賀正!
境内に近づくにつれ、人混みの圧が大きくなり、気を張ってないと人がゴミのようだと呟きたくなる。
とりあえず拝殿に行こうとしたのだが、人混みに紛れているうちに、いつの間にか二人とはぐれてしまった。とりあえずお参りを済ませてから探すとするか。
拝殿に上がったところで、俺の反対側で安曇も上に上がってくるのが見えた。彼女もこちらに気づいたらしい。
形式だけの参拝をして、横にそれて橘がいないかとキョロキョロとあたりを見渡す。ざっと見た限りでは、彼女らしき姿が見えない。
安曇がそんな俺に近づいてくる。
「橘知らん?」
と一応聞いてみたのだが
「一緒だと思ってた」
と彼女は答える。
「参ったな」
頭のねじの緩んだ奴に絡まれてないといいんだが、と思いながら連絡を取ろうと、ポケットのスマホに手を伸ばしたところで、
「あ、あれそうじゃない?」
安曇が拝殿から見て左の方向を指差した。薄暗くて判然とはしないが、列から逸れて、大きな木の下に確かに和服に身を包んだ女性が見えた。
俺たちを探しているのか落ち着かない様子で視線を動かしている。
「あれっぽいな。安曇は鍋の前のところで待っててくれ」
出しかけたスマホをもとに戻しながら言う。
「鍋?」
「右の方で甘酒配ってるだろ」
「ああ」
安曇がそちらに行くのを見ながら、俺は人混みを分けて橘のもとへと向かった。
「あら花丸くん、どこに行っていたのかしら?」
俺を見つけたと思ったら、彼女はピタリと動きを止めて、澄まし顔で言った。
「いや、それ俺の台詞だから。勝手にいなくなるなよ」
「……ちょっと人に酔っただけよ。もう大丈夫」
見栄を張るのかと思えば、言い訳も言い訳なだけに、格好がつかない。
「……安曇待ってるからついてこい」
俺はそれだけ言って歩き出したのだが、橘が袖を掴んできた。
「どした?」
本当に体調でも悪いのかと思い尋ねる。
「また同じ轍を踏む気?」
「どういう意味だ?」
「人混みに入れば、また逸れてしまうかもしれないじゃない」
「いや、そうしないと向こう側行けないし」
人が散らばるの待ってたら、夜が明けちまう。
「……だから、手を取りなさい」
そう言って、ずいと突き出してくる。……全くこの十六歳児は。
「離すなよ」
俺は彼女の手を取って、歩き始めた。
歩きながら、思っていたよりも体温の感じられる彼女の手を握って
「結構温いんだな」
と横目で言った。
橘は『この男は何を言っているのかしら?』みたいな表情を見せたが、自分の手のことを言われたのだと気づき、
「私は心が滾っているから」
「口から火も吹くけどな」
「なにか言ったかしら?」
「なんでもないです」
おーいと手を降る安曇のところへと行く。
「迷子のお子さんが見つかりましたよ」
「良かった良かった」
そんな俺と安曇のやり取りを見た橘は不貞腐れたように
「別に迷ってなんかないわ。花丸くんが私を置いていくのがいけないのよ」
「はいはい。分かった分かった。よく泣かなかったね。偉い偉いたたたたっ! 手をつねるな!」
拗ねた幼子をあやすように、橘の相手をしながら、甘酒の列に並んだ。
甘酒を受け取り、骨身まで冷えた体に、酒粕特有の香りを嗅ぎながら、その温もりを享受する。
「あ~、五臓六腑に染み渡る」
「まるで呑兵衛ね」
満足げに感想をこぼした俺に、橘が言った。
「酔っ払って、私に絡んでこないでよ」
「誰が甘酒で酔うかよ」
「本当に弱い人は、酒粕でも反応してしまうと思うけれど」
甘酒とかウイスキーボンボンで酔うやつが本当にいるのかどうか、私気になります。
「酔っ払ったら、体とかベタベタ触ってくるのかなあ」
と若干上気したような顔でポツリと言う安曇さん。……君が酔ってるんじゃない?
「物理的にもひっついてくるだろうし、多分より面倒くさくなりそうだわ。粘着質に絡んでくるわよ」
「あ~わかる」
酷い言われようだな。しかも全部想像の話だし。なんで俺が酔ったらセクハラする前提なの?
「俺がそんなことするわけ無いだろ」
と口を尖らせる。
「……そうね。花丸くんのことだから、酔ってなくても私に触ろうとするわよね。やめて、ジロジロ見ないで。視線が卑猥だわ」
「……」
俺がいつ橘に触ったという……いや確かに触ったことがないわけじゃないけど、それは全部仕方なくというか、やむにやまれぬ事情があったというか、さっきのあれもそうだし、半分くらいはこいつのせいで、とどのつまり俺は悪くない。
「みんなで飲み会することとかあるのかなあ」
「花丸くんと二人きりで飲むのは危険だから、三人というのは最低条件ね」
「そんなに酔った男が怖いなら、俺を呼ばんでよくね?」
「え? やだ。お酒を言い訳にして花丸くんを罵倒できるチャンスを捨てるなんて、私の金科玉条に反するわ」
「まずはお前のそのろくでもない金科玉条とやらを捨てろ」
「それに私が酔いつぶれたら、誰が私を家まで連れて帰ってくれるの?」
「……お前俺の事警戒してるの、してないのどっちなの?」
「ある危険を避けようとして別な危険が持ち上がることってあると思うの」
「? リスクトレードオフってやつか」
急に変わった会話に眉をひそめつつも、話を合わせてやる。
「花丸くんを虐められなくてストレスがたまるリスクと、花丸くんに嫌らしい目で見られるリスクを天秤にかけたら、前者のほうが大きいと判断したの」
「ちょっと待て。天秤にかけるものがおかしいだろ」
というか話変わってなかったんだ。
「こういう建物って誰が作ってるんだろうね」
ぽーっとした表情で、安曇が神社の建物の方を見ながら言う。
「大工さん」
「……いや、それはそうだけど、そうじゃなくて、うーん」
「宮大工っていうのもあるよな、よう知らんけど」
「宮大工……」
「こういう伝統建築は仕事見つけて来るのも大変そうだけどな」
城を鉄筋で作るか否か、エレベーターを取り付けるか否か、で揉める時代だ。神社仏閣は減ることはあっても、増えることはないのが今の世の中だろう。
「ところで何お願いした?」
安曇が俺と橘に尋ねてくる。
「無難なところで世界平和だな」
「思ってたよりスケールが大きかった。……多分一年でどうにかなる問題じゃないよね」
「うんにゃ。この世のすべての反乱分子が今年中に不可解な死を遂げる可能性もあるだろ」
「世界平和の前に、大量殺戮が起きてるよ!?」
誰の目から見た反乱分子かというのがこの問題のコアではある。世界にとっての反乱分子。……あ、それ人間だったわ。わろた。
「美幸ちゃんは何お願いした?」
「お願いというより、抱負ね」
「どんなこと?」
「……秘密」
「え〜教えてよー」
「叶ったら教えてあげる」
これはガチなやつらしいな。
「安曇は何お願いしたんだ?」
と尋ねたら、ふふんと彼女は笑って
「私はね、来年も三人で仲良く部活やれますようにってお願いした」
ああ、安曇さんいい子だなあ。
来年『も』っていうのが引っかかるけど。この一年の某少女の俺に対する態度を見て、仲良くやれていたと言うのは、ちょっと待て、と思う。
でもそんな無粋なことを言う気にはなれなかった。
そんなやり取りをしていたら、急に人々がざわめき始めた。
「どうしたのかな?」
俺は腕時計を見た。
「もうそろそろ十二時だ」
言ったら安曇もスマホを取り出して
「あ、ホントだ。一分前だね」
年越し十秒前になったら、誰かが音頭をとったわけでもないのだが、カウントダウンが始まった。
年越しの瞬間、あちこちから歓声が沸き、「ハッピーニューイヤー」という声が上がる。
まったく、日の本の生まれなら、賀正! とか、迎春! とか、謹賀新年! とか言うべきだろ。ここは神聖なる神の領域であって、異国かぶれの──
とかごちゃごちゃ考えていたら
「ハッピーニューイヤー!」
と安曇も叫んだ。
そうかニューイヤーはハッピーなのか。うぇーい。
「美幸ちゃん。あけましておめでとう! 今年もよろしくね!」
「あけましておめでとう。こちらこそよろしく」
と女子二人がキャイキャイしてるのをぽつんと眺めていた。……俺のことはうっかり忘れているだけだよね!
「年越したし、お参りもしたし帰るか」
「そうね」
それからなんとか逸れずに、神社を脱出し、三人で駅に向かって歩いていった。
駅舎に入ったところで
「ごめん。ちょっとお手洗い。美幸ちゃん、電車乗ってていいからね!」
そう言って、足早に安曇はトイレに向かって行った。腹でも冷えたのだろうか?
どうせここまで来たので、改札の前まで橘を見送る。
「ねえ」
橘が去り際俺の腕を軽く叩いてきた。
「なんだ?」
「安曇さんをちゃんと家まで送ってあげなさいよ」
「……おお。そうだな」
こんな深夜に彼女一人で夜道を行かせるのは、心配だ。正月に無礼を働くどうしようもないやつがいるかも知れない。
「……お前も気をつけろよ」
とこれから名古屋まで一人で帰る橘にも声をかけた。
「ええ」
「ねえ花丸くん」
「ん?」
「今年もよろしくお願いします」
平時とは打って変わり、至極厳粛なふうに言うので、俺もつい
「よろしくお願いします」
と言い頭をペコリと下げてしまった。
着物姿の彼女がホームに向かうのを見て、今考えたら何をよろしくされたのかと思うと、恐ろしさで震えてくる。
「ごめん。お待たせ! お手洗い混んでてさ。……美幸ちゃん電車乗れた?」
「多分大丈夫だろ。俺らも帰るか」
「うん。そだね」
「あ……家まで送るわ」
そう言ったら安曇はしばし呆けたような顔をしたがすぐに微笑んで
「ありがとう」
と言った。
*
「さみーな」
「うん」
俺も安曇も自転車でここまで来ていたが、特に示し合わせたわけでもなく、それを押して歩いていた。
「……にしてもさみーな」
「……まるモンさっきから寒いしか言ってないよ?」
「俺夏の瀬戸内生まれだから、寒いと語彙力が死ぬんだよ」
「それ関係ないでしょ。ていうか愛知生まれじゃないんだ」
「お袋の実家が、あっちにあるから」
「へえ」
そこで会話が途切れた。
チキチキと自転車のタイヤが回転する音が聞こえる。
黙った状態で歩いて行くのも、なんだか居心地が悪く感じたので、話のネタでもないかと、最近あったことを思い出そうとするのだが、ずっと家にいた俺に場を盛り上げるような話題などなかった。
状況を見計らっていたかのように、ラインの呼出音が鳴った。安曇のスマホだ。彼女はすぐに電話に出る。
「うん。今帰ってるとこ。……うん。大丈夫。送ってもらってるから。……うん、そうだけど。……え〜、うん分かった」
家の人からの電話だろうか?
スマートフォンをしまってから、安曇が俺に向かって
「ねえ、お母さんがまるモンに挨拶したいって」
「挨拶?」
「うん。家ついたら顔見せて欲しいって」
「……こんな夜遅くに、人んちお邪魔するわけには」
いくら正月とは言え。
「全然大丈夫だよ。お母さんがお礼言いたいって言ってるんだもん」
「……分かった」
*
しばらく歩いていき、安曇の家についた。
安曇が家の中に入っていき、彼女の母親を連れてくる。
「はじめましてー。梓のお母さんです☆ 会いたかったわ、まるモンくん♡」
うわぁ、酔っ払ってるよこの人。……まあ正月だしな。
家の中から出てきたのは、安曇を二、三十年ほど成長させたような女性だった。つまりは大人の色気ムンムンの綺麗なお姉さん。
……篠原涼子とか米倉涼子とか広末涼子とかと同年代だしな。そういう話じゃない。
「ささ、入って。寒かったでしょう」
安曇ママは俺の手を引いて家の中に連れ込もうとする。
えぇ……。
「ほら、何突っ立ってんの?」
娘である安曇にも急かされて、渋々安曇宅にお邪魔することになった。
「ホットココアでいい?」
家に入るなり、安曇ママは俺に尋ねてくる。
「あ、いや、長居はしませんよ」
「もうっ。子供は大人の厚意を素直に受け取るべきよ」
「はあ」
「ホットココアでいい?」
ココア、嫌に推してくるなあ。好きだからいいけどさ。
「じゃあそれで」
「すぐ作るわね」
リビングでココアを心ぴょんぴょん待ちにしている間、なあ、と安曇に耳打ちをする。
「パパは?」
こんな夜中まで自分の娘を連れ出している男がいたら、俺でなくとも抹殺するよな。もしかして俺を殺ろうとスタンバってるのかな?
「寝てんじゃない?」
それもそうか。
……本当に大丈夫かな。
「はい、おまちどおさま」
安曇ママがトレーにココアを載せて戻ってきた。
「いただきます」
それを受け取り、口をつける。
すごく美味しい。なんでかな。
綺麗なお母さんが作ってくれたからかな。
……女子の家でココアをご馳走になったのは今回が初めてではない。
ココアパウダーにそれほど大きな違いがあるのだろうか?
……それとも別な理由か。
「今日、泊まっていく? もう遅いし」
と安曇ママが冗談っぽく言う。ところが安曇は本気にして
「ちょっとママ!! 無理に決まってんじゃん」
と顔を真っ赤にしている。
「でもお布団もあるわよ」
「そういう問題じゃなくて!」
本当に、仲のいい親子だなあ。
微笑ましい親子愛を眺めることができたから、ここまで来たのも無駄じゃなかった。
飲み終わったカップを安曇がキッチンに持っていき、洗っている間、それを待って暇を告げようと思っていた俺に
「まるモンくん、ありがとうね」
と安曇ママが言ってきた。
「いえこちらこそ夜遅くまで連れ回していましたから」
安全なご帰宅を保証するのは、もはやコンプライアンスの一環。
「ああ、そうじゃなくて、いつもの話。もちろん今日も送ってくれて嬉しかったけれど。ずっとお礼が言いたかったの。あの子のこと助けてくれて。そして仲良くしてくれて。放送部に入ってから、すごく学校に行くのが楽しいみたいなの」
「……実際俺が役に立てているのかはわかりませんが、まあ、どういたしましてです」
「あの子、融通聞かないところあったり、おっちょこちょいなところもあるけど、これからもよろしくお願いします」
他に返答のしようがないことを言われてしまったので
「はい」
と答えた。
「あ~、ママ何まるモンと話してたの?」
リビングに戻ってきた安曇が、また自分の母親が要らんことを言ったのではないかと、疑るような視線を向けてきた。
「梓をよろしくって言ったのよ」
「変なこと言わないでよ!」
「変なことじゃないでしょう。梓、いっつもまるモンくんのことばっか話すんだから」
「もう! ママはもう寝てて!」
「あらそう。じゃああとは若い二人でごゆっくり!」
「だから!!」
安曇は母親にからかわれて顔を真っ赤にしながら、安曇ママをドアの外へと押しやった。
バタンとドアを閉めて、彼女は苦笑いをする。
「ごめんね。うちのママ変だよね。お客さんの前で酔っ払っちゃって本当恥ずかしい」
「面白かったぞ」
「もうホントやめてほしい」
……。
なんだか俺までモニュモニュした気分になってきた。
それ以上いたら余計なことを言いかねないなと思い
「……じゃあ、俺は帰るわ」
掛けていたコートを取って羽織った。
「うん。送ってくれてありがとう」
それから玄関へと行き、靴を履く。安曇は寒いのに外まで見送りしてくれた。
「じゃあ、休み明け学校でな」
俺はそう言って手を上げる。
「あ」
何か思い出したように彼女が声を出した。
「なんだ?」
「あけましておめでとう」
それを聞いて、俺は微笑んだ。そして同じように返す。
「あけましておめでとう」
*
冬休みも終盤、俺は病院の一室にいた。
「初詣どうだった?」
ベッドの上に座る彼女が尋ねてくる。
「まあ。まずまずだな」
「楽しかったんだ」
例のごとく、彼女は見透かしたような顔で笑う。
「楽しいかは知らんが、部活の連中には振り回されていたな。要するにいつも通りだ」
「ふーん」
さして面白いとも思えない話だって、こいつはずっとニコニコしながら聞いている。
「もうちょっと空いたら、お前も行くか」
「うん」
俺とこいつが他の人に気を使う必要がないくらい空いたら、二人でお参りに行こう。