パンケーキ屋さん
安曇の「お茶をしよう」という一言で、ティーブレイクをすることにはなったのだが、三人ともばらばらの店名を挙げたので、代替案として別な店に行くことになった。最近日本に進出してきたパンケーキ屋に行ってみたいと言う橘の提案によって、学校から自転車で十分ほど離れたモールへと向かった。
想像するまでもなかったのだが、客層は若い女性が主の様だ。男がいないと言う訳でもないが、どう見ても少数派だったし、男だけで入っているような客は見た感じではゼロだ。
「なあ橘」
「何かしら?」
「俺って周りから見たらどんな風に見えるかな?」
女子二人とパンケーキ屋に入る一人の男。まるでこいつらをたらし込んでいるように見えないだろうか?
「別にあなたの事なんて誰も気にしていないわよ」
「それもそうだな」
どこぞの誰とも知れぬ男よりも、目の前のパンケーキのほうが大事か。
何も考えずに俺がはじめに席に付いたのだが、女子二人は突っ立ったまま顔を見合わせて無言で、片手を出した。
「「ジャンケンポン」」
……何? そんなに俺の隣に座りたくないの?
結果は橘の勝利である。満足げに笑う彼女はそのまま俺の隣に座った。……あれ?
「何か?」
俺が不思議そうな表情をしているのを見て橘が言った。
「いや、勝ったのお前だろ」
「ええ、だからあなたの嫌らしい顔を見る必要のない席に座ったのよ。パンケーキの味にあなたの顔が混ざったら嫌だから」
「小中の給食のときでもそんな事言われたことないんですけど」
中学までは隣の席には女子が座っていたから、平日はほぼ毎日女子と顔を合わせて昼食をとっていた。たしかに俺と食事することに喜びを覚えるようなやつはほとんどいなかったが、そのことに嫌悪感を示すようなやつもいなかった。全く橘美幸はひどいことを言う。
「あなたは今までの人生、女の子に認識すらされてこなかったのね。 ……大丈夫よ。私はあなたの存在をちゃんと認識しているから」
ふと安曇が
「美幸ちゃん顔赤いよ。大丈夫?」
と橘に尋ねる。
橘は大げさに制服の胸元を手でパタパタさせて
「このお店、クーラーの効きが悪いわね。それと花丸くん。あなたの方から熱気を感じるのだけれど。暑いから少しの間、代謝するのやめてもらえるかしら?」
なにそれ、俺に死ねって言ってるのかな?
「……ああそうですかい。暑いんなら、もうちょっと離れてくれませんかね?」
さっきから微妙に肘とか腰のあたりが擦れたりしている。あといい匂いがするし。
「無茶言わないでくれるかしら。はみ出たら隣の客に迷惑でしょう。あなたこそ奥に詰めたらどうなの?」
「できるんならそうしてる」
「そう。私にくっついていたくて奥に詰めたくないということね」
「君、話聞いてた?」
どうせ自分で動くのが嫌なだけだろう。
いい匂いがするから、今回は見逃してやるか。
高校に入って気づいた、というか女子高生がそういうことを気にしているせいなのかもしれないが、女子はいい匂いがすることが多い。中には香りをつけすぎて悲惨なことになっているやつもいるけど。
放送部員は二人とも適度な感じだ。花のような甘い匂い。放送室がいつもきれいな空気なのは、多分こいつらのおかげ。橘はそうだし、安曇は……なんかいつもと違うな。
「安曇、シャンプー変えたのか?」
「花丸くん。女の子の家に侵入してお風呂場を覗くのは犯罪よ」
「んなことするか」
「ならどうしてわかったの?」
「いつもと匂いが違うから。……いい匂いだな」
安曇は
「えへへ。そう? 私も匂いが良さそうだったからこれにしてもらったんだ」
と照れくさそうにしている。
…………。
「……なんだよ」
「なんのことかしら?」
「何か言いたそうな顔してるけど」
「特にないわ。あなたが気持ち悪いのはいつもの事だもの」
そしたら安曇も
「まあ、ちょっとだけ気持ち悪かったけど」
この子達、本当容赦ないよな。
「美幸ちゃん、シャンプー教えてあげようか?」
俺が白い灰になっているところで、安曇が橘に聞いた。
「別に花丸くんにいい匂いだって思われたって得することないじゃない。むしろ欲情されて危険だわ」
と訳のわからない論を展開する橘。
「ねえ。欲情なんかしないし、それに橘、今でもいい匂いするだろ。俺は今のでも結構好きだな」
「……安曇さん、メニューどれにする?」
橘は俺の言葉に対して何も返さずに、メニュー表を開いた。何か気を悪くするようなことを言ったのだろうか? 女に匂いの話をするのがNGなのかもしれない。本当、女子と会話をするのは難しい。……男子とも話せていないけどね!!!!
気を取り直して、どんな商品があるのだろうかとメニュー表を見ようとしたところで
「……お兄ちゃん?」
非常に耳に馴染んだ声が聞こえた。空耳かな? まだ家を出てから半日すら経っていないと言うのに、ホームシックになって妹の声を幻聴に聞くなんて。
「ねえ、聞こえてるんでしょ」
肩を誰かに揺さぶられている。なんだろう、妖怪かな? 妖怪のせいかな? 妖怪のせいだね!
「ちょっと、無視しないでよ」
……やっぱり現実ですよね。
「おお、どこの別嬪さんかと思ったら、俺の妹君ではないか」
と言ったら穂波もふざけて
「これはこれは兄上様。このようなところでお会いできて、穂波は嬉しゅうございます」
と返してくる。
「久しぶりね。穂波さん」
橘が言った。
「こんにちはです、美幸さん」
穂波はピッと敬礼をするような感じでそれに応えた。……妹よ。確かに橘美幸は怖いお姉さんだが、決してそっち関連の人じゃないぞ。
「こんにちは、私、安曇梓っていいます。まる……モトキ君の妹さんですか?」
「はい。いつも兄がお世話になっています」
穂波は安曇の挨拶に対して、そう述べてから軽くお辞儀をした。
安曇はそんな穂波を見て至極感心したようで
「すごい。しっかりしてるね!」
と言う。
「そう、花丸君と違ってね」
「おい、お前は一言余計だから。大体、俺の妹が完璧なのは世界の常識。可愛くて、頭が良くて、みんなの人気者。俺なんかと比べるんじゃねえよ」
「まるモン卑屈さに拍車がかかってるよ」
自己紹介が済んだところで
「穂波、お前こんなところで何してるんだ?」
と穂波に尋ねた。
穂波は呆れたような口調で
「それは、お兄ちゃん。パンケーキ屋なんだからパンケーキを食べに来たに決まっているでしょう。お兄ちゃんこそ柄じゃないよ。何してんの?」
「俺も同じだ。パンケーキを食いに来た」
「じゃあ、美幸さんと……梓さんに連れてきてもらったのね」
「なぜ俺が連れてこられた風に言うんだよ。まるで俺がこいつらがいないと何もできないみたいじゃないか」
「だって絶対一人じゃこられないでしょう。こんなお店」
「そうでもないぜ」
「嘘だよ。だってたとえ食べたいと思っても『パンケーキ食うくらいなら、文庫本でも買った方がましだろ』とかかっこつけて言って、近寄りすらしないもん。美幸さんたちのおかげで来られたんだから、お礼言わなきゃだめだよ」
「そうよ花丸君。あなたがここに存在できているのは私のおかげなんだから、感謝してもらえるかしら」
「お前はいちいち誇張して話すな」
「じゃあ私、席あっちだから」
そういって穂波は指さした方に戻ろうとする。見ると連れが座っていた。……おかしいな、安曇の友達なのにセーラー服を着ていないぞ。なぜカッターシャツとズボンを着ているのかな? ……ああ男装か。そうかそうか。
「あの人、穂波ちゃんの彼氏かな?」
「ちがうちがう。宝塚にあこがれている女の子だろう」
全く安曇さんは、観察眼をもっと鍛えないといけないな。
「何言ってんの?」
「花丸君現実を見なさい。あれは男よ」
……。
「ああそうか。ボディガードか。さすがは俺の妹。リスクマネジメントが完璧だな。
将来は大企業の社長か、内閣総理大臣だな。穂波がトップに就けば安全神話がすべて現実になる。可愛い上に優秀とか、もう存在が神。つまるところ兄である俺も神。俺やばい」
「……ねえ美幸ちゃん」
「放っておきましょう。これは不治の病だから」
女子たちは痛々しい表情をして悲壮な視線を向けてくる。なんでだろう? 俺はいたって健康なわけだが。
パンケーキと飲み物のセットを頼んだ。結局みんな同じようなメニューになり、飲み物が俺と橘はアイスコーヒーで安曇はアイスココアだった。
運ばれてきたパンケーキをナイフで切り分けながら
「穂波ちゃん可愛いね。いいなあまるモン」
と安曇が言う。
「俺は別に女が女を好きだからといって、何か言うつもりはないが、穂波は安曇にはやれんぞ」
「別にそういう意味じゃなくて! 私普通に男の子が好きだからね!」
……。
「あっ、今のは違うよ!」
「やはり百合なのか?」
「だからそうじゃなくて!」
「花丸くん。そういうの良くないわ。LGBTの権利を保証することと、プライバシーの権利は別問題なのだから」
「分かってるってそんくらい。でもこれだけは言っておく。安曇よ。たとえお前が女の子が好きだからといって、俺はお前の味方だからな」
「だからっ!」
いい加減安曇が涙目になってきたのでここらへんでやめておくか。
「パンケーキ美味いな」
「……まったく」
安曇は少しの間プンスカしていたがパンケーキを口に含んだらぱっと顔を輝かせて
「美味しい!」
と言った。
すぐに機嫌が直るのが非常に良い。どこかの誰かさんと違って。……なんとかばなさんは怒ったら三十分くらいだんまりだからな。人間機嫌がいいのが一番だ。
*
「まるモンて将来どんな風になりたいの?」
パンケーキもあらかた食べ終え、飲み物をゆっくりと口に含んでいた時に安曇が尋ねてきた。
「俺の夢は完全週休二日制の仕事に就くことだな。そんでそこそこ給料の良いところ」
「花丸君。この国にはそんな仕事存在しないわよ」
「……やはりこの世界は何かがおかしい」
「なんか夢がないなあ。リアルすぎると言うか。……小さいころの夢はどうだったの?」
「あんま変わってないぜ。保育園に通っていたころに手紙を書いてタイムカプセルに入れたんだが、それには優良企業のサラリーマンになりたいと書かれていたな」
「なんでそんな冷めてるの?」
「俺は昔からお利口さんだったからな」
「花丸くん、利口な人は周りの人間とうまくやるものよ」
「だから俺は最善の策をとっているだろう。人と関わらないという。トラブルが起きようのない」
「タイムカプセルかあ。私の通っていた幼稚園はそういうのしなかったな。美幸ちゃんは?」
「さあ、どうかしらね」
「覚えてないかあ。昔のことだもんね」
俺も十年前のことなどほとんど記憶にない。食って遊んで寝て。ただその繰り返しをしていただけだろう。その時の記憶は霞の中にあるようで、本当に体験したものなのかも確証が持てない。
受精卵から人は人か。胎児から人か。出生してから人か。
新生児は疑いなく人であると言うのが、現代社会の意見らしい。だが、俺にとってはぼんやりとしか思い出すことのできない当時のことも、俺が一人間として受容したものとはどうにも考えられないのだ。記憶がおぼろげ。不確かで不安定な存在。
今でさえ一人前の人間であるとははっきりと断言できるかについては、首を傾げざるを得ないが。
*
「穂波さん。私たちには構わず、彼と一緒にいてよかったのよ」
橘が、連れの男子にではなく俺たちについてきた穂波に対して言った。まあ、穂波は何よりもお兄ちゃんのことが好きだからな。それはしょうがない。
「あ、いいんです。あの人私と同じで学校祭の実行委員で、今日は学校祭の事で話すことがあって、私は別にお店に入らなくてもいいかなって思ってたんですけど、彼がどうしてもって言うから」
「ああそうなの。学校祭の話し合いね。理解理解」
「まるモン嬉しそう」
安曇さんがボソリとなんか言っているが、なんのことやら。俺は平常運転だ。
「でも気をつけろよ。あいつ絶対お前に気があるぞ」
そうでなければ男子が女子をパンケーキ屋になどに誘うだろうか?
「えぇ、そうかなあ。そんなことないと思うけど」
「お前って鈍感だな」
まあそれくらいでないと、クラスの殆どの男子からラブコールを受けるような状況には耐えられないか。穂波を取り合ってクラスが分断されないか、お兄ちゃん心配。
「……なんだよ橘」
俺の方を何か言いたげな表情をしてじっと見ているのだ。
「……別に」
だったらそんな目で見ないでほしい。