゃん」
「そんな天文学的な確率の事象まで気にする必要はないと思うんだが」
「いいから」
きっぱり断られてしまったので、安曇に鍵をパスして仕方なしに一人で昇降口へと向かった。
当然、俺を待ち構えているような女子はいない。十六年間何もなかったのだから、今更何か思う所もないのでさっさと帰ろうと、下駄箱の扉を開けて靴を取り出し……。
いけね。開けるところを間違えたようだ。もうすぐで一年になると言うのに、自分の下駄箱の場所を間違えてしまうとは。
俺は一歩身を引いて、自分のクラスである、Aというプレートと、出席番号を確認して、もう一度扉を開けた。
……。
おかしいな。なんで俺の下駄箱に、リボンの巻かれた箱が入っているんだ?
……ああ、そうか。誰かが入れ間違えたんだね!
俺ではなく意中の相手にでもすれば効果抜群な、ドジっ娘アピールだな。
俺は周りに誰もいないことをまず確認した。
ドジッ娘の、贈り相手の名でも書いていれば、入れ直してやれる。そう思いながら、チョコレートの箱を取り出して、くるくる回して名前が書かれていないか確認した。
どこにも何にも書かれていないなと、首をかしげながら、もう一度表を見てみれば、リボンに封筒が挟んであるのを見つけた。
名前を確認するだけだから許してね、と贈り主と贈り相手に心の中で詫びながら、手紙の入っているであろう封筒を少しだけ引っ張り出してみれば、「元気くんへ」と書かれてある。
なるほど、贈り相手は「元気くん」というらしい。
「……………………まじか」