なんてことのない
ゆるっと三章スタートします
ラグビーワールドカップで日本が強豪相手に奮闘し、日本中がそれに熱狂した頃、我が家では
「親父、このテレビってどうやって電源つけるんだ?」
と薄い家電を指差し父親に問う俺。
「主電源を確認しろ。その前にプラグがコンセントに刺さってるか?」
「ああ」
「あとは現代技術の結晶。赤外線を利用したリモートコントローラーを受信部に向けて、電源ボタンを押せば画面がつくはずだ。そこに広がる世界は思考を放棄した現代人の癒やしとなる理想郷だ。人間の愚かさが嫌と言うほど映し出され、それに大金を払う日本の実質的支配者の顔が見え隠れしている」
「大変丁寧な説明だが、リモコンがないぜ親父」
「当たり前だ。これはテレビなんぞじゃないからな」
「じゃあなんだって言うんだ」
「コンピュータのモニタだ。五〇インチの」
「ああなるほど。じゃあそのコンピュータはどこにあるんだよ」
「小遣い切らしてモニタしか買えなかった」
お袋のコメント。
「あなた馬鹿じゃないの?」
それを聞いて何故か嬉しそうな親父。
親父は、お袋のその台詞を聞くためだけに、モニタだけを買ってきた、に俺は1ドルかける。要するに親父は馬鹿である。
なんにせよ、テレビというものの存在が観測されない我が家では、世間の熱狂も遠い世界のものにしか思えなかった。
ラグビーの聖地の一つとでも言うべき、スコットランドの住民は、極東のちょんまげ民族に負けたことを苦々しく思っているのだろうな、ぐらいの感想は抱いたが。
学校祭が終わり、台風シーズンも去って、秋が深まるのにつれて、校内からはうねるような熱気も消え去っていた。目下、控えるイベントは中間試験である。
ほとんどの生徒はテストなど受けたくないと思っているのが本心で、ただけだる気な雰囲気が漂っているばかりだ。
もっとも三年生は、遊びも終わり、ようやく受験に本腰になり、多少はピリピリし始める頃ではあるだろうが。
俺たち一年生にとっては、受験は程遠いもののように感じられ、すっかり中弛みが始まっているような状態だ。中間試験の後の遠足を餌に、勉強を頑張ろうという気は……起きないよな。
我ら放送部は、相も変わらず、ずれたような放送をしながら、そんな校内の空気を醸成する器官として機能している。
相談内容:【今度初めてのデートに行くんですけど、お昼をどうしようか迷っています。やっぱり初心者は家系より天一のほうがいいですよね?】
「ラーメンなら何でもいいだろ」
「……まるモン、いつになく答えが適当なんだけど」
「何言ってんだ。人間の味覚として、脂を感じるセンサーが見つかったんだ。つまり脂は正義。豚骨は正義。ラーメンは正義だ。だから初めてのデートは二郎系にでも行っておけば問題ない。とりあえずニンニクアリヤサイマシマシとでも言っとけば完璧」
「失敗させようとする気満々だ⁉」
「何言ってんだ。これくらいじゃないとラーメン女子に失礼だろ」
「あなたに恋人ができない理由がよくわかるわ」
相談内容:【秋が来ましたね。ところで秋は英語でfallです。つまり私は恋に落ちなければならない】
「春の出会いに飽きが来るのも今頃だけどな。出会って三ヶ月で付き合い始めて、三ヶ月目で倦怠期に入る。ちょうど今。前の奴に飽きて、新しい恋に落ちるという意味では、なるほどそのとおりだな」
「高校生は若いから新陳代謝が活発なのかしらね」
「今流行の『お試し』と言うやつだろ。ネット通販でも服とか気に入らなかったら無料で返品できたりするらしいぜ。高校生は流行に敏感だからな」
相談内容:【勉強の意義を考えたとき、カッコよさ以外に何かあるとは思えなかったので、超絶かっこいい名前の『漸化式』の勉強を頑張ることにした】
「勉強してると、俺のホメオスタシスが炸裂するぜ、みたいな台詞も言えるようになるよな」
「恒常性が炸裂したら、あなた死ぬわよ」
*
てな具合だ。ありきたりで、激動とはかけ離れた毎日の時間を、俺達は消費している。過ぎた時間は戻らないと誰もが知っているのに、現状がそこそこ満足なものであれば、ぬるま湯に浸かって安心できる。
酸いも甘いも知らない人間に、時間がいかに貴重であるかなど説いたところで、聞く耳は持たまい。
それは仕方ないし、それでいいとも思う。
後になって振り返った時に、後悔して、酒を飲みながら愚痴をこぼすのも一興。人間賢くなりすぎてもつまらない。
ただ普通の人生を送れることがいかに素晴らしいことかいつかは理解できるなら、上等だろう。
「ねえ花丸くん」
「……なんだよ?」
「クラスの打ち上げに来ない人っているじゃない」
「ああ、俺のことだな」
「結構楽しかったわよ。どうして来ないのかしら?」
学校祭の打ち上げのことかな?
「多分呼ばれてなかったからじゃないか?」
「クラスのグループラインで連絡あったじゃない」
へー、クラスのグループラインとかあるんだ。知らなかったよ。そもそもグループラインというものに、今までの人生で参加したことがない。
「……いいし。どうせ俺行っても、話す奴いないし」
むしろ行く方が逆に地獄を見る。冷や汗をかいて、時間と金が飛んでゆくだけの罰ゲーム。誰得?
「ええそうね」
話はそれだけだったらしい。橘はそこで下を向いた。何かな? 今のやり取りの目的とは? ああそうか、ハラスメントか。
……普通の人生を送れることの幸せを俺はよく知っている。
ぼけえっと天井を仰いだところで
「……それでなんだけれど、安曇さんと三人で今度一緒にどうかしら?」
とボソリボソリと橘が言った。こちらをチラチラ見ながら。
「何が?」
「だから、打ち上げやったところのお店で食事でもと思って」
「……え、何? 俺のこと誘ってんの?」
「違うわ。美味しかったから、また行きたくなっただけ。……ついでに慈善事業」
曰く逸れ物に優しくすることは、慈善事業になるらしい。
「いいね。一緒に行こ!」
安曇さんが乗り気になってしまえば、もはや誰にも止められない。
ここであえてコメントをするならばどう言おうか。
……。
今日も神宮高校は平和です。