全く不思議だ
「最近気づいたんだけどさ、和風月名って美少女の名前みたいなの多くない?」
この人は突然何を言い出すのだ? と思いながらも、一月から順に月の和名を思い浮かべてみる。
睦月、如月、弥生……。言われてみれば。
「美少女かどうかは置いといて、女子の名前にありそうなのは確かですね」
誕生月を娘の名前につける、ということがあるからそうなのだろう。男子につける感じはあまりしない。
「皐月とか圧倒的美少女感しない?」
萌菜先輩がそう言ったところで、店員が注文していた品を運んできた。
店員が品を置いて「ごゆっくりどうぞ」と言い去ったところで、先輩の話に合わせようと思い
「俺の推しはかんなちゃんですね」
と言ったわけだが
「ふーん」
すごくどうでもよさそうな返事が返ってくる。
なんであなたから話題振っといてそこまで興味なさそうにできるの?
その代わり先輩の目は爛々と輝き、ケーキを見つめている。
彼女の興味は既に目の前のケーキに移ってしまったらしい。
……。
俺の話なんかよりケーキのほうが大事ですよね、そうですよね。
子供の名付けに関して最近話題になるのが、難解な読みの名前についてだろうか。……読みが分からないと言うより、それをつける精神が理解できない、といったほうが正しいか。
何月生まれだから、という理由で名前をつけるのは安直だと考える人がいるかもしれないが、王冠と書いてクラウンとよませたり、愛神と書いてキューピッドと読ませたりするのより好感が持てるし、センスも断然良い。
いわゆるキラキラネームというのには賛否両論あるのだろう。
それに否定的な人間は単純に読みにくいだとか、浮いていじめられるだとか言う。
それに対して、キラキラネーム肯定派は個性になって良いとのたまう。
よその家の子の名付けに他人が口出しするな、と言われればそうなのかもしれないが、個性を出そうとして形から入るのは浅慮としか言いようがない。
評価されるべきなのは上っ面ではなく、その中身であるはずだ。
大体個性個性って騒ぐやつほどつまらないやつが多い。本当に個性のあるやつは、なりたい自分があって、物事に懸命に取り組んだ結果そうなっているのであり、個性的になるのが目的だったわけじゃないだろう。
キラキラネームをつけるということは、「将来の夢は?」と聞かれて、「俺はビッグになりたい」と答えているのと本質的には同じなのだ。
要するにみんなイチローになればいい。……まあ、余裕だな。世界平和に比べれば。
その点、俺の子供はきっと玉のように可愛らしいに違いないので、奇矯此処に極まれりみたいな名などつける必要はないだろうし、俺と将来の奥さん(超可愛い)の付けた名が、後世で美男美女の代名詞として世界標準語になるまである。
人生順風満帆過ぎて怖い。俺、いつか死ぬんじゃないか?
「ところでなんで俺萌菜先輩とお茶してるんでしたっけ?」
ケーキを嬉しそうに頬張っている先輩を目の前にして、今日何度目かになる疑問を口にしていた。
萌菜先輩は何を今更とでも言いたげな顔をして
「何言ってんの? 君が相談に乗ってくれるって言ったんでしょう」
とのたまう。
……確かに俺はそう言った。それは自販機の前で弱音を吐いている先輩を見て起こした、一時の気の迷いなんかではなかった。
それでもその事象は解決したものだと俺は思っていたのだ。先日の彼女の見事なパフォーマンスを見て。
「……あれはあれで良かったのでは? スタンディングオベーションだったじゃないですか。俺的には萌菜先輩のステージ上での歌唱ほど素晴らしいものはなかったと思います。もはや演劇なくてよかったレベルですよ。来年からは、予餞会は先輩のワンマンショーにするべきでは?」
「来年は私が送られる側なんだけど」
「え!? 先輩まさか卒業する気なんですか?」
「須らく卒業させてほしいんだけど」
「何言ってんですか! ロリコンが跋扈するこの日本国に於いて、女子高生という最強の肩書を自ら捨てるなんて、先輩正気ですか」
「君が正気じゃないのは確かだな」
「はっ!! 俺今、JKに囲まれて生活してる。……やっべ、超やっべえ」
「落ち着け、少年」
「……ま、冗談はさておき、あれでいいと思いましたけど。どこか不満でも?」
萌菜先輩はそうしたら
「いいわけ無いでしょ。あれで私が当たって砕けたように見えたっていうの?」
と表情を曇らせた。
「……というかむしろ輝いてましたね。確実に先輩のファンが増えちゃってますよ。俺もあとちょっとで先輩にプロポーズして、裁判所から接近禁止命令が出されるところでした」
「色々段階飛ばしすぎてる上、ストーカーになっちゃうのかなり気持ち悪いね」
だよね。俺も言ってからそう思った。
彼女は幾分か不満げな表情を見せ
「……まあ、歌を送った相手は、全く気づいている様子はなかったけどね」
「話したんですか? 彼と」
「それとなくね。私が三年の先輩に惚れてるって勘違いしてたよ」
「そいつ馬鹿じゃないすか。それかよほど鈍感だな」
「……それは君も大概だと思うけど」
「ん?」
全く先輩は何を仰るか。
俺は馬鹿でもないし鈍感でもないぞ。人の気持ちが分かりすぎて気苦労してるくらいなんだから。
「とにかく君が私を女にしたんだから、最後まで責任取ってよね」
「誤解招きそうなこと言わないでください」
俺は周りにうちの学生がいやしないかとびくつきながら見渡した。こんなことを先輩のファンに聞かれでもしたら、俺の命が危ない。
先輩がこういう冗談を言うたび、俺の終末時計の針が進むということを理解してほしいものだ。今三十秒前くらいになってたからね?
咳払いしてから
「それで今日はなんの相談なんです?」
と尋ねる。
先輩は分かりやすくぽっと頬を染めて恥ずかしそうに
「……もうすぐじゃん」
と伏し目がちに言う。
「何がですか?」
彼女は今度は少し顔を上げて、俺の目を見て言うには
「二月十四日」
……ああ。
萌菜先輩は言ったきり、顔を赤くしてもじもじしている。
全く妙なことになったものだ。女傑と呼ばれ、全校生徒から畏敬の念さえ抱かれている彼女が、この俺の前では乙女も乙女になっているのだから。
「……それこそ、俺に相談されても困るんですけど」
だってチョコ渡した事とかないもん!
「そんな難しいことは聞かないよ。どうやって渡そうかなって」
「手渡しでいいんじゃないすか?」
知らんけど。
でも萌菜先輩は気持ちに踏ん切りをつけるために、玉砕する覚悟をした。
こっそり渡すなんて回りくどいことをする段階は過ぎているだろう。
「やっぱそうかな。見るからに義理って感じのにするべきなのかなあ」
「それだと渡す意味ないじゃないですか。先輩ははっきり振られたいんでしょう」
「……それも変な話だけどね」
「ならちゃんと渡して口で言わなきゃわかんないすよ。そいつ多分馬鹿ですから」
男子高校生が女子から意味ありげな視線を向けられたり、あからさまなアプローチをされたりして、その行為の意味するところに気づかないなんてことがあろうか。そんな奴がいるとすれば何も考えずに生きているに違いない。
とどのつまり馬鹿である。
「馬鹿ではないと思うんだけどね」
萌菜先輩は尻すぼみな声で言った。
まあ自分の惚れた男が馬鹿だなんて思いたくないわな。
「話変わりますけど、催淫作用を持つ木の実を使ったお菓子を、異性に渡すというのも、あからさますぎてあれですよね」
萌菜先輩は一瞬俺の言った意味が、分からなかったようで眉をひそめたが、すぐにチョコレートのことだと気がついたみたいで
「こらこら、そういうとこだぞ」
と俺を窘めた。
「だってやってること、媚薬飲ませてるのと変わんないっすよ」
実際かつてはチョコレートのもとであるカカオ豆は精力剤として重宝された貴重な薬だったと聞く。
「例えそうだとしても合法だからオーケーだよ。恋する乙女に倫理観なんていらないんだよ」
「それは流石に駄目でしょう」
*
話もそこそこに切り上げて、俺と先輩は会計を済ませ店を出ようとした。
ちょうどそのときに、店に入ってきた人物と鉢合わせすることになった。
その人物たち、……俺の部活仲間である、橘と安曇は俺と先輩を見て一瞬固まったが、小さく手を上げ「やぁ」と声を出した安曇に対し、橘の方はすっと俺の脇を通って、出口まで来た店員に対し
「二名です」
と告げた。
「ではこちらへ」
という店員の案内に従い橘は店の奥にスタスタと歩いていこうとする。
「おい、ちょ、待てよ」
俺を無視して中に進む橘を引き止めようと声をかけた。
橘は嫌そうな顔を隠そうともせず、こちらを振り返った。
「あら、花丸くんじゃない。こんなところで奇遇ね」
「いやバッチリ目合ってたよねさっき」
「劣情のこもった視線を向けてくる男がいる気がしたのだけれど、あなただったのね」
「ちょっとぉ?」
橘は萌菜先輩に一瞥をくれてから、ジト目でこちらを見てきた。
「知らない間に随分先輩と仲良くなったのね。そんな女たらしの花丸くんは、とりあえず、私から三十八万キロくらい離れてもらえるかしら」
「ちと遠すぎないかい? それ月に行けってことなの? 通販で服売って大儲けしないと駄目なの?」
「私は月にはいけません。というか同じ大気圏にいられるのが嫌です。月面基地でも作って永住してください」
俺に近くにいて欲しくないのはよく分かったけど、すごくハードルの高いこと要求してるよ。それ国家どころか世界規模のプロジェクトだよね。NASAでも厳しいレベルだよ?
「……考えようによってはお前の大好きなお月様に住むことで、お前は月を見るたび俺のことを思い出すんだな」
と俺が肯定的に捉えてみれば
「気持ち悪」
汚物を見るような視線を向けてくる。
そんなやり取りをしていたら萌菜先輩が小声で安曇に
「ねえこれっていちゃついてんの?」
と。対して安曇は同様にコソコソと
「わかんないです。いつもこうなんで」
「じゃあいつもいちゃついてんだ」
ちょっとそこの二人何言ってんですか? どう見ても僕罵倒されてますよね。
橘は嫌悪感を顕にした表情で
「花丸くん。デート中に他の女のところに尻尾振って、涎垂らしながら近づくなんて、まともな男のすることじゃないわ。とっとと失せなさい」
「デートじゃないし、涎なんか垂らしてないし」
「あらそう」
「そもそもお前があからさまに無視するのがいけないんだろ。お前を怒らせるようなこと俺何かしたか?」
「別に怒っていないけれど、あなたみたいな人はとりあえず地獄に落ちればいいわ」
「やっぱ怒ってますよね!?」
「ただの冗談よ」
そっかぁ、冗談だったのか。
でも冗談言うときはもっと口角を上げて言ってほしかったなあ。睨んでいるように見えるし。ああそれも冗談なのか。良かった!
「怒ってないなら、なんで無視したんだよ」
俺が再び尋ねてみれば、橘は心底馬鹿にしたような笑みを浮かべて
「あら、あなたそんなに私に構って欲しかったの? 萌菜先輩に構ってもらっといて、私にまで構ってほしいなんて、あなたって真正のかまってちゃんだったのね」
「だからそういうんじゃないって。……中身は言えないけど、ちょっと相談受けてただけだ。……つまり部活の一環だ」
「それは弁明?」
「……弁明ってわけじゃないが、……とにかくすまんかった」
「どうして謝るの? そんな必要ないでしょう。あなたは私に何もしていないと思っているのだし、実際何もしていないのだから」
「……それはそうだが。……そうだな」
なんで俺はこんなに負い目を感じているのだろうか。こいつの言う通り、俺は橘に対し遠慮するような理由など全くないのだ。
「用がないのならもういいかしら。店員さんが困っているわ」
「分かった。引き止めてすまん」
俺は一体何を焦っていたのだろうかと、頭をボリボリ掻きながら引き返したところで、安曇がすれ違いざまにボソリと
「零点だよ」
とだけ言って、橘のもとへと向かった。
れいてん? 何を言ってらっしゃる?
俺は彼女らの後ろ姿を見てから首を傾げ、納得は行かなかったが出口に向かった。そこに立っていた萌菜先輩はしっとりした視線をこちらに向けてきていた。
「……どうしました?」
「別にい」
……どうして俺の周りにいる女子は、こうも歯切れが悪い人間ばかりなのだろう? 全く不思議だ。