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あなたほどの人畜もいないのだから

 定例放送の後は、いつものように部室で文庫本のページを繰っていた。他の部員も各々自分の好きなことをして、下校時刻まで時間をつぶしている。

 ヒグラシの声が聞こえようかという頃合いになって、勉強をするのにも飽きたのか安曇が不意に話しかけてきた。


「まるモンって旅行好き?」

 彼女の顔を見てみれば、若干色が黒くなったような気もする。日焼けは美容の大敵とは言うが、安曇さんは高校生らしい健全な夏休みをお過ごしのことと思われる。大方海にでも旅行に行ったのだろう。


「……好きか嫌いかと言われたら、嫌いだな」

 とそんな推察をしながら、問いに答えた。


「なんで?! 楽しいじゃん!」

 そう思うのならなぜそんな質問をしたのだろうか、この子は。

 そして例のごとく、いらぬ横槍を入れる橘美幸。

「どうせ花丸くんのことだから、歩くのが嫌だとか、人混みが嫌だとか、呼吸するのがめんどくさいとかそんな理由でしょう」

「おい、百歩譲って、前二つのはいいとして、三つめは何だ。旅行関係ないだろ。俺は生きるのが嫌になるほど萎れてないぞ」

「そうなの? てっきり人生いろいろ諦めていると思っていたのだけれど」

「人類には絶望しているが人生に絶望しているわけじゃない」

「それは人間社会においては同値よ。人は一人では生きられないのだから」

 と橘は呆れたようにため息をついた。


「お前も人のこと言えんだろうが」

 橘美幸ほど、他力本願と言う言葉の似合わない人物もいないように思われる。

「私が諦観を抱いているのは、愚かな人間に対してであって、人類そのものではないもの」

「人間は皆愚かだから、結局お前は人類全てに絶望していることになる」

「人が皆愚かという考え自体おかしいわよ」


「えっと……なんで嫌いなの?」

 と安曇が困り顔で、俺と橘の会話が泥沼になる前に割って入る。

「そりゃ俺がぼ……じゃなくて、あれだよ、旅行から帰るときの現実に引き戻される哀愁が、どうしようもないほど嫌なだけだよ。夏休みが終わるのが嫌なのとおんなじようなもんだな」

「それって旅行楽しんでるんじゃ……」


 ジト目でこちらを見ていた橘が口を開く。

「違うわよ安曇さん。花丸くん、遠足とか修学旅行とかで、いつも(はぐ)れものにされていたから、トラウマなのよ」

「そうそう、一番つらいのは旅行の前の班ぎっ……て、お前は俺に何を言わせる気だ。危うく黒歴史が蘇るところだったろうが。ていうか蘇ったし」

 思い出すのは、教師が前に立って、「花丸くんを入れてもいいよって班はないですか」という世に言うところの公開処刑を受けた、少年の日の思い出。俺は机に突っ伏し寝たふりをして「そうか、そうか、つまり君たちはそんな奴らなんだな」と呟いていた。……なんだろう猛烈に蝶の標本を粉々にしたくなってきた。

 マジであいつらなんなの。俺は菌か何かですか?


 橘は可哀想なものを見る目で俺を見ながら

「私は何もしていないけれど。でも一応謝っておくわ。ごめんなさい」

 と言った。

 もうほんと、いい加減にしないと泣いちゃうよ。


「それにしても妙よね。あなたを一緒の班にするのがそんなに嫌なんて。あなたほどの人畜もいないのだから」

 なぜかな。悪口を言われているようにしか聞こえないのは、なぜかな。

「……確かに人間も人畜に含まれるが、それはわざわざ文章にするものではないぞ。無害までつけようぜ。変なところで略さずに」

「あなたほどの人無(ひとでなし)もいないのだから」

「どうしてそうなる?」

「あなたほどの畜害もないのだから?」

「意味真逆になってるんですけど」

「いちいち細かいわね、花丸くん」

 細かくないと思う。いやまじで。


「繊細な男子高校生にそんなこと言っちゃダメだろ。傷ついて自殺しちゃうんだぞ」

「駄目よ自殺なんて。そんなことされると、あなたを(なじ)るために私まで地獄に落ちる必要があるじゃない」

「ん? どうして俺は地獄行き確定なのかな?」

「知らないの? 妄言をつく人間は地獄に落とされるという決まりがあるのよ。あなたの場合は約束を反故にしたことによるものだけれど」

「約束ってなんだよ」

 橘は俺をぎろりと見てからむっとした顔をして、そのあとは何も言わなかった。

 俺が上の空で、ジュースをおごるとかそんな約束をしてしまったのかもしれない。どうしても機嫌を直さないようなら、あとでぶどうジュースでも買ってくるか。


 しばらくしてから、誰かが放送室の扉をたたいた。入るよう促したところ、萌菜先輩が顔をのぞかせた。


「こんにちは。さっきは放送ありがとね」

 先ほどの呼び出しの放送の礼をわざわざ言いに来たらしい。

 元気よく挨拶を返した安曇と「どうもです」と言った俺に対して、橘は会釈しただけだった。


 そんな橘を見て萌菜先輩は

「美幸ちゃん、なんで不機嫌なの? 花丸君今度は何言ったのさ?」

 セリフとはミスマッチな楽しそうな顔をして尋ねてきた。

「なんでこいつが不機嫌だと、俺がなんかやったことになるんですか」

「だっていつもそうだもん」

 何という風評だろうか。


 萌菜先輩は橘の様子にはそれ以上気にするさまも見せず、

「花丸くんっていつもどんな本を読んでいるの?」

 と俺が机の上に置いた本に目をやりながら尋ねてきた。


「特にジャンルは決まってないです」

「浮気ばかりする甲斐性なしということかな」

「……あの、食いもんだって同じものばかり食べていたら飽きるだろうし、体にも毒でしょう。読書だって同じですよ」

「その理屈でとっかえひっかえ女の子にも手を出して、それを正当化するつもりなんでしょう。いやらしいね」

 うん、この人は何を言ってるんだ? そしてなぜ橘はさっきにもまして鋭く俺を睨んでいる?


「俺ほど浮いた話のないやつもいないですよ。何なら(いかり)で海底に沈められてるまであります」

 と自分でも何を言っているのかよくわからない弁明をする。


 ここぞとばかりに橘は口を開いて、

「そうですよ萌菜さん。そもそも花丸くんに近づかれたら大抵の女子は逃げていきますから」

 と水を得たなんとやら。至極嬉しそうである。

「そりゃそうか」

 と納得顔の萌菜先輩。


 ……俺そろそろ泣いていいかな。


「でも思うのだけれども、作家というのも可哀想な人たちよね」

「急にどうした?」

「だって、小説家は食えないっていうのが共通認識でしょう」

「……まあ、大概そうかもしれんけど」

 商業作家の平均年収は、サラリーマンのそれを大幅に下回る。百万に届かない作家もザラだろう。

「だが、上はすごいんじゃないか。ほら天才物理学者のシリーズを書いてる人とか」

 発行部数から考えて、年に三十億位いっていてもおかしくはない。庶民には一生かけても到底届かない額だ。


「そう。でもクリエイティブ業界全体で見たら、出版業界の人たちって稼ぎは下の方だと思うけれど。たとえば、スピルバーグ監督なんかは、さっき言った作家さんの百倍ぐらいは稼いでいるのではないかしら」

「……まあ、そりゃそうかもしれんけど」

「業界全体で見たら、映画とかゲーム業界のほうがいっぱい稼いでそうね。出版業界は結局、斜陽産業なのよ。小説を書いている人って他の分野で稼げないからそこにいるのよ。これから導き出される結論は、才能は金の集まるところに集まる、かしらね」

「……あの、ちょっと橘さん。方方から非難されそうなことを言うのは控えたほうがいいと思うんですけれど」

「あら、非難するということはそういう自覚があるのではないかしら。私の言っていることが全く間違っているのなら、馬鹿な女の戯言と聞き流せばいいのよ」

「……あのな、世の中利口な人間ばかりじゃなくて、隙あらば他人のあらをつついて、攻撃し悦に浸ろうとするどうしようもない人間がいるんだよ。だから滅多なことは言うもんじゃない。

 だいたい金が全てってわけじゃないだろ。小説でしか表現できないものだってあるし、一概に映像作品のほうが優れているとか、小説のほうが優れてるとか言えんと思うぞ。小説書くのが好きなやつがいて、そいつの作品を大好きなやつがいれば、それで十分じゃないか」

「ええ分かるわ。男の価値はバレンタインデーにもらえるチョコの数で決まるわけではないと叫んでいる、男子の主張並みにわかりやすかったわ。確かに数が多ければいいってものでもないわね。反省します」

 ……

 なんだろう。相手は自分の間違いを認めているはずなのに、この大きな敗北感はなんだろう。


   *


 しばらく萌菜先輩を交えて、馬鹿な話をしたところで、下校時刻が迫ってきたので、帰りの放送をしてから、放送室を後にした。


 三人とも自転車をとりに駐輪場に向かうのだが、

「あっ」

 と小さく安曇が声を漏らしてすぐに、ガシャンガシャンと自転車の倒れる音が、夕陽に照らされる校舎に反響して聞こえてきた。見ると駐輪場で、とある女子生徒が自転車を倒してしまったようだ。

 偶然通りかかった、丸坊主頭の集団が彼女の倒してしまった自転車を起こすのを手伝っていたので、俺たちがその場に着くころにはすっかり元通りになっていた。


「えらいわね。野球部の人たちは。困っている人を見たらすぐに助けてあげるのね」

「まあそりゃ、学校の部活の中で一番金使ってるところだからな。他の生徒に優しくしとかないと恨みを買いかねん」

「まるモンすぐそういうこと言う」

「花丸元気という男の程度の低さが今の発言に全て現れているわね」

 最近になって、女子二人に非難の集中砲火を受けることに、少なからず快感を覚えるようになってきている、危ない傾向に気付いているけど止められない俺。



「……でもまるモンはなんだかんだ言ってああいうの見たら助けてあげると思うな」

 橘は安曇のそんな発言に意外そうとか、目を丸めたといった表情を浮かべてから、

「安曇さんこの男を持ち上げてもいい事なんてないわよ」

 と言った。


 全く橘も安曇みたいにもっと俺を正当に評価してくれたら大変に助かるのだが、天地がひっくり返ってもそんなことにはならんのだろうな。

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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
twitter.png

「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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