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母になる

「それでご用件というのは?」


 俺は学校から少し離れたところにある喫茶店で、十ばかり歳の離れた女性と対面していた。透き通るような肌に、まっすぐに走る鼻筋、そして吸い込まれるような大きな瞳が、彼女の今までの人生で、言い寄った男の少なくないことを、思わせる。


「男の人って若いときから、せっかちなのかしらね。まず何か注文しません? それで少しお喋りしましょうよ」

 席に着くなり、本題に入ろうとした俺をたしなめるように彼女は言った。

「……すみません」

「別に怒ってはいないのよ」


「花丸……元気君だったわよね。私の名前はご存知?」

「すみません。覚えていないです」

 その女性、橘美幸の血の繋がっていない母親に会ったのは今回で二度目だが、俺は彼女の名前を知らなかった。


「言ってなかったかしらね。橘雅子と申します」

 すっと背筋を伸ばし、折り目正しく彼女はお辞儀をした。

「ご丁寧にどうも」

 そう言って、俺も軽くお辞儀をする。


「まだ日本にいらしたんですね」

 聞いた話では、橘の親父は今外国に住んでいるというから、彼女もそれについて行っているはずだ。盆踊りで会った時からずっとこっちにいたのだろうか。


「美幸さんから聞いたの? 私と夫が外国に住んでいることは」

「はい」


「そう。……向こうにいることのほうが多いのだけれど、時折こうして帰ってきているんです」

「そうですか」


「今、学校はどのような感じですか?」

 お喋りというのを本当にするつもりらしい。彼女は俺に尋ねてくる。

「……学校祭の準備でてんやわんやしてます」

 俺以外の人間はですがね。学校祭の開催まで一週間を切っているから、校内の熱は最高潮に達していると言ってもよかった。三年生までもが、勉強そっちのけで準備をしている。学校祭の準備の為に授業中寝てるまである。……勉強しろよ。


「ああそうなの。あなたの高校の学校祭というのはどのようなものなの?」

「他の学校と違いはないと思います。文化祭と体育祭があって、文化祭ではいろんな団体が展示を出す感じです」

 と他の学校の学校祭に行ったことのない俺が言う。だって誰にも招待されないんだもん☆ でも実際学校祭なんてどこの学校も似たようなものだろう。


「あなたは何をするの?」

「……部活では特に予定はありません」

 ……

 話続かねえな。この男は会話下手か。コミュ障か。童貞か。そうだよ。


「学校祭には保護者も行っていいのかしら?」

「規制はありませんが、大人の方が楽しめるようなものでもないと思いますよ。文化部の研究発表に興味があるのなら別かもしれませんが」


「あなたって随分正直に言うのね」

 彼女は目を細めて笑った。いやあ喜んでもらえて嬉しいですね。

「正直に生きろって育てられたもので」

 実際実行できているかは、大きなクエスチョンマークが付くが。



 そこで店員が注文した品を持ってきた。店員には俺と彼女はどのように見えているのだろうか。母と子にしては年が近すぎるし、恋人関係には到底見えないだろう。……まあ、姉と弟ぐらいに見えているのだろうな。


 雅子さんはコーヒーに少し口を付けてから、カップを置き居直って

「あの子、学校ではどのような感じなの?」

 と尋ねてきた。


 あの子というのは、他でもない橘美幸のことだろう。本題というのはこのことなのだろうか? あまり良好そうな関係に見えなかった彼女たちだが、少なくともこの人は継子のことを好意的な意味で気にしているらしい。


「まあ、元気にやっているんじゃないでしょうか」

 俺はなんの嘘も言っていない。あれを元気と言わずしてなんと言う。少し元気過ぎて、周りに被害すら出ている。主に俺に。


「友達はいるのかしら? あなた以外に」

 良かった。その聞き方をしてくれたおかげで、俺が橘美幸の友達かどうかということを答えなくて済む。本人が居れば「勝手に友達宣言されても困るのだけれど」みたいなことを言うに違いないし、何より俺がその台詞を言うのが気恥ずかしい。

 それもこれも過去のトラウマのせい。「俺たち友達だよな!」と友達だと思っていたやつに俺が言ったら「え? ……まぁ、うん」みたいな気まずいやり取りを今まで何度繰り返したことか。もういっそ否定してくれたほうが楽です。


「いますよ。俺の知っている限りですが、取り敢えず親友と言って差し支えない女子が一人います。そいつは俺から見てもいいやつだと思います」

 言って安曇の事を思い浮かべた。本当にあいつはいいやつだ。だからクラスでは話しかけるなオーラ全開の橘でさえ、あのように仲良くすることができているのだろう。


「ああそうなの。良かったわ。あなた以外仲のいい人がいないんじゃないかと心配していたものですから」

 そうですよね。俺みたいのしか友達がいなかったら心配になりますよね、お母様。


「えーと、それで今日は俺になにか話があったんですよね?」


「はい。今日は相談をしに来たのです」

 相談? 十も年上の大人の女性が高一の餓鬼になんの相談をするというのだろう?


「あなたは私とあの子の関係をどういうものか聞かされていますか?」

「……一応は」

「やっぱり、あなたはあの子に信頼されているのね」

「俺があいつから向けられているものが信頼だなんて感じたことはないですがね」

 多分あいつにとっちゃ俺なんてマスコットか人形ぐらいの認識でしかないだろう。よくてペットだ。そう俺はあいつの(もとき)とほとんど一緒。


「私はあの子のことをよく知りません。おそらくはあなたの方があの子と過ごした時間は長いと思います。私は……私は」


 雅子さんは胸元に手を当てて息を整えた。


「私はあの子の母親になれているのでしょうか?」


 彼女の視線は年下の男をからかうようなものではなく、また単に愚痴を吐露しているというふうにも見えなかった。雅子さんは本気で俺に自分が抱えている悩みを話しているのだ。

 

 馬鹿げたことをしている。俺は一瞬そう思った。俺はほんの餓鬼だ。そんな俺に親の気持ちが分かるわけがない。家族の問題を相談されたところで何か解決案を提示できるはずがない。普通ならそう考える。


 けれど彼女は普通の親ではない。まだ二五かそこらだろう。職種にもよるだろうが、大抵の大人の社会では、彼女はまだまだ青二才として扱われてしまうだろう。そんな彼女がいきなり、高校一年生の血もつながっていない子供の親になれという方が無理な話だ。


 俺のほうが橘とよく話して、橘のことをよく知っている。多分それは事実だ。彼女らはほんの一瞬共に過ごしただけで、まともな会話を、腹を割ってする会話の機会も持たずここまで来ている。

 

 解決の(いとぐち)を掴むため、橘美幸と親しい人間に探りを入れる、という点で言えば、あいつの親父を除けば、なるほど俺という人間ほど適任もいないのかもしれない。


「……俺は親になったことはないんで、親目線でのアドバイスはできませんが、彼女というか、高校一年生の子供が親に対しどう思っているか、ぐらいのことは話せると思います」


「聞かせてください」


「……俺らぐらいの年だと、割と親にあんまり構ってほしくないとか、そんぐらいにしか思ってないと思うんですよ。もちろん感謝はしています。金を稼いできてくれたり、ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたり」


「ええ、ええ、そうですよね」


「美幸さんに関して言えば、聞いた感じだと、父親のことは好きみたいですけど」

「はいそれは私も思います」


「雅子さんのことは……なんかあんまり触れられたくないみたいな……感じですかね」

 慎重に言葉を選んで、俺の見た橘美幸の気持ちを代弁する。このような事、本人に言うべきこととは思えなかったが、他に言いようがなかった。


「……私はあの子に受け入れられてもらってないんですね」

「でも嫌っているとかそういう感じでもないと思うんですよね。なんか、一五年間父親と二人三脚でやってきたのに、突然現れたあなたに戸惑っているとか、そんな感じに見えます」

「……そうですよね」


「偉そうなこと言うつもりはないんですけど、多分いきなり親になるっていうのがそもそも無理があるんじゃないでしょうか? それも思春期の子供相手に。俺はできることから少しずつやっていけばいいと思います。完璧な親子関係なんてもの俺にはわかりません。そもそもそんなものが存在するのかどうかも。別に友達みたいな関係でも、当人たちがそれでいいのなら、誰も文句は言わないでしょう。親になるって構えるより、単純に仲良くなろうとすればいいんじゃないですかね?」

「……あなたすごいわね。本当に高校生?」

「記憶の限りでは」

 もしかしたら俺は記憶喪失になっていて、実は八十歳で生まれて、年々若返っていくという数奇な人生を歩んできた可能性も捨てきれない。でもボタン工場のバトンを渡されてないから多分違うな。うん。


「あなたに相談してよかったわ。参考にさせていただきます」

 雅子さんは俺にそう言って頭を下げた。お役に立てたのなら幸い。


 その日はそれで終わりだった。自分でもよくベラベラ喋れたもんだと思う。


  *


 橘の母親と話をしてからから二日が経った。

 橘の様子はというと普段と何ら変わりはない。雅子さんはアクションを起こしたのだろうか? 相談された身としては成り行きが気になるのも当然だ。だから彼女に聞いたのだ。


「最近、母ちゃんとはよろしくやってるのか?」

「……なんで突然そんなことを聞くの?」

 橘は眉を顰めた。


「……いや、ちょっと気になってな」

 なんだか彼女の母親から直に相談を受けたことは、話すべきことではないように思えたのだ。

 それなのに橘は

「やはりあなたの仕業ね」

 と俺を睨みつけた。


「なんの話だよ?」


「あの人から電話が掛かってきたのよ。どこかに出掛けないかって。私の機嫌を取るようなことをして、情けないわ」

 橘は嫌悪感を顕にする。

 それは俺に対してではなく、雅子さんに対しての嫌悪感だった。


「……なんでそういうふうに捉えるんだよ。あの人はお前のこと本気で心配して……」

「そんな話、あなたとなんかしたくない」

 橘はピシャリと俺をはねつける。

 この頑固者は完全に彼女に対して心を閉ざしているのだ。


「お前、甘ったれたこと言ってんじゃねえよ。何がそんなに気に食わねえんだ?」

 言ってしまう。俺はいつも言わなくてもいいことを言ってしまう。

 そんなこと言わなければよかった、と思ったときにはもう遅い。何で俺はこんなにもムキになっているんだろう? 冷静な俺が一歩引いた場所で、彼女に感情をぶつけている自分を見つめている。本当俺は何様だよ。


「全てよ。あなたこそあの女の色香に惑わされて、言いなりになっているのでしょう? 気持ち悪いから話しかけないでくれるかしら」


「ああそうかよ!」


 

 なんで親切心でやったことでここまで言われなきゃいかんのだ。この分からず屋め。俺は胸の内で悪態をついた。

 そんな彼女に腹を立てた。でもそれ以上に上手くやれない自分に対し腹を立てた。


 俺はそれきり一切声を発しなかった。

 

 


   *


 その晩、俺はぼんやり、橘母娘のことを考えていた。橘の言動には腹も立ったが、彼女の気持ちはわからないでもない。自分の家に見ず知らずの他人がズカズカと入り込んでくるのを見て、気分を害するというのはなんとなく分かる。

 

 だが俺は橘が言うように、雅子さんがいい顔をしようとして、母親ヅラをしようとしているわけでは無いと思っていた。でなければ俺のような目下の者に相談なんてできるだろうか? 普通の大人なら、意地汚い大人ならば、子供に相談なんて恥ずかしくてできないはずだろう。

 雅子さんは本気で橘と仲良くなりたいと思ったからこそ、俺のところに来たのだ。それを分かろうともしないで、幼い子供のように嫌々言っているのは、どうしようもない。


 そもそも親になるというのは一体どういうことなのだろう?  


「……親の気持ちは親にしかわからんか」

 俺は呟いて自分の部屋を出ていった。


 リビングで本を読んでいた母親に声をかける。


「ちょっと聞きたいんだけどさ」

「なあに?」

 お袋は本に視線を落としたまま反応する。

「親になるってどんな気分だ?」

  

 俺がそう言ったら、お袋は顔を上げ目を丸くして、本をバタンと閉じた。

「……あんた、よそのお嬢さんになんてことを!」

「いやちげーし。俺まだ童貞だから。勘違いすんじゃねえ」

 

「なんだ。てっきりいっちょ前に種植えでもしたのかと」

「言い方」

 我が親ながらざっくばらんとしている。全くこんな親に育てられたら一体どんな子供になるのやら。……俺みたいになります。


「……なんでそんなこと聞くの?」

「いや、どんなものか気になっただけ。自分の分身がこの世に誕生するって、奇妙奇天烈じゃねって」

 イメージ的には頭に二本の角の生えた、緑色のエイリアンが口から分身的な何かを吐き出して、分裂するのとほとんど同じではないか。ちなみに俺の血の色は紫色ではなく、赤色だ。


「確かに奇妙奇天烈だったわね。お腹の中から人が出てくるっていうのは。というかものすごく痛かった」

「まぁ、それは逆立ちしても俺は味わえないけど」


「親になる……か。そうねえ──


 お袋は親というものが如何なるものかをその日俺に教えてくれた。

 

   *


 ベッドに寝転がり天井をじっと見つめていた。いろんなことが頭の中を駆け巡っている。


 雅子さんと話したこと。橘と話したこと。お袋に聞いたこと。


 かつて橘が俺に話した彼女の身の上話。その時に見せていた表情。感情。……涙。


 俺はずぶずぶと深いところに入り込んでいる。今更引き返すわけにはいかない。彼女が俺にぶつけてきたものがあったから、俺もそれに見合うものをぶつけなければいけない気がした。


 橘美幸は頑固者だ。話したところで分かり合える気はしない。けれど話さなかったら絶対分かり合えない。絶望的なときでも勝負に望まなければいけない時はあって、多分今がその時だ。


 だから俺は彼女に電話をかけた。


   *


 来ないんじゃないかと思った。だからいつまで経っても待ち合わせ場所にやってこない彼女が、その顔を見せたとき、俺はとりあえずホッとした。


 声をかけようとして

「じゃあ──」

 だが彼女は俺の前を素通りする。まだ怒っているらしい。


「おい、昨日電話で話したろ。つーかわざわざここまで出てきてまでシカトするとか、お前暇かよ」

 サンダルでコッコッと地面を鳴らす彼女を追い、呼び止めようとする。


「だから今から行くのでしょう」

 彼女は振り向きもせずに言った。

「……ああ、そうそう」

 

 今日は土曜日だ。でも俺は貴重な休日を返上して、こいつと話をするために名古屋まで出てきたのだ。

 ビルの上層階にあるカフェに二人で向かう。


 エレベーターの中では、周りに人もいなかったのだが、俺も橘もいつものようにアホみたいな話をする気にならなかった。


 店に入り席についた。


「今日はいい天気だな」

 話の枕に天気の話から入る。今日は実際、気持ちのいい秋晴れの日となっていた。


「御託はいいから早く本題に入ってくれるかしら?」

 おかしいな。事を急くなとついこの間教わったから実行したまでなのに、怒られたぞ。この子、お母様と相性悪すぎじゃね? 

 なんか戦いを始める前に、白旗を揚げたい気分になってきたぞ。


「……雅子さんと話したこと黙ってたのは悪かった。それと昨日は偉そうなこと言ってすまん。謝る」

 橘はふーんと鼻を鳴らしただけで、何も言わなかった。


 俺は話を続ける。もう泣きたくてしょうがなかったが、ここまで来てすごすごと引き返せるような生き方を俺は選んでこなかった。

「お前の気持ちは分からんでもない。いや、俺なんかにわかってたまるかとお前は思っているのかもしれんが、俺は別にお前の敵になりたいわけじゃないんだ。それだけは分かってくれ」

 橘は何も言わない。俺の真意を確かめようとしているのか、ひたすら俺の目をじっと見てくる。


「お前は雅子さんのことを受け入れられないのか?」

 俺は彼女に問うた。


 ようやく口を開いて言うには

「受け入れる受け入れないの問題じゃないのよ。絶対的に無理なの」

「お前がそう思い込んでいるだけなんじゃないのか? お前は一度でも彼女の言葉に耳を傾けたことはあるのか?」

「……何であなたとこんな話をしなくちゃいけないの? 私はあなたにそんなこと望んでいない」

「俺がそうしたいからだ」

 橘は目をそらす。彼女には俺と話し合う意思すらないように見えた。


「……無理よ。あの人は私の母親になんてなれない」

「俺もそう思う」

 俺のその発言に橘は目を見開いた。


「……何を言って──」

「親も人の子。親なんてそんな簡単になれるもんじゃないさ。お前は母親というものに幻想を抱いているんじゃないか?」


 昨日の晩お袋が言っていたことを思い出す。


──

 お袋は言った。

「親になるって、決心した意識はあんまりなかったかな。あんたは一人目だったからなおさら。ただこの世に生まれてきてくれたことが本当に嬉しかった。

 あんたが泣くたび、お父さんと二人で大騒ぎして、あんたが笑えば皆で笑ったわ。分からないことだらけで、全部手探りだった。お婆ちゃんに何度も電話したし、色んな話を聞いて良さそうなことは全部試して、何度も何度も失敗しながら、一生懸命育てて来た。それでいっぱいいっぱいだったわ。多分私もお父さんも、昔も今も完璧な親にはなれていなくて、それでも親になろうと努力しているんだと思う」

 俺は何だかむず痒いような気持になった。

「そっか。……親父はどんなふうに思ってんのかな?」

「お父さんだったら『この世には一人として完璧な人間なんていないんだから、完璧な親も存在しないだろ。俺たち親はいつまで経ってもビギナー選手で、子供と一緒に成長し続けてるんだ』ってな感じのこと言うんじゃないかしら?」

「めっちゃ言いそう。やっぱ親父のことよくわかってんな」

「伊達にあの人の妻を何年もやってないわよ」

 そういうお袋は楽しそうに笑っていた。

──


「親も一人の人間だ。俺たち子供は自分の親のことをスーパーマンのように見てしまいがちだが、親だって昔は俺達みたいに右も左もわからなかった子供で、嫌なことも楽しいことも色々経験して、俺達の親になっている。俺たちは親に完璧さを求めちゃいけない。でも家族だから愛する。向こうが俺たちに注ぐ愛を受け止めて同じぐらい愛する。そういうもんなんだと思う」


 完璧な親など存在しない。俺の親はそのことを子供である俺に正直に伝えた。俺はそれに落胆することはしないし、むしろ誇らしくさえ思う。それが嘘のない本当の事だから。

 人を信頼するのに、人を愛するのに完璧さなど必要ない。


「……でも私達の関係は普通じゃない。特殊なケースよ。あなたみたいに普通の場合と一緒にしないで。たとえ私が彼女を受け入れたとしても、周りは私達を奇異なものを見る視線で見てくる。私達を指差して、異常なものと糾弾する。わざわざ自分を貶めるようなこと私はしないわ」

 そこだった。俺がこの話を橘にする上での一番のネックは、俺と彼女の立場の決定的な違い。


 俺は自分の腹の中に用意していた言葉を吐き出す。

「普通じゃないとか、特殊とかそんな気にすることか? そもそも普通ってなんだよ。お前はいつからそんなこと言うようになった。お前の生き方を見ていると没個性的であることを賛美するようなやつには思えんが」


「そういう問題じゃないでしょう」


「お前は部外者なんかに説教されたくないと思ってるんだろう」

「ええその通りよ。だから放っておいてもらえるかしら」

「でもその部外者の視線を気にしているじゃないか。妙な事を言う」

「……」

 その矛盾は彼女自身もとうに気づいていたことのはずだ。だから彼女は何も言わないのだ。



「……じゃあお前は親父のこと愛してるか?」


「ええ」


「お前は親父のこと信じられないのか?」

「いいえ。信じているわ」


「じゃあ何で親父が選んだ人のことを信じてやれない。親父さんが選んだ人を、親父さんのことを信じてやれよ。それともお前は自分の親父が女狐も見抜けられないような、ぼんくらだとでも思っているのか?」

「……それは」


「雅子さんはお前の親父を愛している。雅子さんは愛している人が愛する人間を愛そうとしている。なぜそれを否定する?」

 橘美幸が求めるものは血縁などではないだろう。それこそ彼女が憎むものだからだ。自分を腫れ物扱いしてきた彼女の家は、彼女の親戚たちは、彼女にとって敵以外の何者でもない。だから血が繋がってないことを理由に、橘は雅子さんを拒絶しない。

 橘美幸が求めるものは、本来ならば彼女を疎んじた者たちが与えるべきものだった、本当の愛情だ。

 本当の愛情。それを与えるのに資格などが果たしているのだろうか? 血が繋がっている必要が果たしてあるのだろうか?   

 そんなことはないだろう。ただ望むだけでいいはずだ。愛情を与えるものがいて、橘がそれを素直に受け取る。他に必要なことなど何もないはずだ。


 頭のいい彼女がそのことをわからないはずがない。


 それでも彼女は手を伸ばさない。

「……今日はもう帰るわ」


 橘は注文した飲み物にほとんど手を付けないまま、千円札だけをその場において、席を立ってしまった。

 

 俺は追いかけなかった。

 

 これ以上何かを言ったところで、意味があるとも思えなかったからだ。


  *


 自分が正しいことをしたとはなかなか思えなかった。余計なおせっかいだと言われても俺は何も言い返せない。考えれば考えるほど自分が愚かなことをしたように思えてきて、恥ずかしくて自分で自分を呪った。


「お兄ちゃん一人で何暴れてんの? 病気? どこか悪いの? 頭?」

 ソファに寝転がり足をバタバタさせていたら、穂波に見られた。


「……友達に愛とか、人から伝え聞いた事を知った風に喋る俺を、全俺の細胞がアポトーシスを起こして殺してくれないかなって願って暴れる病」


「ああ分かった。中二病ね」

 穂波は納得したように俺の状態に名づけをする。


「というより、中二的発言を後になって恥ずかしく思う、中二病アフター症候群と行った方が適切だな。とにかく過去の俺は死んでしまえばいい」

 ちなみにアフターストーリーは控えめに言って神。(うしお)(したた)る。略して汐たる。そんなことはどうでもいい。


「大丈夫。お兄ちゃんいつでも痛々しいから。今更気にする必要ないよ。お兄ちゃんは黒歴史を作ったんじゃなくて、黒歴史そのものだよ。だから気にするな!」

 もうなにそれ。穴があったら入りたい。というか今のうちに穴を量産しておきたい。穴掘り名人になりたい。というか消えたい。俺の全質量が消滅して、アインシュタイン先生のE=mc2に則って地球も消滅してしまえばいい。


 その日はその後もずっと、自分の発言を思い出しては軽く十回は死んでいた。


 その晩、電話が掛かってきた。電話の主は橘美幸だ。

 二、三週間は無視されることも覚悟していたから、その日のうちに彼女の方から連絡をとってきたことに、俺は驚いた。


「もしもし。私だけど」

「ああ俺だ」

「その……今日はごめんなさい。というか昨日も」

 その声色はいつになくしおらしいものだった。

 

「気にするな。こんなネジのぶっ飛んだこと、ネジのぶっ飛んだような男にしかできないからな。だから俺は全く気にしていない」

 というのは嘘だけどね! 結局俺も橘美幸という女の子の前では格好をつけていたいのだ。


「……私よく考えたの。多分あなたの言うとおりなんだわ。私は子供みたいに意地を張っていただけなんだと思う。でもまだあの人のことをすべて信頼したわけじゃない。ただ私は私の父のことを信じてみようと思うの」


「うん。それでいいと思う」



「怒って帰ったりしてごめんなさいね。せっかく名古屋まで来てくれたのに」

 おおなんと。そんなことまで気にしているのか。今日の橘さんは本当に参ってしまっているらしい。いつもツンツンしている奴が弱っている姿を見ると、なんだか優しくしてあげたくなる。元気になったらいじめられちゃうのにね。つくづく俺という男は甘っちょろい。


「いいさ。お前と話したらすぐにでも帰るつもりだったから」

「それはどうなのかしら? せっかく街まで出てきたのだからデ……出歩くくらいしても良かったんじゃないかしら?」

「言ってもお前んちの近所じゃん。見飽きてるだろ」

「美容と健康のための散歩よ」

「なるほどな」


「……花丸くん。ありがとうね。私のことを真剣に考えてくれて」

 息をついてから橘は言った。滅多に俺に見せない態度で彼女は礼を言う。


 なんだか照れ臭くなった俺は

「俺たち友達だからな!」

 と誤魔化すように努めて明るく振舞った。

「……ええ、そうね」


「……また学校で」

「ああ、じゃあな」


 俺が橘の事を憎めないのは多分あいつがこういうやつだからなんだろうな、と電話をしまいながら俺は思う。


 ……俺はどうやら病気にかかってしまったらしい。何も楽しいことなどないのになぜかにやけてしまう。

 それを治すため強めに下唇を噛んだがあまり効き目はなかった。



どうも作者です。

読んでいただきありがとうございます。


作者から皆様にお願いです。


ブクマ、感想、評価、レビューどれでもじゃんじゃんしてください! 

ブクマが一件入るだけで執筆意欲爆上げ。更新頻度も増加します!(多分)。


今後とも楽しんでいただけるよう頑張ります!

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[一言] 悪いな。ポイントもブクマももう付けとるんじゃ。
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