クリパだよ?
橘が予約を入れておいてくれた店で、フライドチキンを受け取り、それから橘の家へと向かう。
飯を食って、ボードゲームやらトランプをして、ワイワイと過ごした。プレゼント交換もした。内容は義理で固めたようなものだったが。俺は近所の雑貨屋で見つけた、外国産の石鹸を持っていっていた。俺が受け取った箱の中には、キャラクター物のマグカップが入っていた。
「それ私のやつだよ」
俺が箱からマグカップを取り出して、眺めていたら、安曇が得意げに言ってくる。
「安曇は橘のやつか?」
安曇が手にしているのは、ハーバリウムと言うやつだろう。鮮やかな花弁が瓶の中のオイルを泳ぐように揺らいでいる。
「綺麗だよね」
そう言って、安曇はうっとりとハーバリウムに魅入っている。
「ではこれは花丸くんの?」
橘が俺の持ってきた石鹸を取り出して、匂いを嗅いでいる。
……。
匂い嗅ぐのは良いんだけどさ、そんな腐敗したものかどうか確かめるみたいな嗅ぎ方やめようよ。
「別に俺の身体の油で作ったわけじゃないぞ♡」
「……そういう発想が出てくる時点で、ちょっとどうかと思うのだけれど」
「まるモン、今までで一番キモかった」
しょぼーん。
「……でもいい匂いだわ」
「へへん。そうだろう」
「きっとこの石鹸に花丸くんの劣情を込めて、私の全身を包み込むのを想像して興奮するのね」
「やめて」
俺そんな想像力豊かじゃないから。
というか橘も大概、発想がぶっ飛んでるよな。
*
「今日お風呂入れる?」
遊びも一段落したところで、歯磨きをし終えた安曇が橘に尋ねる。外はすっかり暗くなっている。
「ええ。今から準備するから少し待っててくれる?」
そう言って橘は立ち上がろうとする。安曇がそれを制し
「あっ。私がやるよ」
と彼女も立った。
「そんな。お客さんにそんなことさせられないわ」
「いいから。泊めさせてもらうし、歯ブラシくれたし。美幸ちゃんは休んでて」
「……そう。ごめんなさいね」
安曇になだめられるようにして、橘は再びソファに座った。
安曇が風呂場へと向かい、俺と二人きりになった橘は所在なさげに、ソワソワし始める。
俺の方をちらと見たかと思えば橘は立ち上がってどこかに行ってしまった。
普段と雰囲気が違うから、何をするでもなく顔を合わせていると、落ち着かないというのもあるのだろう。
部屋の向こうに消える彼女を眺めながら、さて俺はもうそろそろお暇しようかな、と考えていたところで
「はい」
「え、なにこれ?」
リビングに戻ってきた橘が、パッケージされたままの歯ブラシを差し出している。
「見てわからないの? 歯ブラシよ」
「いや分かるけど。なに? くれるの?」
俺は妙に思い、座ったまま彼女の顔を見上げる。
「知らないの? 口の中に長く食べかすがあると、虫歯になりやすいのよ。だからいま磨くべきだわ」
「……ああそう。じゃあお言葉に甘えて」
……マツキヨでのくだりなんだったんだろうな。毒ばかり吐くかと思えば、不意に優しいことをするから反応に困る。
俺が受け取ろうと、手を伸ばしたのだが、彼女は歯ブラシから手を離そうとしない。
戸惑うようにまた彼女の顔を見たら
「花丸くんのくせに『橘、膝枕して、歯を磨いてくれよ』って言わないの?」
こいつ……。今更俺がそんなので動じるとでも思っているのだろうか?
目にもの見せてやる。
「じゃあ頼むわ」
俺が断るに違いないと踏んで、からかってきた彼女は、顔を真っ赤にして慌てるはずだ。
そう思って、彼女の顔をじっと見た。
それなのに
「じゃあ、寝転んで」
橘は絨毯の上に正座して、膝をポンと叩いた。
え、あの。橘さん?
「お前、酔ってんの?」
「何言ってるの? お酒なんて飲んでないわよ。……ほら、歯磨いてほしいのでしょう」
えっと、あの。
「ごめんなさい。俺が悪かったです。許してください」
「掃除終わったよー。……何してんの?」
正座する橘に対し、土下座している俺、という異様な光景を見て安曇がギョッとしている。
「いえ。大丈夫よ。なんでもないわ」
橘はスッと立ち上がった。
それから俺を睥睨し
「歯磨いたら、さっさと帰ってね」
「あ、はい」
*
安曇の戸惑うような視線と、橘の冷ややかな視線を受けながら、彼女の家を出て駅に向かった。
手を繋いで楽しげに夜の街を行く、若い男女を見ても、昼間とは打って変わり、なんら引け目を抱くこともなかった。
吐息が白く街のイルミネーションの光を乱反射させるのを、ぼんやり眺めながら、改札口の方へと歩いていく。
そこで彼女に出会ったのは全くの偶然だったのだろう。以前の俺なら気づかないふりをして済ませていただろうが、この数ヶ月で俺はそんな薄情なことをするのに、引っ掛かりを覚えるくらいにはなっていた。
「先輩」
俺は近くまで行き、彼女に声をかけた。
その人物は驚いたような表情をしてこちらを見る。
「ああ。花丸くんか。びっくりさせないでよね。……こんばんは」
俺が声をかけた人物、萌菜先輩は安心したように微笑んでそういう。
「こんばんは。デートの帰りですか?」
「……うちの学校の男子っていうのは、デリカシーの無いやつを集めているのかな?」
彼女は苦笑いした。
「こんな夜遅くにどうしたんです?」
「映画見てたんだよ」
ということはミッドランドで見ていたのか。
「お友達とですか?」
俺がそう尋ねたら、彼女は目を伏せながら
「……いや、……まあ友達、かな」
とゆっくりと答えた。
ははん。これは男だな。
俺はニヤリと笑いながら
「いやあ、先輩みたいな綺麗な人とデートできるなんて、羨ましい奴がいたもんです」
「君ってどうでもいい女の子には、そういう態度取るんだ」
先輩は顔を曇らせながら言った。
「……あ、ごめんなさい」
「まったく」
先輩は呆れたような顔を見せた。
いやだって、なまじっか仲のいいやつに適当なこと言ったら、本気にされて「え、こいつ私のこと好きなの? きも」ってなるじゃん。そんなんつらいじゃん、嫌じゃん。某橘さんに調子のいいこと言ってご覧なさいよ、「私のこと欲情した目で見るのやめてくれるかしら」って言って、その後二、三日は口聞いてくれないよ。だから誠実な態度を取るんですよ。先輩にこういうこと言ってる時点で誠実じゃないですよ。ごめんなさい、もうしません。
「でも、デートではないよ。それをデートと呼ぶには、私は利口になりすぎた。それに、……いやなんでもない」
俺は彼女の言い回しをよく理解できず、眉をひそめた。
俺がなにか尋ねる前に
「そういう君は、何してたの? クリスマスの夜にお出かけかな?」
と彼女は言う。
話をそらされた感が半端なかったが、食いついたところで、橘以上に弁の立つ彼女から、それ以上何かを引き出せるとも思えない。俺はお茶を濁すようにではあるが、一応は正直に答えた。
「……俺は、ちょっと部活の連中と」
「はーん。女の子たちと楽しくクリスマスパーティーしてたわけだ。君も隅に置けないな」
「いやいや。忘年会的なやつですから」
「ふーん。……そういえば、文理選択ってもう決まってるんだっけ?」
「最終決定は二月ですけど、二学期終了の時点で大抵の奴は決めちゃうらしいっすね」
「花丸くんはどっちにしたの?」
「俺は理系です」
「あの子達は?」
あの子達というのは、放送部の他の部員のことについてだろう。
「……橘も安曇も、まだ迷ってるみたいですね」
流石に今日のお祭り気分に水を差す気にはならなかったので、そのようなしけた話はしなかったが、前に聞いた話から察するに、進路調査票を提出していたとしても、保留といったところだろう。
「……そうなんだ。……君は余計なこと言って、彼女たちの選択の邪魔しちゃ駄目だよ。どんな理由であろうと、それが彼女たちの選択なら、君がなにか言う資格はないんだから」
「分かってますよ。俺もそこまで馬鹿じゃありません」
同級生の人生の選択に、口を出せるようなやつが一体この世のどこにいるというのだろうか。どれだけ仲良くなろうと、所詮は他人だ。もちろん相談には乗るが、結局、最後は自分の意志で決めなければならない。
人生の選択を人任せにしていいはずがないんだから。